1.水晶花のかけら
2009年度クリスマスギフト企画に出しそびれた作品。童話のような雰囲気のSFを目指しました。ややフライング気味ですが、時間のある時に投稿しておこうと思い、第一話を上げました。四万字程度の中編になる予定です。
その男は、千年を生きたかのような眼差しを持っていた。
* * *
パ=ロミの山は、竜と竜騎士が最初に降り立った場所だと言われている。はるか昔、人間がこの世界にようやく現れ出した頃。この地には多くの魔物がいた。そうした妖魔たちと戦ってこの地を平和に導いた、半神半人の戦士たち。
ドナの村は山の側にあって、村人はいつも山を見上げていた。
「悪さをすると、竜が山から降りて来て、頭から食べてしまうぞ」
この言葉は、村人が子どもを脅したり、躾けたりする時に良く使われた。
小さな子どもは怯える。しかし、やがて馬鹿にするようになる。大人になると、そんなものはいない、いるはずがないと言うようになる。
竜も、竜騎士も。とうの昔に、物語の中の存在になってしまっているのだ。
イルは山に登ると、水晶花のかけらを探した。もつれた灰色の髪が、うっとおしい。見上げた空では、太陽が傾き始めている。痩せこけた体につぎだらけの服、奇妙な形に歪んだ、くすんだショール。褐色の肌は泥で汚れている。黄褐色のイルの目は、光を浴びて金色になった。夏の季が終わってから、日は次第に短くなってきている。それほど長くはいられないだろう。
イルはドナの村の子どもの一人だ。一括りに『ラッタ』と呼ばれる子どもたちは、みな、村の子どもだった。ラッタは年寄りによって適当な年令まで養育される。とは言え、誰の子どもなのか、わからないわけではない。イルは村長カン・マの十六番目の子どもだった。
十六人も子どもがいれば、長の子どもと言えど、何の期待もされない。しかもイルの父親は四番目の夫で、後ろ楯はないに等しかった。父親であるハイ・コは愛情深い人物ではあったが、数年前に死んでしまい、ぼんやりとした面影ぐらいしか覚えていない。生きていれば、彼がイルを養育したのだろうが。そうして母親であるはずのカン・マは、母と言うより村長としてしか認識できていなかった。イルはほったらかしの状態で育った。イルにとっての家族はラッタの群れの仲間たち、そうして母親と言えるのは、自分の面倒を見てくれた、五つ年上のメルだった。
メルはカン・マの二番目の夫、ザイ・マ・コの血筋の子どもで、二年前に成人し、娘になった。艶やかな褐色の肌、柔らかく渦を巻く白髪に、優しい黄褐色の瞳。娘に変化した途端、彼女はその美しさで評判になり、近隣の村々から、婚約の申し込みが殺到した。
そのメルが、次の花満の月に、婚姻の灯をともし、神々と精霊たちの前で約束の花綱を結ぶ。
「メル姉の為に、一番綺麗な飾りを作るんだから」
イルはつぶやいた。婚姻の相手は、ハイロの村の若者。ロダから遠く離れた村だ。長女を失ったその村の古い血筋の女が、名を継ぐ者として、自分の息子の相手にメルを指名した。次代の家長として迎えたいと。メルはその美しさから、男性に変化したなら、見栄えの良い夫になるだろうと言われていた。娘として二、三年暮らし、それなりの持参金を自分で稼いだ後は、どこかの富裕な女の二番目か三番目の夫に指名されるだろうと思われていたのだ。事実、婚約の申し出は、ほとんどがそのようなものだった。イルと同じく後ろ盾のないメルには、そうした道しかないと思われていた。
そこに降ってわいたかのような、婚姻の申し込み。
これはメルにはとてつもない幸運で、大した出世と言えた。この話を聞いた時、イルは彼女の為に喜んだ。容色を見込まれただけの夫の立場では、容色が衰えれば、捨てられても文句は言えない。自分の父親がそうだったように。けれど、次代家長として迎えられるのであれば。尊重され、大切に扱われるはずだからだ。
