生涯の師と出会ったかも・・・
「あまりにも弱すぎる、もうこのままカープは二度と優勝でけんのんじゃないか」
父さんの大きな嘆きは、我家に戻ってから、たまった新聞のスポーツ欄に目を通しての事だ。
2002年のシーズンもカープは、相変わらずの低迷ぶり。一人気を吐くのは、昨年初の二桁勝利を挙げ今年も二桁勝利間違いなしの若手の次期エース、黒田博樹。後のメジャーリーガーだ。
「大丈夫だよ、黒田さんが戻ってきての三連覇があるから」
俺は父さんを慰めた。
広島に戻ってきた俺は、愛車に京土産、緑寿庵清水の金平糖を積んでまずは三五宅へ、そして華怜宅へと向かった。
響華は家族でハワイ旅行中という事で土産を逆に待つ事になる。
三五も華怜も留守だったが、それぞれの留守番に金平糖を渡してきた。
三五宅では妹、彩音に飛びつかれ、華怜宅では姉、美弥子にネチネチ嫌味を言われた。
さて、夜になると、我家にゲストが到着した。尚子ママの軽快なアルトの助手席にいたのは、スズだ。
俺より先にノッコとの再会を喜び、互いの存在を確認しあったところで、俺の所に駆け寄ってきた。
ニッッ
無言ながら百語を語るあの笑顔。俺は思わずギューしてしまう。
約束日より三日遅れた俺からの連絡を待ちわびていたスズは、今日は我家に泊まり明日からは爺ちゃんの要請に応える形で俺と京都に向かう事になる。
なんでも俺の不在中に父さんと母さんはホルモン焼を食いに行ったようで、その味に大満足したが、代金支払う、いや要らないで争ったそうだ。(笑)
「代金を受け取ってもらえんと、もう来られんじゃない」
どうやら父さんが勝ったようだ。それで土産ホルモン山盛りとなり姉さんたちも食卓で恐々初体験となったようだ。
その際に、夏休みの間にスズを京都へという電話での俺の強い要請を叶えてくれるために、父さんと母さんは、スズ爺ちゃん文吉さんとスズママ尚子さんに頼んでくれたのだ。
その理由は俺の爺ちゃん任せだったが、俺の絵のモデルにスズをという事で説得したらしい。
なんでも俺は、爺ちゃんの知り合いの日本画の大先生にその作品が認められ、夏休みの後半にかけて手ほどきを受ける事になっているんだそうだ。
「へぇ~」
なんて思わず言ってしまい、不審の目を母さんから向けられた。
スズの喜びようはなかった。俺と一緒に京都に行ける喜びというよりは一緒にいられる喜びだ。
俺は父さんに約束した。
「秋の芸術祭には必ず入賞してみせるからね」
なんのための約束か、それは簡単だ。
「じゃあ社長、行ってきます」
室積海水浴場に行った際のマイクロバスのドライバー森久さんを、こんどは京都までのドライバーとして手配してくれたのだ。そのためにこの約束は必要だった。
「新幹線で行けばいいじゃないの」
母さんの言葉はもっともなれど、
“ノッコが大事・ノッコが一番”
が、俺の信条だ。ましてやスズも一緒だ。ノッコがお留守番なんて許すはずがない。
「なぁ、ノッコそうだよな」
U^ェ^U ワン!
