013話 機密情報 前編
申し訳わけありません。明日はお休みとなり、次の投稿は明後日、24日(木)の0時となります。
定春は学校と仕事がない日、朝日の登りきっていない時間からトレーニングを開始する。初めにウォーミングアップがてらのフリーランニング15km。屋根や塀を軽業師の如く、アクロバット走法で駆け抜ける。
次に無酸素マスクをした上でのフリーランニング10km。
更に更に、無酸素マスクとパワーリスト(各15kg)、サウナスーツを着た上でのフリーランニング5km。
述べ30kmのフリーランニングという準備運動を終えて、やっと本格的なトレーニングに入る。定春はその見た目とは裏腹に、かなりストイックな面があった。
「あっつ…春から夏にかけてのサウナスーツはやっぱ地獄だな。」
故に効果が見込めるのだが暑いものは暑いのが人間の感情というものだ。スタート地点に用意しておいたスポーツドリンクを半分ほど飲むと、定春は後ろを振り向く。
「相変わらず時間ぴったりですね、土方さん。」
そこにはトレーニングウェアを着た土方が立っていた。全身の柔軟をくまなく行い、怪我の予防も欠かさない。
「怪我の種は如何なる小さなものでも無くすに限るからな。」
「そりゃまぁそうですけどね…柔軟というよりタコ踊りに見えますよ?それ。」
先程から土方は全身をクネクネと解しているのだが、いかんせん定春にはタコ踊りに見えて仕方がない。本人はいたって真面目にやっているので柔軟には違いないのだろうが、その真面目な表情と相まって笑いが込み上げてくる。
「…修二達も言っていたが、そんなに変かこの柔軟。」
「まぁ毎度目の前でやられているので慣れたには慣れましたけど、客観的に言うならヘンです。」
「む…やはりか。まぁいい、これに効果があることは間違いないんだからな、個人的には続けるさ。」
「くくっ…いいんじゃないですか?忘年会シーズンには困らないかと思います…では始めましょうか。」
「別にこれは人前で披露する芸じゃない…そうだな、やるか。」
雑談も程々に、定春と土方は適度な距離をあけ、各々の構えを取る。土方は全身を脱力させ、油断なく立っており、反対に定春は右掌を前に突き出し前傾姿勢をとる。
「ふっ。」
「シッ!」
大きく一歩を踏み出した定春の右掌底が、土方へ放たれるがそれを腕を叩くことにより回避、土方のカウンターと言わんばかりの右手刀の振り下ろし。定春は更に間合いを潰し、肩を土方に接触させ、その場で踏み込んだ足からの力を螺旋状に肩まで伝え衝撃を通す。
「はっ!」
だが土方はそれを読んでいたのか自ら後方へ飛んで、その衝撃を軽減。お返しとばかりに後ろへ踏み込んだ足を軸とし、下段突き上げ蹴りで定春の顔を蹴り上げた。
「くっ…」
「相変わらずお前の発勁には目を見張るよ。ほぼ溜め、踏み込みを必要としない超近接戦闘術…あー、ゼロコンなんたらだっけか?」
「ゼロレンジコンバット…零距離戦闘術とも言いますね。そもそもゼロコンの場合は発勁とは少々違うんですけどね。思想としては土方さんの修めてる武術に近いです。」
「つまりいいとこ取りってことだろう?」
「まぁ…そうとも言いますけど。」
そんなたわいも無い話をしている間にも、二人の動きは止まらなかった。少々トレーニングによる模擬戦では聞こえる筈のない音がしているが、突いてはいなし、蹴っては軌道を晒す、投げようとすれば脱力法で抜け出され、極めようとすれば勁で抜けられる。攻防が瞬時に入れ替わり、息つく暇もない。そして何より二人のレンジか狭い…というよりほぼ密着して戦っていたのだ。
人の関節には可動域というものがある。その関節が伸び曲げ出来る領域の事だが、二人はこの超近接戦闘において膝や肩など、あらゆる部位を駆使して戦闘を行なっている。
「はぁ!!…相打ち。」
「ふっ!!…ですかね。」
互いの拳が互いの急所を捉える寸前での寸止め。戦闘自体は苛烈を極めていたが、これはあくまでトレーニングだ。だがこのレベルのトレーニング…模擬戦となると、互いの技量が高く且つ、実力が拮抗していないと出来るものではない。流石はイムホテプのNo.1とNo.2といったところか。
