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相棒はカンフー童女  作者: ユーカリの木
きわめて人工的で人間的なあなた
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二章:神はサイコロを振る 4

「弟子がこの家で暮らすのはよかろう。我も歓迎しよう」


 翌日の昼、師を前にしてノアは正座をしていた。絨毯が敷かれていなかったら膝が痛くて根をあげるところだ。


「なに、感謝はいいよ。僕も思うところがあったのさ」


 ノアの横で、ハルキは足を崩し、あまつさえ頬杖をついていた。師の顔が引きつる。


「ほう、まだ我が怒っている理由が分からんとな?」


「まあまあ、お互い様なんじゃない?」


 凛とした声でペルテテーが言った。そんな彼女も隣で正座している。背筋がまっすぐでとても綺麗な姿勢だ。師がどたどたと地団太を踏む。


「我の! とっておきの! どら焼きを食うておいて! その態度はなんぞ! と我は問うておるのだ!」


「ちょうど三個あったんだ。僕とノア、それにペルテテーもね。これは神の天啓に違いないと僕は確信したわけだ」


「意味が分からん!」


 師が頭を掻きむしる。確かに意味が分からない。人のおやつを盗む天啓などあってたまるものか。


「我、我! すごく楽しみにしておったのだぞ! この家、金はある癖に妙に散財にシビアなのだぞ⁉ もっと使わんか!」


 ぬおおおお、とフェンがばたつく。そんな師を前にしてもハルキは穏やかだ。


「自分で買えばいいじゃないか。別にフェンのお金までペルテテーは制限していないはずだけど」


「我の貯金崩したくない! あのゼロがたくさんある口座残高を減らしとうない!」


 ほらみたことか、とハルキがどや顔でノアを見る。


「生活費の共同口座管理者から何かあればどうぞ?」


 ペルテテーに水が向けられる。鬼の女性が師を眺める目は辛辣だ。


「自分で買いなよ。お金あるんだから」


「我がなぜ買い出しに出ていると思っておる! お釣りでへそくりを作るためぞ⁉ この涙ぐましい努力の末に貯まったお金で買ったのがあのどら焼きぞ⁉」


 やり方があまりにもけち臭い。師を庇う理由が一瞬で消え去った。


 はっ、とハルキが鼻で笑った。完全なる嘲笑だった。


「ノア、これが神前の裁判だったらどういう判決を下すのかな?」


「……師が有罪かと」


 その瞬間、師から表情が消え、膝から崩れ落ちる。


「我、ついに罪人になったのか……」


「師よ、罪は償えます。まだやり直せるのです。さあ、更生しましょう?」


「な、なぜだ。我はどら焼きを盗られたのに、なぜ我が罪人になっておるのだ」


「師は余罪が多すぎるのです。罪には罰が必要なのです」


「ぬ、ぬしらとて我のどら焼きを奪った! これは重罪ぞ!」


 師の真に迫った言い分に、ハルキが端的に返した。


「ハチミツレモン」


「うぐっ!」


 師が仰向けに転がり胸を押さえた。


「お釣りの搾取」


「ぬうぅ!」


 ペルテテーの言葉が更に追撃となった。師が身体を弓のようにのけぞらせる。


「師よ、公共物は壊してはいけないのです」


「さ、最近は壊してないもん!」


「ドアを全力で開ければいつかは壊れてしまうのです」


「ふげぇっ!」


 遂に師が床にひれ伏した。完全に動きが止まり、もはや死に体だ。


 その様をしばらく眺めていたハルキが、にっこりと笑顔を深くした。


「さて、実は僕もどら焼きを隠していてね。こういうときに食べたいと思っていたんだ」


「我も食べりゅー!」


 師が一瞬で復活した。この変わり身の早さはなんなのか。なにより、意外とハルキは師に甘い。


「さあ、おやつの時間と行こうか。なに、オライオンが仕事を終えるまでは時間がある。のんびりしよう」


 でも、代表には少し厳しいらしい。


 おやつ~、と鼻歌を奏でる師がリビングの椅子に座った。ペルテテーが飲み物の準備をし、ハルキが自室へ戻って高そうな箱を持ってくる。その時、丁度玄関が開いてオライオンがやって来た。