だが、ハイロの村は遠い……。
別れれば、もう会えないかもしれない。だからこそ、後悔のないように、自分のできる事で、精一杯祝ってあげたい。
婚姻の花綱を結ぶ花嫁が身につける額飾りは、美しいものでなければならない。強き母たる大地の女神(=リーア)は、戦に臨む時には常に、美しく装った。美しいものは、魔物を遠ざける。青く光る水晶花は、きっと素晴らしい飾りになるだろう。この季節に見つけるのは難しいかもしれないが、メルの為だ。誰よりも美しい飾りを作りたい。そう思っての事だった。
「どうしたの、あんた。怪我?」
水晶花が見つからず、結構上の方まで登ってしまった。薄い空気にふうふう言っていると、石積みのある場所に、男が一人、座り込んでいることに気がついた。
よそ者だ。
着ているものは、ぼろぼろだった。無骨な杖が側に転がっている。近づくと、男の肌の色が薄い事に気がついた。逆に髪は濃い色をしていて黒い。イルもそうだが、この辺りの村人は、大抵が褐色の肌に白や薄黄色の髪をしていた。こんな色の髪や肌を、イルは見た事がなかった。
見た瞬間、ぎょっとして立ちすくんだ。けれど、男があまりにも静かにしているので、不安になった。ひどい怪我でもしているのだろうか?
男はおっくうそうに、目を上げた。その目の色が青く見えて、イルはまばたいた。あり得ない!
羽虫が羽ばたくような小さな音が聞こえた。それから男は、低い声で言った。
「大事ない」
イルはまばたいた。
「何言ってるのよ。おばあちゃんが具合悪い時みたいに、くたびれてるわよ、あんた」
まだ少し怖かったが、相手の様子が気になってそう言った。
「蜜が少しあるの。甘トランペット花のよ。食べたら元気になるわ。あげようか?」
「いや……」
「あげるわ。ほら、食べて!」
強引に差し出すと、男はイルを珍しげに眺めた。
「麓の村の者は、よそ者を嫌う。ちがったか」
「なにそれ」
「村人以外の者と、炉の火を分け合う事はない。それがこの辺りの、土に根付いた村人のありかただ。それとも変わったのか」
イルは顔をしかめた。
「死にそうな人を放っておくような罰当たりはいないわ。それに、じきに祝い事があるのよ。花嫁が嫁ぐ前に、不吉な事は嫌じゃない」
「俺は不吉か」
「死なれると不吉なの! 見てしまったあたしが、穢れになるじゃないの。清めに時間がかかったら、水晶花を見つけても、メルに渡せなくなっちゃう」
男は小さく笑った。
「水晶花。花嫁の飾りか……まだ、続いているのか、その風習は」
「まだって、なによ。当り前でしょ、花嫁に飾りを贈るのは」
「そうか。そうだな。当り前なのだろう」
男はつぶやくように言うと、こちらを見た。
「受け取ろう。パ=ルオ・ミスの娘」
「なに言ってるの? あたしはロダの子どもよ。女になる予定だけれど、娘と呼ばれる歳じゃないわ」
「ロダはパ=ルオ・ミスの血を継ぐ村だ。おまえが知らないだけだよ。娘と呼んだのは……詫びよう」
そう言うと、男は手を差し伸べた。イルは何となく言い負かされたような気分になったが、男のぼろぼろの姿に言葉を飲み込んで、花の蜜を手渡した。琥珀色をした貴重で小さな塊を手にすると、男はしげしげと見つめた。
「どうしたの。食べられない?」
「いや。考えていた。これに似た、水晶花のかけらを持っている娘はいないか」
イルは目をぱちくりとした。
「馬鹿ね、水晶花の色は青か白よ。黄色いかけらなんて、聞いた事もないわ」
「昔、おまえの村の娘が持っていた。誰かに譲ったかと思ったのだが」
「そうなの? 知らないわ。なんて名前の人?」
「ウジョル」
イルは眉をひそめた。
「古い名前ね。今の流行りの名前じゃないわ」
「そうか」
「ひいおばあちゃんなら、何か知ってるかな」
