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男の名前は豊島悟といい、里沙の高校とは違うが近所の高校に通っているのだという。奇しくも年齢もちょうど一緒だった。聞いたところ家も近いが学区が違ったため、一度も会ったことはなかった。街中で何度かすれ違ったことくらいはあったのかもしれないが。
結局悟が購入したのは地域の美味しい料理店をまとめた雑誌だった。それを買ってくるようにと母親に頼まれたらしい。今夜家族で外食をするときに行く店を決めるのに使うのだそうで、助かった、と彼は言った。もう少ししたら家に帰るけれど、まだ時間があるからぶらぶらしていたい、らしい。
悟と里沙がいるのは駅前のデパートのエレベーターの前だ。ちょうどそこに椅子があるから、と二人してぶらりと来てそこに座ったまま話しこんでいる。買い物をする訳でもないのに居座られるのだからデパートからすれば迷惑かもしれないが、金がない高校生としては喫茶店も少し遠慮したいのだ。特に片方は財布を持ち合わせていないのであるし。
先程勢いで話してしまったせいか、我に帰った後も里沙は特別悟に対して話しにくいだとかそういう思いを抱いたりはしなかった。元々内弁慶の気がある里沙だから、初めは借りてきた猫のように大人しいが一度内側に入れてしまえば逆に遠慮はしないのだ。異性が苦手なのはその内弁慶の辺りも関係しているのだろう。
事実、学校の国語教師は若い男性だが遠慮などもうしておらず、友人達と共にラブホテルにしけこんだところを見た、などとからかったこともあるくらいだ。
悟はそれにしても、と口にする。
「河野さんは面白いね」
「何が?」
「何が、って」
くすりと悟が笑う。
「男と話すのが得意じゃないくせにわざわざ自分から関るし、慣れるとなんかすごい被ってた猫脱ぎ棄ててるし? いかにもちゃらそうな恰好してて実際のところはちゃらくないし」
そう口にされて里沙はきょとんとする。それから真っ赤になった。指摘された内容はどちらも自覚があるが、他人に言われれば恥ずかしいのは仕方がない。
「私なんかより豊島君の方がちゃらそう」
悔し紛れに言ってみれば、しかし悟は知っているよ、と笑うばかりだ。
「当たり前じゃん、俺はほんとにちゃらいもん」
開き直られてはそれ以上何も言えなくなってしまう。里沙はぷぅ、と頬を膨らませた。
そこで会話が途切れた。ちょうどタイミングを読んだかのようにぴんぽんぱんぽん、と電子音がしてデパートの店内放送が入る。放送が終わるまでどちらとも言葉を発することが出来ず、会話が再開したのは放送が終わった後だ。
「あー……っと、金いつ返したらいい?」
言われて、里沙はあ、どうしよう、と口にする。勢いで払ってしまったが千円くらいだ。今は千円で昼食くらい食べられるが、大人になればきっと千円など大した金額ではなくなるだろう。となれば、わざわざ返してもらう必要もないかもしれない。ここで縁が切れるのは勿体ないが、自分から次を約束するのもどうかと思うし。
「別にいいよ。助けてもらったお礼も込みってことで」
結局そういう風に口にしてしまう。だが、悟がそれに対して否を口にする。
「いや、また会いたいな、って」
その言葉に里沙の心臓はとくん、と跳ねた。
言われていることはナンパそのものだったが、不思議と里沙は嫌な気がしなかった。それは今までのそれと違い、悟と会話したことで悟という人間を知ったからかもしれない。誰だか分からない人間に迫られるのと、人となりを少し理解した相手に迫られるのとは気持ちが全然違うのだ。
驚いて言葉も出ない里沙だが、その里沙のはやまった鼓動が治まる様子はない。静まれ静まれ、と念じた里沙に、しかし更なる攻撃が悟から落とされることになる。
「実は俺も君のことナンパしようと思って狙ってたんだ」
まぁ、気が付いたらかっこ悪いところ見せちゃってるし、俺の方が連れ回されてるわけなんだけど。何が悪かったんだろ?
本気で首を傾げているらしい悟の言葉に、里沙は目を丸くしてから――とうとう弾けるような笑い声をあげた。その頬は赤く、そうやって笑う里沙は大人びた容姿に似合わず年相応だった。
異性は苦手だが、悟に対しての苦手意識はすっかり払拭されていた。
その後すぐに里沙と悟は別れた。
ナンパにはとても嫌な思い出しかなかったが、今日はナンパのおかげで素敵な出会いが待っていた。ナンパされてよかったかもしれない、と帰り道でそんなことを思いながら、里沙はむー、と唸る。
しかしナンパ自体はやっぱり不愉快だからこれからもされたくないなぁ、などととりとめのない考えを連ねながら、携帯のアドレス帳に登録されたばかりの番号を思い出す。
今からは無理だが夜、そう、悟が家族との外食を終え家に帰って時間が出来た頃にでも、十一桁のその番号に、電話をかけて、次会うのはいつにするか、とそう話をする時を思ったら、里沙の足は不思議と速足になっていた。
ここでナンパの話はおしまいです。




