三章:光は明るいほど、影は暗くなる 2
なんて日だ。最悪な日だ。落とそうと思ったら即落とされた。恥ずかしくて、穴があったらオライオンをぶち込みたい。
高級ホテルの喫茶店の個室。なぜホテル。なぜ喫茶店。どうして個室。この男、勢いでそのまま部屋へ直行する気か。どんと来い。その腕へし折ってやる。
店員がコーヒーを持ってくる。オライオンが礼をいい、店員が軽く頭を下げて個室から出る。彼は少しだけカップを眺め、ほっと息をついた。
視線を感じる。絶対この男、第三の目を持ってる。きっとそれで舐めまわすように見てひとり悦に浸っているのだ。なんてやらしい。こっちも脱がしたろうか。
オライオンがテーブルの上に手を置き、こつん、と指で叩いた。
「先に、少し話をしていいか?」
こくん、とディアナは頷く。まだ言語野が回復していない。対話は無理だ。
「ハルキやフェンにも伝えてない話だ」
ほう、ペルテテーには話したのか。つまり、二番の女ということだ。なんて罪な男。
「ペルテテーに変な邪推は向けるなよ? 俺が勝手にした話だ。別に彼女となにかあるってわけじゃない」
この男、やはり紳士だ。一瞬だけ嫉妬を向けてしまったペルテテーに脳内で謝る。
どうやらこの男を見誤っていたらしい。いい男だ。さすが自分が惚れた男だけはある。男を見る目が保証された。
「先月の話だ。ルヴェインの訴訟事件は知ってるか?」
「あ~確か労働者を働かせすぎてぎょうさん死なせたとかっちゅーやつ?」
「端的に言う。あれな、家が主導した計画だ。クリスタルラインがな」
思考に空白が滑り込んだ。
「どゆこと?」
「クリスタルラインはある悩みを抱えていた。マナ結晶の供給が不安定って話だ。そこである計画が立ち上がった。ないのなら、人工的に高純度マナ結晶を作ればいい、そういう計画だ」
こつん、とオライオンがカップを指で弾く。
「奈落探索者にとっちゃ常識だが、一応前提を教えておく。マナ結晶ってのは奈落内に存在する白い霧――マナが結晶化したものだ。低純度ならそこらに転がってるし、中純度ならアヴェスターの核になってる。高純度以上は特別個体からって感じにな」
こつん。
「アヴェスターってのは、まあ奈落内に存在する化物みたいなもんだ。マナ結晶が長期間に渡ってマナに干渉され続けて生まれる。あと、生きた生物が浸蝕レベル四に達してもなる。だから俺たちはそうならないよう、奈落に入る前に抗マナ侵食剤を飲むし、浸蝕が始まったらマナ除剤を打つ」
こつん。
「こうして生まれたアヴェスターはマナに干渉され続け、やがてカテゴリーが上がっていく。カテゴリー四になったものは、特別個体と呼ばれててな、独自に空間を生み出すんだ。これを小奈落っていってな、たとえば死体の世界だったり、夜空の世界だったりとまあ、いろんな種類がある」
こつん。
「まああれだ、特別個体は高純度のマナ結晶を内に抱えてる。質量にもよるが、大体がいまの相場で五千万を軽く超える。奈落探索者にとっちゃ夢のある話だ」
こん。
「で、ひとつ問題がある。死体はアヴェスターにならない。どうにもマナってやつは人の思考に惹かれるらしい。だから死体でアヴェスターは作れない。死体に思考はないからな」
こん。
「ならどうするか。生きた人間を奈落に閉じ込めて無理やりアヴェスターを作るか? それは面倒だ。管理コストが掛かる。で、どこぞの研究所がアホみたいな研究結果を弾き出した」
こん。
「大量の死体で埋めればアヴェスターは生まれる。マナは死後の無念を保持する。それが大量に滞留すれば、死体を媒介にしてアヴェスターは生まれ得る」
ことん、とカップが倒れる。中身のコーヒーがテーブルの上に広がる。オライオンは光のない瞳で眺めていた。
「こうして、先月特別個体が発生した。クリスタルラインが図面を引き、ルヴェインが実行し、人類が初めて作った人工の怪物」
オライオンの指がコーヒーに触れる。
「ある馬鹿な男がいた。クリスタルラインの長男坊だったそいつは、正義の味方に憧れていた。小さい頃から武芸者に師事し、奈落の化物を狩って、この街にある不安を取り除こうっていうアホみたいな夢を抱いた奴がいた」
指がテーブルの上を滑る。
「そいつはある日、その計画を知った。馬鹿なそいつは直接現地に駆け付けた。そんなことがあるはずがないと願って奈落に入り、死体置き場を見つけた」
