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相棒はカンフー童女  作者: ユーカリの木
歌姫はキャンディサーカス
60/70

終章:人間の運命は人間の手中にある

 新たな拠点。東セクター高層マンションの一室。6LDKの間取り。専用の自室のベッドに寝ころび、ハルキは惰眠とスマホでのネットサーフィンを交互に行っていた。


 キャンディサーカスのライブハウスは、売却される寸前だった。ウロボロス商会が融資の引き上げを突きつけてきたからだ。


 しかし、事態を知った住民が立ち上がった。マフィアであるナンダの資金調達のため、クラウドファンディングを立ち上げたのだ。一瞬にして大金が入り、キャンディサーカスは維持が可能となった。ディアナはいまも隔週でライブを行っている。


 くわっ、と欠伸をしつつSNSを眺める。トレンドにはディアナの名前が上がっていた。SNSのユーザらをして無残な告白と銘打たれたあの動画は、相当数視聴されたらしい。いまではあの無残な歌姫は歌番組だけでなく、バラエティにも引っ張りだこだ。毎回あの告白を弄られている。


 ハルキも定期的にあの動画を見ている。何度見ても残念で笑えるのは天性のなせる業だろう。はいディアナですぅは最高だ。


 ここん、とノック音。ふぁ~い、とハルキが返事をすると、ゆっくりと開けられた。


「すまへんなぁ、ちょっと退避させてぇやぁ」


 全身で疲労感を発するナーガだ。Tシャツの首元には白い鱗が見え隠れしている。どうやら彼は、蛇の亜人らしい。以前見せてもらったが、舌も長く、先端は二股になっている。それ以外は人族とさして変わりない。


「どうしたんだい?」


「フェンはんの組み手に付き合わされてなぁ。魔力全開した竜種を相手にさせられながら部屋を傷つけへんよう立ち回るって疲れるわぁ。死ぬでほんまぁ」


「おかしいな、フェンには頑丈なサンドバッグを与えたんだけど」


「これ内緒やでぇ? 初日に壊してもうたってぇ。翌日に泣きつかれたわぁ」


 あの竜許すまじ。


「一度徹底的に潰していいよ」


「いやいや、無理やて。部屋の中で得物振り回したら壁傷つけてまうかもしれへんやろぉ?」


「大丈夫、フェンはお金持ってるんだ。全部フェンに請求すればいいよ」


「あんた鬼やなぁ……」


「最近新居絡みでずっとバタバタしてたからね、きっと奈落が恋しいんだよ。いっそ奈落に置いてきてもいいよ」


「悪魔かあんた……」


「おかしいな、ナーガなら僕の苦労を分かってもらえると思ったんだけど」


 ナーガが一度瞑目し、疲れたように頷いた。


「すまへんなぁ。ハルキはんが正しいわぁ。一緒にフェンはんと買い物行ったとき、電柱破壊を何度止めたことか。事前に聞いてなかったら十本は壊れとったわ」


「ちなみに、どんな理由だった?」


「限定モンブランのときは、嬉しくてドロップキックしてたわぁ。あれはギリギリやったぁ。腹で受け止めたでぇ。痛かったわぁ」


「うん、ありがとう。でももう聞きたくなくなったよ」


 今度からフェンの買い物の付き添いはナーガにしよう。そうすれば公共物の破壊は可能な限り防げる。胃痛も回避できる。いいことずくめだ。


「ハルキはん、どうやってあの竜制御しとったん?」


「……できてたら苦労してないんだよなぁ」


「……せやな」


 その時、ばごん、と扉が開いた。頭が痛くなった。入居してまだ一週間も経ってないのに……!


