一章:いのち短し恋せよ人よ 6
楽しい時間は過ぎるのが早い。ディアナの最後のMCが終わる。観客はまだ音楽の余韻に浸っている。隣のペルテテーも恍惚の顔で放心している。オライオンですら目を見開いて呆然自失としていた。
そんな中、フェンだけが動いていた。カンフーのしなやかな動きで人ごみを突っ切り、ステージへまっしぐらに進んでいく。
待て、なにするつもりだあの竜は。
ペルテテーをオライオンへ任せてハルキも前へ進む。猛烈に嫌な予感しかしない。
フェンがステージに到達、ディアナは「気ぃ付けて帰り~」とファンへ声をかけている。
「ディアナ殿! サインおくれ!」
サインかよ……。ならいいよ、もう一回求婚しだしたらどうしようかと思った。
外へ向かいだした人ごみを、ハルキはのそのそと逆流する。どうせ断られる。沈んだフェンを回収する役割がいまは必要だ。
「お、さっきのカンフーっ子やん! ええでええで! ペン持っとるんよ、どこがいい?」
いいのかよ。寛容すぎるだろ。
「われ、我のカンフー服へお願いしたい!」
「ええん? 書いちゃうよ。書いちゃうで~。でもその前に、っと」
フェンの伸ばされた手を掴んだディアナが、そのままステージ上に引き上げる。
「さって、これで書けるで~。カンフーっ子ちゃん、名前はなんていうん?」
「我はフェン! ディアナ殿を誰よりも愛する者よ!」
「いい名前やなあ。じゃあ、失礼してっと」
パステルグリーンにディアナのサインが描かれる。それを見たフェンは全身で喜んでいた。
「われ、われ、これ一生大事にする! 今日まで生きてて良かった!」
「嬉しいわ~。サインだけでそこまで喜んでくれよる人、初めてやわ~」
「我、必ず来る! ディアナ殿の歌を聞きに来る! 今日の感動が忘れられなんだ!」
「わぁ、もう嬉しいわぁ。よし、決めた!」
ディアナがスカートのポケットからスマホを取り出す。
待て待て、いまフェンの前ですごいことが起きようとしている。ハルキの位置はステージまであと数メートル。
「フェンちゃんスマホだしぃ~。うん、じゃあ交換してっと、できたで~!」
「お、お……おぉぉ! 我のスマホにディアナ殿の連絡先がっ!」
「うちからちゃ~んと連絡するでな。お行儀よくまっとき~」
「待つ! 我、ずっと待っておる!」
フェンの意識が保てたのはそこまでだった。大量の幸福を脳にぶち込まれて、竜は失神した。滑り込みでハルキが受け止められたのは奇跡だ。念には念を入れて近づいておいて良かった。ここで下手に倒れればライブハウスに迷惑がかかる。
「わわ、大丈夫……って、よかった~。もしかしてフェンちゃんのお兄さん?」
「似たようなものだよ。それよりもうちのフェンが迷惑をかけて申し訳ない」
「ええてええて、うちフェンちゃんの熱量にやられてもうたわ。あんな全身で好き好きオーラ全開のファンは初めてやわぁ」
「迷惑でないならよかった。では僕らは失礼するよ。良いステージをありがとう。とても楽しかった」
両手でフェンを抱えてハルキはステージに背を向ける。背後から「また来てな~」とディアナの声。ファンにここまでするのだから、プロの歌手には頭が下がる。
ファンの流れに沿って二人のもとに戻る。ペルテテーがフェンの様子を見て駆け寄った。
「フェン! 大丈夫?」
「問題ないよ。ディアナの過激なファンサービスで倒れただけ」
ペルテテーが胸に手を当ててそっと一息。オライオンは完全に呆れていた。
「さすが行動力が並外れてるな。ハルキ、変わろうか?」
「いや、大丈夫。すぐに目を覚ますさ」
フェンを抱えたまま、興奮渦巻くライブハウスを出る。外ではファンたちがミラースクリーンの前で集まっていた。放心する者、泣き出す者、口笛を鳴らす者など、思い思いに余韻を楽しんでいる。腕の中で童女が身じろぐ。
はっ、と起きたフェンがハルキに抱えられたままスマホを見て、天にも昇るようなニヤけた面を晒す。
「夢ではなかった、夢ではなかった!」
ふぉー! とフェンが叫ぶ。うるさい。
フェンを抱えたままハルキは駅へと向かう。ペルテテーとオライオンがライブについて楽しそうに語り合っている。どうやらライブは全員が満足できたらしい。
しばらく騒いでいたフェンが落ち着き、ハルキの顔を見る。
「おっと、ぬしよ耳を貸すがよい」
「ん? なんだい?」
「配られていたキャンディだがな、種類は分からんが麻薬よ」
ぞっとした。
「まさか食べてはないよね?」
「匂いで勘づいてな。どうにも作り物めいておる。不思議よのぉ、麻薬っぽくなくてのぉ。一応全員から回収させてもらった。これは帰り際破棄しておく」
ディアナのライブで麻薬が配られている。どういうことだ。
「深く考えんで良かろう。今回は身を守れた。ぬしはこれからペルテテーとデートだろう? 忘れやれ」
「分かったよ。帰ってから少し調べることにする。ありがとう、フェン」
「なに、当然のことよ」
フェンがひょいと腕の中から降りる。カンフー服を見てにへへ、と気持ち悪く笑う。
ハルキも麻薬のことはしばらく忘れることにした。
この街で麻薬が蔓延っているなど、誰しもが知っていることだ。この街で闇を暴くことは死と同義だから。