男は一瞬、動きを止めた。ぎくりとしたその動きは、ひどくぎこちなく見えた。
「曾祖母がいるのか」
「あたしの家系は長生きなのよ。カン・マの祖母にしてリュー・マの母、ジョー・マ・コは特に長く生きているの。いつもは眠ってばかりだけど、時々起きて、古い話をしてくれるわ」
「ジョー・マ・コ」
「知らない? この辺りで一番の長生きよ。いくつになるのか、誰も知らないぐらい」
「ジョル、マ・コ」
そう言うと、男は目を閉じた。
「連れ合いの名はわかるか」
「ひいおばあちゃんの? 確か、最後の妻がミュルで、……」
「最初の夫は」
「エ、……エレ、だったかな。エム? 確かそんな名前」
「エムル」
「あ、そう! エムル! エムル・コ! ひいおじいちゃんの名前から、二番目の兄さんの名前もらったって……って、なんであんたが知ってるの」
「何となく」
「そう?」
うさん臭そうな顔をしたが、イルはそれ以上の追求を避けた。
「とにかく、義務は果たしたからね。それ食べて、元気になったらどこか、もう少し過ごしやすい場所に移動して。ここは夜には冷え込むわよ」
「ああ」
男は指先で蜜の塊をつまむと、それを口にした。
「それじゃ」
見届けて、立ち上がろうとしたイルに、「待て」と声をかける。
「この時期に水晶花を見つけるのは、むずかしいのではないか。あれは夏の季の花だ」
「知ってるわ。でも、見つける。メルには必要なの」
「そうか」
男は小さく息をつくと、おっくうそうに首を振った。
「その道を、太陽の昇る方へ行け。一つか二つ、咲いているのを見た」
軽く顎をしゃくる。イルはまばたいてから、笑顔になった。
「ほんと! ありがとう。行ってみる!」
「気をつけて行け」
「うん、ありがとう、ほんとに! あんたにアーベ・クとベダ・ムーの恵みがあるように!」
「アーベとベダ」
つぶやくように言うと、男は目を閉じた。
「天空の子と大地の娘、だったか」
「そうよ。アーベ・クは天空の御子。空に輝き、全ての命に熱を与える太陽を運ぶ、大いなる父ロハイの息子。ベダ・ムーは大地の娘。横たわり、息子や娘を産みだす麗しき母にして猛々しき戦士リーアの娘よ。知ってるでしょう?」
「知っている……知っていた」
男は目を閉じたまま答えた。
「二人と、そして二人から生まれた子どもたちは地を巡り、平和をもたらした」
「竜騎士の話?」
「最初の竜と竜騎士は、その二人だったからな」
イルは男の話し方が、なぜか気になった。
「見てきたように話すのね。あんた、そんなに年寄りなの?」
「年寄りは年寄りだろう。おまえと比べれば」
「あたしはイルよ。おまえじゃないわ」
そうか、とだけ男は答えた。
「ねえ。名乗ったんだから、あんたも名乗りなさいよ」
男はしばらく答えなかった。苛立ったイルが何か言おうとした時、静かに口を開いた。
「エイワン」
「ワン?」
「エイワン」
「レ……エワン?」
「エイワン。言いにくければ、レワンでも良い」
「レワン・ク?」
「いや。エイワン。それだけだ」
「それだけ……? 変な名前」
「そうか」
「男か女か良くわからないじゃない。男なら「ク」の音が入るし、女なら「ム」の音が入るものでしょ。あたしだって、男になるならイル・クになるし、女になるならイル・ムになるのよ。それで子どもが出来たら、「オ」か「ア」の音をもらうの。
メルは女になるのが決まっているから、メル・ムーになるけど。うちの村、古い血筋以外は、一番目はだいたい男になるけど。それ以外はみんな最初、女になるから」
「そうか」
小さく笑うと男は言った。
「俺を「コ」の音をつけて呼びたいと、言ってくれた者は、もういないのだ、パ=ルオ・ミスの子ども。はるかな昔にはいたのだが。だから俺は、ただのエイワンだ。それだけの話だ。
もう行くが良い。日が暮れるのは早いぞ」