「ふぅ…飲みますか?土方さん。」
「貰おう。」
定春は額の汗を拭うと、まだ未開封だったスポーツドリンクを投げ渡す。それと同時に、切り株に掛けておいた土方の上着から何か着信音のようなものが鳴っていた。
「ん?…俺だ、あぁ…そうか、あぁ、あぁ…何?」
「?」
土方の声色が一瞬硬くなった。だが本当に一瞬で、その後の会話は普通通り。土方は携帯をポケットにしまうと何か深刻そうな顔で定春に顔を向けた。
「どうかしたんですか?」
「あぁ…先日の作戦において一時保護していたR1、及び脱走兵からの聴取が終わったそうだ。」
「…何か面倒な情報でも喋りました?」
話の流れ的にはそうだろう。今回の件は軍部からの極秘依頼、且つそれも一部の上層部からだ。脱走兵と被験体の様子を見るに何かありそうなのは最初から分かっていた。
「それも含めて今から本社へと向かう、定春も来てくれ。」
「了解です。一度家に戻って着替えてから向かいますので先に行っててください。」
そう言い定春は荷物を持ってその場を後にした。流石に汗が大量に含んだ格好で人前に出るのも憚れる為、自宅に戻りシャワー浴びて本社へ向かうのだった。
「おっ、来たね定春くん。」
「お疲れ様です、柳丸さん。」
会社に着くと一番に迎えてくれたのは内勤の柳丸だった。その背後には土方が腕を組みソファへと体重を預けている。
「来たか。修二と奏は今日は別件で動いているから来れない。俺とお前だけで詳細を聞くことになる。」
ソファから立ち上がると土方は地下へと通じる階段へと消え、後に定春も続く。この会社には表向きには存在しない用途の部屋があり、研究室や実験室、そして拷問室…まぁ今回は尋問室、いわゆる取調室で行ったが、そこに脱走兵がいるとのことで定春と土方はその扉の前に到着する。
「入るぞ。」
そう言い土方がドアを開けると、そこにいたのは脱走兵もとい左枝 鈴香と、正面には小柄な女性が座っていた。
「ご苦労だったな、小梨。早速だが話が聞きたい。」
「おー、ひっちゃん!お疲れー!さっちゃんも!」
「あ、お疲れ様です…南さん。出来ればその、さっちゃんって言うのは…」
「えー?なんで?さっちゃんはね♪さっちゃんて言うんだ本当はね♪」
「いや…そんな事言われても…」
「諦めろ定春、小梨は言い出したら聞かん。」
身長は150ほどでゴスロリ調のドレス。茶髪のフワフワロングヘアに童顔で可愛らしい顔立ち…場所が場所なら「お帰りなさいませ、ご主人様」という挨拶が似合いそうな人物だが、彼女の正体はイムホテプのメンバー。尋問、拷問、諜報担当社員である小梨 南で、主に非合法活動に従事する。
「【弛緩香】と【自白香】を使うまでもなかったよぉ…この子私が来た瞬間から素直に喋ってくれたから、私何にも出来なかったー。」
それはそれで良いことのはずなのだが、小梨は頬を膨らませ「最近の若いのはー」とか言っていた。因みにだが土方以外(採用時の身元確認の関係)は小梨の年齢を知らない。
「貴方がイムホテプ統括、あの【修羅】か…後ろの少年が何故いるのかは分からないけど、それ相応の場を潜っていそうね。」
「…左枝 鈴香少尉だな?御察しの通り、イムホテプ統括の土方だ。それで、貴官の話は事実なのか?」
「元、です。それに今更嘘を言ったところで意味はない。私は軍を非合法に抜けた身、遅かれ早かれ殺されるのならば義理立てする必要もないでしょう?」
確かに左枝は正規手続きを踏まず軍を抜けた脱走兵。少尉という階級ならばそれなりの機密にも関わっているはずだ。そんな人間を軍が生かしておく意味はない、今こうしてこの場にいることも奇跡に近いのだ。あの作戦の日、本来ならば左枝もその場での抹殺指示が出ていた…にも関わらず生かされているのは、状況に疑問を覚えた土方の独断、乱暴な言い方をすれば気まぐれとも言えるのだから。
「俄かには信じ難いので改めて確認するが…R1、あなたが連れ出した少女は【CDS理論】を基にしたデザイナーズチャイルド…秘匿魔法を習得したのではなく、秘匿魔法そのものだというのか?」
