セデュとルーの日常編 vol.2
ノエル休暇で寄宿舎を離れ、家に戻っていた時のことだ。
ヴァイオリンのレッスンを終え家に戻った俺は、門前に立ち尽くす女の子に気付いて車を停めさせた。
時代がかったレース飾りのついたボンネットを被り、裾の広がった濃い緑のワンピースを着た女の子はまるで作り物の人形のようで、シルクの手袋に覆われた掌をきつく握りしめて立っている様子には違和感があった。
父か母に何か用事でもあるのだろうか、あるいは使用人の関係者か? こんなところでひとりで何かを待ち侘びるようにしているのには訳があるのだろう。車を降りた俺は少女に近づき、声を掛けた。
「きみ、レヴォネ家に何か用かい? 俺はここの長男で――」
「セデュ!」
名乗ろうとする傍から名前を呼ばれ、あまつさえ縋りつくように飛びつかれて目を白黒させる。
ボンネットから溢れ出す巻かれたブロンドの長い髪、宝石のようなグリーン・アイズは確かに見覚えのあるもので――
「…ルー、なのか…?」
「きいてよセデュ、ひどいんだよ。みんなしてぼくをこんなカッコにしてさあ!」
俺を前にして緊張の糸が切れたのか、ルーはわあわあと大声を上げて泣き出す。
路上で憚りなく泣きじゃくるルーをそのままにもしておけず、ひとまず俺はセラノに開けてもらった門の中にルーを通す。
父は仕事の関係でスイスに行っており、母はいつものように父に同行しているため留守だ。屋敷の中には執事のノルベール、ヨランダ他ハウスメイドの面々、料理長のティエリー、庭師のボビーらがいるのみで、彼らは俺の行動にはほとんど口出ししない。
泣きじゃくるルーの手を引いて玄関ホールに入っても、ツカツカ階段を上って自室に向かっても、誰も何も言わない。放任主義である父の意向を汲んでのことなのだろうが、こんなときにはその無関心がありがたい。
パタンと自室の扉を閉めてふたりきりになると、改めて俺はぽろぽろ涙を零し続ける面前の、女の子にしか見えないルーを見つめた。
青白い頬には赤みが差し薄い唇は愛らしい桜色をしている。化粧を施されているのかもしれない。きゅっと締まったウエストは簡単に手が回るほど細く、広がるスカートから覗く形のいい足にはヒールのある緑のエナメルの靴を履いている。潤んだ碧の瞳は星を閉じ込めたようにキラキラ輝き、不貞腐れたような表情はひどくあどけない。
ショウウインドウに飾られていたら等身大の高価な磁器人形としか見えないような愛らしさである。俺は戸惑いながらコホンと咳払いして、泣き続けるルーに説明を求めた。
「いったいなんでそんなことになった」
「さつえい…ざっしの、があって、…しゃしんとるのに、おめかしがひつようだって…ぼく、おとこのこなのに、こういうのが、いいんだって…おねえさんたちが、かってに…」
「おまえの父さんはどうしたんだ? とめなかったの?」
「父さんは…とめないよ。もとめられるうちは、いいなりになるのが、いいんだって、言って…」
「おまえは、抜け出してきたの?」
「父さんと…とちゅうまで、かえってきたんだけど。ここんちの前で、待ってるようにって…どこかにいっちゃった…」
「……」
ルーの家はここからすぐ近くである。わざわざうちに寄ってこんな状態のルーをひとりにして、彼の父親は一体何を考えているのだろう。ルーはまだ10歳だ。それにこんな可愛らしい恰好で、かどわかされでもしたらどうするつもりなんだ。無責任にも程がある。
苛立ちが胸の奥に渦巻くのを押し隠して(ルーを怖がらせるといけないから)、俺はクローゼットを開ける。不本意極まりないといった状態のルーをこのままにはしておけなかった。俺の衣類しかないけど…少しサイズは大きいけど…女装よりはましなはずだ。
「嫌なんだろ? 着替えろよ。服貸してやるから」
「ぅん。ありがとう、おにいちゃん…」