「ナーガ! 相手しておくれ!」


 ナーガはもう笑っていた。これはきっと、諦めを通り越してなにかに到達したのだ。ハルキはまだその域には至っていない。行きたくもない。


「はいはい、いま行きますよってぇ。じゃあハルキはん、またあとでなぁ~」


 フェンに腕を掴まれたナーガがとぼとぼと部屋を出ていく。再び部屋に安息が戻ってきた。


 久しぶりに読書でもしようか。いま頭が文学という教養を求めている。ハルキはベッドからのそのそと這い出し、本棚に目を向ける。ほとんどが漫画で、小説が申し訳なさそうに片隅で存在感を消している。文学作品など一冊もない。


 ふむ、知的好奇心を揺さぶられているが、本棚にないのならば仕方ない。娯楽で時間を潰すとしよう。


 何も考えず雑誌を引っ張り出してベッドにもぐりこむ。適当に開いて、頭の中身がすべて吹っ飛んだ。


 女の人がなにやらポーズを取っている。それはいい。問題は肌面積だ。ほとんど肌色だ。あらやだ、いやらしい。


 ぱしん、と雑誌を閉じる。犯人はどうせオライオンだろう。あの野郎、さりげなくこんないやらしい雑誌を仕込むとは。さては、部屋がディアナと共有になったからこっちに色々隠しているのではあるまいか。


 とりあえず雑誌をほっぽり投げて本棚を隅々まで観察する。すると出てくるわ出てくるわ、雑誌だけじゃない、漫画もさりげなく増えているではないか。あのエロ魔人め。許すべからず。


 ふむ、とハルキは立ち上がって考える。とても深く思考する。


 頭が答えを弾き出す。弄るネタにしよう。いつかディアナの前で暴いてやる。きっと慌てふためくオライオンを見られるだろう。爽快だ。


 ちょっとペルテテーと雑誌の女性が重なったのは気のせいだ。忘れてしまおう。


 こんこん、とノック音。


「はいはいどうぞー」


 気分よく答える。ゆっくりと開かれた扉からペルテテーが入ってくる。


「コーヒーできたよ。飲む?」


「ありがとう、いただくよ」


 ペルテテーがマグカップを二つ持って椅子に座る。小さなテーブルにマグカップを置いて、視線が床に落ちる。


「ハルキが雑誌なんて珍しいね」


 ペルテテーがしゃがみ込んで雑誌を取り、再度椅子に座ってぱらぱらと頁をめくる。


 あれ、これはマズい状況ではなかろうか。


 ぱたん、とペルテテーが雑誌を閉じてテーブルの上に置いた。鬼の乙女が少し頬を赤らめ、ハルキを見る。


「こういうの、興味あるの?」


 これは半端な答えは許されない。ハルキの直観がそう言っている。こほん、と咳ばらいをひとつして、ペルテテーの対面に座った。


 ペルテテーが熱い視線でこちらを見ている。何を考えているか推察できない。


「まずは前提を伝えておくよ。これは僕のじゃない。たぶんオライオンのものだろうけど、まあそれは置いておくよ。さっき中身を見た。やらしいなって思って閉じた。で、いままで本棚に隠されてるそういった本を探し出してたくさんあるのを発見した。以上だ」