「……お前らなにやってるんだ?」


「うん? ちょうどおやつタイムだ」


「俺に、仕事、押し付けて、なにやってんだ、って聞いてるんだが?」


 ははは、とハルキが朗らかに笑う。


「昨日の借りだよ。等価交換って素晴らしい原則だとは思わないかい?」


「くっ! こいつに悪戯仕掛けた俺が間違いだったか……!」


「あの本は今度ペルテテーとゆっくり読むさ。ただ、ノアに運ばせたのは感心しないね」


 ハルキの笑顔が妙に怖い。オライオンもなんなら数歩後退していた。


「なんぞ、下品なものでも運ばせたか? それは我も感心できなんだなあ」


 一体私は何を運ばされたのだろう。


「ん、私も経緯はいただけないけど、結果だけは感謝しとくよ」


 ペルテテーは苦笑していた。


「あの、私が運んだ書物は、焚書の類なのでしょうか……?」


「ノア、覚えておくといい。無知は時として人を守る。世の中知らない方がいいこともあるんだ」


「と、問うことは人間らしい、のでは……?」


 ハルキが慈愛の表情を浮かべた。まるでステンドガラスに描かれた天使のようだ。


「人には分相応というものが存在するんだ。知るべきこと、知らないでいるべきこと、人それぞれだ。だから問うことは間違いじゃないけど、あの本の中身という観点でいうなら、ノアはまだ知るべきじゃないね」


「分かりました。また新しい価値観を私は得ることができました」


 やはり世の中は難しい。ひとつの価値観で生きていけるほど甘くはないのだろう。師はなぜか胡乱な目でハルキを見ていた。


「我が弟子の前で妙な理屈をこねくり回すのはやめてもらいたいのだが」


「フェン、どら焼き、いらないの?」


「先刻の言葉は取り下げよう!」


 師が食べ物で操作されていた。きっと、ハルキと敵対してはならない。ノアは深層心理でそれに気が付いた。オライオンが部屋の片隅でしょんぼりしている姿は悲しみに満ちていた。



 ◇◆◇




 ノアにとって、この部屋は奇跡をたくさん詰め込んだ宝箱だ。仕事で疲労したオライオンがソファーでだらけ、師がそれを指先で突いてきゃっきゃと喜んでいる。ハルキとナーガはゲームに熱中しているところだ。


「ノア、これ適当に切っといて」


「お任せ下さい」


 ペルテテーから手渡された野菜をノアは包丁で切っていく。久しぶりの料理だ。家にいた頃はよく作っていた。


「ふふ、結構やるね。うちは料理できる奴があんまりいないから助かるよ」


「家を出るまでは料理を担当していました。私にもぜひ手伝わせてください」


「手つき見れば分かるよ。相当してたみたいだね」


「家に帰っても母が――」


 そこまで言って、唐突にノアは喉から言葉が出なくなった。ん、とペルテテーが肩をゆるりと当ててきた。くすりと鬼の乙女が笑う。


「いいよ。言えるときにいいなよ」


「……はい、ありがとうございます」


「ここにいる奴ら、みんな過去にあれこれあるからね。変に探りはいれないよ」


 暖かい声音が胃の底に滲むようだった。


 バンッ、と唐突にリビングで床を殴る音が響く。背筋がさっと凍る。ペルテテーの目が一瞬にして鬼になった。


「なぜ我は勝てぬのだ!」


 師だった。いつの間にかゲームに参戦していたフェンが、ナーガに負けたのかその場で床を何度も殴っていた。


「フェンはん、ほれ、アメちゃんあげるさかい、その辺にしときぃ?」


「なんぞ、我はもう食物連鎖の底辺でいたくはないのだ!」


「そろそろ止めんと物理的に底辺に沈むでぇ?」


「我を沈める? ほぅ、そんな奴がこの世界に――」


 ふいに、ノアの隣から気配が消えた。瞬きの間に、ペルテテーがフェンの横に佇んでいた。表情は無。凪を思わせる無だった。


「フェン」


 地獄の底が開いた。そんな声だった。


 師の身体がぴくん、とわずかに跳ねる。視線がゆっくりと上がり、ペルテテーと交錯する。


「そ、その……わ、我……」


「家を傷つけるの、やめなさい」


「し、然り!」


「なんて?」


「やめます! もうしません!」


 ぴん、とフェンが一本の棒となる。


「よろしい」


 深々と頷いたペルテテーが、普段の足取りでキッチンへ戻ってくる。ちょっと怖い。


「フェンはああやってしつけるんだよ」


 ペルテテーが優しく笑う。きっと、愛情深い母とはこういうものだとノアは思うことにした。でなければ、隣に立っているだけで足が震えそうだ。


 ふたりで料理を続け、出来上がったものをみんなで食べる。卓を囲む人数が増えるほど、賑やかで世界が広がって視える。


 食事が終われば各々が動きだす。オライオンが片づけを担当し、ハルキはノートPCを睨みながら唸る。師はナーガとのゲーム対戦に夢中だ。勝てる見込みが見つからないが、それでも挑む師は尊いとノアは誇りに思う。