すんすんと鼻を鳴らすだけになったルーがおとなしくそう応える。シンプルな白シャツと数年前に履いていた夏用の短いズボンを取り出してルーのもとに戻ると、彼はボンネットのリボンを外すのに苦心していた。
「解いてやるから、じっとしてろよ」
細い指先がもどかしそうに動くのを制止して、ビロードのリボンを解く。ボンネットをどかすと結い上げられたブロンドが流れ落ちるように肩に垂れ、ますます人形めいた豪奢さを醸し出す。
「…すごいなあ、よくもまあ…」
「へん、でしょ? こんなの…」
「いや、…」
きれいだよ、と思わず言いそうになって唇を噛む。ルーは今の恰好が気に入らないのだ。それはそうだ、自分の意思とは関係なく、勝手に宛がわれ無理矢理纏わされた服なんだ。それを褒めるのは、ルーにとって面白いことのはずがない。
「…なんでも似合うなあ、おまえ」
「……」
ルーの神経を逆撫でしないように気を配りつつも、思わず零れてしまった言葉にきょとんとルーが顔を上げる。まだ涙のへばりついた頬をぐいっと拭ってやったら、「きゃあ」と女の子のような声で笑う。
…ルーは男の子だ。それを俺は、よくわかっている。
女の子扱いするのは、ルーに対して失礼だ。ルーは女の子になりたいわけでも、そう見られたいわけでもないんだから。
「ちょっと大きいかな? 腕捲りすれば平気かな…」
白シャツをルーの身体にあてがい独り言をつぶやく俺に構わず、ルーは俯き、前で留められたボタンをひとつずつ外していく。ぷちん、ぷちんと微かな音がして、白い鎖骨が露になって、…なぜだか見ていられなくなって目を逸らす。
ルーとは、それこそ、この子が5歳のときから一緒に川遊びしたりして、裸だって見慣れているはずなのに。
女の子の恰好をしているからだろうか? 女の子が、目の前で、服を脱いでるみたいに感じるから? わからない。相手はルーだ、5歳から知ってる、意地っ張りで泣き虫のルーだ。ほっぺたが柔らかくて、からだが細くて、舞台に立つと全身から発光してるみたいにキラキラして、俺たちを天国につれていってくれるような演奏をする、奇跡の子で、…
「わっ」
どしんと尻もちをつく音がして慌てて視線を戻すと、肌色のストッキングを脚から抜こうとじたばたしているルーがいた。スカートをくしゃりと尻の下に敷いて、ばらばらに投げ出された細い脚が剥き出しになり、ストッキングは腿のあたりでひっかかって下着も見えている。女性ものの下着だ。紫色の薄い生地は黒のレースで飾られ、中央に小さな黒のリボンが付いている。スタイリストは何を考えて、ルーにこんなものを付けさせたのだろう。ルーが泣いて嫌がるのも当然だ。これじゃあまるで、愛玩人形じゃあないか…。
「ばか、なにやって…」
「ぬげないよお、おにいちゃん、てつだってぇ」
甘えたようなルーの懇願が温度を上げたような部屋に響く。俺はなぜかくらくら眩暈のようなものを感じながらしゃがみこんで、手を貸してやる。
ストッキングに手を掛けて、するすると引き抜く。青白い素肌がどんどん剥き出しになっていくのが、見てはいけないもののように感じる。
上半身のボタンは全部外してコルセットの絞められた胸元を露にしたまま、ルーはそれも脱がしてくれるようにねだる。
きつく結わえられたコルセットの紐を解く指が震える。緊張しているのだろうか。冬だというのにひどく暑い。暖炉の火を焚きすぎだ。ヨランダに言って薪を減らしてもらわなくては、…。
ぱかりとコルセットを外すと剥き身の桃のような半身が現れ、汗の匂いが香しい花のようにふわりと漂う。すべすべした白い肌を晒したルーはすとんとドレスを脱ぎ捨て、下着一枚の姿になって俺のシャツを羽織った。