男は「子ども」という表現に、村の者が使う「汚らしい餓鬼んちょ」の意味の「ラッタ」ではなく、跡取りである長男や長女にしか使われない、「愛される子ども」の意味の「ビラウ」を使った。メル以外にそんな言葉で呼びかけられた事のなかったイルは、びっくりして息を飲んだ。そうして男を見て、風雨に晒され、厳しく、どこか超然となってしまっている顔の奥に、歳月の重みと、悲しみのようなものがある事に気がついた。
疲れ果てている顔だ。
それでいて、声音には優しさがある。
男の目は、ここではないどこか遠くを見ているかのようだった。自分を見ているようで、見ていない。「コ」の音をつけて呼びたい、というのは、結婚して夫となり、自分の子どもの父親となって欲しいという申し出だ。そういう相手が、この男にはいたのだ。
もういない、というのは。相手に死なれたのだろうか。
巡礼者、の一言が頭に浮かんだ。番いの相手に死なれた者の中で、たまに新しい相手を見つける事をせず、放浪の旅に出る者がいる。彼らは思い出の中に生き、聖地と呼ばれる場所を巡り、やがて旅の中で果てる。炉端語りに聞いた事がある。
この男は、その巡礼者なのだろうか。
「ね、あんた巡礼者? 聖地を巡る旅をしているの?」
イルは声音を和らげて、恐る恐るという風に尋ねた。男はまばたいて、イルを見つめた。
「聖地」
「この山は、竜騎士の聖地でしょ。もう言い伝えぐらいしかないけど」
「聖地……ああ。そうだな。巡っている。竜と、竜騎士の遺した足跡を」
小さく息をついて男が言うと、どこかで妙な音がした。羽虫が飛ぶような音。
「ねえ。それならやっぱり、うちの村においでよ。巡礼者なら大丈夫。旅の話は誰でも聞きたいもの」
随分と、この男はくたびれている。不意にそう思い当たって、イルは言った。男はしかし、首を振った。
「いや。俺はここにいたいのだ……イル」
名前を呼ばれ、イルはどきりとした。
「知っているか。ここは、最初の竜騎士が降り立った場所。最初の竜が眠った地でもある。この石積みは」
男は片手を上げると、もたれている石積みに触れた。
「彼らの記憶を伝えるものだ」
イルの目には、それは崩れかけた、薄汚れた石積みにしか見えなかった。
また、微かにぶんぶんという音がした。何の音だろう。
「意地っ張りね」
「そうだな」
「良いわ。あたし、もう行く。でも、村の人には伝えておくから。何かあったらすぐ村に来るのよ。レワン・ク」
あえて「ク」の音を入れたイルを見て、男は微かに笑った。
「アーベとベダの守りが、ここにはある」
「そう」
「だが、感謝する。イル。ジョル・マ・コとエムル・コの血を継ぐ者。パ=ルオ・ミスの子ども」
「大切な子ども、なんて呼ばれるような大層な者じゃないのよ、あたし。でもありがとう。レワン……エ、エーイ、ワン・ク。恵みと守りがあなたと共にあるように」
自分を尊重してくれた男に何か返したくて、イルはできる限り、男の発音に似せて彼の名を呼んだ。うまく言えない。舌がひっかかる。でも何となく、そうしたかった。それから正式な作法で礼を取った。男の目が小さくきらめき、楽しげに笑うのが見えた。
小さな姿が駆け去るのを見送ってから、男は目を閉じた。
エーイ・ワン
褐色の肌に白い髪、黄色い目のこども。この辺りの村人に共通する色彩。ひどく痩せていてちっぽけで、生きるのに精一杯な姿に見えた。けれどその中にあるたくましい生命力が、その瞳の中にはきらめいていた。
エーイ・ワン
懐かしく聞こえた発音。エーイ、という音は、ウェイや、レイとも聞こえた。発音しにくかったのだろう。
エーイ・ワン……。
エイワン。
まるで違っているのに、なぜか、記憶の中の呼びかけに重なった。思えば長く、人から名を呼ばれた事がなかった。
エイワン。
エイワン。
