12水の魔法1
----------------------------魔女の時間・水の魔法
「やれやれ。一体、何と何の誘惑の狭間にいるのだ…」
マオは、そう、ポツリと呟くと、
お菓子の山から1つ手ごろなものを すいっ とすくい上げた。
それは、ヒヨコの形に模られたクッキー。
そしてそのまま、おもむろに、だらしなく半開き状態のカーニャの口に ぐいっと 押し込んだ。
もぐもぐ…。
通常ならば、驚いて口の中を訝しげに思ってもいい状況なのだが、
うっくん。
意識が浮上するどころか、変わらず幸せそうに咀嚼するあたりがカーニャらしい。
まるで、…小動物の餌付けのようだ。
ヒヨコ
イヌ
キリン
と、カーニャの口に押し込む事、三度。
勿論、カーニャがお菓子の国にいることなどマオは知っていた。ただ、いつものことの様でマオは一向に気にする気配もない。
それどころか、しまりのないカーニャの顔がきっとマオには愛らしく映っているのだろう。
「ふむ」
どうやら、カーニャが危機感も出さず、自分の手から食べた事にマオは満足した様子で、
ついっ
と、ティーカップに口をつけた。
……と、言うわけで、当分カーニャは放置状態。
「えーと、コレはこっちで、こっちはここで…」
キサラギは、書類の整理に追われているらしく、マオの動作に気付いていない。
加え、キサラギはカーニャが空想の世界に小旅行している事など知らないのだろう。
それどころか、
「こんな大人の話でも、じっと座っているなんて、何てできた子供だろう」と、関心している節もある。
たんたん
「ふう。大体、片付いたかな…」
と、キサラギが肩をこきりと鳴らしながら、不揃いな大きさの書類の束をしまい始めた。
どうやら、商談が終わったらしい。
ぱちっ
途端、ルビー色の目が大きく見開かれ、カーニャの意識が戻ったようだ。
『ヒマな時間』が、いや、もとい『商談』が終わったらしい気配を感じ、自力でお菓子の国から戻ってくるあたり、素晴らしい。
「紅茶のおかわり、すぐに用意しますね」
たすん
給仕は従者の仕事だと言わんばかりに、今までじっと座っていたソファーから降りた。
要するに、はっきり言って、ヒマを持て余すよりも、動いていた方が楽しいのだ。
(勇者の人間だし、本当は早く帰ってもらった方がいいんだけど…)
などと考えながら、テーブルのすぐ隣に据え置かれているサイドテーブルにとたとたと近寄る。
パカッ
紅茶の缶を開けると、ふわっ、とても良い香りがカーニャを幸せにした。
「わぁ。やっぱりいい香りだよね。
灰から紅茶ができちゃうなんて、やっぱりマオ様はすごいよ」
と、どうやら、人間を早く帰したい云々《うんぬん》よりも、マオの紅茶をもっと自慢したい気持ちが優るらしい。
「え〜と、後は、あっついお湯を。
…あれ?お水…、無いよね?」
水を足そうと、水差しを覗くのだが、水の残量すら0に等しい。
つまり空っぽ。
「マオ様、すぐにお水汲んできます」
「水…?」
マオは、カーニャの抱え込んだ空の水差しを見たが、そのまま ついっ と視線を包帯の巻かれた自分の右手に移した。
しばらく手を見つめ、…不思議そうにうなずいたかと思うと、座ったままの体勢で、
すいっ
包帯の巻かれた右手をゆっくりと前方に出す。
「―――っ!」
一瞬、キサラギは短く息を詰まらせた。
座ったまま首だけを真横にし、水差しを抱えたカーニャを見ていた為か、マオのいる方向は見えていない様子だった。
しかし、その見えていないはずの方向に…、
この太陽の日差しが射し込む客室において、
今まで、存在しなかったはずの『闇』の揺らめきが見えた気がした。
このまま、闇がゆっくりと膨張し、部屋の光を徐々に侵食するかのような錯覚。
まるで、光さえも恐れるに足らずと、闇を従える、更なる闇。
それが、どうやら、
「ふう…。何だ、彼が動いただけか…」
と、目の前の同業の勇者のまとう黒い服が、マオの黒い髪が、静に、微かに動いただけだと気付き、胸を撫で下ろした。
「魔法陣を書くのかな?」
小首をかしげながらカーニャはマオを見た。
水差しを抱えきょとんとした表情で立つその姿は愛らしい。
マオは、ゆったりと体重をソファーに預け、残りの左腕は、だらりと下げて。
座ってはいるが、いつもの、マオが魔法陣を描くポーズだ。
つつつ…
マオの指先が、胸の高さよりもやや低い位置を保ちながら、ゆらゆらと揺れる。
「あれ?でも図形じゃないよね?文字…、だけ?」
「そうだね。魔法文字…、が5、6、7個か」
白く発光する数個の文字が、空中にゆらゆらと浮いている。
それは、大きさも厚みも不揃いな魔法文字。
文字を覚えたばかりの子供の落書きのような、幼児的な文字の羅列。
魔法『陣』と呼ぶには、だいぶ規則性の無い並びに見えた…。