2.或る歌手の話
可能であればずっと歌っていたかった。
ずっとマイクを握り、スポットライトのもとに立っていたかった。
人生、望みどおりに行くことは滅多にない。
歌手として大成するまでにも紆余曲折があった。
下積み時代、セクハラもされた。枕営業もやらされそうになった。
断ったら仕事量を大幅に減らされた。それでももらえる仕事はやった。受けられる限りすべて受けた。
歌が上手い者はたくさんいる。それだけならばすぐに埋もれてしまう。
トークも鍛えた。日常も発信した。
本を書いたり絵を描いたりもした。
バラエティにも出た。ワイドショーにも呼ばれた。ひな壇にも上ればもちろん歌番組にも。
自分を磨くのも欠かさなかった。
やっとつかんだ栄光を、居場所を
こんなことで手放さなければならなくなるなんて。
普段通りスケジュールはびっしり、空き時間はほぼ移動、そんな日だった。
移動中のワゴンの中で、昼食を食べているときに違和感を感じた。少し手がしびれる、そんな程度で病院にはいかなかった。
しかし、それが長く続いたころ、医療系バラエティで受けた人間ドックで受けた病名は筋萎縮性側索硬化症(ALS)だった。
歌を生業にしている私には大問題だった。筋肉が徐々に動かなくなっていくため、歌うこともできなくなっていく。
悔しかった。しかし、その悔しさを叫んで紛らわすこともできない。
進行はとてつもなく速く、半年後には寝たきりの状態になった。
頭は動く。考えることはできる。でも、それを言葉にすることができない。態度で示すことが、できない。
なぜ私だけが、こんな目に遭うのだろうか。運命を恨んでも、どうしようもなかった。
このまま私は動けなくなって死んでいくのか。原因のわからない病気に侵され、老婆になる暇もなく。
一番好きだったことができなくなるのは辛い。それどころか、嫌いな事さえもできなくなってしまうといとおしい。
夢をかなえた私でも、まだまだ続くと思っていた道が、実はもう朽ちていたという現実を受け入れ、「やりたいことはできたから」と受け止めることは、できなかった。
私はいつ動けなくなるのだろう。そして、死んでいくのだろう。




