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あいつは俺の仇!  作者: 方結奈矢
第二部 五年生編
36/58

【番外編】 木村佐和子物語


 「ねぇ、これは、どういうことなの!誰があれを描いたというの?」


 そこには、そのまま雑誌の表紙になりそうなぐらい完成度高く、私のデザインした服を着こなした女性たちが大きな看板に色鮮やかに手書きで描かれていました。

挿絵(By みてみん))

 明日からは、五月祭が始まるというのに、起業サークルGenesisのイベントの催しを告知する大看板が昨夜からの突然の風と雨で大きく痛んでしまっていたのです。


 「急いで作り直さなきゃ」

 私が、朝から人手を集めている間に、それはものの見事に、前よりも完成度高く新たにできあがっていました。


 「さすが、ミス・キャン佐和子さんだ、こんなに早く看板を新たに作り直すなんてアンビリバボー」

 「本当ですよ、佐和子さんの手にかかればこんなもんすぐに何とでもなるということですね」

 「これってもしかしてプロに依頼したんでしょう、さすがは佐和子さん!顔が広いんですね」

 「僕たちの出る幕じゃなかったようだ。凄いね佐和子さん」


 私がかき集めてきた十人近い男たちは口々に私を褒め称えてくるけど、私の手配ではありません。


 「ねぇこんな短時間で誰がこれを手書きで描いたの、それに告知内容の文字も素敵じゃない、最高よ!」


 特設ステージ脇の広場に立て掛けられた看板の前で写真を撮る部員たちは、私が戻ってくると部長としての敬意を払うために一斉に立ち退いてくれました。


 (そんなことしなくていいのに・・・)


 「出過ぎたことでしたでしょうか」


 私の前に怯えたように出てきたのは、この春に入学してきたばかりの、冴島敦子さん獣医志望の農学部の学生でした。


 彼女がこのサークルに入部した理由は、親からの援助が望めないらしく自身で開業したいからだそうです。


 「いいえ、とんでもない、冴島さん感謝よ、ありがとう。あなたにこんな才能があるのだったら最初から頼んでおけばよかったわね」


 私が手を取って感謝すると、彼女は慌てて手を解き、


 「私じゃないんです。講堂前で看板を取り外していたら偶然、高校時代の同級生に再会して困りは果てている私を見かねて助けてくれたんです」


 恐縮したようにそう言ってきました。


 「そうなの、だったらその方に感謝ね。是非、部室に連れてきてね、ちゃんとお礼を言いたいわ」


 「はい、わかりました」


 どうも、私はこの大所帯のサークルの部長として後輩たちには煙たがられているのか馴染まれていないようです。


 彼女を開放するとホッとしたように仲間のいる元の場所に駆け戻っていってしまいました。


 (逃げることないのに・・・)




 「ねぇねぇ見た、見た、私、今、木村佐和子先輩に手を握ってもらっちゃった、もう手洗えないよ」

 「やってくれたわね、敦子さん、その手を後から嘗めてあげるから」

 「そうよ、にしても敦子のお友達、カッコよかったわね。今度ちゃんと紹介してよ、あんなイケメン君、国宝級よ」

 「私も紹介して、絶対ブレーク前よ、今のうちにサインもらっとこ」

 「あっ!佐和子先輩がこっちに来るよ」




 (またコソコソ私の悪口でも言っているのね・・・)


 「それにしても、私たちの五日間の格闘がバカみたいじゃない。私がここを離れていたのは二時間ぐらいよ、どのぐらいでこれを仕上げたのかしら、冴島さん」


 「あっ、はい・・・そうですね、私達が道具の準備をするのに15分、絵を描くのに40分ぐらいでした」


 「えっ、たったの40分ですって」


 「はい、手間取ったのは、彼が最後に、墨と筆を要求してきたので、書道部に借りにいくのに時間を費やしましたが、それでも総じて90分以内かと・・・」


 「彼?男性なの、この繊細な絵を描いたのが男?」


 「はい、そうです。私の高校時代のクラスメイトです」


 「ということは、あなた、たしか広島から」


 「そうです、彼も広島からで、この大学の、あっ、佐和子先輩と同じ経済の学生です」


 「わかったわ、必ずその彼を連れてきてね、冴島さんお願いよ」


 私が驚いたのは、縦三メートル幅もかなりある大きなパネルにこうも短時間でこれだけの絵を描いてしまった画力と、まるでシンイチ・ミゴのように女性を顔でない身体の動きだけ表情豊かにしてしまったその表現力です。


 それに告知内容を知らせる墨字の書体がなんとも優雅で素敵なのと私のデザインした服がよりよく大胆に修正されている事にも驚きました。


 (この人はデザインを知っている)


 と思わせる出来だったのです。


 私が部長を務めるGenesisは、起業家を目指すメンバーが集うサークルです。


 今年2010年が創部30周年という事もあり、それを記念して私が昨年立ち上げたブランド『GonnaCrawl』のファッションショーを安田講堂前の特設ステージで開催するのは明後日です。


 モデルは全員、当大学の学生ばかりで自薦他薦スカウトありのなかなかスリリングなモデル集めでした。


 当サークルは、他のサークルに比べれば歴史は浅いけど、マスコミ各社が五月祭のイベントを事前に取材にくるなど、注目を集めるのは、このサークルの創業者をはじめOB、OGから多くの起業家が出ているからです。


 創設者の勝也仁さんは、新規参入が難しいと言われたコンビニ業界に、「地方独自」を売りに成功しているし、北海道から航空会社を立ち上げたOBもいます。


 女性だって黙ってはいません。


 全国区となった、可愛いを併せ持つ機能性で人気ブラインドとなった『キッチンマイスター』の創業者も当サークル出身なんです。

 

 他にもリゾート・ホテルに都心に展開する旅館など女性オーナーならではの成功例は数多くあります。


 私もデザイナーの一人に名を連ねる『GonnaCrawl』は、スローライフをテーマにした女性ファッションブランドです。

 

 他の大学や服飾専門学校の生徒も加え、質の高いデザイン服をネット上のみでの販売は高い評価を得ています。


 そう、私は、店舗のないブランドを起業して実験的に昨年から始めていたのです。


 安田大講堂前のステージでラストを飾るのは、私がデザインしたウェディングドレスで、この大学のミス・キャンパスの私がそれを着て登場する事になっています。


 ◆


 「うわぁ~木村佐和子だ!」


 本郷キャンパス中央食堂の一角で、私を見ながらそう声にしてきたのは、帽子をかぶったままのお行儀の悪い初めて見る男子学生でした。


 私を見かけて、流行りだしのスマホを向けて遠くから撮影する男には対処しようがないけど、こうも身近でたとえ親しみ込めたものであっても赤の他人にそんな声を発せられたら黙ってはいられない性分です。


 「失礼な人ね」


 私はその男子学生の前に立ち、そう言ってやりました。


 「聞こえてしまいましたか、本当に御無礼をいたしました、申し訳ありません」


 その男子学生、立ち上がって帽子を取って深々と頭を下げたかと思えば、また私を見つめてきます。


 人品卑しからぬとてもきれいな顔でした。だけどスキンヘッドで、帽子を被ったままの理由がわかったような気がします。


 (病気なのかしら?)