「うん」


 いまのでは答えにならないらしい。当然だ。


「……分からない。でも、そのさ……できれば引かないで聞いてほしいんだけど」


「うん」


「フェンとディアナがデートした日、あるよね? 僕がついていった」


「うん」


「あの日、僕がディアナを見て思ったのが……」


「うん」


 もっと他になにか言ってほしい。「うん」の弾丸が心臓を的確に撃ち抜いていく。でも、いま言わなければいつまでも伝えられない。


「……ペルテテーのその、身体というか、その、ね、それを想像しました。はい」


 ペルテテーが黙る。沈黙がつらい。心臓が無駄にうるさい。さっき撃ち抜かれたばかりだろう、黙っていてほしい。


 急にくすくすとペルテテーが笑った。


「なんか、安心した。ハルキにもちゃんとそういう欲求があるんだね」


「やらしいのはよく分からないんだよ。たぶんその雑誌、全部読んだらショックで気絶するよ、間違いない」


「もしかして、一緒に寝るとまずかったりする?」


「服を着ていてくれれば大丈夫だよ。ペルテテーの腕の中は安心できる。だけど露出が多いのは、少し僕の目には刺激が強い」


「そっか。女の人の裸は見たい?」


「正直見たいよ。でもペルテテー以外は興味ないんだ」


「うん、ありがと。そう言ってくれる男がいて私は幸せだよ」


「あのさ、ひとつ、ひとつだけ言いたいことがあるんだ」


「うん? なにかな?」


 動画を見て笑ったけど、ようやく分かったのだ。だいぶ遠回りをしてしまったけれど、自分の感情にやっと名前がついた。だから一番最初に伝えたかった。


「ペルテテー、大好きだ」


 ペルテテーが目を一瞬だけ見開いて、柔らかく微笑んだ。


「うん、知ってた。私もハルキが大好き」




 ◇◆◇




 世界は星の塊でできている。見渡せばどこも眩しいくらいにきらきらと輝いていて、心がウキウキする。


 恋するディアナは今日も全開だ。たとえラジオで無残告白を弄られようが、たとえバラエティで無残告白の再現をさせられようが、世界は星の塊でできているのである。ちょっと勘弁してほしい。


 南セクターでの収録を終え、ルカの運転で移動する。今日はもう残りはオフだ。あの6LDKに帰ってイチャイチャするのだ。それはきっと、とても楽しい。


 南セクターは妖精エルフ種が多い。別名耳長族と呼ばれるだけあって、男女問わず美形の人たちの耳は異様に長い。商業区画はビルが多いが、そこを抜ければ木製の建造物が多くなる。電柱にはためく旗にはルミナス工房と書かれている。


 太陽はまだ降り始めたばかり。時間はたくさんある。恋人同士の時は多ければ多いほど良い。


「ディアナさん、明日はオフです。しっかり身体を休めてくださいね」


「もちろんや! イチャイチャしまくるで! 明日は布団から出ん!」


「マネージャーにトンデモ発言するのやめてくれませんかねぇ⁉」


「赤ちゃん出来てしもうたら堪忍な? うち、がんばるねん」


「身内のそういうの聞きたくないですよ! あぁ、もう、産休準備始めないといけないのか!」


「だいじょぶだいじょぶ、きっと可愛いで~?」


「そっちの心配してんじゃねぇんですよこっちは!」


「あ、そや、赤ちゃんグッズ買わんと! ルカ、帰りに寄ってもらってええ?」


「まず事実を認識してください! あなたは妊娠すらしていません!」


「いややわぁ、分かっとるさかい。まずはオムツやろ?」


「……オライオンさん、あなたにすべてを託します」


 嬉しくなってスマホで赤ちゃんに必要なものを探す。これはなかなか、可愛い服がたくさんだ。溺愛してしまう。ああ、泣く赤ちゃんにハルキがおたおたする姿が目に浮かぶ。ペルテテーとフェンはきっと慣れている。オライオンとナーガはそつなくこなしそうだ。


