それぞれの怒り
(なんだあれは・・・)
私は見たくないものを見てしまった。
たった一人の我娘が他の男の胸に抱かれてうっとりしている姿をだ。
「将来は加羅君に響華は持っていかれるのか」
その光景を前にして冗談ぽくそう口にしたが、
(絶対にあんな男に愛娘をやってなるものか!!)
誓いみたいなものをたてた。
もちろんいずれ響華を手放さす時期はくるだろう。
だからといってこんなに線が細く女みたいな男、化粧でもしたらそれこそ少女でまかり通りそうなナンパな奴に最愛の娘を託そうなどと思わない。
(なんで髪がないんだ、変な病気か?)
私は、響華や妻の美智子まで敬愛している少年にどう表現していいかわからない感情を持っている。
憎しみではない。娘の受験成功の多大な尽力者だ、感謝の思いは当然あるのだが、どこか邪魔な存在と感じている。
受験勉強期間中の食卓にあっても娘はそれまでと変わらず妻と少年談義ばかり。それに正直うんざりしていたせいかもしれない。
実際に少年に会っても如才ない挨拶に対等に会話できる大人ぶりとでも言えばいいのか、回転の早い頭で受け答えもしっかりしている。
美智子が絶賛するのは、いつも自身の服装やメイクなどいろんな分野で褒められているからだろう。
(私には間違ってもできない・・・)
小学生のくせにホストのように女の扱いを知っているところも気にいらん。
妻からの話だけでなく我家での合格祝いの席で実際に確認した女性扱いのうまさに、学生時代のにやけたヘナヘナしたナンパな男たちを思い出してしまう。
妻、美智子はそんなナンパな男の一人にいいようにされて深く傷ついた間隙に私が得た宝だ。
その宝にしたって、私の事を最初から愛していてくれたわけではない。
今だって正直どうかわからない。
私は、とにかく美智子を得ただけで満足していた人生で、二人の間に響華ができた事は神に感謝した。
『響華』
私が音楽好きという事で付けた名前だ。
この宝をあんな髪のないヘナヘナ男に取られてなるものか。
中学生になったら響華はあの少年とは距離ができる。その点からも私は娘のマリア中への進学は賛成だ。
(もううちの娘と関わるな!)
中学生になったのを見計らって響華には厳しく男との交際には制限をつけるつもりだ。
いくら優秀な男であっても、あんなナンパな男に娘は託せない。あの時の美智子のように傷付くのは響華だからだ。
私は、自分の決め事、「響華を甘やかすのは小学生まで」と決めていたのだ。もう男友達なんてものとは接触禁止だ。
もちろんあの少年だって恩人とはいえ例外ではない。
(やつは敵だ)
そう思う事にした。
場合によっては憎んでもやるさ。
◆
「ねぇ、下村さん、どういうことですか、どうして私が降板させられるんですか」
「その理由が皆目わからんのですよ、突然の通達で・・・でも今、社長自ら製作サイドに乗り込んで話をしているから、なんとかしてくれるかもだ、期待しよう」
私が、広島を離れて東京にやってきたのは昨年の夏のこと。
きっかけは、ちょうど一年前のグラビアデビューだったけど、ドラマ『またたびはネコの毒Ⅱ』で女優デビューして評判も凄くいいというのに、この夏公開予定の映画と最終シーズンとなる来年の夏から始まるシーズンⅢの出演者リストから『篠崎美弥子』の名が外されたのよ。
(よほどのことだ)
一年以上の髪型・体型・肌色など様々な項目でのチェンジ禁止まで盛り込んだドラマ出演契約はセカンドシーズンだけでなく最終シーズンと映画にまで及ぶもの。
(それなのに・・・)
まだセカンドシーズンが3月末まで放映中でクランクアップもまだなのに、こんな通達をしてくる番組制作サイドのデリカシーのなさに私は気落ちするどころか怒っているのよ。
(どんな顔をして現場に入れというの)
出演者の誰かの機嫌を損ねた記憶はないし、台詞の多い役柄で喜怒哀楽入り乱れる演技でもNGだって一回も出してない。
それに私は周りの空気が読めないほどバカじゃないのよ。
(何が気に入らないというのよ?)
