これは誰?
「ねぇリクちゃん、これは誰なの?」
「誰って・・・それ私だよ、凄いでしょう翔介は!」
我が事のように嬉しそうな顔をするのは娘のリクでした。
「やっぱりリクちゃんなのね、これ」
私は娘であって娘ではない、オートクチュールの装いをした大人のリクの姿絵に見惚れていました。
「凄いわね、翔介君は、腕をまたあげたみたいね、色遣いがうまくなったわ」
以前から彼の描く絵は、娘の部屋の壁を通していつも見ていましたが、ここ最近の成長ぶりときたら、
(妬ましい)
と思わせるものでした。美大生だった私がどうしても欲しかった才能を彼は持っているのです。
あの頃の私だったら、間違いなくこの絵を悔しくて破り捨てていただろうと思います。
「ねぇ翔介君は将来画家にはならないの?」
「ならないよ、ちゃんと目指しているものがあるんだって」
「リクちゃんはそれが何だか聞いているの?」
「うんうん、私にも教えてくれないよ。ただ、絶対に私には負けないなんて言ってるの」
「リクちゃんの何に負けないって言っているの?」
「それ、教えてくれないんだけど、身長じゃないことは確かよ」
「そういえば翔介君の身長もずいぶんと伸びてきたわよね」
「うん、そうだね、追い抜いてくれたら嬉しいな」
(我が娘ながらいい笑顔をする)
翔介君が将来何を目指すにしても、小学生の時から決めて励んでいる事なら間違いなく将来大成するだろうと誰もが思えるほど彼はしっかり者です。
(それなのにリクの何と競おうとしているの?)
そういう私も彼の将来を楽しみにしているし、相変わらずの焦りもありました。
(このままだったらリクは、置いていかれる)
翔介君の成長に比べたら、いくらリクが成績優秀で様々な事に取り組んでいてもその歩みが遅すぎると感じてしまうのです。
舞一つとっても翔介君の方がリクよりも艶やかだし、稽古場でのおさらい会でも他のどの生徒さんよりも魅せてくれました。
京都祇園にも昨年の夏に寄せてもらってリクの稽古ぶりを見ましたけど、目を見張るのは舞妓さんたちの舞でもなく翔介君の舞でした。
とても可憐で優雅なのです。
師匠の翔園さんも、翔介君への指導は特に熱を入れているようで、
「このまま京都においでなさいよ」
なんて熱心に誘ってもいました。
フランス語にしてもイザベラの話では、
「彼は勉強慣れしているのよ」
リクも物にはなっているけど翔介君には及ばないとのことです。
(このままだったらリクは本当に置いていかれる、なんとかしないと)
私がこんな事を思うのは、リクと翔介君が将来結ばれるのを切に願っているからです。
(大事な我が子をあんな子に委ねたい)
翔介君が私の大事なリクの救世主から守護者になってくれたらどれだけ安心できるだろうとの願いは切実なのです。
リクはメンタルが弱く専門医の治療を受けていたのはほんの二年前の事で、翔介君のお陰で、今ではイジメによる精神障害はもう見られませんが油断はできないと思っています。
(もし翔介君に見捨てられでもしたら)
なんて考えたら気が気で在りません。
「リクママは過保護なんだから」
彼は、私が感謝の弁を述べるといつもそう言って笑います。
「もうリクは一人でも大丈夫ですよ」
ここ最近、距離をとろうとするのも気になるところです。
それだけにこんな見事な絵を描く彼の底知れない才能に私は嫉妬なんかじゃなく焦りを覚えるのでした。
(リクがいくら美しくても凡人のままだったら見捨てられる)
「いくらきれいで可愛くてもバカはすぐに飽きられるんだぞ」
リクを励ますのに翔介君はよくそう言うらしいです。
そのうち翔介君が恋心に目覚めて胸を焦がすほどの女性が現れたら、その子はきっと翔介君を凌駕するほどの何かを持った子に違いないとの思いが私にはあります。
(それがリクであって欲しい)
この願いを叶えるためにも、リクには何か目指す物を決めて早くから動かなくてはならないとの思いが焦りになっていたのです。
長谷部響華ちゃんと篠崎華怜ちゃんは私立の女子中に進学を決めました。聞けば響華ちゃんは洋裁の学校にも通って翔介君の帽子作りに励んでいるとのことで、最近では自分の服も作るとか。
華怜ちゃんも将来は新聞記者なんてお父さんと同じ職場を目指しているとか。
それらを翔介君が促したとリクから聞かされました。
「リクは翔介君に将来のことを響華ちゃんや華怜ちゃんみたいに何か言われないの」
「私は何も言われないよ、今は一緒にフランス語に舞に茶道を頑張ろうと言われているだけだよ。それに広島の歴史もいろいろ教えてもらってるし、ピアノもまだまだ上を目指してるし、そんなことが私の将来に繋がるんですって」
「そうなの、翔介君がそんなことを言ったの」
「そうだよ、でも、私は翔介の言う通りにしているようでしていないのよ。今、取り組んでいることは全部私自身が決めて頑張ってるんだから、きっかけが翔介だっただけだよ」
「そうなのね、頼もしいはね。それでリクちゃん、あなたも行きたければ私立に行ってもいいのよ」
「私は翔介と同じ中学に行くからいいの、ちゃんと見張ってないとね」
朗らかに笑う娘はもう女の顔をしていました。
翔介君はあれだけ優秀なのに、私立の男子校には進学しないで地元の公立中に進学するとの事です。
まぁ彼だけの能力があれば公立中であっても私立生徒には負けないような気がしますし、彼自身がそれを選択しているところに、
(何かある)
私は勝手にそう思っていました。
それにしてもリクはお気軽に、毎日翔介君に接しているけどその辺に焦りはないんだろうか?