 妄想にふけっていたら、6LDKのマンションに車が横付けしていた。


「あの、さっさと帰ってくれません? もう五分くらいぼけーっとしてるんですが」


「あぁ、堪忍なぁ。ちょっと未来予想図を描いててん」


「内容は言わなくていいんでさっさと車から出てください」


「ああん、マネージャーがいじめるわぁ」


 うぅうぅ、と泣き真似をする。


「あ、そういうのいいんで。さっさと帰ってください」


「は~い、おつかれさまぁ~」


 バッグを掴んで車を出る。マンションのロビーに入り、エレベータに乗る。期待で胸が躍る。扉が開き、部屋までダッシュ。玄関に入って叫ぶ。


「オライオン! 赤ちゃん作ろうかぁ!」


 にこにこしながらリビングへ向かう。テーブルには五人が揃っていた。そして、全員が固まっていた。


「え、みんなどうしたん? 石像ごっこでもしとるん?」


 一番先に動き出したのはナーガだった。長身を丸めてのそりと立ち上がる。


「あ、わい用事思い出したわぁ。食材買いにいかなあかんかったわぁ。今日はわいが作るさかい、楽しみにしといてやぁ」


「我よりも強い奴に会いにいっとくる」


 とててて、とフェンが目にもとまらぬ速さでリビングから消えた。


「ハルキ、ここにいたらあなたの精神が保たない。私の部屋にいこ?」


 ペルテテーが放心したハルキを連れて部屋に引きこもった。


 妙な静寂。リビングにはディアナとオライオンしかいない。


「あれま、みんないなくなってしもうた。どうしたんやろ?」


 ばん、とテーブルを叩いたオライオンが立ち上がる。


「うわ、びっくりした。なんやねん急に?」


「こっちがびっくりするわ! なんで公開子作り宣言してんだ⁉」


「え? 恋人同士ならするやろ普通?」


 うぉぉぉ、とオライオンが頭をガシガシする。格好いい髪型が滅茶苦茶だ。それでも男前。素敵。この人が彼氏なんやなぁ。幸せや。


 すぅ、とオライオンから表情が抜け落ちた。大股で近づいてくる。


「え、なんや?」


 眼前で止まったオライオンが、ふっ、と大人の笑みをたたえ、顔を近づけてきた。


「え、ちょ、まさか、ちゅーするんか? いま? ここで?」


 わ、わ、わ、と頭がパニックになる。


 吐息が触れあう距離。思わず目をぎゅっとつむった。感触はまだ来ない。ふと、耳元でオライオンが囁く。


「無茶苦茶にしてやろうか?」


 ぷすん、と頭から湯気が出た。膝がかくんと落ちるところをオライオンに抱き留められる。彼は非常に残念そうな表情をしていた。


「分かったか? お前に子作りは十年早い」


「はいぃ」


「部屋に来い。今日から情操教育をたっぷりしてやる!」


「あぅぅー……」


 引きずられる形でオライオンの部屋にディアナは放り込まれた。




 ◇◆◇




 クリスタルラインの用心棒である景久は、高層マンションを見下ろせるビルの屋上の縁に片膝を立てて座っていた。右腕に抱くのは魔杖刀《朧月》だ。自国の最上大業物の刀匠が手ずから打った、珠玉の一振りだった。


 狼のベスティアである景久の視線の先には、オライオンがディアナへ説教している姿が窓越しに映っている。この街でも最強格の武人は、魔力を扱えばこの距離程度ならすべてを見渡せる。


「いまはうたかたの夢。泡沫と消えゆくか、満願成就となるかは、お前次第よ」


 景久は子を持っていない。国に裏切られ、国から逃げ、その果てにたどり着いた場所がケイオスシティだ。彼が信頼するのは己の腕と愛刀のみ。それだけだった。


 やがて、景久は当たり前のように裏社会に染まった。伝手もなく、金もない者にとって、この街は裏の面を映し出す。人に逢うては人を斬り、両手を血に染め続けた。人殺しは慣れていた。だが、いままで殺してきた相手は謀反ものだった。


 国が標的を設定し、実行する。それでも景久は国を守ることに誇りを持っていた。それがマフィアの用心棒となり、ただ邪魔だという理由で人を殺していた。


 転機は意外な形で訪れた。噂がクリスタルラインにまで届き、用心棒になってくれと言われた。無駄に人を殺さなくてよい、暗殺者を払ってくれればよいと。景久はこれに頷いた。なにかを守ることこそが本懐だったからだ。


 そして、現CEOの息子であるアッシュを鍛えることになった。景久は子どもを持たない。だから、アッシュが息子も同然だった。種族は違えど、この絆はきっと絶えることがないのだと、心のどこかで信じていた。


 アッシュは正義感が強かった。奈落を拡大させる小奈落の数、これを減らすべく剣に打ち込む。魔法の才もあった。恐ろしいまでの自己強化の魔法は、景久ですら舌を巻いたほどだ。いつかその夢が叶えばいい、そう思えた。


 だからこそ、あの日、アッシュがクリスタルラインの暗部に気づいてしまったあのとき、景久は彼の暴挙を見逃した。CEOへの報告すらしなかった。


 あの事件で景久の動きはすべて独断だった。アッシュに期待した。すべての悪を斬り払えるものならば見てみたかった。同時に、それがクリスタルラインの逆鱗に触れることも理解していた。それでもなお、景久は弟子の行動を見守った。最後の最後まで手だけは出すまいと誓って。