私の演技は富井監督だけじゃなく世間からも高く評価され評判は上々。
(もしかして出演者の誰かを食ってしまった?)
主演の貴家楓は、そうキャリアもないくせに悔しいほど演技上手。私が彼女を食う事はまだできない。
(もしかして主題歌のこと?)
そう、私はピアノの弾き語りシンガーとしてもデビューが決まっていたのよ。
そのデビュー曲に映画版またネコの主題歌をと事務所がヴィクセンレコードを通して映画製作サイドに猛プッシュしているの。
「美弥子ちゃん、うちの社長はこの業界では有名なやり手なんよ、なんとかしてくれるから」
大ベテラン下村さんの慰めに嘘はない。
私の所属するミヤケエージェンシーは大手プロダクションよ。敵に回して得するテレビ局はないのよ。
(なのにどうして?)
怒りの感情が収められないうちに出番がやってきた。
今朝のシーンは、教室で男心に鈍感女子高生役の貴家楓に正面きってバトルを挑む、いわばセカンドシーズンでの最大の見せ場だ。
「篠崎さんお願いします」
「はーい」
アシスタントディレクターのコールに不機嫌を隠して笑顔で応じる私。
(こうなったら実力でこの役を守ってみせる!)
前向きな気持ちで今日も現場入りする私でした。
(見てらっしゃい、私をそんじゃそこらの駆け出し女優だと思ったら火傷するからね)
暗躍する何者かに私は宣戦布告してやったわ。
◆
お姉ちゃんがパリから帰ってきた。
たった一週間だったけど、大人の服を着て急に大人になったお姉ちゃん。
僕は、驚いた。
そしてお姉ちゃんは、
「私はパリに行きます」
なんてパパに言ってる。
パリの中学校は、日本と違ってお姉ちゃんの年齢ならもう二年生なんだって。だから9月から中二になるんだって。
小学生が五年生で終わりで中学が四年あるんだって。
お姉ちゃんがパリ行きを決めたのは加羅のお兄ちゃんがパリの有名な人にお姉ちゃんの写真を送ったからだって。
(せんでもええことをするやっちゃ)
僕は、そう思う。
だってお姉ちゃんが近くにいないのはとても寂しいからね。
「お姉ちゃん外国なんて行かんどいてや」
僕はパリから帰ってきたお姉ちゃんにそう言ったんだ。
「トオル、お姉ちゃんね、もう行くと約束してきたの」
「パリの凄い人に?」
「それもあるけど、さっきね翔介にスーパーモデルになってみせるって約束したの。もう後戻りはできないのよ。だからトオルもお姉ちゃんを応援してね」
(まただ、まただよ)
いつもいつもお姉ちゃんの決め事には加羅のお兄ちゃんがいる。
今回のパリ行きもそうだし、ピアノを始めたりお茶や生花とか色々始めたのも全部加羅のお兄ちゃんのせいだ。
僕はお姉ちゃんが広島に来てから元気になったのはいいけど、習い事に夢中で前みたいに遊んでくれないのがとても嫌だった。
それにいつもいつもいつもいつも翔介翔介翔介翔介ばかり。
ママまでも、
「トオルあなたも四年生でしょう。翔介君が四年生の時にはね」
なんて言っていつも加羅のお兄ちゃんと僕を比べるんだ。
僕は、加羅のお兄ちゃんと違って勉教よりもゲームが好きだし、友達と遊ぶのが好きだ。
マンガも好きだし、ジャンプは爺さんになって死ぬまで読む自信がある。
そんな僕のことがママは嫌いで、いつも加羅のお兄ちゃんと比べるんだ。
お姉ちゃんまでも、
「トオル、翔介が四年の時にはね、」
すぐにそれを言う。
加羅の兄ちゃんといえば、僕の顔を見ると笑ってくれるけど、
「おまえは・・・」
僕に聞こえないように小声で何かを言ってかまってはくれない。お姉ちゃんばかりを誘っていつも楽しそうにしている。
お姉ちゃんの部屋に飾ってある加羅のお兄ちゃんの四年生の時に書いた絵を見せられた。
僕には死んでも書けない絵だ。
お習字もそうだ。
成績もそうだ。
とにかく加羅のお兄ちゃんと比べられるのはうんざりだ。
僕はあの加羅のお兄ちゃんの顔を見るのもいやになる。そして大好きだったお姉ちゃんを遠くパリに行かせようとしているのも加羅のお兄ちゃんだ。
僕は腹がたった。
(あんなやつのいる広島に来ることなんか賛成しなければよかった)
なんて事も思っている。
◆
この俺様が役員の座を更迭だと、なんでこうなった。
(くそぉ~後町のせいだ!)