 「私、あなたとどこかでお会いしまして?」


 「いいえ、初めてです。本当に申し訳ありませんでした」


 私の前で頭を下げる男たちを、これまで幾人も見てきました。


 理由もなく頭を下げるもの、もてなしに満足できなかった事を謝罪して頭を下げるもの、私の存在にひれ伏すもの様々です。


 でも、この目の前の男子学生はそのどれにも該当しません。


 本当に頭を下げながらも、私を見つめる目に懐かしさを込めたような、なんとも言いがたい情愛の眼差しを向けてくるのです。


 (うん?泣いてるの)


 私もついその大きな潤む瞳に惹きこまれそうになりました。


 「佐和子さん、どうかしましたか」


 私を待ちわびたサークルの男たちが、私の感慨など無視して場を占めている席から大挙してやってきて、その男子学生を取り囲みました。


 「なんだ、こいつ、佐和子さんに何か失礼なことをしましたか」


 先輩でありながら私に敬語を使う迫田さんは、父親の地盤を継いでいずれは政治家になる女子から人気を集める男子君です。


 私を地元群馬に連れて帰る宣言を堂々としていますけど、スルーしています。


 「おい、おまえ佐和子さんに勝手に声かけてんじゃねーよ」


 とは、少し乱暴なキャラがカッコいいと思い込んでいる残念男子の田野瀬君です。大手製造機械メーカーの御曹司で、残念と思っているのは私だけで女子人気は高いけど、早くもプロポーズしてきた勇気あるおバカさんです。


 「だから、佐和子さん週刊誌のグラビアなんかの仕事を受けたらダメだって言ったんですよ、こんな輩が寄ってくるんだから」


 私の水着姿の虜になったくせに他人にはそんな事を言うのは司法試験合格者の先輩、梶田さん。起業に関係ない職種に就くのは必定だけど、「将来の顧客がここにはたくさんいる」なんて言って法的見地からアドバイスをくれるありがたい人です。


 だけど、私は彼の中では将来の妻らしく勘弁してほしいと願っている人でもあります。


 他にもぞろぞろついてきて、ここの誰よりも背が高くきれいな男子学生を取り囲んでしまいました。


 驚いたのは、その男子学生、


 「お騒がせしてすみませんでした。あの有名な木村佐和子先輩をお見かけしたもので、つい感動してしまい声に出してしまいました」


 そう言ったかと思えば何事もなかったかのように席に戻り、周りの喧噪なにするものぞと、またそれまで通りノートパソコンに向かってキーボードを打ち始めたのです。


 本当に何もなかったかのように・・・


 誰もがその姿にそれ以上文句が言えなくなり、私は静かに場を圧するその男子学生の力に驚いていると、そこに私の後ろから割り込んで出てきたのは、冴島敦子さんでした。


 「佐和子先輩、彼です、五月祭の時に看板を描いてくれたのは」


 彼女は、もう別世界へと浸り込んでしまっている男子学生を指さしたのです。


 「えっ、そうなの」


 五月祭のステージは最高に評価され、私のウェディングドレスにはバイヤーが殺到しました。


 それだけじゃなく私のステージ上の姿にまた別の芸能プロダクションから声が掛かりました。


 私は冴島さんに再三、「お礼をしたいから早く連れてきて」と声をかけていたけど、「彼の連絡先を知らないんです」と謝られるばかりでしたのに・・・


 あれから数週間経った今になって、それもこんな形でお礼が言える機会に恵まれたのです。


 私は、男たちに、「すぐに行くから」と言って退散させ、冴島さんが椅子を引いてくれたので、彼の前に座り、


 「私は、Genesisの部長の木村佐和子です。五月祭の時には助けていただいたそうで感謝します。本当に、ありがとうございました」


 今度は私から深々と頭を下げました。


 「恐れ入ります、先ほどは本当に失礼しましたね。僕は加羅翔介と申します。敦子とは高校時代のクラスメイトで、偶然卒業式以来の再会があんな形だったもので・・・」


 ノートPCから顔をゆっくり上げ、私の目を見つめてのしっかりした口調でした。


 「でも加羅君はどうして、私のことをあんな言い方をしたのかしら、『うわぁ~木村佐和子だ!』だなんて言い方を、まるで私のことを以前から知っているみたいじゃないですか?」


 私は、どうしても「あの有名な」を理由にして私の名前を親しくフルネームで口にしたように思えなかったのでそう問いかけてみました。


 もっと問うべき事項があるにも関わらずです。


 「本当に他意はありませんよ。さっきの彼が言っていたように週刊誌のグラビアを拝見して以来のファンでしたんで、ついあんな言い方をしてしまったんですよ」


 (ウソよ)

 

 すぐにわかりました。


 その証拠に、ファンだと言うのに目の前の私に他の男たちが示すような緊張が全く見受けられません。


 「わかったわ、そういうことにしておくわね。それで加羅君、お礼がしたいのだけど、連絡先を教えてくださるかしら、冴島さんもあなたの連絡先を知らないそうだし」


 「木村佐和子先輩、僕は敦子の手助けができたことを喜んでいたんですよ、お礼なんて必要ありません。それより、あちらで僕を睨め付けている方々の配慮をしてあげてください。僕に視線が刺さって痛くて痛くて、居心地が悪くてたまりませんよ」


 笑う姿は魅惑的でさえあり、そして女性の扱いをよく心得ている事もわかりました。


 「敦子、こんなにきれいな先輩と同じサークルだなんて羨ましいよ。こうやって縁も再構築できたことだし、また会おうな」


 そう言いながらノートPCをたたみ敦子さんと握手して、ゆっくり席を立ち、私にまた深々と一礼して、


 「本当に無礼のことお許し下さいね、木村佐和子先輩」


 また最初と同じように親しみ込めて言って、引き止める間もないほど素早く足早に立ち去っていったのです。


 私は、それからというもの加羅翔介と名乗った男子学生が私に放った眼差しの意味を色々考えるようになりました。


 (見覚えがある顔なのよねぇ〜)


 どこか懐かしく、温かい感情が湧きおこるあの眼差し・・・


 (また会えるわね)


 そう思う事で、気休めにしたけど彼との再会はなかなか果たせませんでした。



 私に以前から声をかけてくれるプロダクションの社長、綿永さんが自宅にやってきました。どうしても両親に会いたいそうです。


 私の父は、日の出新聞社の社会部の敏腕記者で、母は専業主婦です。


 この母の父が、テレビ局から新聞社に雑誌社など多くのマスメディアを仕切る日の出グループの総帥の座にある生方正治なんです。


 私は、大学入学当初の二年前までは、自分でデザインした服を着るファッションモデルになるつもりでいて祖父も、「佐和子さんのその才ならばNO1にすぐになれる」と太鼓判を押してくださり自分の持つ影響力を存分に使う許可をくれていました。


 正直、私は、自分よりきれいな女性を見た事がなくて、「私がモデルにならなくていったい誰がなるというの」なんて平気で言っていた事もあったのです。


 今では、そんな事よりビジネス展開に夢を膨らませ、モデル業を含む芸能会に身を投じようとは微塵も思っていません。


 だから、いくら誘われようともプロダクションの世話になる気はなく、綿永さんには無駄足を踏ませる事になるのはわかっていました。


 実は、私が目指していたモデルから女優へと転身するプランを諦めたのは、私なんか足元にも及ばない二人の女性モデルに出会ったからです。


 国内ファッション雑誌最高の販売部数を誇るERIERIはお爺様の傘下の雑誌社です。


 女性ファッションの雑誌としては歴史と格式を誇っていながら、幅広い世代からの支持が高い稀有な存在で、この雑誌不況下にあって購買数に陰りはみられません。


 それは歴代編集長の手腕のおかげです。


 祖父が決めた方法ですけど編集長の選び方が本当にユニークでとても画期的なのです。


 “下剋上方式”


 と言われるその方法、企画競争というもので、四年おきに社内選抜で選ばれた企画と、広く社外から募集して選ばれた企画が編集長企画と対するといった内容で、もし編集長企画を破る事ができたなら、その人が新しい編集長になるのです。


 票を投じるのはもちろん読者で、そのバトルの様子は誌面での人気のイベントです。


 昨年行われた下剋上イベントの結果は、現職編集長だった42歳の本宮史華さんの圧勝でした。


 それを祝すパーティーで出会った二人のモデルが、私にモデルになる事を諦めさせた人物です。


 最初の一人は、自身が主演する映画のプロモートで来日していた女優リク・カラーことモデルの宇津伏リクさんでした。


 彼女は、私より二つ年下の当時17歳、ハイブランドのシャルドネと専属契約するほどのスーパーモデルです。


 私は、モデルになる為に祖父からアドバイザーとして紹介された本宮史華編集長から、「あなたのお手本を見せてあげるわね」宇津伏リクさんを紹介され、その立ち振る舞いの美しさに圧倒されました。


