第五章 ここに居る(第三部)
うす暗い洞窟の中で、エルレアは目覚めた。
そして、自分の肩にかけられている上着に気付く。
(これはスウィングの……?)
しかし、近くにスウィングの姿が見当たらない。
暗すぎて見えないだけかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
エルレアは、入り口の方へ向かった。
「あ……起こしちゃった?」
入り口のすぐ傍にスウィングは居た。
「いや……」
そしてエルレアは、スウィングをまじまじと見つめる。
薄暗いからこそ、いつになく遠慮なく見つめてしまった。
彼はこんな場所に居ても、優美な雰囲気を崩さない。
何を言う必要も何をする必要もなく、醸し出す空気だけで高貴な存在なのだと分かる。
「上着ありがとう、ございます」
「どうしたの急に? 普通に話していいよ」
「無礼な話しかただったのではと……思ったんだ」
今まで、色々ありすぎて自分の話しかたを気にかける暇が無かった。
しかし、こうして二人っきりで時間をもてあましていると、自分の態度が場に合わないことに気付く。
スウィングはこの帝国の皇子で、自分はグリーシュで育てられた庶民の娘に過ぎない。
「今更構わないよ。変にかしこまられると逆に話しにくいしね」
苦笑してスウィングは言った。
「スウィングは眠らないのか?」
「ん? 僕はここでいい。こんな霧の中を歩く人間はそういないだろうけど、動物は違うからね」
「じゃあ、この上着を。ここは奥より冷えるだろう」
「ありがとう。でも心配しないで休んでいて。僕は平気だから」
エルレアは、何かを考えるように緑の瞳を細めた後、手に持っていた上着をスウィングにかけた。
「エルレア?」
「女は男より脂肪が多い。寒さにも飢えにも、女は強くできているから私こそ平気だ。疲れたら呼んでくれ。いつでも代わろう」
それだけを言い残し、エルレアは踵を返して奥に戻っていった。
しばしあっけにとられたスウィングだったが、その内笑いがこみ上げてくる。
「脂肪の話を持ち出してくる娘は初めて」
奥の方に響いて本人に聞こえないように、スウィングはその呟きを外の霧に散らす。
ほのかに温かいのは、きっと上着のせいじゃない。
彼女の声や仕草を思い出すたび、離れたはずのぬくもりが蘇ってくるような気がして、スウィングは彼女に触れていた方の肩をそっと抱いた。
☆☆☆
「ったくニリの奴、一体どこまで水探しに行ったんだよ……」
参った、という表情でクィーゼルは一度立ち止まり、辺りを見回した。
霧がひどすぎる。
ただでさえ、四方は全て木々が視界を覆っているのだ。
(やばいな。このままじゃ、あたしまで帰れなくなる。いちかばちか……やってみるか)
それはクィーゼル自身や周辺の人間に危険が及ぶ可能性もある手だったので、封じてきたものだった。
クィーゼルは二回ほど深呼吸をした。
そして、再度すぅっと空気を肺にとりこみ、瞳を閉じる。
何とかの前の静けさ、3秒。
クィーゼルは、漆黒の瞳をカッと最大限まで見開いた。
「ニリウス・ジャグラムー!!! 居るなら返事しやがれーーーーー!!!」
その常人離れした大きさの声を吸い取りきれなかった霧は、声の圧力かクィーゼルの半径数メートルに渡って薄れる。
周囲の木々からはボタボタと、完全に耳をやられた動物や虫が落ちてきたが、クィーゼルは構いもしない。
耳を澄ませたクィーゼルは、霧の闇からわずかに漏れ聞こえた彼女に応える音を聞き逃さなかった。
それは、ニリウスが時々使う指笛。
使用人とは言え、一貴族の屋敷で育った人間とはにわかに信じられないほどの野生の勘で、クィーゼルはニリウスが居る方向を特定した。