この春を前に後町は、ヴィクセンレコードを退職して独立するという。その責任を俺が取るはめになった。
(せっかく松永ミクルの件が不問にされたというのに・・・)
俺は大阪の物流センターの社長として左遷出向させられる事になった。在庫番をしろというのだ。
後町がこうもあっさり大手である当社を辞めると決めた背景には園田翔の存在がある。
奴の入れ知恵から独立を決めたようだ。
独立資金も奴から出るらしい。
(見ていろよ)
俺様がこのまま引き下がるわけがないところをしっかり見せてやる。
そして園田翔、おまえが世間様からひた隠す、おまえの正体を暴いて大公開して大後悔させてやるよ。
その手段はあるしもう手は打った。
秘密を守りたければ俺様のバーター条件をのんでもらうぞ。
(おまえは五年前に盗作疑惑で業界を追われた孫田恭平だ)
孫田の奴は、弟子と称した多くのブレーンたちの作品をいいとこ取りして、自分の作品として長年発表し高い評価を得た、作曲家であり作詞家だった。
「石塔さん、孫田と鳴門は共作も多々ありつながりは濃厚でした」
そんな報告からも、園田翔が表に出てこない理由はわかっている。この俺様の再三の誘いにも応じない理由もわかる。
(この俺様の顔に泥を塗りやがって)
俺様は孫田のために随分と尽力して大物シンガーを紹介コラボさせてやっていたのだ。
(顔を出せるはずがない)
だが、ここで数々の恩を返してもらうぞ。
俺の左遷移動前に、後町が離れる事で契約が切れてしまうケラウズランブラとのこれまで通りの専属契約の維持とミヤケエージェンシー所属の新人、篠崎美弥子への園田翔による楽曲提供こそが左遷阻止の最後の方法だった。
当社の社員だった後町健司が個人的にケラウズランブラの株主だった事で当社の持ち株と合せて筆頭株主だったバランスが崩れ独占が維持できなくなったのだ。
それと篠崎美弥子が現在出演しているドラマのサウンドトラックを園田翔が担当している事から、映画版ではその園田翔の力を借りてなんとしても当社がミヤケエージェンシーと組んで売り出す予定の新進気鋭の女優に主題歌を歌わせたいなんて児玉専務は考えたようだ。
「無理に決まっていますよ、園田翔といえばケラウズランブラ所属のシンガーにしか楽曲は提供しませんよ」
部下たちの言い分はごもっとも。
「だったら、この俺に左遷人事を受け入れろとでもいうのか、俺の左遷イコールおまえたちの出世にも関わってくるんだぞ、なんとかする方法を考えろ」
「だったら、ミヤケエージェンシーサイドにやらせたらどうです。あの社長の人脈なら映画製作サイドにもその力を発揮してその道から園田翔と接触して曲の提供を依頼できるのでは」
「なるほど、大手プロダクションの力で主題歌をいただくわけか」
「そうです。園田翔と美弥子ちゃんをコラボできたら、」
「俺の勝ちだな」
「どうです本部長、時間はそうありません、早々に三宅社長に会われては」
「わかった、今夜だ、席を用意してくれ。なんとしても園田先生には篠崎美弥子の楽曲提供者になってもらおうじゃないか、そのうえでプロデュースもしてもらう」
俺は児玉専務に接触を禁止されていた三宅社長との再会を試みて、このミッションを成功させて、ケラウズランブラには盗作作曲家を名前を変えてまで使っている秘密をネタに独占契約維持を迫るつもりだ。
◆