下着を隠すほど長い裾はルーの太腿のあたりまであり、袖はぶかぶかで、華奢な身体がいっそう際立つ。手を伸ばして袖口を何度も捲り上げてやっとルーの手を見つける。シャツだけでもワンピースのように見えるが、むき出しの脚が心許なく無防備で、下にズボンを履くよう促す。ルーは素直に綿のズボンを受け取り、裾をぺらりと捲り上げ下着をむき出しにしてからそれを履いた。
「家まで送ろう。これはこのまま返したほうがいいな」
脱ぎ捨てられたドレスとコルセットを拾い上げ何か袋に入れようと見回す俺の腕に、ルーがしがみついてくる。
「ねえ、セデュ、ヴァイオリン弾いてえ。ぼくがピアノ弾くからさあ、いっしょにセッションしようよお。ひさしぶりだもん!」
さっきまでの泣き顔はどこへやら、にこにこと満面の笑顔になったルーはそう言ってしなだれかかる。時計は15時5分前を差していて、まだ日暮れまでは時間もある。
「…1時間だけだぞ。4時になったらおしまいだぞ」
「うん! やったぁ、ぼくセデュのヴァイオリンだいすき!」
きゃっきゃと笑いながら首に腕を回すルーの背をぽんぽん軽く叩いて、ケースを抱えたおれは広間へ向かう。そこには調律済みのグランドピアノがある。客人を招いてパーティーやら何やらを開く場所だが、両親のいない今はがらんとしている。
メイドたちによってよく磨かれた床に姿を映してピアノに駆け寄ったルーはくるりと振り返って俺を呼ぶ。そうして俺たちはきっかり1時間、ふたりきりで、即席の音楽会を開いた。
身体の上に、のしかかる重さがある。
うっすらと目を開くと、見慣れた白皙とブロンド、夢見るような碧の瞳が俺を射る。
「セデュう、へんでしょ? ぼく…」
俺の腹に跨ったルーは女の子の恰好をしている。人形みたいなボンネットに濃い緑の裾の広がったドレスだ。白魚のような指先はシルクの手袋に覆われて見えない。
俺は喉の奥で呻る。声がうまく出せない。目の前のルーは俺をじっと見て、ぷつぷつとボタンを外していく。ぱらりとドレスの上半分が剥がれて腰に引っかかるだけになり、コルセットの巻かれた胸が曝け出される。じりじり膝を進めたルーはスカートを捲り上げ、ストッキングに覆われた脚で俺をきつく挟み込む。ストッキング越しに黒レースの下着が露に見えて、俺は息を飲む。
目を逸らしたいのにできない。金縛りにあったように身体は動かず、手で顔を覆うこともできない。
「セデュ、脱がして、てつだって…」
ことりと首を傾げたルーがそう懇願する。その瞳に誘惑の色はない。縋るような切実さがあるだけだ。俺を信頼しきって、身を委ねるルーがいるだけだ。まだ子供の、あどけない頬の、おさないルーが。
6歳も年下の、未成熟な、男の子か女の子かわからないようなからだつきの、愛しいルーが、…
「ねえ、セデュ、おねがい、ぼくを、」
うわあ、と喉から叫び声が出て、俺は目覚める。
しんとした深い暗闇の中で、俺はベッドに横になっている。
はあはあと息を整え、嫌な汗に塗れた額を拭う。
冬だというのに全身に汗をかいている。気持ちが悪い。身じろぐと下半身に違和感があって、ガバリとシーツを捲る。
16にもなって、粗相をしたのだろうか。下着の中が濡れていて、べたりと貼りつく布地が鬱陶しい。むくりと起き上がった俺は下着を脱ぎ捨て、寝室に付属している洗面台に向かった。
ぺろりと裏返すとねばつく白濁が下着を汚している。俺は一瞬唖然として、それからへなへなと洗面所に屈みこんだ。
これはいわゆる、精通というやつか。本で読んで知識だけはある。成長段階にある男子の正常な発達の過程だ。…正常。どこか正常だ? 幼い友人を汚すような夢を見て、あんなこどもに、おれは欲情してるとでもいうのか? 最悪だ。異常だ。ルーは穢してはいけない、選ばれた人間だ。あの才能は神聖なものだ。舞台の上の、神々しいルーを、俺は愛したのじゃなかったか? …欲望なんて介在しない、神に寄せるような愛を、捧げたのではなかったか?