 本当に繊細で無駄のない動きと彼女の教養の高さに驚いたのです。


 (そういえば、私の顔を見て彼女とても驚いていたわね、何故だったのかしら・・・)


 「フランス文学ですか?そうですね、私はあの人間の内面を鋭くえぐる描写力が好きですね」

 と言って、その例に、ロンサールからの一節を語り、モンテニューからパスカルについても言葉少なに要点を突く事を語ってくれました。


 そこで私は分が悪いと思って、日本文学に話を変えたのだけど完敗でした。「私は、万葉集が一番好きなんですよ」と言うように日本の特に古典文学はマニアレベルでした。


 女優業が忙しく高校に思うように通えない事から何人もの家庭教師の力を借りているそうだけど、その頭脳明晰さは会話する端々で伝わってきます。


 でも、彼女は不思議な事も言ってくるんです。


 「木村佐和子さんはERIERIの編集長を目指しているんですか?」


 変な問いに思ってしまったけど、そこは冷静に、


 「まさか、そんな願望は微塵も持っていないわ。どうしてそう思ったのかしら」


 逆に問い返したのだけど、返事はなく、別れ際に、


 「本物の木村佐和子さんに会えて光栄でした。私はあなたには負けませんから」


 (本物?負けない?)


 なんて意味不明の事を言われて、なんとも魅惑的で挑発的な笑みを向けてくるのです。私はその姿に、プロへの遠い道を見てしまいました。


 そして、私が同じ女である事を恥ずかしく思えるほどの衝撃を受けたモデルも本宮史華編集長からの紹介でした。


 宇津伏リクさんが私に謎を残したままパーティー会場から消えると入れ替わるようにやってきたのは、三億円とも言われるダイヤの首輪を常にしている話題のモデル ミス・Xでした。


 彼女は、ニューヨークの人気ブランド『Fool In The Rain』で活躍する新進気鋭の日本人デザイナー『ショー・ワカツル』の専属としてのみ活躍するモデルで、名前を名乗らない事からXと呼ばれていました。


 そのミス・X、実は特撮を駆使して作られたバーチャルモデルで実在しないのではないかと実しやかに噂が立っていたのもデザイナーショー・ワカツル同様にリアルで見た物がいなかったからです。


 いつもイメージCMを通して、もしくは雑誌を通してでしか見られなかったのです。


 ショー・ワカツルに至っては、名前からして日本人であろうとは思われていますが、男性という事以外は年齢すら不明です。


 ただ一人、代理人のミス・ベルとしか連絡を取らないという徹底ぶりでその姿を隠していました。


 本宮史華編集長の祝賀のパーティーに初めてリアルで登場したミス・X。


 会場に騒めきがおきました。


 そのトレードマークの長い黒髪とダイヤの太い首輪を身に付けた姿は評判通りで、


 (こんな人がリアルでいたの)

 まるで触り難い天女か妖精を思わせ本当に優雅できれいな人でした。


 カメラ撮影は徹底的に禁止された中で彼女は群がるものたちを視線一つで遠ざけてしまう眼光を放ち、本宮編集長が手招いてくれた事もあり、私の横にやってきました。


 (そういえば彼女も私の顔を見て驚いた顔をしていたわね、どうしてかしら?)


 彼女は、とても親しみやすく宇津伏さん同様にこの私が、立ち振る舞いにおいて自信をなくすような女性でした。


 その無駄のない動きについて私は、


 「どうやったら、そう無駄のない優雅な動きができるのですか?」


 思わずそう問いかけてしまいました。


 「私の所作はすべて茶道の心得からのものですわ」


 微笑む姿も美しく、そして、その服の着こなしは何よりも見事でした。


 「あなたは本当に、ショー・ワカツルの服を着るために生まれたような方ですわね。きっと彼のミューズなんでしょうね」


 「嬉しいことを言っていただきありがとうございます。あなたこそ、いずれは本宮さんの後継者となられるのでしょうね」


 私の思ってもいない事をまた口にされました。


 (私がERIERIの編集長?まさかね。でもプロのモデルをめざすのはやめよう)


 と思ったのは、この時でした。


 私の気性からしてやるからにはNO1を目指せる分野でないといやだからです。


 モデル業界で、それも日本人二人に勝てないとなると世界に出たらどれだけの強敵に囲まれるのかと想像しただけで、もう、めんどくさくなったのです。


 それからは、私はデザイナーと経営者として、企業の運営に携わる事のみを目標にすることにしました。


 「木村佐和子さんはERIERIの編集長を目指しているんですか?」

 宇津伏さんからそう問われ、


 「あなたこそ、いずれは本宮さんの後継者となられるのでしょうね」

 ミス・Xからそんな事を言われ心のどこかに引っかかってしまったけど、


 (そんなの無理、私が本宮史華編集長に挑むなんて考えただけで吐き気がしそう)


 眼中にないプラン提示だったのです。


 ◆


 私を迷わせた眼差しを持つ加羅翔介君との再会は、意外なところ経済学部の瀬川教授の研究室でした。


 彼にしたらいつもの場所であったのでしょう、私がやってくると、とても意外な物を見るような顔をされました。


 私にしても馴染みのない場所でのやっとの再会に胸をときめかす前に用件を済ませておく必要がありました。


 「ごめんください、瀬川先生はいらっしゃいまいすか?」


 応対にでた女子学生は丁寧に不在を伝えてくれ、用件であるところの、私の担当教授からの依頼内容に対応してくれました。


 「ねぇ、加羅君、この本のある場所わかるかな」


 私に対応してくれた女子学生は、渡したばかりのメモに目を通すと自分で探す事なく甘えた声であの男子学生に助けを求めたのです。


 彼は一瞥するとスクッと立ち上がり、まるでこの広い書庫にあるすべての本を把握しているかのように、瞬時に次から次へと三冊の本を抜き取り、ペンでメモ紙に一カ所だけ線を引き、


 「すみませんが、この一冊だけここにはありません田中教授の所であればたぶんあると思われます」


 そう言って重たくなった本を気遣うように私に渡してくれました。


 (重っ・・・)


 との思いが、貸出手続きをすませた私に発言させます。


 「ねぇ加羅翔介君、この本、重たいわ、持って下さると助かるのだけど」


 この発言で、すぐさま研究室にいた女子学生たち全員から睨まれる事になりました。だけど、そんなの私は気にもしません。


 「持ってくださるわよね」


 「了解です、木村佐和子先輩、喜んでお供しますよ。その代わり喉が渇いたんでコーヒー付きですけど宜しいですか」


 「ええ、もちろんよコーヒーと言わず、先日のこともあるしお食事でもよろしくてよ」


 「え~学食ですか、嫌ですよ。またあんな災難に巻き込まれるのは」


 災難と言った彼に私は笑い出してしまいました。


 結局その日の夕方、彼のファン女子が垂涎ダラダラを前に彼とは食事に出かける事になりました。


 条件は、「僕の行きたい店で」という事になり、待ち合わせ場所は、近くの赤門ではなく西片門でした。


 彼は、予想外にも道路を隔てた農正門の方から犬を連れてやってきました。


 「紹介します、ラブラドールのノッコ八歳です、宜しくお願いしますね。 ーーー ノッコこの人が前から話していたあの木村佐和子さんだよ、やっと会えたね」


 U^ェ^U これが佐和子か宜しくな宜しくな宜しくな


 やっぱり私を昔から知るかのような含みのある言い方をしてきます。


 聞けば農学部のどこかに愛犬を預けているようで、手入れがよくされた犬は私に寄ってきて見つめてきます。


 我が家にも犬がいる事から怖くはなく、私はしゃがみ込み顔を両手で挟み撫でながら挨拶を交わしました。


 「はじめましてノッコちゃん、私は佐和子よ、宜しくね」


 すぐに気が合う事がわかり、春日駅方面に歩いて目的のペット同伴可能なレストランに到着するまでの約20分間は、私がリードを持ちました。


 その間は、彼は私の質問攻撃に晒される事になります。


 彼は広島市内の出身で、私の過去とは接点がありません。これまで東京には再々出てきたようですけど、生まれも育ちも東京の私との接点はこの大学だけのようです。


 (そういえば小学校の修学旅行で広島に行ったことはあったけど)