このスズを連れての京都訪問の真の理由は、もちろん爺ちゃんに依頼済みのスズ耳の件だ。
なぜ、こうも秘めて行動するかは、爺ちゃんも俺と共通の価値観をスズに持ってしまったからだ。
スズテレを類稀な才能と考えてしまい、その利用方法に至っては二人ともマッドサイエンティストな面持ちであれやこれやと妄想してしまい、爺ちゃんも自身でスズテレを確認したいという欲求に勝てずに、俺の片棒を担いだというわけだ。
だが、耳の検査結果、「治療したら治る」という診断結果がでたなら、たとえスズテレが失われようとも治療する事は確認済だ。
広島を早朝に出発して約400キロ弱の道のりを六時間かけてゆっくり走り、昼食が待つ爺ちゃんちに到着したのは正午過ぎとなった。
森久さん、父さんから二泊の京都休暇をもらっている事もあり俺たちを降ろすと、そそくさと昼食の誘いも断りどこかへ行ってしまった。何やら行きたいところがてんこ盛りで忙しいようだ。
あっ、京都から広島への戻りは森久さんじゃないんだ。爺ちゃんが、婆ちゃんを連れて広島に車でやってくる事になっている。
「スズちゃんはリクちゃんの半分ぐらいだなぁ」
爺ちゃんも婆ちゃんもスズの笑顔にすぐに魅了され、両手を広げて歓迎してくれた。
昼食後、スイカも平らげたスズが縁側で扇風機にあたりながらノッコとお昼寝にはいると、爺ちゃんから明日の朝、大学病院で検査を受ける事が告げられた。
最初は爺ちゃんも一緒だが、検査に立ち会うのは婆ちゃんだけらしい。爺ちゃんは夏休みであってもゼミの生徒のために研究室を開放していたのだ。
俺はその間、マジで爺ちゃんちの近所にアトリエを構える高名な日本画家、若竹正剛先生のところに行って絵を習うらしい。
というのも爺ちゃんがスズを京都に連れ出すのに使った理由はまんざら嘘でもないらしく、俺が爺ちゃんちでリクをモデルに描いた絵を見せたところ、
「是非連れていらっしゃい」
という事になったらしいのだ。
俺は、お昼寝から目覚めたスズを連れて残暑厳しい嵯峨を木陰ばかりを選んで散歩に出た。もちろんノッコがメインだ。
野々宮神社界隈であれば木陰ばかりだが、観光客も多いし人力車も通る。
途中かき氷を食べて、涼しくなってきたところで俺が先日ぶっ倒れた河原に出てノッコを川につけてやった。
U^ェ^U ワォ~~ワォ~~ワォ~~ワォ~~ワォ~~ワォ~~ワォ~~ワォ~~ワォ~~
ノッコのふやけた顔を見ながら、スズは我慢できぬと羨ましそうに川に足をつけてくる。
「スズ、やめてくれ、ここは俺の家じゃないんだ。着替えに限りがあるんだ」
ダメだった。
スズが川に入ってくるとノッコにスイッチが入り二人の水の掛け合いがいつものように始まり、観光客が笑いを浮かべ見守る中で俺まで犠牲になってしまった。
「スズ、おまえというやつは」
俺は叱る気にもなれずに笑い出してしまった。
気も和んだところで俺は、明日のスケジュールについて初めてスズに話した。
(明日の朝にスズは俺の爺ちゃんと婆ちゃんと病院に行くんだ。耳の検査をするんだよ。治るかもしれないからね。そうしたらまた前みたいに周りの音が聞こえるようになるんだよ)
驚いた顔をしたあと、苦しそうな表情までするスズの一番の心配事が判明する。
(痛い?)
(検査だけだし痛くはないよ)
(翔も一緒?)