Chimera Deoxyribonucleic acid System…通称CDS理論。世界倫理機構機関より禁忌理論指定を受けている魔法理論のことである。
「えぇ、そうなります。皮肉な事にこの件で軍を…その研究員達と命令を下した人間を処罰する事は叶わない。」
左枝は本当に全てを諦めたかのようにポツリポツリと土方に語り出した。何故自分が軍を抜けたのか、何故秘匿された少女を連れ出したのか…独白のように、懺悔のようにその真相を語り始めたのだ。
「私は軍部医療事務次官補佐という肩書きを持っていました。珍しい役職のように聞こえますが、これは一般の医者のような事をする聖職者ではありません。簡単に言えば非公認実験の研究員です。表では軍医育成を行う部署でしたが、裏では倫理観念など度外視した非合法実験の毎日でした。」
現代において、日本は民主主義制に法治国家と、世界から見て安全で平和な国とされている。だが、どの世界にも暗い部分…暗部というものは存在する。彼女自身、新潟にある魔法高校を卒業した後、軍に入隊した枠を広げてみれば定春の先輩にあたる。
最初こそ大志を抱く、夢に希望を抱いた少女だったのだろう。しかし戦闘能力が高くない代わりに理論・戦術面に秀でていた彼女は、軍に入隊しから5年目にその部署へと配属となった。
「そこからは地獄の日々でした。動物実験は当たり前、死刑囚を使った魔法実験や耐久実験の数々…何度も軍を辞めようとしました。」
だがそんな簡単に辞めれるわけがない。一端とはいえ軍の極秘情報に携わっていたのだ。
「そうこうしているうち、遂にCDS理論の計画が始動してしまいました。人間の慣れって怖いものです…その頃になると私はそれが当たり前だと思うようになっていたんです。」
最初は難航していた研究。しかしこの理論の最大の弊害は、人体に与える影響が大きすぎる為、通常の運用実験では行うことが出来ない点だった。だが死刑囚を自由に使う、使い捨てることができるのなら話は別だ。人を人とも思わない実験・検証が進むにつれて、徐々に成果が現れ出す。その一つ一つが世紀の大発見とでも言えるレベルの貴重なデータ。左枝は気づけば少尉にまで昇進してしまい、ますます正規の手続きで軍を抜ける事が出来なくなっていた。
そしてその頃になると次の計画に移り出す。CDS理論を基にしたデザイナーズチャイルドだ。いわゆる遺伝子操作による人工授精。科学が超高度に発展している現代においても、遺伝子操作というものはかなり非難される研究テーマである事に変化はない。しかし人の生というものは神の領域とされるほどに神秘の現象だ。実験は思うように進まず、坐礁する事になる。
「…私には7つ歳の離れた同じ軍属の姉がいたんです。幼い頃に両親の離婚とともに離れ離れとなりましたが、こまめに連絡渡り合っていてその姉に憧れて軍に入った経緯もあります。軍に入隊してからはお互いに忙しく、話す機会も会う機会もあまりありませんでしたし、その為私たちが姉妹だと知る人はいませんでした。歳の離れた姉ですが、幼い頃から会う度によく可愛がってくれました。その姉がある日遠征任務中にゲリラ戦の最中命を落としたんです。…そしてその翌日、いつも不機嫌な私の上司が、珍しく上機嫌で私に話してきたんです。どうしたのかと聞くと、」
『散々提供拒否してきた完全適性を持つ女の細胞を、やっと手に入れる事が出来たよ!早く提供してればこんな事に…おっと、ともかくこの細胞を培養して早く実験に入ってくれ。』
「姉を亡くした翌日で、私はその上司の言葉を話半分で聞いておりその時は気にも止めませんでした…」
「…土方さん。」
「あぁ…」
ここまでで話の大筋が読めてしまう。提供拒否を続けていた女性、遠征任務中に死んだと聞いていた姉、そして上司の言葉。それだけで…そして彼女が軍を脱走兵となってでも抜けた理由も推測できてしまった。
「完全適性を持つ女性の細胞は拒絶反応もなく、順調に成長していきましたが、私はどんどん形の整ってゆくその個体を見ているうちにある事実を見ました…培養液の中に浮かんでいた少女は、姉の容姿と瓜二つだったんです。」
次の言を紡いだ彼女の顔からは、凡ゆる感情が流れ落ちていた。