 弟子は友を作った。あの日まで、アッシュは誠の友と呼べる者はいなかった。クリスタルラインの御曹司という肩書が彼の素顔を他人から隠した。地位ある者の宿命だ。寄り付くものは多くとも、実際は彼の姿を真正面から見たものはいまい。それが、あのハルキとフェンが破った。


 夢のようだった。


 その友が殺されんとした寸前、景久は動いた。動いてしまった。死を覚悟してなお、友の秘密を守ろうとする暗殺者を止めねばならぬ。先に来るであろう弟子の泣き顔を見たくなかった。動いた理由など、所詮はそんなものだ。


 CEOにも気づかれていた。アッシュの絶縁が正式に決まり、景久は異を唱えることもなかった。結局、クリスタルラインの血筋ではない、赤の他人だったからだ。


 あの家はまだアッシュを危険視している。かつて用心棒を付けて可愛がっていたであろう息子を敵視している。血族経営であろうが、ユニオン序列一位の前では親族すら敵になる。


 景久は清濁を併せ持つ。正しいだけでは世は救われない。正義で世界は回らない。


 すとん、と背後に何かが降り立つ音がした。気配に覚えがあるから、景久は鯉口を切ることはおろか、振り返ることすらしない。


「景久はん、なにやっとるんですかぁ?」


「ナーガか。久しいな」


「あんな剣呑な視線を分かりやすぅ送っといて何言うてますのぉ」


 景久は煙管を取り出し口に咥える。刻みたばこを詰めて、マッチで火をつけた。


「なに、アッシュの仲間になったのだろう? 少し話をしたくてな」


「ああ、景久はんの弟子やったなぁ。ええ男やよぉ」


「そうか、様子はどうだ?」


「毎日楽しそうやでぇ? まあ恋人はんに手を焼いとるみたいですけどぉ」


「馬鹿が……女に狂ってもらっては困る」


「あぁ、そこは大丈夫かとぉ。ちゃんと制御してはりますよぉ……って、景久はん、いつからおとんになっとるんですかぁ」


 景久は応えず、煙管をふかした。


「俺はクリスタルラインの用心棒だ。あやつらが明確に刃を向けるようであれば斬る」


「景久はんは相変わらずですなぁ。義理の人やぁ。わいは白虎製薬の用心棒でしたけど、もう辞めましたよぉ。いまはハルキはんとこに就職、というより居候しとりますぅ」


「……食い扶持くらい自分で探せ」


「ひとりで奈落潜るの結構きついやないですかぁ。この街で誰かと組むなんて、恐ろしゅうてできへん。ハルキはんから手を伸ばされなかったら、わいの垂れ死んでましたわぁ」


 この街の闇は深い。生きるためには合法非合法、どちらも必要だ。片方だけでは生きていけない。刀の銘である朧月夜のように。


 羽織が風にはためく。


「ナーガ。気をつけよ」


「わぁっとります」


「クリスタルライン、アルゴリズムダンス、白虎製薬、ユニオン序列一位五社の内、既に三社の間合いに入った。動き次第では取られるぞ?」


「はは、きっとシュタインバウにルミナス工房まで相手取りますよ、あの人らぁ」


 景久が狼の口で快活に笑った。


「死地へ飛び込むか。無謀よな」


「楽しそうですねぇ? 弟子の心配しとったんやないんです?」


「俺は剣しか取り得のない阿呆だ。死に場所を探す亡霊のようなものよ。それがなんだ、ユニオンを相手にするだと? 羨ましいことこの上ない」


「景久はんもこっちに来たらどうですぅ? なかなか楽しいですよぉ?」


「阿呆、俺には俺の役目がある。無茶と無謀は若者の専売特許よ」


 景久は義理の男だ。底辺で這いずっていた己を救い出したクリスタルラインは裏切れない。弟子を持ち、巣立つ瞬間を見届けた。もう、夢に縋る歳ではなくなってしまった。


 煙管から伸びるはずの煙は、風でどこかへ行ってしまう。こんな場所では、煙を眺める楽しみすら叶わない。空に近いはずのこの場所は、景久にとっては生きづらい。




 了





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