「翔どうしてくれるんだ。人手が足らんぞ、マネージャー業なんてすぐにできるもんじゃないんだ。それこそ人脈はともかく顔繋ぎは重要で俺がいちいち研修している始末だからな、この責任をとって彼女をうちによこすんだ」
俺は最近の忙しさの原因に向かって朝から電話で怒りをぶつけた。
原因とは翔の事だが、もちろん感謝が前提の怒りだ。
しかし、しかしだ、急に増えた新人タレントたちは翔のおかげもあってすぐにブレークするものばかり。
デビューを目指すシンガーの通る道を翔は全部省いて、自分でスカウトしてきた人材をオーディションをするでもなくすぐに契約してデビューさせてしまうんだ。
(凄い眼をしている)
翔の社内の評判はもう神扱いだ。
「鳴門さん冗談はやめてください。由紀さんを東京によこせだって!」
「そうだ、彼女をうちの事務方に据えて今の事務方をマネージャー業務に回したいんだ」
「事務員ならいくらでも募集すれば来るでしょう」
「バカを言え、うちの事務方は、翔のこともあって口が堅くて信用に足る人物じゃなきゃ、それにだ臨機応変が自由自在にできる切れ者じゃないと務まらんのだ」
普通の新人なら掛け持ちマネージャーでなんとかなるが、当社の新人は出す曲が全て当たる。ソングライターのシンガーだって例外じゃない。翔がプロデュースするとつまらん曲が大化けしてヒットしてしまうのだ。
俳優に女優業においても翔の憶測は当たるばかり。そのせいで専属マネージャーがすぐに必要になるのだ。
もちろん翔が言うように業界経験者を広く募集しているし、新人も数多く面接もしている。新卒も雇うことに決めた。
だが、
「この子を逃したら鳴門さん将来絶対死ぬほど後悔しますよ」
翔のこの脅し文句にどれだけ苦しめられている事か・・・
「それでうちの由紀さんに目を付けたということか、でも彼女には病弱な息子さんがいて、」
「そんなことは承知の上だ。最近ではその息子さんにいい薬を服用させてやれることから体調も安定しているらしいし、ヒルズは無理だが、近くに住まいを確保するつもりだ」
「もしかして由紀さんとその話をしたの」
「打診しただけだが、あっさり断られたよ。でも彼女は山梨県人だ。東京生活も長かったし本心はこっちだろう」
「かもね、わかったよ、由紀さんと話を僕からしてみるよ。それで本心がそちらなら僕が折れて彼女をそちらに渡すけど、」
「わかっているさ、待遇面は優遇するから」
翔があっさり堕ちた。この反動はすぐに来るはずだ。
「その代わり、」
(そらきた、今度はどうくる、また新人と契約か、それとも、)
「彼女を至急に仕上げて またネコ| ムービーでデビューさせて下さい」
「えっ彼女って、宮郷愛莉のことか、無理だ、彼女はまだデビューできるほどの歌唱力は、」
「無理は承知ですよ、だから緊急に仕上げてと言っているんです」
「バカなまたネコは翔推奨の桜宮雅樹で行くよ」
「彼には別の思惑があります。大江戸テレビさんのドラマを彼にやってもらいたんです」
「そんな話があるのか」
「ええ、最近ではうちの事務所に直接言ってくるところもあって、昨日依頼を受けています。今日にでも書面でそちらに正式に依頼がいくはずです」
「そうか検討してみるが愛莉のオーディション結果は酷いものだったぞ、努力家であるのは認めるがな」
「とにかく由紀さんが欲しければ宮郷愛莉のデビューの後押しを」
「らしくない要請だがあの園田翔の要請ということで話は進めてみるよ」
本当に園田翔らしからぬ要請に、
(また別の思惑ありだな)
そんな事を考えるのだった。




