エピローグ③凍結された紛争と主権の断片化―21世紀東アジアにおける「中国問題」の再考察
このifの世界線の現代(21世紀初頭)において、分裂した中国と上海租界問題が、国際政治にどのような影響を与えているかを分析する、学術論文風の小説です。
タイトル:凍結された紛争と主権の断片化――21世紀東アジアにおける「中国問題」の再考察
発表者: アレクサンダー・グレイ(プリンストン大学 東アジア研究センター)
発表学会: 国際政治学会(ISS)年次総会
パネル: ポスト冷戦期における未解決の領土・主権問題
1. 序論:20世紀の亡霊
21世紀の国際政治は、グローバリゼーションと相互依存の進展を特徴とする一方で、20世紀に生起した数多の「凍結された紛争(Frozen Conflicts)」という亡霊に、今なおその安定を脅かされている。旧ソ連圏の領土問題や朝鮮半島の分断がその典型例として挙げられるが、本稿が焦点を当てるのは、その中でも最も複雑かつ広範な影響を及ぼし続けている「中国問題」、すなわち、一個の文明圏が四つの国家・政治実体に断片化され、半世紀以上にわたって固定化されている現状である。
本稿は、この「四つの中国」と、その縮図ともいえる「上海国際自由都市」の存在が、現代東アジアの安全保障と経済秩序に、いかなる構造的脆弱性と特異なダイナミズムをもたらしているかを分析・考察するものである。
2. 「四つの中国」――恒久化する暫定体制
第二次日中戦争の事実上の終結から半世紀以上が経過した現在も、中国大陸には四つの政権が並立している。
満洲国(瀋陽政府):日本の強力な経済的・安保的庇護下にあり、重工業と資源を基盤とする安定した権威主義国家。日満華相互安全保障条約(通称:北方同盟)の基軸であり、その存在は日本にとって不可欠の戦略的緩衝地帯となっている。
中華共和国(北京政府):社会主義を標榜しつつも、実態は国家資本主義。日本の技術と投資に深く依存し、「世界の工場」としての地位を確立。しかし、国民の自由は厳しく制限され、国内の不満は常に潜在的な不安定要因である。
中華人民共和国(西安政府):内陸部に封じ込められた、最も貧しく、最もイデオロギー色の強い国家。旧ソ連からの限定的な支援に頼るも、経済的困窮は深刻。核開発の噂が絶えず、地域の「ならず者国家」と見なされている。
中華民国(南京政府):沿岸部の商業都市群を基盤とし、米国との強い結びつきを持つ。四つの中国の中では最も民主的で自由な社会を誇るが、その経済は国際金融市場の動向に脆弱であり、大陸の二つの「赤色政権」(北京・西安)からの政治的・軍事的圧力に常に晒されている。
この四分統治体制は、冷戦期を通じて、米ソ、そして日本の勢力均衡によって奇跡的に維持されてきた。しかし、それはあくまで「恒久化した暫定体制」であり、いずれの政権も「中国全土の唯一正統な政府」であるとの主張を放棄していない。この「一つの中国、四つの政府」という根源的な矛盾は、東アジアの地政学リスクの最大の火種であり続けている。各国は、他の三つの中国と外交関係を結ぶ国を「国家分裂行為への加担」と非難し、国連における代表権問題は、70年以上にわたり解決を見ていない。
3. 上海国際自由都市――主権のブラックホール
この複雑な中国問題を、さらに悪質かつ象徴的な形で凝縮しているのが、「上海国際自由都市」の存在である。
第二次日中戦争後、いずれの中国政権にも属さないまま、列強(主に米・英・日・仏)の共同管理下に置かれたこの都市は、今や世界最大の金融センターの一つであり、同時に、主権と法の支配が及ばない「ブラックホール」と化している。
経済的側面:上海は、タックスヘイブンとして世界中の資本を惹きつけ、その経済規模は中小国家を凌駕する。しかし、その富は、透明性の欠如した「参事会」によって牛耳られ、マネーロンダリング、不正会計、インサイダー取引の温床となっている。特に、日・蘭・葡の「旧密約グループ」と、米・英の対立は根深く、都市インフラの更新や治安対策といった基本的な行政サービスさえ、利権争いのために停滞することが常態化している。
政治的・安保的側面:上海は、世界各国の諜報機関が暗躍する「スパイの首都」である。四つの中国は、それぞれ上海に「経済代表処」を置き、水面下で激しい情報戦と政治工作を繰り広げている。列強の駐留軍は、自国民保護を名目に居座り続けているが、彼らの存在そのものが、新たな緊張の火種となっている。2018年に発生した「米海兵隊と人民解放軍(西安政府系)特殊部隊との偶発的銃撃戦」は、あわや世界を巻き込む大戦に繋がりかねない、この都市の危うさを改めて浮き彫りにした。
上海は、グローバル資本主義の恩恵を最大限に享受する一方で、国民国家の枠組みが崩壊した際に生じる、無秩序と搾取の実験場ともなっている。
4. 結論:構造的脆弱性と未来への課題
「四つの中国」と「上海国際自由都市」の存在は、21世紀の東アジアに、以下のような深刻な構造的脆弱性をもたらしている。
偶発的紛争のリスク:四つの中国間の国境線(事実上の停戦ライン)は、常に軍事衝突の危険をはらんでいる。特に、経済的に困窮する西安政府(中共)が、国内の不満を逸らすために、南京政府(民国)や北京政府(共和国)に対して限定的な軍事行動を起こす可能性は、常に指摘されている。
経済的連鎖破綻の危険性:四つの中国経済、そして上海の金融市場は、複雑に絡み合っている。一つの政権の経済的混乱(例えば、北京政府の不動産バブル崩壊)は、ドミノ倒し的に他の中国、そして上海を通じて世界経済全体に波及するリスクを内包している。
主権と国民国家の揺らぎ:上海の存在は、「国家とは何か」「主権とは何か」という、近代国際政治の根源的な問いを突きつけている。資本と情報が国境を容易に越える現代において、上海モデルが、良くも悪くも、未来の国際秩序の一つの可能性として、他の地域に影響を与える危険性がある。
「凍結」された紛争は、決して解決された紛争ではない。それは、ただ、問題の先送りを続けているに過ぎない。東アジアが真の安定を享受するためには、国際社会は、この20世紀の亡霊――主権の断片化という名の亡霊――に、改めて真摯に向き合う必要がある。しかし、四つの中国、そして上海に絡み合う各国の利害を鑑みるに、その解決への道筋は、今なお暗闇の中にあると言わざるを得ない。
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