 縁なんかどう探してもないのに、どうしてあんな眼差しを私に向けてきたのか謎は深まるばかりでした。


 (さっきもノッコにあんな紹介するし・・・)


 彼が連れて行ってくれた店は、これまでの男たちからは考えられないくらい、なんとも気取りのない地味なレストランでした。


 それでも彼は、食事をするのに最高のもてなしは会話力である事を教えてくれました。


 加羅君とノッコとの時間は料理も美味しかったし瞬く間に過ぎていったのです。


 一番、面白かったのは、彼はまだ19歳なのにビールを美味しそうに飲む事です。


 聞けば10歳の時からお母さんと隠れて飲んでいたそうで12歳の時にお父さんに、その現場を抑えられてからは、怒られるどころか三人で飲むようになったとか。


 それに近所のホルモン焼屋では小学生の加羅君に店主が、いつもビールとホルモン焼でもてなしてくれたとか。


 私は、小学生が美味しそうにビールを飲む姿を想像して笑い転げました。


 私の膝に顎を載せジャーキーを手ずから食べるノッコちゃんのせいもあるのでしょう、私は久しぶりによく笑いました。


 でも、私を何よりも驚かせたのは、彼には一緒に住む、女性がいるという話です。


 「同棲中ということ?」


 私は、なんだか残念に思ってしまう自分がいる事に驚きました。


 (何が残念だというの?)


 「我が家は意外に広く4LDKのマンションなんですけど、そこでノッコともう一匹シンコという犬と四人で暮らしているんです。今度紹介しますんで、機会があれば遊びに来てください。ここから歩いてすぐです。僕の手料理なかなかのもんなんですよ。得意は和食です」


 「答えになっていなわいよ、同棲中なの」


 「違いますよ、戸籍上では両親の養女で僕の妹ですけど、彼女とは親友なんです。幼馴染で、僕にとってはかけがえのない家族ですね」


 「もしかして加羅君はジェンダーマイノリティーなの」


 「違いますよ。ミッシェル・フーコは大ファンですけど彼自身の体験からくるテキストには共感できないところもありますね。それからマダム麟子は大好きで、彼女の歌声は本当に素敵だと思いますね。木村佐和子先輩にはわかりませんかね、男女間でも真の友情が成り立つんですよ」


 「そうなのかしら?」


 「彼女だって昔は、僕のお嫁さんになりたいという幼い願望を語っていた時期もありましたけど、結婚という概念を知ると、もうそこに夢をもてなくなり、今は別の夢にまっしぐら驀進中ですよ」


 「その彼女も大学にいるの」


 「いいえ、彼女も同じ経済に合格はしましたけど、入学していません。仕事をしています。そして今はボストンにいます、来週には帰国しますけど」


 私は、自分がこうも彼の話にショックを受けた理由を分析したくて、店を出てからタクシーに乗るまで考え事に集中してしまいました。


 (私が、この私が、加羅君のことを・・・まさかね)


 だけど、ある決断のもとに彼との別れ際に週末の予定を奪い取ってやったのです。


 「ねぇ加羅君、今週末の夕方スケジュールあけておいてね、今日のお礼がしたいの」


 「えっ、予定がありますよ木村佐和子先輩」


 「私もよ、でもキャンセルするから、あなたもキャンセルしてね。土曜日にJR恵比寿の東口で18時ね、宜しくお願いよ」


 「僕のライフスタイルはノッコが中心で、どこにいくにもこいつと一緒なんですよ。どうしてもというのならこいつも一緒に行ける場所にしてもらえませんか、車もありますから」


 「わがまま言わないで ーーー ごめんねノッコちゃん、その時だけは、加羅君をかしてね ーーー じゃあね、今日はごちそうになったわね、週末はフレンチレストランで私が加羅君をもてなす番よ」


 私はそう言い残しタクシーに乗り込んだのでした。



 私には交際相手はいません。欲しいとも思いません。


 これまで何人もの男性とはお付き合はあれど、キス一つ許した事はありません。


 手を繋いだ事もです。


 私はグランパ・コンプレーックスで興味が根本的に男性になかったのです。


 私のお爺様は、政経済界の大物として有名です。


 日本最大の民放局と新聞社を牛耳る社主ですけど、そこは品よく、強引さなんか見せはしない紳士です。だけど、妥協のない仕事ぶりは世間から「鬼」と恐れられてもいます。


 そのお爺様がいつも私に言っていました。「選ぶ男は私の眼鏡にかなうような方にしておくれでないか」とです。


 数多い孫の中でも私だけを特別扱いして可愛がってくれるのは、母が唯一の娘のせいなのでしょうか?そこはよくわかりませんけど、とにかく私を大事にしてくれます。


 それが災いなのかそれとも幸いなのか、これまでお爺様に紹介した男性は、どれもこれも評価されず全滅でした。


 「ダメだよ佐和子さん、あれは」などと簡単に言われましたけど、私はそれに反発した事など一度もありません。お爺様と並べば一目瞭然だったからです。


 同じく私はファザコンでもあります。


 お爺様の最愛の娘が惚れたのがお父様です。


 お父様は、お爺様から見込まれてお母様とお見合いをしたそうです。でも、二人とも一目惚れして恋愛結婚に変わったという素敵なエピソードを持っています。


 それは今でもよくわかります。二人とも本当に仲がいいのです。


 私の理想ですね。


 ◆


 加羅君は初めて会ったときから思っていたけど、地味な服装ながら、とてもオシャレさんです。


 さりげなく着こなしているけど仕立てがいいのです。


 「加羅君の服はいつも素敵ね、どこのブランドなの?」


 私は再会の第一声にそう問いかけてしいました。


 「これですか、知り合いの服屋さんのもので特別なものではありませんよ」


 私には通用しない台詞を彼は選んでしまいました。


 私が見れば以前着ていた服も含めてどれもこれもオーダーメイドなのはすぐにわかります。


 「加羅君は、あの看板の絵からしてもしかして服飾デザインに関わっているのかしら、着ている服は素敵だし、その帽子、今日もよく似合っているわ」


 先日はハンチング帽だったけど、今宵はフレンチと予告していたせいもありTPOを心得た黒のチロルハットでした。


 「僕がデザイン関係ですか?父の会社は食品加工会社で広島菜を作っています。僕はそこの跡取りですよ。でも、最近はピオーネの方が好調で、それを材料にしたロールケーキがよく売れていますし、タピオカも数字を伸ばしてきました」


 彼の高校時代のクラスメイトの冴島敦子さんの言う通りでした。


 このデートを前に私は、冴島敦子さんに彼についての事前データの収集に時間を割いていたのです。


 「えっ佐和子先輩は加羅君デートするんですか、凄いですね。さすがです」羨ましそうに彼女は言ったけど、とても協力的でした。


 「私は高三になってから知り合ったので古くは知りませんけど、彼はアメリカに留学していて高三の時に地元の公立高校に編入してきたんです」


 「留学?アメリカに」


 「ええ、そうです。そして帰国早々にあった、あの勤勉社の全国模試で数ある進学校を抑えて、広島の片田舎の公立高校生徒でありながら一位になったんです、凄いでしょう」


 「えっ、勤勉社の全国模試で一位ですって・・・凄いわね」


 「バンドもやっていて女子から大人気でした。ピアノが凄く上手で私も彼のファンだったんですけど、顔見知りとしてはこの前のように親切にしてくれましたけど、それ以上の関係はどの女子ともなかったようです。でも、小学校時代からの数人の女子たちとはすごく仲良くしていましたね。特にスズちゃんとは」