われらが誇り。アベルの第一の息子よ。
父たるアベル。彼から生まれた者としての名。母たるベルティアは、愛情深かった。区別をつける為だけの名前を、まるで愛称のように優しく呼んだ。エイワン。まるで贖罪のように。
ああ、だが。俺たちにとってその名は、誇りだったのだ、ベルティア。
* * *
巡礼の男が言った通り、進んだ先に水晶花が咲いていた。花が三つついていて、風に揺られ、ちりちりと音を立てている。イルはそっと手を伸ばすと、繊細な花びらが崩れないように注意しながら、花をつんだ。
「良かった……少ないけど、でもこの時期の水晶花だもの。メルも喜んでくれるわ」
見つかって良かった。姉と呼ぶ存在の幸せを祈ると、その思いをこれで形にできる。
「メルが幸せになるように。長く生きて、多くの子どもに囲まれるように」
そっとつぶやくと、イルは持ってきた籠に水晶花を入れた。
「エーイ・ワン」
戻ると、石積みの所に男はまだいて、目を閉じていた。
「戻ったのか……」
「ありがとう、見つけたわ。これであたしの姉に飾りを作ってあげられる」
「そうか」
小さく羽虫の音がした。イルは周囲を見回した。
「どこにいるのかしら」
「なにがだ」
「虫よ。さっきから……あんたの側に来ると、ぶんぶん、小さい音がするの」
男はまた、独特のぎくり、とした動きで体を止めた。
「そうか。虫か」
「今の時期に、こんな高い所で虫が飛んでた事なんてないのに」
「そんな事も、あるだろうさ」
つぶやくように言うと、男はイルに目を向けた。
「日はすぐに落ちるぞ。降りて村に戻れ」
「あんたはどうするの……エーイ・ワン」
「俺はここにいる」
イルはどうしようかという顔をした。こんな場所で一人でいたら、あっと言う間に獣にやられる。それに、まだ夏の季が終わっていないとは言え、夜は冷える。山の上では。
「さっきも言ったけど、うちに来ない? 巡礼者だって、長にあたしが言ってあげるわ。こんな所で夜を明かしたら、朝にはあんた死んでるわよ」
「大丈夫だ」
男はしかし、そう言った。イルは何か言いたげな顔になったが、あきらめて息をついた。
「あたしより旅なれてるものね。でも、危ないと思ったら村に来るのよ。長には言っておく。良いわね?」
それから自分の持ち物を点検して、肩にかけていたひどく不格好なショールを外し、男の肩にかけた。
「これは……?」
「文句言わないでよ。あたしには宝物なんだから。何年もかけてやっと完成させたわ。四番目の夫の子どもで、しかも十六人目だったから、食べ物も服も、自力で何とかしないといけないのよ。これは、野原に落ちてたゴル羊の毛を少しずつ集めて、紡いだ毛糸で編んだの。あたしがもらえる羊の毛の割り当てなんてないから。落ちてたのをくすねるしかなかった……ちょっとずつ、ちょっとずつ、集めて、何とか毛糸になりそうな量になったら、こっそり紡いで。どうにか染めの釜に紛れ込ませて。だから、こんな変なまだら」
それでも誇らしげに、イルは笑った。
「それをあんたに貸してあげる。光栄に思いなさい。時間があったらまた来るわ。その時返して。なくしたりしたら、承知しないわよ」
それまで生きていろ、と。そんな意味を込めて男に言うと、男はまばたき、小さく笑った。
「誇り高きパ=ルオ・ミスの子ども。感謝する」
「だから、ビラウ、なんて大層な言い方はやめてよ。家つきじゃないのよ、あたし」
「おまえは心強く、恵みと守りに愛さ、」
男は言葉を不自然に途中で止め、しばらくしてから続けた。
「れるべき、者」
「恵みと守りって……」
「アーベと、ベダは、恵みと、守りの中に、名を残した」
意味がわからず、イルは首をかしげた。男はかまわず言った。
「おまえたちはみな、パ=ルオ・ミスの子。テーラの子。そして恵みと守りに、愛された者だ」
ルビに苦労した……。