(俺は、留守番なんだ。なんでも絵の有名な先生が近所にいるらしく、そこに習いに行くんだとさ。それで着替えたら今から挨拶に行くんだけどスズも一緒にくるか?ノッコと留守番でもいいぞ)
(うちも行く)
(そうか、じゃあまずはおまえもシャワーを浴びて着替えだ)
(うん)
こうして俺は、若竹正剛先生のアトリエへと爺ちゃんの案内で出向く頃にはもう涼しくなっていた。
◆
「おう、園田さん、よう来なさった、さぁさぁ」
爺ちゃんは、いつもの袖なしの羽織姿で若竹正剛先生はキャメルカラーの作務衣姿だ。
俺はさっそく正剛先生に絵の実力を見てもらうために、スズとノッコが庭先で戯れている姿を日本画のように小筆で縁側から描いてみせた。
デッサンと違い動き回る姿を描くとなると、カメラのシャッターを切るイメージで瞬時にこれだと思うシーンを捉えて素早く描く力が問われる。
「ほおぅ~捉えるところがおもろいな、翔介君はこの子の笑顔と犬の笑顔が同種であると目線の交差で表しているのか、なるほど、こらわしのとこに連れてくる気になるわけや」
爺ちゃんの方を見て頷く正剛先生だった。
知らないうちに、爺ちゃんはスズとノッコを連れて先に帰り、結局この夕方から俺は、若竹正剛先生の教えをミッチリ受ける事になる。
晩飯の事なんか忘れ、21時過ぎまでその教えに熱中し、帰宅後も筆を取らせるほどの深い内容に俺は、熱中したのだ。
「翔介、スズちゃんと色々話したわ」
とは、爺ちゃんだ。
遅くなった晩飯を済ませて茶室で向き合うと、ノッコとスヤスヤスズの事が話題になった。
俺の爺ちゃんという事でスズはすぐに心開き、スズテレを使って学校での事などいろんな話をしたようだ。
海の事はよほど楽しかったらしく、爺ちゃんが、
(今度は琵琶湖へつれていくで)
なんて約束までしたらしい。
爺ちゃんの結論は、
「あの子は凄い子ちゃうか、わしが哲学者ではなく科学者やったらどれだけ夢を持てたやろうか、やっぱし人類の宝かもしれん」
どうやら、スズとは幼年期の俺話で盛り上がったらしく、言葉ではなく幼い頃の俺を思い浮かべるだけでその情景が伝わったらしい。
(スゲェ〜そんな使い道もあったのか・・・)
逆も試みたらしく、爺ちゃんはずいぶんと心を痛めたようだ。
(耳が聞こえていた頃の思い出は、どんなだい)
幼稚園での楽しい思い出ぐらいを期待した爺ちゃんだったが、スズが思い浮かべた音に伴う情景は父親からの罵声から殴られるシーンばかりだったとか。
俺は、河原で耳の治療話をしたときの苦悩に満ちたスズの表情を思い出した。
(そうか、痛い?と問いかけてきたのは、検査のことじゃなかったんだ。あいつ、耳が聞こえる=痛い思い出ばかりなんだ)
そして息を潜めて、存在感を消してしまう事で父からの難を逃れようとした日々にも爺ちゃんは衝撃を受けたらしく目頭を押さえている。
「悪いことをしたと詫びると、あの子は首を振ってあの笑顔をわしに向けるんやで。ほんまに涙出てもうたで」
「あの笑顔」とは俺が大好きななんの屈託もないあの笑顔の事だ。
そして爺ちゃんは、俺を褒めてくれた。
「よう、スズちゃんと仲良うなったな、あないに存在感を消すことに卓越してるちゅうのに」
どうやら、そのへんの存在感についてもいろいろ実験したようで、
「ほんまに消えてもうたか思うほどやった」
とその成果について語った。そして、思いがけない事も聞かされた。
「やっぱし、わしの思たとおりリクちゃんと同類やったぞ」
とは、以前にも爺ちゃんが言っていたが、俺には今イチピンときていなかった事項だ。
「スズちゃんは、翔介のピアノの演奏を聴いてもうたことで音楽と出会うたんやて。それまでは音楽という概念すらなかったらしいやんか、まるでヘレンケラーやないか」