 「スズちゃん?」


 「はい、この東京でも一緒に暮らしているそうです。彼女は身内がいなくて加羅君のご両親が中学の時に引き取ったそうですが、それ以前から元々家族みたいだったとかで、本当に仲がいいんですよ」


 「恋人?」


 「違いますよ、仲のいい兄妹みたいな感じですかね」


 「あの頭は昔から?」


 「えっ、私と初めて会った時からスキンヘッドでした。毎日剃っているそうです。もう髪を伸ばすことはないそうです」


 「絵がうまいのは」


 「ええ、有名でしたよ。なんでも有名なコンクールで金賞をもらったとか、でも私、高校に入ってからの付き合いで本当に古くは知らないんです」


 総じて彼の評価は高い。


 だが、どこにもファッション系とは結び付かなかった。


 「彼には交際相手はいなかったの」


 「いたと思いますよ、他校の私立のお嬢様学校の生徒とよく一緒なのが目撃されていましたからね、でもスズちゃんも一緒だったんで微妙なんですけど」


 「彼は、そんなところを友人に語りはしないの」


 「それが彼は人気者であっても誰ともつるまないことでも有名だったんです。小学校時代の幼馴染としか心開かないようで、コイバナなんかしませんでしたよ」


 「犬好きは有名だったの」


 「ええ、超有名でしたよ。彼はアメリカで免許を取得していて、いつも愛犬をバイクの後ろに乗せていましたね」


 「ノッコと二人乗り?」


 「そうなんですよ、それが可愛くて、後部座席に座って加羅君にしがみついている姿が、えっ!もしかして佐和子先輩はノッコに会ったんですか、凄い」


 「凄い?」


 「加羅君はノッコを滅多に他人には触らせはしませんでしたからね。私なんか獣医学科に合格したときに初めて紹介してもらったんですよ、将来宜しくななんて言って」

 加羅君の行動には今も昔と変わらずブレが見て取れない。


 (これは期待できるかも・・・私はいったい何を期待しているというのかしら、まさかお爺様に紹介してクリアする事?ありえない!ありえない!ありえない!)


 笑い出すしかありませんでした。


 まぁ今日のデートで加羅君の化けの皮が剥げない事を願うばかりです。


 私は、少しばかりのいたずらを予約したレストランで仕込んでいました。


 恵比寿にあるミシュラン三星のフレンチレストランにお爺様の名前で予約を入れました。


 もちろん日本語で対応してくれるお店ですけど、私自身のフラン語の勉強のためと偽り、メニューから給仕にいたるまでフランス語での対応をお願いしたのです。


 「絶対に日本語を使ってはダメよ、お願いしますね」


 「でしたら日本語の話せないフランス人をお付けいたします」

 そんな具合になってしまいました。


 (まぁ、最後は私がフランス語で対応して加羅君を助けてあげればいいのだけど)


 以前、この策に敗れた、政治家志望の迫田さんや残念男子の田野瀬君は、あれから私を口説いてくる事をやめてくれて静かになりました。


 (さてさて加羅君はどうでるかしら)


 迫田先輩は、どうにか格好をつけようとアタフタしながらも頑張ってくれたけど、私が助け舟を出すまで、どうにもできなかったわ。


 田野瀬君に至っては、英語で通そうと頑張ったけど最後は泣き出しそうになったので、早々に許してあげたのよね。


 (どれもこれもお爺様には会わせられない)


 私が期待しているのは、カッコよく決める事ではありません。


 素直にできない事を認め、その旨をしっかり相手に伝える器の大きさが見たいのです。


 これはお父様が教えてくれた方法でした。


 「見栄をはる男はろくなやつじゃないからね、気をつけなさい。等身大を堂々と見せられる男こそこが本物だよ」

 よくお父様から聞かされた話です。


 (加羅君、お願いよ、私にいいとこを見せようなんて思わないでね、あなたの素の姿を見せてね)


 私はいつしかそんな願いを思っていました。


 しかし、加羅君は私の思惑を裏切る姿を見せてくれました。


 豪華な店の造りと、出迎えの格式ばったスタッフの対応に臆することなくなんとも優雅に私をエスコートしてくれました。


 自身も席に付き、私が事前に決めていたメニューを流暢なフランス語でことごとく自分好みに代えてしまい、


 「Je préfère la bière au vin」

 ワインよりビールをお願いします。


 飲み物まで自分好みに変えてしまったのです。


 私に出された料理も、


 「この時期なら毛ガニと茄子とアヴォガドのミルフィーユ仕立てが美味しそうじゃないですか」


 彼が選んだものに変わりました。


 食事中も本当に楽しんでいるようで、


 「見てくださいよ佐和子先輩、この鮎めっちや美味いですよ」


 なんと給仕係に言いつけて自分の料理を皿分けまでしてくれたんです。


 「ねぇこのカリっと香ばしく焼き上げられた鮎の下に十五穀米とパルメザンチーズを和えたリゾットなんてここのシェフやりますね」


 加羅君はこの店のサービスを誉め、料理内容を絶賛して楽しんでいたけど、そればかりじゃありません。

 

 「この鮎に添えられている泡はクレソンとすだちを使ってますね」「この少しウォッカを加えたきゅうりのピュレは鮎の味わいをより一層引き立てますね」


 その分析力も優れていて驚かされました。


 話題も本当に豊富で瞬く間に彼との時間は、今宵も終わりを告げようとしていました。


 ところが、私も予想しないアクシデントに見舞われる事になります。


 「なんだ、和佐子だったのか、私の名前で予約したものがいるというので来てみればデート中だったとは」


 なんとお爺様が私達の席にやってきて給仕に勧められるままに席に着きワインをオーダーしたのです。


 「きみは、佐和子と同じ大学の方ですか」


 やはりそうきました。


 お爺様がこんな席に介入してくる理由は、私が男連れなのを目撃しての事です。


 「こんばんは、僕は、木村佐和子先輩の二級下の加羅翔介と申します」


 彼はお爺様に臆する事なくその目をしっかり見つめながら立ち上がって挨拶をしました。


 「そうか、加羅君か佐和子の二つ下という事は18歳なのか、そうは見えんが・・・私は、この佐和子の祖父の生方だ、宜しくな。それできみはこの佐和子のことをどう思っているんだい」


 ぶっきらぼうなお爺様の問いに加羅君は困ったはずなのに、彼は、自分の年齢を19歳とまずは訂正してから、(お爺様好みだわ)すぐに迷う事なく返答してくれました。


 「そうですね、将来、生方社主の片腕になる方と思っております」


 加羅君は、私のお爺様の正体を知っていたのに驚きました。


 「片腕だと」


 「はい、まずはERIERIの編集長の座を勝ち取り、それを土台に、社主の数ある後継者候補の方々を押しのけるのではなく、望まれてトップに躍り出る方だと思っています」


 「ほう~この佐和子をそこまで買うかね、その理由は何かね」


 「簡単ですよ、勘の良さです。実は、僕は木村佐和子先輩と出会って数回しかお会いしていませんが、その感性の良さもさることながら勘の鋭さに敬服しているところです。社主でいらっしゃったら、多分、僕の言うことぐらいご理解してくださることでしょう」