「ねぇリクちゃんは翔介君のあの才能が怖くならない?」
「ママまたその話・・・自慢に思うけど怖くなんてならないよ」
なんともお気軽な返事はいつもの事です。
(お願いリク、早く気が付いてね)
私は娘に迫る危機、(置いていかれる)が本当に怖かったのです。
◆
今日は冬休み最後に向けてのパジャマ会です。翔介君の家に皆でお泊りの日です。
昨年のクリスマス会で翔介君ママは快くOKしてくれたこの行事を私は、とても楽しみにしていました。
「ねぇ、オキョンちゃん、華怜ちゃん、これ誰だと思う」
三人で忍び込んだ翔介君の部屋でリクちゃんは本棚から取り出したスケッチブックから一枚の絵を選んで指さして私達にそう問いかけてきたんです。
「え~これ誰よ、こんな子、見たことないよ」
華怜ちゃんの記憶にもない翔介君が描いたと思われる肖像画は、私にも記憶のない凄くきれいな女の人でした。
「随分と大人だよね」
ページをめくればまた同じ女性が描かれています。肖像画だけじゃない。いろんなバリエーションの服を着たものまであり、
(凄い、翔介君はこんな服装まで描けるんだ)
私はリクちゃんが気にする美人画よりも彼女が着ている服装に目を奪われました。
「これは誰なのか、しっかり翔介君に問い質さないといけないわね。どこで出会ったのかとか、今どこにいるのかも、それに年齢も気になる」
さすがは将来目標を新聞記者なんてしっかり決めた華怜ちゃん。なんだかその口調はもう記者さんみたいです。
「それにしても翔介君に無断でこんなものを見てもいいの?」
私の問いにリクちゃんは、
「だって、こんな絵、許せないよ」
悪びれた様子のない返事をしてきました。もしかしてリクちゃんには許されている事かもしれないと、ちょっと複雑な気持ちです。
バタバタバタバタ
そこに階下から足音が響きました。
ビクッとする三人・・・部屋に飛び込んできたのはスズちゃんとデート帰りのノッコでした。
そうなんです、ノッコには彼氏ができたんです。
「「「ノッコ、おかえり、ヨシヨシ」」」
U^ェ^U 元気かよく来たな元気かよく来たなあそぼあそぼあそぼあそぼ
「ねぇノッコ、この絵のモデル誰だか知ってる?」
リクちゃんの問いにノッコはすぐに答えてくれました。
U^ェ^U 知ってるよ知ってるよ知ってるよ知ってるよ知ってるよ知ってるよ知ってるよ知ってるよ
「これってもしかして木村佐和子?」
U^ェ^U そうだよそうだよそうだよそうだよそうだよそうだよそうだよそうだよ
「やっぱり、そうなんだ」
スズちゃんもこの絵のモデルの事を知っているらしく、
(「木村佐和子だよ、その人」)
教えてくれました。
「そうなんだ、どうしてスズちゃんはそのことを知っているの」
華怜ちゃんの糾弾調の問いかけにスズちゃんは、
(「だって、翔がそう言ってたから」)
明確な答えでした。
「翔介君が木村佐和子だって言ってたんだ?」
これまでリアルには存在しない2Dとして追及もしなかった木村佐和子が、実在と分かった事で目の色を変えてきた華怜ちゃんは、翔介君に言い寄ってきた女子たちを片っ端からやっけてきた実績は大きく、頼りになる存在です。
スズちゃんと下級生のナオちゃんは翔介君の妹キャラという事で例外枠にしてるけど、スズちゃんはともかくナオちゃんは油断できないと三人とも思っていました。
特にリクちゃんはナオちゃんの事を(最大のライバル)と私や華怜ちゃん以上に警戒しています。
「それでスズちゃん、この木村佐和子ってどこの誰なの」
(「木村佐和子はERIERIの編集長なんだって」)
「ERIERIの編集長?違うよ、ERIERIの編集長は本宮史華さんだよ」
リクちゃんは、また勝手に本棚からERIERI最新号を取り出して編集長の掲載ページを開き指さした先には、肖像画とは違う女性の姿がありました。
「スズちゃん、この人がERIERIの編集長だよ」
(「だって翔が、木村佐和子木村佐和子木村佐和子なんて呟きながら描いていたもん、それ誰って聞いたら、ERIERIの編集長だって教えてくれたんだ」)
「へぇ~誰かを前に描いていたわけじゃないんだ」
