二章:楽園は我々一人ひとりの内にある 9
ゆったりとした時間。鍋がコトコトと立てる音。夕食の素朴な香り。オライオンとフェンがゲームで対戦し、ペルテテーが料理をしている。ハルキはそれをぼけーと眺める。実に優雅な時間だ。
「これ、オライオン、画面、画面端はやめっ! はまっとる、はまっとるから!」
「フェン、勝負はいつも残酷なんだ。恨むなら追いやられた自身を恨むんだな」
「のおおおお!」
フェンが四つん這いになった。
「我、我、CPUに勝ったのに! オライオンに勝てなんだ……」
過去ハルキに十連敗したフェンが、ゲーム好きのオライオンに勝てるわけがない。弱肉強食の摂理をゲームで再確認してほしい。
「の、のうペルテテーよ。我とゲームしてみんか? 優しくすると誓おう!」
「いま夕飯作ってるからオライオンにボコされな」
「あうぅー……」
フェンが半泣きでコントローラを握る。再び開始されるワンサイドゲーム。一分も経たずオライオンが勝つ。ゲームの摂理を存分に味わった竜が両手で頭を抱えながらのけぞる。
「我、この家で最弱!」
「敗北を知ったなフェン。弱さを知った者は強くなれる。だからさあ、もっとボコさせろ」
「は、ハルキぃー……」
最弱の竜が涙目でこちらを見てきた。ハルキはとてもいい気分で笑顔で返した。
「ん? また僕にボコられたいの? やろうか?」
「我に味方なし!」
フェンが悔しそうに叫ぶ。それでもコントローラは離さない。食物連鎖の底辺にまで落ちても、竜は闘争を追い求めるのだ。
三十分が経った。
「うお~ん!」
フェンは全身で泣いていた。己が無力を嘆いていた。
フェンはコントローラを手放した。ついに底辺であることを認めたのだ。なんという無常。やはりこの街は悲しみで満ちている。
ふたりの後ろで呆れ顔のペルテテーが腰に手を当てて佇んでいた。
「ごはんできたよ」
「食べりゅ~!」
一瞬でフェンが復活した。とてててて、と自分の席に付いてフォークを握る。切り替えが早すぎる。
オライオンがゆったりと立ち上がる。勝者の風格だ。だが、その表情には影が滲んでいる。そうとも、強者には強者の悲しみがあるのだ。
「圧倒的な強さとは理不尽だな。強者の孤独を感じるよ」
「ゲームごときで何言ってんのさ」
「ちょっとは勝利に浸らせてくれよー」
情けない声を出しながらオライオンも食卓に着く。ハルキも続こうか、というところで玄関が開く音が届く。夕食時に開くとはディアナに違いない。ペルテテーの食事目当てで来るとは、歌姫も堕ちたものだ。
「ちょ、おとん! ほんとに入るん? ちょっと待ってや、せめて先に話を――」
「なんだなんだ、ディアナの友達なら俺も会いたいぞ! おおっ、これはなんという暖かな食事の匂い!」
「ちょ、おとん待ってぇや!」
ででん、とリビングの入口にでかいクマが現れた。黒い体毛に覆われた顔、右目には縦に引かれた傷跡。オーバーオールに白のTシャツ。
「はっはっは、俺はナンダ! いつも娘が世話になっているな!」
「おや、ディアナのお父さんかな? 初めまして、僕はハルキだ」
「おお! 話は聞いてるぞ! とても紳士な男らしいな!」
すっ、とナンダの視線がオライオンに移る。途端、にっこりと豪快な笑み。
「なんだなんだ! すっげえ男前がいる! お、分かったぞ! 君がオライオンくんだな! ディアナと付き合ってるんか? 付き合ってるんだろ? ん?」
「いや、付き合ってはいないが……」
「えぇ、違うの? しょんぼり……」
ナンダがその場でしゃがみ込んだ。意味が分からない。
「俺ぁディアナの彼氏と会えるって期待してたんだがなぁ。まだ彼氏できてないのかぁ。もう大人なのにまだ男できてないんだよなぁ」
このクマ、全力で娘の彼氏不在を嘆いている。ちょっと面白い。
「ちょ、おとん! 友達の家でなに暴走しとるん! あと彼氏いない歴バらすのやめてくれへん⁉ ていうか邪魔! 通れへん!」
「なあディアナ、いまお父ちゃんショックでな。しばらく動けそうにないんだ」
「うちの方がショックやねん! さっさと退けやボケぇ!」
「うっ、娘が反抗期……お父ちゃん泣きそう……」
「いいから立てぇ! あんた邪魔やねんボケカスぅ!」
これはいい。いま目の前でホームコメディが流れている。これは見ものである。ハルキはソファーに戻って見物することにする。フェンは面白いものを見つけた目をしていた。オライオンもくつくつと笑っている。ペルテテーだけが「料理足りるかなぁ」と心配そうに鍋を覗きこんでいた。
ぐぬぅっ、とディアナがナンダの身体を乗り越えてリビングへ到達。つっこみ疲れたのか肩で息をしていた。
ばしっとディアナが顔の前で手を合わせる。
「ほんま、ほんますまん! うちのアホが場を荒らしてもうて、ほんま堪忍なぁ! ほれボケ! おどれも謝らんかい!」
ディアナがゲシゲシと容赦なく養父に蹴りを入れる。ナンダはそれを包容力満載のでっぷりとしたお腹で受け止めていた。
「おう、そうだ! すまん! 俺としたことが、折角のしあわせ時を邪魔してしまった!」
ナンダがしゃがみ込んだまま身体を丸める。もはやでかい毛玉だ。
「まあまあ、とりあえず落ち着いて。ディアナもお父さんにそんな言い方だめだよ」
ペルテテーがディアナにチョップを食らわす。いたーい、と歌姫が大げさに痛がった。
ナンダのくりっとした瞳がペルテテーを見つめ、ぐわっと立ち上がった。
「おお、君がペルちゃんか! ディアナと仲良くしてくれてありがとう!」
大きなクマの手がペルテテーの手を掴み、ぶんぶんと振られる。鬼の乙女はなんだか嬉しそうだった。
我慢ならなかったか、遂にフェンが椅子を飛び降りてナンダに駆け寄る。
「ディアナ殿の御尊父よ! 我はフェン! ディアナ殿をこよなく愛するファンである!」
「おお! 君がフェンちゃん! ディアナを応援してくれてありがとうなあ! おー、ちっこいなぁ」
「ディアナ殿は至高である! 応援するのはファンにとって当然よ!」
「おおう、この子難しい言葉知ってるな! でも想いは分かるぞ!」
クマと竜の感動的な抱擁。いまここに、種族を超えた愛の形が完成した。ちょっと意味が分からない。
こんこん、とペルテテーが壁をノックする。
「そろそろいい? 夕飯なんだけど、食べる?」
「いただこう!」
クマが全力で頷いた。