 豪快に笑い出すお爺様。


 「面白いなきみは、それで加羅君、その頭は理由があるのかね」


 お爺様は加羅君のスキンヘッドを見てそう訊ねました。


 「はい、忘れたくないことを忘れないためです。生涯髪を伸ばすことはしません」


 「そうかい、では加羅君、きみの言う佐和子の将来に乾杯しようではないか」


 ワインが届いたタイミングでしたけど、


 「申し訳ありません。僕には、ビールをお願いできませんか」


 「フレンチにビールかい?」


 「ええ両親との約束なもので」


 「約束?」


 ここで私が加羅君に代わって面白くお爺様にビール隠れ飲みの全貌を語ると、


 「そういうことか、ビールは麦ジュースだが他は未成年のうちはダメだということか」


 「ご理解痛み入ります。その通りです」


 「ならば私もビールにしようじゃないか」


 そう言ってお爺様は機嫌よく加羅君とビアグラスを幾杯も重ねてくれました。


 上機嫌なお爺さの機嫌をさらによくする事が起きました。


 このレストランではあってはならない事ですけど、よほど特別な客からの依頼があったのでしょう。この店のサービス主任が自らお爺様ではなく加羅君に耳打ちしてくるのです。


 首を振る加羅君の様子にお爺様がすぐに介入してきます。


 「何事かね?」


 どうやら加羅君を知る誰かが彼にピアノの演奏を依頼してきたようです。


 「なんだって、君があのフランツの加羅翔介なのか」


 お爺様は驚きが隠せないようで、この要請を受けるように加羅君に頼んでもいます。


 私は知りませんでした、彼が高名なピアニストであることを・・・


 私達の席から見下ろせる階下のフロアー中央にグランドピアノがあり、生演奏は今も続いています。


 その演奏を止めて加羅君がピアノの前に座りました。


 拍手が起きます。どうやら加羅君を知っている人は多いようです。


 ♪~


 場に相応しいガブリエル・フォーレの素敵な曲を彼は披露してくれました。


 圧倒的な存在感から奏でだされる音は本当に繊細で美しく、一つ一つがまるで切れのいい刃物のように胸に刺さってきます。


 私は初めての体験でしたけど演奏を聴いて涙を流してしまいました。


 「さすがはフランツの覇者だ」


 お爺様はそう言って大きな拍手に包まれて演奏を終えて戻ってきた加羅君を絶賛しています。


 「四年前を思い出すよ、君の将来はやはりピアノなのかい?」


 「いいえ、僕はピアニストを目指してはいませんので」


 「噂は本当だったんだね」


 軽く微笑むだけの加羅君にお爺様はもうこの件での言葉を続けはしませんでした。


 「今宵は本当にありがとう」

 

 本当に機嫌のいいお爺様は加羅君と握手までして珍しい事に彼を見送りました。


 そして私にはとても意外な事を告げてくるのです。


 「彼は、死地を踏んだことのある目をしている。彼にいったい何があったのだろうな・・・不思議な子だね」


 「私には、不釣り合いな方でしょうか」


 「いいや、もし佐和子があの加羅君を自分のパートナーに選ぶというのなら私は大賛成しますよ、おまえの父さんの時以上に喜んでね。だが、残念ながら佐和子、おまえが彼には認めてもらってはいないよ。彼は、もっと高みを知っているんだ。おまえよりも優れた女性像をな。もし佐和子があの加羅君のことを本気で考えるなら、おまえが、加羅君に認めてもらわないとならないよ」


 「私が認めてもらう?ですか」


 「何を不思議がるんですか佐和子さん。一目瞭然じゃないですか、彼とあなたの器の差は、それともそれに気がつかないほど、おまえは愚かものなのかい」


 「やっぱりそうですよね。でも彼は、私にそれを感じさせないのです。お爺様、私が、彼に認められるには・・・」


 「珍しいこともあるもんだ、佐和子さんがそんな顔するなんて。さっき彼が言っていたではありませんか、まずはERIERIの編集長になって見せてやりなさいよ」


 「・・・」


 「自信がないか、本宮君をおまえが破るということだよ。それをしないと彼からはおまえは認めてはもらえんだろうな、人としても女としても」


 あまりに意外なお爺様の言い分に頭の霧が晴れてくる思いでした。


 ミス・Xの、「あなたこそ、いずれは本宮さんの後継者となられるのでしょうね」発言も蘇り、


 「わかったわ、お爺様、今、はっきり私、霧が晴れた気分よ、私の目指すべき道がしっかり見えたわ。今やっていることを成功させて、本宮編集長に挑んで勝利してみせるわね」


 「そうか、今宵は良い酒、いやビールが飲めたな」


 また上機嫌に豪快に笑うお爺様でした。



 私の紫色のビキニ姿を伊豆の海辺でマジマジと愛でるのは加羅君にその愛犬のノッコです。


 「いいねぇ、やっぱり木村佐和子さんには紫ビキニだよ、最高だ!」


 さっきから、こればっかり。で、スケベ心を隠そうともしないで撮影に夢中です。


 今日は彼の愛車RX7で海ドライブに来ています。


 「広島人はマツダ車以外乗ってはダメなんです」


 彼の父譲りのポリシーを披露してくれたドライブは、BGMも先日は生で聴かせてくれた私好みのフォーレで心地よく海辺で食べる彼の手作りオードブル類は、どれもこれも本当に私の好物ばかりで美味しかったです。


 彼はフレッシュジュースでしたけど、私に勧めてくれるワインもナイスなチョイスです。


 「先日のフレンチの時も思ったのだけど、どうして加羅君は、こうも私の好きなものを知っているのかしら、もしかしてリサーチでもしたの?フォーレを演奏してくれたり今日はBGMに持ってきたところからもその恐れありね」


 私の上機嫌な問いも、スルリと交わし追求できないように釘を刺してきます。


 「まさか、僕は木村佐和子先輩と違って事前に調査できる相手なんかいませんからね」


 (どうやら冴島敦子さんのことはバレバレのようね。笑ってごまかそう・・・)


 私は、こうやって加羅君と付き合うようになると、もうこれまでのように私を取り巻く男たちに上機嫌なふりして愛想笑いをするのが苦痛になってきました。


 というのも彼らは、見栄張りばかりの勘違い男子ばかりだったからです。


 学生に相応しくない高級外車でのドライブはもううんざりという事です。


 加羅君は、私より二つも年下のくせに、大人感が半端なく溢れていて居心地がいいのです。


 とにかく妙な見栄がなくてとても楽に過ごせるのがいいのです。


 もちろん全部が全部うまくいくわけではありません。


 私がジャイアンツファンと知ると、加羅君に、「広島人全体の敵」とまでいわれ、野球談義では、激しく火花を散らしました。


 「金金金(かねまみれ)ジャイアンツって改名すればいいのに」


 「弱小球団のひがみは、加羅君には、似合わないわよ」


 「選手は育成するもので買うものじゃありませんよ佐和子さん」


 「あら、加羅君のご実家では、ピオーネや白菜だけでなく肉から魚までご自分のところで育ててらっしゃるの、凄いわね」


 「なわけないでしょう。スーパーで買い物ぐらいしますよ」


 「ジャイアンツだってそうよ、他所でお買い物ぐらいするわよ、ただグルメが多くて食材に高いお金を出すだけのことよ」


 こんな調子で自然と野球話は、御法度になりました。

 そしてそんな話も含めて海辺でも時間は瞬く間に過ぎていきます。


 私は、海を背景に二人寄り添った写真をいくつか撮影したところで、彼に一つの提案をしました。

 彼にはこの先も一緒にいてもらいたいとの願いを込めてです。


 「ねぇ加羅君、この夏休み中に旅行しない二人きりで」


 「おう〜木村佐和子先輩と伊豆温泉旅行ですね、目的地はもちろん修善寺温泉ですよね」


 私が考えもしないプランを勝手にいかにも私の企てたプランのようにそう語り嬉しそうに頷いています。


 今日のこのプランにしても、


 「木村佐和子先輩とのドライブですか、だったら紫のビキニ水着ありの伊豆の海に決まってますよ」


 なんて勝手に決められてしまったのです。


 それで慌ててリクエストの水着を買いに走ったわ。こんな事を私にさせるのは彼だけです。


 「どうして、夏に温泉なの、それもまた伊豆なんて芸がないわ。北海道にしましょうよ、別荘があるのよ小樽に」


 こんな提案、まだ交際しているわけでもないのに、そうなる事が前提で私は、話を進めたのです。


 「えっ~修善寺温泉がいいですよぉ。なぁノッコ、おまえのいない旅行なんてマッピラだってこの先輩に言ってやってくれよ」


 U^ェ^U お留守番嫌いだよ。嫌なの。


 「そうか加羅君は、ノッコが一番だったわね。いいわ、だったら修善寺温泉でいいわよ」


 「やったねノッコ、木村佐和子先輩と念願の修善寺温泉ドライブ旅行だ」


 U^ェ^U よかったね翔介!