 料理担当組だったペルテテーとノアは、ジュースを入れたグラスを持ちながら、ソファーに座ってのんびりしていた。


「ふぅー、ふぅー、ふしゅぅー!」


 背中を向ける師の鼻息が荒い。


 画面を見れば、師のキャラが画面端に追いやられている。ナーガが上級者の動きで二択を迫り続け、師はことごとく読み負けている。


「な、ナーガよ。そ、それ、そろそろやめんかぇ?」


「なに言うとんねん。遊戯であれ全力を尽くすのが強者の努めやぁ。舐めプで勝ってもうれしないやろぉ?」


「我は勝ちたいのだ! 棒立ち相手に勝ってもうれしいのだ!」


「ちっちゃいなぁ。誇り見せえやぁ」


「勝てば万事が一切解決! さあ第二ラウンド、接待するがよい!」


「えぇー? しゃーないなぁ。あれ、指が勝手に、ああすまんわぁ。指が滑ってもうたぁ」


「ま、待て! 滑って超必殺技を連打するでない! わ、我まだ一回撃てるかも怪しいというのにっ!」


 師の体力ゲージが完全になくなる。


「のおおおお!」


 師が頭を抱えて弓そりになった。ナーガはけらけらと笑っていた。


 見ていて悲しくなるほど、師の尊厳が破壊された瞬間だ。


「聞きたいんだけどさ。フェンって弱いの?」


 ペルテテーが出した言葉が、師をその場で四つん這いにさせた。ナーガが呆れた顔をこちらへ向ける。


「ペルテテーはん……それ、ちょっと容赦なさすぎとちゃうん?」


「え、なんで? 私ゲームやらないから、よく分からないんだよね」


「一度やってみぃやぁ。少しはフェンはんの気持ち、分かるかもしれんでぇ?」


「まあ、別にいいけど」


 ペルテテーがナーガからコントローラを受け取ったその瞬間、ノアは見逃さなかった。床に沈んでいた師の目に邪悪な光が宿ったことに。


 画面の前に座るペルテテー。その隣には、いつの間にか復活していた師。ナーガはノアの左に腰を下ろして口元を緩める。


「どっちが勝つ思う? なかなかおもろいカードやと思うでぇ?」


「できればそろそろ師に勝ってほしいです」


 ふいに、ノートPCを持ったハルキがノアの右隣を陣取った。


「さて、今日この部屋の底辺が決まるね」


「て、底辺ですか……」


「ご覧の通り、あの竜はペルテテーを除いた全員に敗北し続けている。今日までずっとね。そして、ようやくまともに相手になるであろう敵が現れたんだ。きっと必死になるだろうね」


 ハルキがやけに上機嫌で饒舌だ。


「悪い顔してるでぇハルキはん」


「なに、掛けられている苦労の軽い反撃だよ。こんなもの、かわいいものだろう?」


「せやなぁ……」


 ナーガが遠い目をする。師の傍若無人っぷりは天井知らずらしい。


「そゆことね。たぶん覚えた。それじゃ、やろっかフェン」


「うむ、胸を借りるつもりでかかってくるが良い!」


 操作を教えたフェンが、大仰な口調で告げる。ノアにはそれが敗北の前触れにしか見えない。


「さあ、始まるね。ナーガはどう見る?」


「ペルテテーはんの応用力でボコボコにされるに一票やなぁ」


「おや、そうかい? なら僕はフェンに賭けよう」


「大きく張ったなぁ。ハルキはんが大穴狙いなのは知らんかったわぁ」


「ほら、動き出した。さっそくフェンが遠距離攻撃の連打だ。分かりやすく勝ちに来てるね」


「ノアはんのときと一緒やなぁ」


 知らずノアは頷く。自分のときもそうだったのだ。残念ながら、フェンは途中で失敗し、こちらから距離をつめてボコボコ――もとい、そこそこいい勝負をして勝ったのだ。


「ああ、ペルテテーが苛立ってる。操作がおぼつかないせいだ。フェンも練度が上がったかな? コマンド入力に失敗がない。練習の成果がこれとは、せこいね」


「おぉ? フェンはんが一ラウンド目勝ったでぇ? 初心者相手にあの喜びようはヤバイやろぉ。吠えとるでぇ?」


「さて、次はどうなるかな?」


「ペルテテーはん、背中から殺気漏れすぎやぁ。正面立ったら、わいちびるでぇ」


「また遠距離攻撃だ。でもいまのペルテテーに刺さるかな?」


「……刺さっとるでぇ。理不尽なまでに」


「お、ペルテテーが超必殺技を撃ったね。外れたけど」


「叫んどるでぇ? 逆にフェンはんが奇跡のタイミングで撃って当たっとるわぁ」


「あ、フェンが勝った」


 ひゃっふ――! とフェンが拳を突き上げ飛び跳ねる。


「我、ついに最弱から抜け出したぞ! 我は最弱にあらず!」


 うほ、うほ、とその場で踊りはじめる師を眺め、ノアは涙がほろりと流れる気がした。流れはしなかったが。



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