そうだった、俺とスズが出会ったきっかけは一方的であったが、俺の奏でたピアノがダイレクトにスズの心に響いた事だ。
楽譜を追うのではなく、自ら奏でだすオリジナル曲であった事が、アイコンタクなしでもスズの心に響いた理由だと俺は、爺ちゃんに語った。
「そうやったな、その話は前にも聞いたな、忘れとった、あとからおまえのオリジナル曲とやらを聴かせとくれ」
「それで、リクと同種とは?」
「うん、スズちゃんは、おまえによって開花させられた音楽ちゅう概念に喜びを感じ、そこから楽しさを実感できるようにもなったんや」
「スズが楽しいと言ったの」
「ああ、はっきりとな。あの子にはそれまでは嬉しさはあったけど、楽しいちゅう概念すらなかった言うやないか、驚いたで。その楽しいをおまえはいっぱいくれる人になったんや。そこから生まれてくる情愛がリクちゃんと同種なんや。おまえを尊敬し親しみほんで愛してるんや。そやさかいスズちゃんはおまえの言う通りに動くんや。呼ばれたらすぐに駆け付けるとも言うとったぞ」
その通りだ。スズはどこにいようとも俺が呼んだら何もかもほったらかして俺の所にやってくる。
爺ちゃんの話はさらに続き、スズの思い浮かべる情景に明るい要素はなく、俺とノッコだけが光だとも言われた。
「あの子にとっておまえとの深いコミュニケーションこそが生きる糧であり、これまでにのう最高に幸せなんやそうや。そやさかい、頼む、翔介、この先もあの子を大事にしてやってくれ」
自分の孫でもない子の事を実の孫に頼んでくるなんとも面白いなりゆきに俺は笑うどころか大きく頷いてみせた。
「わかってるよ、爺ちゃん。僕に任せて」
爺ちゃんの点てくれたお薄を喉に流し込み俺は茶室を出た。爺ちゃんに俺のオリジナル曲を聴いてもらうために運指をするためだ。
爺ちゃんちには古いがよく整備され調律もしっかりしたグランドピアノがある。爺ちゃんも婆ちゃんもピアノを弾くし、母さんに伯父二人も弾いていたものだ。
俺は、五歳で松永門下になる前の三歳からピアノを母さんに仕込まれていたせいでハノンが嫌いだ。
毎日毎日ハノンばかりで、いつ曲を弾かせてくれるのと思っていた事もある。ハノンを弾きながら寝てしまった事もあった。
まぁ、そのハノンのおかげでリズム感は養われたんだが、と今ではわかる。
俺は、この走馬灯ワールドにおいても運指はハノンだった。
♪~
そして爺ちゃんが婆ちゃんを連れて居間にやってくると、俺はこれまでチートに書き溜めた曲を披露した。
♪~
この家は我家と違い防音なんてしていない。必要がないからだ。
隣接するのは竹藪であり裏手は小倉山だ。玄関前にあるのは夜になると誰も通らない観光道という事で、俺は遠慮なく弾いた。
♪~
すると二階からスズとノッコも降りてきた。どうやら熟睡のスズの心内にも流れ込んだようだ。
♪~
思うままに出来上がった曲を披露したところで、現在、遠藤保津監督依頼のサウンドトラック用に書いている未完成の曲まで披露すると、煮詰まっていたところがすんなりブレイクスルーできて俺は慌てて楽譜に新たなフレーズを走り書きしたところで演奏会は終わった。
爺ちゃんは、どうやら俺をなめていたようだ。ここまでの曲を書くとは思っていなかったのはありありで、
「凄いな、翔介こら感動もんや」
上ずった爺ちゃんの声に、俺は笑ってしまった。
婆ちゃんは、俺の曲だとは知らない様子で、ただ、
「素敵な曲ね、私にも教えて」
と純粋に喜んでいた。
◆
翌朝、ハルカ先生の課題が入院中の遅れがありカバーができていないというのに、俺はノッコの散歩が済むと再び筆をとっていた。
そしてスズが爺ちゃんの車で出かけてからは、俺も正剛先生の所に向かった。
昨日とは違い門下生もいたが、その実力ときたら酷いもんで、俺の描く絵を取り囲んで、
