08危険なティータイム1
そういえば、買ってきた紅茶の袋は…?という話
カチャ カチャ カチャ
ティーカップが気持ちの良い音を立てる。カーニャは鼻歌まじりで紅茶の準備を始めている。可動式の小さなサイドテーブルに置かれた卓上ランプでお湯を沸かし、カーニャは上機嫌。
ここは城内の1階部分に作られた、きらびやかな内装の応接室。前の貴族の所有物がそのまま残されているらしく、高価そうなティーカップが沢山並べられている。
「え〜と、どれにしようかな?」
(選べるって、嬉しいよね。今まで、宿の寝泊りが多かったから、食器なんて選べなかったし。北のマオ様のお城を思い出すよね)
「あー、これなんて可愛い花柄。こっちの金とピンク色のも素敵だよ」
高価な絨毯。
黒皮の重厚なソファー。
テーブルを挟んでそのソファーに腰を下ろす2人。
なにやら、キサラギが持ち込んだ数枚の書類にマオは目を通している様だ。
―――キサラギは、仕事で調査に来た、と言っていた。『城の広さや、設備を確認しに来た』と。
(王都は観光地だし、建物なんかを結構気にするのかも知れないよね。このお城には博物館もあるしね)
「それよりも、紅茶、紅茶」
と…、
「あれ、紅茶?そういえば紅茶の袋は…?」
カーニャは自分の持物を見た。
ポケットの中を見た…。
マオに頼まれ買ってきた紅茶の袋をきょろきょろ探す。
(え〜と、さっき庭で、勇者の人間に会った時には、こう両手に持ってって…)
「あっ……!」
たったったった。
カーニャは慌てて、応接間の窓から身を乗り出す。両手とお腹で重心を取り、足はぷらぷらと床から浮いている格好。そしてそのまま、外を凝視した。
(…やっぱり、何もないよね…。真っ黒、灰…)
先ほどまで、炎の渦に囲まれていた庭は、風の壁に守られていた場所が丸く青々と芝生が残るだけ。
(…折角買って来たのに…、燃え…、ちゃった…?)
「…カニャさん」
カーニャの行動を視界の隅で確認していたマオは、机の上の書類から目をそむける事無く、ポツリとカーニャの名を呼んだ。
「あまり窓から乗り出すと、そのままこぼれてしまう。…僕が拾いに行くのは面倒なので、止めなさい」
まるでカーニャを小さな飴玉のように例え、その視線を自分へ向けさせた。しかし、向けさせただけで、マオはカーニャに向き直る気はないらしい。その闇色の瞳は書類に落とされたままだった。
とすんっ
カーニャは自分が注意された事に気が付き、ふらふら浮いていた足を床に付けくるりとマオに向き直った。窓を背にして差し込む日の光に、カーニャの髪がきらきらと反射する。
「あ、あのマオ様、これくらいの…、袋、もしかして知りませんか…?」
そして、胸の前でクイッと両手で四角を作る。
「頼まれていた、紅茶の袋なんですけど…」
(もしかして、拾ってくれたとか)との淡い期待を持って問いかけた。
「ああ、それなら、炎と一緒に吸い込まれていくのを見たよ」
と、答えたのはキサラギだった。5、6枚の書類をタンタンと揃えていた途中のようだ。
「えっ、本当ですか」
「うん、さっき彼の魔方陣に…」
と言ってキサラギはマオを見た。
しかしその視線の先のマオは、やはり書類から目をそむける事無くソファーに優美に腰をかけている。
左手に数枚の書類。
右腕は肘当てに、
そこからすらりと伸びる手は顎に軽く当て、
それはまるで…、1枚の絵のように静寂と気品をかもし出していた。
―――つまり、この会話に興味がないようだ。
(ダメだ、マオ様の反応が無いよね…)
マオの事である、もしも、拾っていたならば「僕にぬかりは無いのだよ」などど言いながら、この絶妙のタイミングで出すに決まっていた。
「(と言うことは)やっぱり燃えちゃったんだ…」
カーニャの仄かな期待は見事砕かれ、その場でしょんぼりとしている。もしその頭にウサギの耳でも生えていたなら、大きく垂れているだろう。
「…マオ様の頼まれ事だったのに…」
どうやら、カーニャは『紅茶が燃えた』事よりも、『マオの使いを遂行できなかった』事、にガッカリしているらしい。
そんな覇気のないカーニャの様子にマオは気付き、ようやく書類から目を離した。そして夜色の瞳がカーニャを映す。
「ふう、やれやれ…、仕方が無い」
すうっ
おもむろにマオは、2本の指をテーブルに押し当てた。
未だ書類が無造作に置かれた状態のテーブル。
右手の一指し指と中指の2本を軽く着けたまま、
なにやらぶつぶつと、詠唱を始めた。
その一連の動作は、とても流れる様に動く。
マオの指先を起点としてテーブルの上に、ナイフで削りだしたような、模様が書類の合間に見え始めた。
「あっ!」
カーニャは、マオが魔方陣を描き出している事に気付いた。反射的に魔方陣を隠すテーブルの上の数枚の書類をわたわたと片付けた。
―――途端、
