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鶴岡秀司は時計を見た。五時半。何とか仕事が終わってしまった。本当のところは普段はともかく今日だけはまだまだ残業していたかったのだが……。
一息つくと離れたデスクに座る同僚である福田弘美がぱちりとウインクを投げ掛けてきて、はぁと息をつく。
先日秀司が企画した同期のイベントで連絡がきちんと回らず、福田は何らかの迷惑を被ったらしい。秀司はその詫びを今日今からさせられるのだ。
確かに最初に候補としてあげていた日にちに集合してしまったというのは無駄に外出させて悪かったとは思うが、別にわざと連絡を回さなかったわけでもない。 しかも同じく同僚である佐野を楽しそうに追い回している姿を見れば何ら被害はなかったものと思われるのだが、とにもかくにも福田からは詫びに友人に紹介さ れろ、の一点張りだ。
相手の気分を害したのに、その代償が女性を紹介されるともなれば、話の流れからしてろくな相手ではないことは容易に想像された。うまく断りたかったのだが、残念ながら鶴岡は今彼女もいないし予定もない。結局福田の押しの強さに断り切れずに参加が決定されていた。
そうして今仕事も終わり、強制参加までもう目前だった。福田に引きずられるように会社を出て駅前の改札に着く。秀司の他に、福田の恋人となった同僚も共にずるずる引きずられており秀司は少し気が楽だった。
思えば、佐野という名の堅物と福田が付き合いはじめたと聞いたときにはどこか信じられない気がした。仕事一辺倒といえばまだ聞こえがいいが、要は女にいか にも興味なさそうなだけである男が一体何故、と思っていれば、これ――きつい言い方をすれば完全に佐野が福田に憑かれていたのである。
福田が佐 野に声をかけ、ぎくりとして逃げようとするも捕獲される佐野に、周囲は正確に二人の関係性を理解した。間違って紅葉狩りに二人きりにしてしまったその日に 何かがあったらしく、佐野を苦手そうにしていた福田が意見を百八十度変えたのは見れば明らか。そのときからの二人の力関係は、どう控えめに見ても福田の方 が上だった。
当初は、顔だけはいい佐野を手に入れた福田や表面だけは可愛らしい福田を手に入れた佐野を羨んでいた面々もいた。だが、福田の方から迫り佐野が逃げ切れなかったほどにその押しが強いことを悟ってから、同僚達の意識は巻き込まれないようにしようという方向へ向かった。
福田に捕獲される同僚の佐野に対する視線は好奇から随分と同情的なものに変わり、中には生暖かい目線を向けるものまでいる。かくいう秀司もその一人だ。
まだ待ち合わせ相手はいないらしく、福田がきょろきょろと周囲を見回している。まだ相手が来ないのならば仕事上がりで疲れた目を休ませようとばかり、秀司は目を伏せた。
「弘美!」
五十分になって漸く声をあげて福田に向かって来る女を見つけたところで、秀司は漸く待ち合わせ相手が来たらしいことに気がついた。そちらに視線を向け、しかしすぐに秀司の注意は隣に逸れる。見知った女がそこにいたからだ。
「宇田川?」
秀司の高校の同窓にして、大学時代の友人の彼女でもある宇田川の名を呼べば、彼女もまたその場にいる秀司に気がついたようだった。
「秀司」
「何、知り合い?」
福田に問われ、秀司はああ、と返答する。福田の顔に、二人分の男など連れてきていないのだが、と書かれているのを見て、秀司は慌てて言葉を付け足した。
「高校のときの同級生で、こいつは彼氏持ち」
時折飲みに行く友人からの話を聞く限り二人の仲は順調だ。まさか今更男を紹介してほしいだとかそういうことはないだろう。万が一あったとしても彼氏の親友に位置する秀司の前ではすまい。
「紗耶香の付き添いなんでもう帰ります」
宇田川も福田のその空気を感じ取ってフォローとばかりに口を挟んだ。宇田川の隣の女の機嫌が少し悪くなったようだが、宇田川に男を紹介して友人から責められたくもないし、福田にぎゃあぎゃあ騒がれたくもない。
にこやかに手を振ってどこか清々しい様子で歩き去っていく宇田川の背中を見送ってから、福田と佐野とも別れた。紹介する相手と二人きりで取り残してどうするのだ、と問い詰めたくなるも、その面倒も含めての紅葉狩りの件の罰とやらなのだろう。
それを受け入れて、秀司は残された女を見る。呼び掛けようとして、まだ名前も聞いていないことに気がついた。随分乱暴な紹介に過ぎる。宇田川が呼び掛けていた気もしたが、頭からその名は抜けてしまっている。
暫く彼女を見つめてどうしようか考えたが、やがて適当に呼び掛ければいいや、と結論づけた。
「じゃあ……とりあえず食事行こうか」
笑みを張り付けて今回紹介される女に微笑みかければ、女は面白そうな顔をした。
「あら、あなた私のこと好きになったのね。あんまり趣味じゃないけど付き合ってあげてもいいわよ」
表情からしてどうやら本気で言っているらしい言葉に、秀司が困惑したのは当然のことだったろう。どうしてそんな風に自信満々に言い出すことができるのか。
秀司はぽかんとして状況を再確認した。今何があっただろう。
紹介された、というより体よく押し付けられたといった女に気を使って食事に行こうか、と誘ったら、かなり上から目線で返された。しかも趣味ではないだとか、寧ろこちらから願い下げたい相手だ。
こっちはただの義理で付き合っているだけだというのに、この当たり前だと言わんばかりの対応は何なのか。
何度、どのように考えても自分の対応がおかしいのではなく、目前の女がおかしい。そう結論づいてしまえば秀司の怒りはすぐさま臨界点を超えた。
「はっ? なんでいきなり紹介される女にんなこと言われなくちゃならないんだ」
苛立ってそう口にすれば、なんだか妙に嬉しそうな顔を見せる相手の女。
「ふふ、見え透いた照れ隠しね」
「頼むから会話をしてくれ!」
こちらが目前の女に惚れているのだと信じて疑わない目と、嫌に自信満々な様子の女に、秀司は福田の思惑を悟った。きっとこの面倒な女に男を紹介しろだとか迫られて、ちょうどいいとばかり秀司を押し付けることにしたのに違いない。秀司だってこんな女はいらない。
何が悪かったんだろうな、と秀司は遠い目をした。
尻切れトンボの予感がひしひしとしつつ、ここでおしまいです。
付き合う前から直前までばかり集めたオムニバスでしたが、楽しんで頂けていたら幸い。
うーん、あんまり自分がギャグとかそういうものに向いていないのを再確認させられた気がした作品でした。
よろしければ他の作品も宜しくお願いします。