 「念願ってどういうことよ」


 「僕の念願は木村佐和子先輩と修善寺温泉ドライブ旅行だったんですよ」


 「いつからの念願なのよ」


 笑う私に、


 「そうですねかれこれ八~九年前からの」


 真面目な顔で答えてくる彼でした。


 「だったら別に私じゃなくても、」


 「違いますよ、木村佐和子先輩とのですよ」


 そう言うと、ノッコと無邪気に喜ぶ姿を見せる加羅君だったけど、この約束は果たされる事はありませんでした。


 別れ際の、私からの熱いファーストキスが気に触ったのかしら、彼に会ったのはこの日が最後となりました。


 ◆


 私は夏休み中ずっーと加羅君に連絡をしていたけど、連絡つかずです。


 ついには、彼の電話は不通になり、夏休みが終わって大学に戻ると、私は必死で加羅君の行方を探し回りました。


 うかつにも彼に私の電話番号を教えていなかったのです。私の習慣で非通知にしていたのが災いとなりました。

 

 他の男たちなら、電話番号を教えて下さいと懇願してくるのに彼からは、一言もそんな事を言われなかったからです。


 私は、彼と再会できた瀬川教授の研究室を訪ねて、やっとその消息を知りました。


 「ああ、加羅君はアメリカに留学したよ、向こうの大学に行ったんだ。今頃ボストンだろう」


 「アメリカの大学?」


 「そうだよ、ハーバードだよ、彼は、あそこの経済を専攻するんだ」


 「ここは、やめたんですか」


 「うん、彼の両親がここの出だったから一度は学生として生活してみたかったとか言っていたけど、本当のところはここを滑り止めにしていたんじゃないかな、これは予想だけどね。それで9月からは、あちらの大学の授業が始まるからね、夏休みを利用して引っ越して行ったんだ」


 私は、しばらく立ち直れそうにありませんでした。


 そんな矢先に、私はお爺様に呼ばれて日の出テレビの社主室に出向きました。


 「すまんな佐和子さん、急に呼び出したりして、実は先日、恵比寿のレストランで会った加羅翔介君なんだが、」


 「お爺様、彼はアメリカへ留学してしまいましたのよ、私に黙って」


 「そうか、佐和子さんに黙って行ってしまったのか、ハーバードへ」


 「お爺様は、そのことをご存知だったんですか」


 「すまんな、彼がどういった人物なのか見た目以外の情報が欲しくてね、調べていたんだよ。なんせ佐和子さんの意中の人物だからね。今後も考慮してな。だが、おまえに黙って行くとはけしからん。まさか、佐和子さん、おまえを傷つけたりはしていないだろうな」


 「お爺様、私がいけなかったんです。私の気持ちを伝えるのに手間取ってしまい、彼には責任はありませんわ」


 「そうか、佐和子さん、私が思うに、彼は、おまえに時間をくれたんだと思うぞ」


 「時間をくれた?」


 「ああ、彼は、前にも言ったが、おまえが思っている以上の人物だということだよ。彼は昨年にハーバードに合格しているんだ」


 「昨年?どういうことですか、彼の年齢は、」


 「飛び級しているんだよ、中学の時にな。それにハーバード入りするのに彼は推薦状を二通用意しているんだ」


 (二通の推薦状?)


 私も、以前、興味があって調べたハーバード大学は、日本の大学のように入試があるわけではありません。


 まずは、教師二人の推薦状と自分と家族の紹介文に、中三から高三まで受講した全授業の名称とその成績、ボランティアや課外活動の記録の他にエッセイを一つ仕上げるのが願書となるのです。


 もちろんSATかACTで英語二科目・数学、他二科目で合格が必要なのは当たり前で、学校の質を示すスクールレポートも必要になります。


 (加羅君の学校は普通の公立高校、不利なはずだけど、そうか全国模試で一位か、あっ昨年合格ということは、アメリカの高校のを提出したんだ)


 私の学校は名門の女子進学校でスクールレポートはとても有利でしたけど、私の場合、常にトップクラスにいたわけでないのが諦めた原因です。


 ハーバードは、常に学校でトップクラスでないと選考ではじかれてしまいます。


 「それで、お爺様、彼が用意した推薦状とは」


 「彼は、人間国宝の若竹正剛の弟子らしく、ハーバード大の美術館にも展示してある若竹正剛の推薦状を提出しているんだ」


 「ああ、やっぱり、彼の描いた女性像は若竹正剛の影響が見えました。それで、もう一人は?」


 「鶴多雅章(かくた まさあき)だよ、日本人でアカデミー賞の美術賞と視覚効果賞の二つをこれまでに取った人物だ」


 「ハリウッドの魔術師マサアキ・カクタですか」


 「そうだよ、凄いと思わないか」


 「凄いです・・・」


 「それだけじゃないんだ、彼は15歳の時にアメリカの永住権を獲得しているんだ。それもハーバードの選考では有利に働いと思われる」


 「えっグリーンカードをですか」


 「そうなんだ、それも卓越技能労働者としてだぞ」


 「まさか、15歳の日本人が・・・それで彼の卓越技能とは、ピアノなのでしょうか」


 「それは違うだろう、この前、彼が言っていたじゃないかピアニストを目指してはいないと」


 「だったらどんな技能を?」


 「それを、聞きたくて佐和子さん、おまえをここへ呼んだんだよ」


 「お爺様、私には全く思い当たりがありませんわ」


 「そうか、思い当たりもないか・・・そこで、これからここへ来る客の話を佐和子さんは、私の秘書のふりでもして、木田君と並んで聞いていなさい。加羅翔介という人物をよく知る人物をここに呼んである。もちろん別件でな」


 「いったい誰ですか、それは」


 「ケラウズランブラの社長と歌姫様だ。今夜のうちの特番で歌ってくれるのを労うためと言って社長共々ここに呼んであるんだ」


 「ケラウズランブラと言えば大手の音楽事務所ですよね、どうして加羅君と関係があるんですか?」


 「それを聞こうという腹じゃないか。加羅翔介は、ここ数年で最大大手にまで躍進してきたケラウズランブラの取締役に名前を連ねているんだ、同姓同名かもしれんが、そうある名前じゃない」


 「ええ確かに」


 「まぁ聞けばわかることだ、なんせ彼は、特徴的なヘアースタイルだからな、間違えようがないだろう」


 だけど、気軽に笑うお爺様の思惑通りに話は進みませんでした。


 ケラウズランブラの社長、鳴門真司さんは、お爺様に呼び出されて、ここ最近の活躍を称賛されると恐縮するばかりです。


 テレビ局のトップが、音楽事務所の社長を自室に招く事などないからでしょう。


 それに、アーティストなら尚更の事ですけど、ケラウズランブラ大躍進の牽引役となった歌姫様事、美坂ミオさんは、さすがにスーパースターの貫禄があってお爺様に動じる事なく快活に会話を交わしています。


 「それで、つかぬことを聞くが鳴門さん、御社の取締役にある加羅翔介さんとは、いかなる人物なんだね。以前あの園田翔さんのダミー奏者として会見を開いたのは覚えているんだが」


 話の中の自然な運びで、お爺様が肝心な問いを発するのにずいぶんと時間がかかってしまいました。


 この突然の話題に二人の客が同時に身を固くして見つめあったのを、私はお爺様の後ろで秘書然に立ったまま確認できました。


 「何か不都合がございますか」


 鳴門社長の用心した声が印象的です。


 「いや何、他意はないんだよ、夏前に、加羅君と一緒にビールを酌み交わしたもんでね。その彼が忽然と消えてしまったもので心配なんだよ。それで、どうなんですか鳴門社長」


 「うちの加羅は、今は日本にはいません」


 「そんなことは知っているよ、彼は優秀でハーバード大へ行ったことぐらい、私が知りたいのは、どうしてまだ19歳の彼が、御社の取締役なのかということを教えていただきたくてね」