あのとき、ルーが帰った後、寝室に置き忘れられたストッキングに気付いて、俺はそれを拾ったのだった。
ルーのぬくもりを掌に感じ、ルーの体温を感じて高鳴る胸に、俺は自己嫌悪に塗れた。俺は変態じゃない…ないはずだ。自制心だってある。理性もある。ルーはまだもののわからない子供で、男の子だ。…同性愛はいけないことだ。小児性愛はもっと最悪だ。俺は堕落したりはしない。ルーを傷つけることもしない。断じてしない!
寝室に引き返した俺は新しい下着に履き替え、クローゼットを開けてそこに突っ込まれたままのストッキングを引き摺りだした。洗濯室に向かい、下着と一緒に洗濯機に放り込む。これはルーに返すべきだ。忘れ物だと言って届ければ、不審にも思われないだろう。
…俺は男が好きなんだろうか。これまで、寄宿舎で同室になった同級生に対して、ルーに感じるような愛おしさを感じたことはなかった。ルーだけだ。一緒にいて胸が騒いだり、どうしようもなく抱きしめたくなったり、涙を拭ってやりたくなるのは。追いつきたくて、その手を掴みたくて、いくらでも走り続けられるとおもうのは、俺が焦がれるのは、ルーに対してだけ、…。
いずれにしてもこれはいけない想いだ。隠し通さなくてはいけない。ルーに知られることがあってはならない。他の誰にも。
ノエル休暇の間じゅう、毎日のように夢に現れることになるルーに夜には魘され、昼には何食わぬ顔でルーと遊んで、俺は自分を誤魔化していく。毎晩隠れて下着を洗うむなしさにやりきれなくなるけれど、絶対にこんな悍ましいものを、ルーにぶつけることだけはあってはいけないと何度も言い聞かせる。俺は自分の異常さを、隠し通せると思っていた。
これは恋なのだろうか、それとも醜悪な欲望に過ぎないのか。答えは出ない。舞台に立つルーを観ていると胸が苦しくなるくらい眩しくて、切実なくらい愛おしいと思うのに、夜になると俺はルーを汚す夢ばかり見る。
そんな調子でいたから、やがてルーの仕事が忙しくなり疎遠になっていったときに俺が感じていたのは、安堵であった。
あさましい欲望でルーに危害を加えるようなことになる前に離れられるのなら、それが一番いいのだ。
相変わらず男も女も、ルー以外の人間は皆、俺にとっては当価値であって、特別なものにはなり得なかったが、舞台の上に立って輝くルーを客席から見続けられるのならば、それが俺たちの正しい距離なのだろう。
俺のルーへの渇望は、そうして幕を下ろす。そうであるべきだと思っていた。だから、女性と付き合いもしたし、ルーへの想いを忘れようともした。
15歳のルーに再会して、その決意が、決壊するまで。
◇◇◇
セデュの留守の間、僕はたいていホテルに籠って作曲している。ハリウッドの地理にはさして詳しくないし、やみくもに出かけても迷子になるのがオチだし。マネージャーのマチウとどこか遊びに行くくらいなら、セデュが帰ってくるのを待っていて一緒に出掛けたいし。
そんなわけなので、今日も僕は寝室のテーブルにスコアを広げて、絶賛撮影中のセデュを思い浮かべながら作曲に勤しもうと意気込んで。ペンが見つからなくてテーブルの上をきょろきょろ探し、席を立ってトランクを引っ掻き回す。