(「そうだよ、仕事に、じゃなくて、絵のお稽古に飽きたらいつも木村佐和子を思い描いているんだよ」)
「思い描く?そこには誰もいなかったのね」
リクちゃんの問いに大きく頷くスズちゃんでした。
「なんだやっぱり2Dなんだ」
華怜ちゃんも安心したみたいです。
「2Dというよりは妄想なのかもね」
私の考えに二人とも頷いてくれました。
結論が「妄想女」となったことで安心した私たち三人は、スケッチブックを元に戻して翔介君の帰りをスズちゃんの部屋で待つ事にしました。
スズちゃんはもう少しで正式に翔介君の妹になります。戸籍上『加羅鈴』になるんです。
彼女の部屋は翔介君とは違い一階にあります。元々はクローゼットルームと収納部屋だったのを改装までして一つの部屋にしたもので、ノッコが直接出入りできるように足拭台付きの裏庭に面した窓まで新しく作られています。
勉強机に本棚にベッドは全部スズちゃんの為に新調された物ばかりで、冷暖房まで完備された本当に素敵な部屋でした。
壁にはスズちゃんならではのノッコと並んだ写真がたくさん飾ってあります。
私はノッコとスズちゃんの仲はなんだか特別じゃないかなんて思っています。
私だってもちろん、ノッコと二人きりでお散歩したことだってあるけど、スズちゃんはなんだかノッコといつもお話をしているように見え、その楽しそうなところが羨ましく思っています。
「いいよねスズちゃんは、いつでも翔介君とノッコに会えるから」
羨ましがるのは、華怜ちゃんです。そこに翔介君のママが部屋にやってきて、リビングに案内してくれて和菓子に お薄を出してくれました。
「受験勉強は大丈夫なの?」
私と華怜ちゃん、それぞれが受験前であるのを気遣われました。
「大丈夫ですよ、今日だって翔介君に勉強を教えてもらうために来たんですから」
華怜ちゃんのぬかりない返事に、私だって負けてはいません。
「私は翔介君に宿題を出されていて、今日はそれの答え合わせなんです」
しっかり者をアピールしました。
そうなんです、翔介君は華怜ちゃんと私に受験に向けてのプログラムを組んでくれていて、それぞれ目指す学校は別なのに課題を作ってくれていたんです。
「二人とも頑張ってね、今晩はスタミナのつく美味しいメニューだから」
翔介パパさんとお姉さん二人も加わり晩の食卓は、途中パパさんの生ギター演奏もあって我が家にない華やかなものでした。華怜ちゃんは受験先の清泉女子中に通う二人のお姉さんとの話に夢中だし、私も翔介君とリクちゃんとファッション談義で盛り上がり本当に楽しい時間を過ごせました。
食後は、翔介君の部屋で勉強会です。
「オキョンよくできてるじゃないか」
私は、翔介君からの課題を苦労しながらも全部解いたのを誉められました。
華怜ちゃんも入試にある小論文対策の文章問題を手直しされながらも、「これなら大丈夫だな」褒められています。
小論文形式の入試問題は私の受験するマリア中にはないけど、読解力を問われる問題は毎年出題されるので、翔介君にはそこをずっと鍛えられていました。
私も華怜ちゃんも塾には通っていません。
「絶対に二人とも合格させるよ」
あの翔介君が自信ありげにそう言ってくれるから、両親の勧めがあっても私も華怜ちゃんも塾には通わなかったんです。
その代わりが、このほぼ毎日行われる翔介君の受験科目全教科の授業だったんです。
課題は毎日出されました。答え合わせも毎日休憩時間を割いてしてくれたし、質問は深夜であってもいつでもOKでした。
翔介君の習い事のない放課後はいつも遅くまで教室で授業がありました。
とにかく私は、なんとしても受験に合格して翔介君の期待に応えたいと必死にここ四ヵ月間、課題に取り組んでいたのです。
◆
俺は受験生二人のよき教師だ。
なんせ、この俺ときたら、オキョンに華怜の受験先の過去問題をチートフォンから取り出し、それに合わせた課題を出しているからだ。
もちろん俺がチートだからといって彼女達にそれを共有させるはずがない。
当たり障りなくそれぞれの過去問に似通った課題を出しながらしっかり学習させていたのだ。
▲ 心内会議 ▼
《この調子なら合格間違いないだろうが、少しばかりやりすぎじゃないか》
(やりすぎ?)