 「どういった理由かは存じませんが、加羅翔介が当社の役員であることは間違いはございませんとだけお答えします。経緯と言われましてもお答えする義務はないものと存じますが」


 「すまんな、警戒させたようだが、違うんだよ。私の孫娘が加羅君と同じ大学に行っていたんだが、伊豆の海デートを最後に温泉旅行の約束をしたまま突然消えてしまったので、こちらに失礼があったのかと気にしているんだ」


 ここでいきなり美坂ミオさんです。


 「翔と温泉旅行の約束?絶対にウソよ、ありえないよ。ねぇ社長、この人、きっと翔の秘密を暴こうとしてるんだよ、危ないから帰ろうよ。今夜のここキャンセルでいいじゃない」


 感情的な表情ですら美しく思わせる小柄だけど整った体つきで立ち上がって、そう言い放ってきました。


 「ミオ、受けた仕事はキッチリだ。上の都合でキャンセルなんかしてみろ困るのは現場だ。いいなぁ」


 渋々頷き元の席に戻る美坂ミオさん、お爺様に怒りの目を向けてまでいます。


 よほど加羅君の事が癇に障ったらしいけど、私の矜恃を傷つけた事は許しません。


 「ありえないとは、どういうことですか?加羅君は間違いなく、彼からの提案で私を温泉旅行に誘ってくれましたけど」


 予想外のお爺様の背後からの声に驚くままに美坂さんは私を見上げてきてすぐに、


 「あなた誰よ、まさか木村佐和子だとでも言うの」


 鼻で笑う美坂さんでした。


 そのあまりに意外な問いに私だけでなくお爺様まで驚いた顔をします。


 「私は、木村佐和子ですが、それが何か?」


 鳴門社長と顔を見合わせて驚いた顔をするだけでなく立ち上がってまで驚く美坂さんでした。


 ここで初めて私の存在を認めたようにマジマジと見つめてきます。


 「あなたが木村佐和子?」


 頷く私に、


 「本当にいたんだ、リアルに・・・驚いた」


 「どういうことか説明してもらってもいいですか」


 「あなたは翔の幼馴染みなの?スズちゃんとか一緒の」


 私の問いに問いで返してきた美坂さんは、また気になる事を言ってきます。


 「スズちゃんとは、彼が一緒に住んでいる女性ですね、違いますよ。私と彼が出会ったのは、今年の6月です。幼馴染みではありませんわ」


 「ウソ、ありえない --- ねぇ社長、これどういうこと?偶然」

 

 「いや、偶然じゃないだろう。彼女は、多分B型でファッション系に携わっているはずだ。 --- どうでしょう木村佐和子さん、あなたは、」


 「ええ、私は、B型で私独自のファッションブランドを持っていますけど、それが、何か?加羅君が何かをあなた方に語っていたのなら、聞かせてください」


 ここでも二人は、やはり驚いた顔をします。


 「我々は、加羅翔介とは、もう長い付き合いですが、木村佐和子さんの噂はよく聞かされていたんすよ。背が高いファショナブルなB型美白美人だと。正にあなたのような人であるとね」


 「私はね、再三、彼を口説いていたのに、僕の好みは木村佐和子でミオ姉さんみたいなチビ介じゃないっていつも言って逃げられていたのよ。それで私が、そんな2D世界のバーチャル女なんかに興味を持つのは健全じゃないよ、リアルの素晴らしさを、私が教えてあげるから、旅行でも行こうよって誘ったら、」


 「そうなんですよ、加羅翔介の口癖が、木村佐和子との伊豆の温泉ドライブ旅行だったんですよ。彼は修善寺温泉に木村佐和子と行くのが念願で、それまでは女性とは旅行に行かないと言っていたんです。少なくとも五~六年前から」


 「そうよ、いつもそのお決まりの台詞で私は言いくるめられてきたのに、本当にリアルでこんな木村佐和子がいたなんて、あなたピアノが上手なんでしょう」


 私が加羅君に語っていない情報、B型・ピアノ二つまで漏れている。


 特に私は、聞かれても答えないのが電話番号と血液型です。典型的B型と言われるのが嫌だからです。


 「ええ、ピアノは今も続けています」


 「えっーと誰だけ、舟歌が好きなんだよね」


 私から血の気が引いた。私が、一番好きな曲はフォーレの舟歌です。

 

 これも加羅君には語っていませんけど、伊豆へのドライブの時のBGMが耳に響いてきます。


 結局、彼らからは、私の驚くばかりの顔になおさら警戒感を募らせてしまったようで逃げ出すように退出して行きました。


 でも、お爺様は何か思いついたように、


 「佐和子さん、美坂ミオの反応をどう思ったね」


 問いかけてきます。


 「あれは、加羅君に恋する女の目ですね」


 「美坂ミオが秘密をどうのこうのと言っていたが、何のことだかわかるかい」


 「いいえ、私には、何のことかわかりませんわ」


 「美坂ミオと言えば、大きなシークレットがあるじゃないか、佐和子さんの興味の範疇じゃないか ーーー なぁ木田君、美坂ミオのあの反応ビンゴじゃないか」


 お爺様の本当の秘書を務めるのは、木田秘書課長40前の男性です。


 「社主のお考えは、少しばかり無理があるように思います。社主は、翔揃いで、加羅翔介氏が、もしかして美坂ミオなどを手がける、プロデューサー園田翔と四年前の会見こそ偽りで同一人物とお考えなんでしょうが、それはありえません」


 「ほ〜う、ありえんか、私は加羅翔介と園田翔二人が並んだ四年前のあの会見はウソ物だと思っているんだがな。あれは加羅翔介の策だよ、自分に目を向けられないようにするためのな。それで君がありえないとまで言うその理由は何かね」


 「園田翔が作曲家としてデビューしたのは、今から八年前です。加羅翔介氏は、現在19歳、八年前でしたら小学生の11歳です。私も美坂ミオのファーストアルバムを買いましたが、あれは秀作、小学生が全部作曲したなどとうてい考えられません」


 「そうか、園田翔のデビューは美坂ミオのファーストだったな、それから、」

 

 「ええ、遠藤監督の音曲の神様のサウンドトラック、あれも売れましたね、七年前です。加羅翔介氏12歳の小六作品という事になりますが、」

 

 「・・・そうか・・・無理だな、確かに無理だ。園田翔が加羅翔介なはずはないか・・・ならば、いったい美坂ミオが口走った秘密とはいったいなんなんだ」


 「引き続き調査はいたしますが、佐和子お嬢様にも伏せるような何かとは、いったい・・・」


 「それがわかれば、グリーンカードの卓越技能の理由も自ずとわかるだろう、なぁ佐和子さん。それに彼が、随分と前から、おまえのことを見ていたようなことまで言っていたが、あれは気にするな、ただの偶然だ。彼が、偶像化した理想の美人像におまえと同じ名前をつけていたにすぎん」


 「そうなんでしょうか?」


 私は、初めて加羅君に会った時の、「うわぁ~木村佐和子だ!」との台詞とあの眼差しの意味が解けたように思いましたけど、


 「当たり前じゃないか、それよりも、彼は、さっきも言ったが、おまえに時間をくれたんだよ、彼とは必ず再会できるはずだ。その時こそしっかり振り向いてもらえるように今のうちにスキルを上げておくんだ」


 お爺様は意に介さないようです。


 「わかりましたわ、お爺様」

 

 私は、謎の多い加羅君との再会を目指して、もう無駄な時間を使うのをこの日を境にやめました。


 そして今度こそ彼に私、木村佐和子を認めてもらえるようになろうと決めたのです。


 (まずはERIERIの編集長の席ね)


 

                   THE END



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