昨日作曲したときはあったんだから、どこかに落ちてないかな? と屈みこんで床を探しても見つからない。クローゼットとか、チェストとか、手あたり次第かき回してペンを探していた僕は、ベッドサイドチェストの引出しから、あるものを見つけた。
…この部屋はセデュのために用意されたスウィートルームで、一人用なのにベッドはキングサイズだし部屋は3部屋もあってバカでかい。誰かを連れ込んでもじゅうぶん余裕があるってな塩梅の部屋だ。なので僕は自分の部屋を放り出して、この部屋で彼と一緒に寝起きしているんだけど。
セデュの部屋なので、引出しの中身とかは、ホテルの備品を除いたらセデュの私物ってことになる、と思う。まさかこんなものを、ホテル側が用意するとは思えないし…。
僕は『ソレ』を摘まみ上げてじろじろ検分する。『ソレ』、成人男子なら皆いちどは手に取った覚えがあるんじゃないかな。いわゆる、コンドームというやつだ。
セデュのベッドサイドにあった『ソレ』は、開封されてる。使った形跡がある。あいつは僕とはまだ一度も、…セックスをしたことがないので、つまりこいつは、別の人としたときに使用されたって考えるのが、無難だろう。
もしかしたら前の奥さんとしたときに使ったのをそのまま持ってきたとかかな。まあ考えられるか。興味本位で中身を空けると、半分くらいは使用済みだ。ふーん、あいつのアレのサイズってこんなデカいんだ。ふーん。裸を見たことはあるけどあんまりまじまじとあそこを注視してなかったから気づかなかったな。え、XLって何センチ? 42~46? へえーたいしたもんだ。そいつでさぞかし大勢の女の人を、たのしませてきたんでしょうなあ。僕には一切手を出さないくせにな!
…いやでも待てよ、これがここにあるってことは、あいつはこの滞在中に、『そういうこと』が起こるかもしれない、というか、『そういうこと』をしたい、って、思ってる可能性も、あるってことか? だから、僕たちが寝ている寝室に、ちゃっかりこいつを用意したのかも。
僕は指のかたちで丸を作ってみる。それがケツに入るところを想像してみる。…入るかなア、きっとめっちゃ痛いんだろうなア。まあ最初痛いのはしょうがないよ。女の子だってそうだって言うし。本来排泄物しか通るはずのない穴に突っ込むんだから、そりゃあ痛いし違和感もすごいだろう。
でも、僕は痛くてもいいから、セデュと結びつきたい、って思いの方が強い。
僕たちっていちおう、恋人同士なわけだし。両想いってやつに、なったわけだし。
プラトニックなままでもいいけど、僕とセデュとには昔からの、特別な絆があるけど、どうせなら世間の恋人同士みたいに、身体でも愛しあいたい。セデュを、満足させてあげたい。
僕はソッとコンドームの箱を元あった場所に戻し、引出しを閉める。これが使われる日が来るのを期待して、僕はペン探しに戻った。
そして数日が経って。毎日忙しそうに撮影に飛び回っているセデュは、まだ僕に手を出してこない。
僕はベッドに寝転んで天井を睨みつける。これは奥手、とか、そういう問題なのかな? そもそもやつは僕を抱く気がないのか? 傍にいられるだけでいいとか、いつか言っていたもんな。…いや、いい年した大人同士でつきあってて、セックスなしのプラトニックって、どうなんだ? それもう友達同士とかわらなくない? 僕たち恋人同士なんだよね? ちゃんとキスはしてるもんね? 舌入れるような濃厚なやつだってしてるしね!?