《ここまでサービスする必要があるのかという話だよ》
(ああ、確かに、ほとんど試験当日問題そのものだもんな。でもなぁ、あいつら二人に受験であんまり時間を割いてもらいたくないんだよ)
《なるほど、オキョンには洋裁を頑張って欲しいということか。それに華怜には・・・うん?あいつには何をさせているんだ?》
(重いな ーーー あいつは清泉中だ、あそこは小論文が入試にあるじゃないか、そこにかこつけて新聞記事を読ませているんだ。そこから様々な問題を提示して、あいつ独自の考えを語らせているんだよ)
《なるほど・・・高校時代に俺が新聞記者を目指すようになるとミホリンが俺の為に施してくれた方法だな ――― にしても腕が痛いぞ》
(ああ、川村美穂のお陰で今の俺があるからな、あの高校時代の体験を今に生かしているわけだ。なんだか美穂に会いたくなったよ・・・)
《ウソ言え。本当はそうでもないだろう。会おうと思えば隣の学区にいるぞ、小学生の美穂がな ――― 痺れてきた・・・》
(うん、確かに興味今イチだな、どうでもいいよ。前にも検証したがタラレバワールドならやり直しを望むだろうが、俺の場合は生前よりよりよい選択上で今を生きているからな)
《なるほどね、ミホリンさえ恋しくないこの走馬灯ワールド、そう悪くないということか ――― オイ、これはなんかの罰ゲームか・・・》
(ああ、これでこの二人が受験に合格してくれたら、それも俺のお陰でなんてなれば俺も自信がつくし、この二人がもしかして、あくまでももしかしてだがリクへの復讐の相手となってくれる可能性があるじゃないか)
《なんとも気の早い話だな、俺の子の母親に二人のうちのどちらかがなる可能性か ――― そろそろ限界だぞ・・・》
(それも悪くない選択肢だと思ってるよ。その為にも今のうちから鍛えておかないとな)
《なるほど、それが二人の将来に何かとチョッカイを出す理由か・・・いいんじゃねぇ》
(だろう)
▽
俺は、今宵は客たちの建前もありビールが飲めなかった。
俺は、自分のベッドをスズとノッコに譲り、床の上に布団を敷いて、右腕を華怜、左腕をオキョンの枕に提供していた。そして俺の胸の上にすがりつくように寝息を立てているのはリクだ。
(あ~重い。もう限界だ)
そっと布団を抜け出した。
リクだけが気がついたが、
「すぐに戻る」
いつもの事なので頷くとすぐに寝入ってしまい、三人並んだ寝顔を見る機会を得た。
▲ 心内会話 ▼
(なんとも可愛いらしいじゃないか)
《ああ、本当だな、それぞれのは見たことはあったが、三人揃うとスズにも匹敵する寝顔の可愛さだな》
(こっちを見ろよ寝顔の女王様の二人も相変わらずいいな)
《ノッコ&スズか・・・最近じゃノッコはスズに占有されてるじゃないか》
(いいじゃないか、ノッコも満足なんだし)
《ノッコがそう言ったのか?》
(いいや、でもなぁ、もしノッコが不満を唱えようものならスズにはそれがわかるから、俺のとこにすぐに返してくるはずさ。それをしないところをみるとノッコも満足なのさ、だろう)
《だな》
▽
俺は無人の食卓で痺れた全身をほぐしながらビールにやっとありつけるのだった。