「凄いわね、本当に小学生?」
感心ばかりしている。どの門下生も似たようなもので、俺は正剛先生の教えを集中的に受ける事ができた。
だが、その正剛先生の描く日本画といったら、大家と言われるだけのものを感じずにはいられない。
神々しい女性像から、フッと昔どこかで見た様な懐かしさが込み上げてくる風景画に、宙に溶け込む様な淡い色でありながら熱さを感じさせる炎を背景に描かれた不動明王など、どれもこれも力強さを併せ持つ、優しさが溢れた作品に俺は感動した。
そして、
(あんな絵を描いてみたい)
実際にはかなりの距離があるのは承知だが、身近さ気軽さを思わせるところもあり、こうやって多くの門下生が集っているのもわかる様な気がする。
聞けば、今朝ここに集っている門下生は、近所の美大の正剛ファンばかりの教室で、その実力が未熟なのがよくわかった。
この日も昨夜に続き、俺が課題にしている女性像について様々な事を学んだ。
「なんも女性の表情は顔だけで表現するもんじゃない」
そう言って気軽にサッサッと描く筆先からは、女性の顔の部分は空白であるにもかかわらず物悲し気な侘しい女性をその立ち姿だけで描いてしまった。
続けては嬉しさをかみしめる姿だ。そう、かみしめるだ。
内から湧きおこってくる喜びを口元に運ぶ指先の微妙なアンバランスな形だけで表現してしまうところに俺は鳥肌がたった。
これこそが、俺が目指すデザイン画に必要な感性であり、どうしても欲しい技術だった。
「翔介君が目指すところが私にはなんかわかるような気ぃして、こないな絵ぇ参考に描いてみしたけど、どうや正解やろう」
なにもかもお見通しに感激した俺は、正剛先生の問いに答えるかわりに、その場ですぐに真似してみせた。
喜びを爆発させたあとの疲労感を思い描いてみせたのだ。
これこそよく見るスズの表情で、よく知るものだが顔では表現していない。
「ほう、宙を見上げる首筋の微妙な角度で疲労感を表現するとは・・・なんやこの腰つきは、喜び疲れか、これは」
通じた。俺は嬉しくて、
「ハイそうです」
らしくなく大きな声で返事をしてしまった。
どうやら正剛先生、これだけで充分だったようで、広島に戻ってからの俺のカリキュラムを翌朝にまで組んでくれたのだ。
俺は、生涯の師となる予感がした正剛先生の元を昼前には去ると、午後からは、ハルカ先生課題に取り組むのと、ケラウズランブラ音楽事務所から新たな仕事について打診もあり京都に使者がやって来るらしい。
そして美坂ミオのシングル『In The Evening』がオリコン一位に三週連続でなった報告もあり、発売されたばかりのファーストアルバムのランキング発表と9月から始まるドラマが待たれたのだ。
昼前に婆ちゃんと一緒に疲れ果てた姿でスズが戻ってきたが、ノッコに抱きつくとすぐに元気を取り戻した。
俺は午後からはガリ勉君となった。
スズはノッコさえいれば退屈しないし、涼しい風が小倉山から吹き降りてくる環境を利用したお昼寝が済むと一緒に机に向かってもきた。宿題の日記を楽しそうに書いている。
他の宿題も、スズテレを使って合間に見てやると、みるみるうちに空白部分が埋まっていく。
夕方からは、嵐電に乗ってスズを四条大宮に、そこから阪急電車に乗り換えて河原町をいろいろ案内した。そして、爺ちゃんと待ち合わせだ。
スズは今朝の検査をよく頑張ったご褒美に爺ちゃんから、ごちそうされたのだ。どうやら爺ちゃんの顔色からするとスズの検査結果が良好だったようだ。
だが、この日の晩、俺は爺ちゃんと茶室で向き合い、スズの未来展望について様々な可能性の話を聞かされて苦悩する事になる。
◆
「すみませんね翔さん、呼び出したりして」