何の気なしにベッドサイドチェストの引出しを開けて、そこにあるコンドームの箱を手探りでつかみ取る。
ばらばらとぶちまけると、中身がシーツの上に散る。…もうあと僅かしか残っていない。
…いや、え? …セデュと僕とは一度もセックスしてない。つまりこいつは、僕との行為じゃなくて、他の用途に使われたってことだ。小学生みたいに、膨らませて遊んでみたりとか? あはは、風船みたーい。すごーい。
…アホか。んな訳あるか。セデュは、あいつは、…僕には手を出さないくせに、他所で発散してるってことじゃないか。そうとしか思えないじゃないか。
まーセデュも男だもんなア。いつまでもお預けくらってたら浮気したくなるのもしょーがないよなア。…お預けって言うか、そもそもあいつから、僕を抱こうみたいな雰囲気感じたことないんだけどね! はは、やっぱりさすがのあいつでも、男は抱けないかア!
ぺろんとTシャツを捲って、あばらの浮いた腹とか、薄っぺらいまな板みたいな胸とかをしげしげ眺めてみる。筋肉とかは微塵もない。痩せぎすの、貧弱な、男の身体だ。
こんな身体、抱きたいと思えないよね。そりゃそうだ。うんうん、わかるわかる。僕だって断然、むちむちの、おっぱいのでっかい女の子のほうがいいもん。柔らかくてふわふわで、良い匂いがしてさ、…セックスだって、簡単にできちゃえるしさ。
セデュはちょっと潔癖っぽいとこがあるから、ケツの穴に入れるのなんかそもそも嫌なのかもしれないしな。そーだよなー、冷静に考えたら、そりゃ汚ねえよな。どんな特殊なプレイだよって話だもんな。
…あいつの心は僕のものだけど、身体まで独占できるなんて、そんな奇跡は、やっぱり起こりようがないのだ。仕方のないことだ。こればっかりは。
…もしかしてあいつ、逆に僕に抱かれたいって思ってたりするのかな? とちょっと考えてみる。僕はセデュを抱けるかな? ケツに突っ込むこと自体に抵抗はないんだけど。もっと酷いプレイも僕は経験があるので。
…でもなあ。あいつの裸見ても、ちんちん見ても、あんまり興奮しないしなア。どきどきしたりも…ちょっとはしたかもだけど…それはほら、あいつの身体が綺麗だったからで…僕とはちがって、ちゃんとしっかり筋肉がついてて、おっぱいも僕より大きくて、彫像みたいに、綺麗な身体だったから…でもそれって、所謂肉欲とは、違うものだった気がする。
だいいち、僕はセデュを抱きたいと思ったことが一度もないので、そういう場に直面したときに、勃つともおもえない。
セデュが僕を抱いてくれないなら、もう肉体関係を持つのは諦めるしかないってこと、なのかもしれない。
なんだか空しくなって僕は残り僅かのコンドームを箱にぐしゃぐしゃに突っ込んだ。
帰って来たセデュはいつも通り紳士で、優しくて、甘ったるくて、何度も僕にキスをくれて、思わせぶりな態度ばかりして。
僕はそれに満足して、夢見心地になって、心の奥に蟠るモヤモヤに鍵をかけてとじこめて、それで、コンドームのことは、記憶の片隅に追い遣った。
これが僕の処世術だ。都合の悪いことは全部忘れて刹那的に生きる。今までもそうやってきたし、これからも、きっとそうやって生きていく。そのほうが楽だからね。
それから僕が昔馴染みの大女優、恐ろしいグロリアに監禁されたりいろいろあって、…僕とセデュとは、初夜を迎えることとなった。
結果は惨敗、というか、案の定、デカすぎるあいつのアレがどうやっても僕の中に入れられなくて、痛くてキツくて僕が絶叫して、あいつは途中で辞めてしまって…という、散々なものだった。
コンドーム問題が再燃したのはその後だ。最中は夢中になっていて気を配る余裕がなかったのだけど、セデュに童貞告白をされて舞い上がっていた僕は、使いかけコンドームのこともすっかり忘れていたのだけど。
未開封のそれを使用したセデュに僕は違和感があって、それで、全部終わってから、ようやくそのことを思い出したのだ。
たっぷり吐き出された後のゴムの口を縛って処理しに行くセデュの背中を見送って(突っ込むのは無理だったから互いに抜き合ってその日は終わった)、帰って来たセデュを僕はじとりと睨み上げる。
セデュは幾分すっきりしたような、どこかふわふわとあどけないような顔で僕をきょとんと見つめる。