指が止まる。オライオンの指が、かすかに震えていた。
「おびただしい死体の量。一面の血の海。その中心には化物が生まれていた」
オライオンが拳を握る。
「そいつは化物と戦い、負けた。記憶を消され、ハルキとフェンに助けられ、ペルテテーと仲間になって、四人でそいつを倒した。そして、ルヴェインに命を狙われる羽目になった――」
「もうやめい!」
オライオンがディアナを見る。深い、深い海の底のような目をしていた。
「これがお前が惚れた男の正体だ。いまのいままで、命の恩人に真実すら語れない、愚かで醜い男のなれの果てが俺だ」
「だから、やめい言うとるやろ!」
ばん、とディアナはテーブルを叩きつけて立ち上がる。
「返事、聞きたかったんだろ? 俺の口から聞きたいか?」
「うるさい、黙りや!」
叫んだ。胸が熱くておかしくなりそうだ。オライオンは口を閉じる。無言のまま見つめていた。
「さっきからペラペラと語りおって。内容が全然おもろないねん! おどれ話にはきっちりオチつけんと笑われへんって教わらんかったんか?」
肩で息をする。頭はもうきっと茹っている。
「なんやねんおどれ、神様にでもなったつもりか? 人を救う? アホか! 人を上から見下ろすなや!」
髪をぐしゃぐしゃにする。これほど苛立ったのは初めてだ。ディアナはオライオンを指差す。
「いいか、その腐った耳かっぽじってよぉ聞きぃや!」
すぅ、と息を吸った。
「それでもあんたが好きや! 悪いかボケ!」
「……なんで」
「知るかアホぉ! うちはちょっと影があって男前で、仲間と笑い合って思いやりのある、でもちょっと抜けた男が好きなだけや! 後悔するならこんな女に出会った運命を呪えやボケぇ!」
静寂。
言った。言い切った。たぶん、人類史で最低最悪の告白をいま、やってしまった。
突然、オライオンが喉を鳴らして笑った。バシバシとテーブルを叩く。初めて見た、彼のこんな姿。
「まったく、どいつもこいつも俺の急所を的確につきやがる。なんだこれ、運命が俺に味方してるだろ。最高だな」
オライオンの調子が戻ったことが嬉しくて、ディアナは胸を張った。
「せ、せやろ? うちは幸運の女神やねん。全部計画通りや!」
「おう、計画か。そりゃ是非聞きたい。どんな計画をたてたんだ?」
口端に笑みを浮かべたオライオンが問う。はん、とディアナは鼻で笑う。
「そんなに聞きたいなら教えたるわ。まず服装や、よう見てみぃ? スマートな大人の女や」
「そうだな、確かに今日は落ち着いた見た目だ」
「せやろ? はしたない女思われとぅなくてな。で、あとは攻めや。言葉でフルボッコにしてうちに惚れさす。完璧や。見事にハマった。うちの才能が凄すぎて恐ろしいわぁ」
やっぱ恋愛マスターや、と完全にディアナは己惚れる。
「彼氏いない歴年齢なのにか?」
ぐさりと、胸に痛いものが刺さった。
「なっ、あ……」
オライオンと視線が合う。とてもいい笑顔で彼が言った。
「良かったな。今日はじめて彼氏ができたな。自慢できるぞ?」
「せ、せや! うち初めて彼氏できてん! ってあんたじゃボケぇ! なに他人事で言ってんねん!」
オライオンが笑っている。腹を抱えて笑っている。こいつほんまに腹立つ。海に沈めたい。いや、ここはホテルだからベッドに叩きつけてやりたい。
なんでやねん。もっとピュアな恋愛がしたいねん。
「なあ、俺たちはもう恋人ってやつだ。ひとつ聞いていいか?」
「なんやもう、これ以上はからかわんで欲しいんやけど」
「ライブでなんでキャンディなんて配ってるんだ?」
「うん? キャンディ? なんやそれ、うちの箱そんなダジャレ染みたことやっとるん?」
「あ……なるほど、そういうことか。なあディアナ、お前んところ――」
オライオンの胸で赤が迸った。彼が目を見開く。顔に鉄臭い液体が散った。
「……はぁ?」
オライオンが床に倒れる。ぽとぽとと血が散っていく。血痕が入口に続いていく。
ディアナは反射的にオライオンへ駆けつけた。どうすればよいのか分からず、傷口を思い切り手で押さえた。ぬるり、と手のひらに絶望の感触が広がる。
「だ、だれか、誰か来てや! きゅう、救急車や! だれか救急車呼んでや!」
ドアの開閉音。ここには誰もいない。