その魔方陣から、何かが出現した。
「…赤い、玉?」
それは、赤い赤い球体。
テーブルから10センチ程の高さで、揺らぎもせずピタリと制止している。
「わー綺麗ですね。これなんですか?」
大人の両手に余るぐらいの大きさのそれは、よくよく見れば無数の炎が蠢いていて1つの塊を形成しているようだった。
さながら、小さな太陽のようにも見える。
「カニャさんの炎に決まっているだろうに」
「…私の炎?えっ、さっきの火事の炎…、ですか?」
きょとん と、赤い球体をカーニャは見た。
「でも、この炎は、小さいですよ?」
「やれやれだな、カニャさん。あの大きさのまま、炎をここに出してどうするのだね?」
「…まあ、カニャさんが、『この城ごと燃やせ』と言うのならば、ふむ、どれ仕方が無い…」
と、マオは闇色の瞳を一瞬鈍らせ、妖しく微笑んだ。
「だ、ダメです!そんな事しないで下さい!!」
と、必死の懇願。
全くの冗談だと、分かっているのだが、そこはこのマオの事、本当に冗談で終わるとは限らない…。
「へー、コレがあの炎か…。てっきり、炎は消火したんだと思っていたけど…」
と、感嘆の吐息を漏らしたのはそれを傍観していたキサラギだった。とても興味惹かれたらしく、その小さな太陽をまじまじと観察している。
「それにしても、あの炎をここまで凝縮できるなんて…」
と、キサラギは、炎の球体とマオを見比べている。
「出来ない事ではないのだろうに」
「まあ、そうだろうけど、限度ってモノが…」
飄々《ひょうひょう》と答えるマオに、一瞬キサラギは「ははは…」と力のぬけた笑いをもらした。
「…それより、君。魔力は大丈夫なのかい?」
と、それでもキサラギは信じられないといった表情で、マオに問いかけた。どうやら、「あれだけの炎を閉じ込めておくだけの魔力が、並みの人間にあるわけが…」の意味が含まれているようだ。
「魔力?いや、僕の魔力の問題ではないのだよ。それは僕の魔方陣の作用なのだからな」
とのマオの返答に、キサラギは目の前の状況に戸惑いを隠せず、放心しかけているようだ。
「…いや、そもそも、その魔方陣を描けるだけの魔力と、精密さが凄いんだけどな…」
と、キサラギはぶつぶつと話しながら、少しずれかかった眼鏡を直そうと試みているのだが、眼鏡を直す手が何度も空振りをしている。
(全く、人間はいつも魔力、魔力って騒ぐよね。魔族の魔力に人間が敵うわけ無いのにね。それにマオ様は魔王だもの。凄いに決まっているよ)
と、カーニャは少し得意気になり、マオを誇らしげに見た。
「では、『取り戻す』とするか…」
と、カーニャと視線の合ったマオがそう切り出した。
(取り戻す?)
一体何の話だろうか?とカーニャは一瞬考えた。
「えっ!紅茶ですか!紅茶の事ですか!!」
「ふむ、僕の魔方陣に、炎とカニャさんの紅茶が閉じ込められているのならば、そこから取り出せばいいだけの話ではないか」
マオは、まるで部屋の引出から出す程度の感覚で話した。
「む、無理ですから!普通に考えて燃えてますから!炎と一緒ですし」
「ふう…、やれやれだな、カニャさん。状況と結果が必ずしも直結するとは限らない。それがこの世界の面白いところの1つではないか…」
(じょうきょう?ちょっけつ?)
と、マオの言葉が良く理解できずに、カーニャの顔には?の表情が浮かぶ。しかし浮かんだのは一瞬だけで、
(まあ、とりあえずいいや。どうせ難しい事は分からないし、紅茶が戻るんなら、嬉しいしね)
と、既に心は紅茶に飛んでいた。マオが『紅茶が戻る』と言ったのだ、きっと戻るのだろうと、カーニャは素直に受け止めたのだ。
(あ、そうだ!どうせなら、お菓子も戻ってこないかな♪)
と、ルビー色の瞳を輝かせ、カーニャは無造作にその球体を覗き込もうと、身を乗り出した。
「危ない!」
はっ、とキサラギが制止の声をかける。
「えっ?」
「…触った途端に、骨まで溶けてしまうよ。かなりな圧で炎が凝縮されてるみたいだから…」
(あわわわ…)
『骨まで溶ける』の言葉を聞いてカーニャは青ざめ、マオを見た。
(溶けちゃうのは、嫌だよ。良かった、触らなくって…。折角父様、母様から貰った体だもの、一生大事に使わなくちゃ…!)
「もう、触れないんじゃ、取り出すなんて無理じゃないですか…」
(…何だ、結局、紅茶もお菓子も、戻ってこないんだね…)
と、期待が少しあっただけに、カーニャは軽く落胆した。
「無理?それは誰が決めた事なのだ?」
「それに、僕が『取り戻す』と言ったのだ、できない事は無いのだよ」
と、言わんばかりに口元だけで微笑み…、
マオはためらいも無く…、
―――煮えたぎるその炎の球体に―――
―――片手を差し込んだ。
なかなか物語が進みません…。
さて、炎の塊からマオはカーニャの紅茶を取り戻せるのか?