「どうした、ご機嫌斜めだな」
「…あのさ、きみに聞きたいことがあるんだけど…」
「うん?」
身を起こして膝を抱える僕の傍に掛けたセデュは、濡らしたタオルで僕の顔を拭いてくる。最中に、涙とか涎とかいろいろぐちゃぐちゃになったから、それが気になっていたんだろう。優しい掌が涙の痕を拭い去るように触れて、その慈しむような触れ方に、胸がぎゅうぎゅう苦しくなる。
「きみさ、ぼくを抱くまで、…まあまだちゃんと抱けてないんだけど、…童貞だったって、言ったでしょ」
「言ったな」
「なんでうそつくの」
「え?」
僕の首から鎖骨、うなじ、腕と、タオルを移動させながらセデュが戸惑ったような声を出す。裸の脇にタオルを差し込まれて、そこをセデュに嘗め回されたことを思い出して、身体が竦む。
「…べつにいいんだよ、きみが童貞じゃなくったって、誰かと経験済みだって、ぼくは幻滅したりしない。ぼくだって散々遊び歩いてきたからね。きみが聞いたら卒倒しちゃうようなプレイだってしてきたしね。お互い様ってやつさ」
「……」
つらつらとまた余計なことばかり口にする僕を覗き込み、セデュの眉間に皺が寄る。黙り込んで唇を噛んでいるのは、僕の悍ましい過去に思いを馳せているのだろうか。改めて考えても何の誇るところもない、僕の陰惨な過去を。
「だからさ、きみが他所の…春を売ってるお姉さんとかと関係してたとしたって、僕は全然…」
「何の話だ」
「素人童貞って話なんでしょう? それならそう言えばいいじゃない。…僕が素人かどうかは…議論の余地があるけど…」
「お前は客をとったことはないのだろう」
「…ん、それはそうだね…いや今話してるのはそのことじゃなくてさ…」
「女性を買った覚えはないが」
「……。じゃあ男の子?」
「男もない。お前以外を抱きたいと思ったことも、抱けると思ったこともないよ」
「……うそつかなくていいのに…」
僕の脚を持ち上げてタオルを滑らせるセデュの眉がぴくりと上がる。不本意そうに僕を見て、真面目な顔で、僕の鼻をちょいと摘まむ。
「嘘など吐いていない。私はおまえに嘘は吐かない」
「……ほんとに?」
「ああ」
「真実のみを述べると誓いますか?」
「誓うよ」
「じゃあそのコンドームのことなんだけども」
「ん?」
ベッドサイドチェストに置かれたままの開封済みコンドームの箱を僕は指さす。不貞腐れたままで。
「前に見た時は、半分くらいまで、減ってたんだけど」
「前? …」
「こっちに着いたばっかりのとき。その時は、まあ前の奥さんとしたときの残りかなーって、思ってたんだ」
「……」
「そんで、それから数日経ってまた見たら、中身が更に減っていてさア。どっかで使ったんでしょ? 僕の知らないところでさ…」
「……」
「僕のことは抱かないのに他の人とはセックスしてるんだアって思って…。…君も男なんだなーって思って、感心、そう、感心したんだよ! いやー君も隅に置けないよなーってさ! 女の人も抱けるのにわざわざ僕を選ぶなんてなんて物好きなんだろーって! まあ女の人みたいに僕は君を満足させられそうにないから、とうぶんはまた外で発散してもらうことになるかもなア! それはいいんだよ、全然いいんだ! 仕方ないことだもんね、男のサガっていうか…」
「……」
「でも、うそ吐かれるのはちょっと、堪えるから、やめてほしいなって…思ってさ…」
ぴたりとセデュの手が止まる。僕は自分の膝をじっと睨みつけながら話して、沈黙が落ちてからやっと、セデュを見上げた。
いったいやつはどんな顔してやがるんだろう、気まずそうな顔かな? 困ったような顔、かな…。
「……え、」
「……」
僕は顔を上げて、セデュを見つめて、…今まで見たことないくらい、真っ赤に染まったその頬に、唖然とした声が漏れた。
「ど、どしたの、きみ…そんなに恥ずかしかった?」
「……っ、」
気まずそうに視線を逸らして、セデュが片手で口元を隠す。恥ずかしかったんだ。図星を突かれて。初心なヤツだから。…別に恥ずかしがるようなことじゃないのに。女の人をお金で買って遊ぶことなんて、皆やってるもんだと思うんだけど。むしろ30歳で童貞だって告白する方が、よっぽど恥ずかしいと思うんだけど?