僕は指定された京都駅のカフェ デュ モンドで園田翔先生と向き合っていた。
相手が小学生であっても、ケラウズランブラでは翔さんは「先生」であり敬語対象者なのだ。
「福田さんこそ、わざわざ東京から来ていただいて、何か急用ですか」
「ええ、翔さんにご自身のデビューのことをお願いしたくやってまいりました」
「またですか、その件は鳴門さんに断りをはっきりっといれましたが」
「どうしてなんです。こう言ってはなんですが翔さんがデビューすればそれこそ一世風靡できるじゃないですか、日本のミュージックシーンを」
「そんなことは、」
「ありますよ、その証拠にミオさんのチャートもそうですし、先日函館からやってきた野間君にしたって凄い逸材じゃないですか、あれには驚きましたよ。それだけでも翔さんの実力はわかるというものですよ」
「福田さんはケラウズランブラの利益を考えて僕を誘いに来てくれたんですよね」
「申し訳ありませんが、その通りです。僕は鳴門真司という男が美坂ミオを足掛かりに歩むサクセスストーリーを間近で見たいんですよ。翔さんも知っているんですよね、あの人の類まれな経営者としての才能を」
「ええ、もちろん知っているつんもりですよ」
「でしたら、鳴門さんのサクセスストーリーに力を貸してくれませんか」
「もちろんそのつもりですし、ケラウズランブラは六本木ヒルズに引っ越すのを僕は知っているんです」
「なんですか、その六本木ヒルズって」
「来年開業する、まぁ凄いビルだとでも思って下さい」
「翔さんは当社の所属の作曲家という立場ですが、貴家楓さんをデビューさせた力量に野間秀介だって急遽デビューさせることになった力量も含めて判断するに、やはりご自身が表に立って活躍された方が当社の為になると僕は思うんですよ」
「福田さん、それは違いますよ」
「何が違うと言うんです」
「もし、僕がこの先、ケラウズランブラの為にミオ姉さん並みに活躍するタレントをあと、そうですね十組でもスカウトしたとしたら僕個人がデビューするのとどちらがケラウズランブラの発展に寄与できると思います?」
「美坂ミオ並みと言うとかなりのレベルですよ、それを十組となるとそうですね・・・翔さん個人のデビューよりかなり発展に寄与するように思いますが、」
「なら、それが僕が断る理由ですよ」
「翔さんはそんな凄いタレントをあと十組も手配できるというのですか」
「そう言ったつもりですが」
「本当ですか」
「まぁ見ていて下さい。ケラウズランブラはここ数年で大躍進する会社ですよ、それを福田さん、僕と一緒に間近で見ようじゃないですか」
「もし、それが本当なら凄いですね。なるほど鳴門さんは翔さんのこの口車に乗ったわけだ」
「口車とは酷い言いようですね(笑)でもそれが正解ですよ」
「そうなんですか、でしたら僕もそれを楽しみにしますよ、シンイチ・ミゴの活躍の場もそれで広がるわけだ」
「ああ、聞きましたよ、シンイチ・ミゴをイラストレーターとして売り出すんだとか、それもケラウズランブラで独占して」
「ええ、シンイチ・ミゴがイラストレーターとして売れるか売れないかは独占を決定した鳴門さんの手腕なんでしょうが、翔さんという逸材発見器があればそのへんもうまくいくのかもしれませんね (笑)」
「その期待に応えてみせますよ」
僕は会談を終え、すぐに東京に戻る事にした。
この思惑外れの完敗に乾杯する気分になり新幹線の車中で一人ビールで祝杯をあげたのは、もし翔さんが、凄い逸材を本当に十組も連れてきたなら現実問題として当社スタッフは、「先生」ではなく「師匠」とでも呼んで、その極意を学ばなければならないのかもしれないと思ってしまったからだ。
それを期待する自分の姿が明確にあってのビールの味は、ややヌルだったが極上だった。




