第27話 青空の下影二つ
「私ね、海が好きなんだ」
昼も終わり、私達は並んで花畑に腰を下ろしていた。そこから見える海の景色は、小さくも大きな存在感があった。
「へぇ……そりゃまたなんで?」
「なんかいいじゃん、広くて、デカくて。……人の悩みなんて、こうして見るとちっぽけなんだなって思えるじゃん」
「……そう」
朝倉さんの悩みは決して小さくはなかろうに、と思うが、それは一旦堪える。そういう話ではないのだろう。大きな悩みを持つ彼女が縋れるほどに大きな存在だから……。
「矢田くんはどう?」
「僕? まぁ……嫌いじゃないよ。でもベタベタするし、クラゲには刺されるし……やっぱ嫌いかも」
「分かってないなぁ……分かってないよ……」
イマイチ答えは出ないのに、“私が正しい”と言わんばかりに否定してくる。こういうとき、朝倉さんはだいたい納得させるだけの反論が思いついていないんだ。
「ま、好きはなんでもいいけどさ。僕は川とかプールの方が好きだなぁ」
泳ぐこと自体、そもそも好きではないが、水の流れる様を見るのは嫌いじゃない。そんなことを考えながら、草むらに仰向けに倒れ込んだ。真っ青な空、そして雲。思えば、空を見るのを趣味という人はなかなかいないな。……海を見る趣味もそういないか。
「……海にも行きたいなぁ」
「いっつも帰りに見てるじゃん」
「あれ漁港じゃん」
そんなことを言いながら、彼女は隣に寝そべった。確かに、人の手が入って……しかも塵の浮かんだ海なんて見てても楽しくないか。……しかし海、この時期に泳げるものでもない。
「私ねぇ、大っきい波を見てみたいんだよね」
「……というと?」
「荒れた波っていうのかな」
「ダメだよ」
嵐の日にでも赴くつもりだろうか。映画とかで見る何メートルもの水飛沫、惹かれる気持ちも分からなくはない。ないが。
「波に攫われちゃあ海の底まで一直線だよ」
「いやいや、実際に行こうなんて思わないよ? でもさ、海岸近くのレストランとかでまったり過ごしながら、外に激しい波を見る。……なんか乙じゃない?」
「……いやまぁ……」
それならテレビでいいじゃない、とは思うのだが。たぶんそうじゃないんだろうな。自分の目で見てみたい、死ぬ前にせめて、興味のあるものは見てみたいと……。
「……夏になったら泳ぎにでも行こうか」
「おっ、いいね! じゃあ身体壊さないように気をつけないと!」
快活な返事、その反面、彼女の身体は蝕まれつつあった。夏になって、海を泳ぐ。正直なところ、それは難しいだろう。それほどの元気が、体力が残っているとは思えない。
「あ、そういえばさ。矢田くん、ウチ来ない?」
「あぁ、いいよ」
朝倉さんの家か。送ったりすることは多かったけれど、上がることはなかったな。それも当然、そもそも女子の家に男子が上がるなんていうのはあってはならないことで……。
「……? え、今なんて?」
「へへーん! 言質取ったもんね!」
「ちょっ……だって急にそんなこと言われるとはっ……」
悪かったのは確かに私だ。流れるようによく考えず受け答えしてしまった私の……。別にいいか。家に行ったところで何をするでもない。
「いやね、私の親がさ、矢田くんに会いたいって。ほら、私と良くしてもらってるから」
「……親に?」
「そう、親に」
思っていたよりちゃんと家に行くらしい。何が悪いでもない。負い目があるわけでもない。それはそうと、友人の親と会うなんて、私はそんなイベントは経験してこなかった。
「まぁいいけどさ、いつ頃にするの?」
「来週とか?」
「急だね。いいよ」
友人の家に行くなんて、両親が知ったらどんな反応をするだろう。疑うのか、それとも喜ぶのか。……恐らく、あの2人は驚いてどんな反応もしないことだろう。最近はまだマシだが、いつも私が出かけて行くのを夢だと思い込んでいるほどだ。
「矢田くんって案外軽いよね。フットワークが。フッ軽だね」
「……そうかな。そうかも」
朝倉さんだから、というのはあるのだが。古澤に誘われたとして、大抵は予定があるからと断るはずだ。ありもしない予定を作って。ただその誠実とも言えない誠実さをそう言ってもらえるのは嬉しくもある。
「ま、何はともあれ、行けばいいんだね。詳しい日時はまた聞くよ」
「そうだね。今日は静かに日向ぼっこでもしてよ」
肩を並べて見上げる青空。鳥もほとんど見えないし、虫も飛んでいない。ただ私達だけの、終わりを待つだけの時間。
「……ありがとね、連れてきてくれて」
「ははっ、なにを今さら」
朝倉さんの感謝を、私は当然のように受け流した。