「…べつに責めてるわけじゃあないよ。認めてくれればそれでいいんだ。僕だって男だもん、つらさはよくわかるよ…」
「…わたしも、男だ…」
「うん」
「…おまえを、抱けない間、…その、…慰めるために…」
「…うん」
すわセデュの本音暴露がきたか、と内心で身構えつつ何気ない風を装って頷く僕である。
さあてどんな爆弾発言が飛び出すかな。まあセデュのことだから、そんな、ぶっ飛んだプレイとかはしなさそうだけど。せいぜいお店で何回か遊んだってくらいじゃない? 体位も、正常位か…騎乗位くらいでさ…君の、バカみたいにデカいブツで女の人を泣かせてさ、…。
なーんかモヤモヤするけど気にしない。気にしないでおこう。こいつは尋常じゃなくモテるんだ。平気なフリが出来なけりゃ、セデュの傍にいつづけることなんてできっこないもんな!
「…だが、誓って、おまえ以外を心に浮かべたことはない。わたしは一度も…」
「うーん…」
僕のことを考えながら女の人を抱いてくれてたってことか…。女の人にしたらたまったもんじゃないな…。僕はうれしいけど…。
「初めて自慰したときから、わたしはおまえを…」
「は?」
なんだか聞き捨てならない単語が聞こえた気がして、僕はまじまじとセデュを見る。ここまで人の顔って赤くなれるのかってくらい、真っ赤な顔だ。セックスの最中だってここまでじゃなかったのに。…いま自慰って言った?
「すまない、わたしはおまえの…あられもない姿を妄想して…自分で…」
「…はあ」
「気分が悪いだろう、軽蔑してくれていい…幾度も、わたしは、妄想の中でおまえを汚して、…もう、数えきれないくらいに…」
「……」
「精通したときも、初めて自分の意思で自慰したときも、わたしはおまえで――」
「わーもういい! もういいからヤメテ!! こっちが恥ずかしくなるんですけど!?」
僕は思わず叫んでいた。ベッドに向かい合って腰かけて、互いに顔を覆って、それから何も言えなくなる。僕の方も顔が熱い。どんどん熱が上がっていくみたいだ。
セデュの吐息が震えているのが聞こえる。なんかもう、堪らない。こいつの言うことを信じるなら、こいつは子供の頃から、僕に囚われていたってことに、なるらしくて…。
「…コンドームも、自慰するときに、使ってたってこと、」
「…そうだ」
「いつの間にそんな…ぜんぜん気づかなかった」
「おまえが寝てから…おまえの寝顔を見ながら、したことも…」
「……へんたいじゃん」
「……そうだよ」
「……」
「……」
おそるおそる手をどけて、セデュの掌の隙間を覗き込む。潤んだ飴色の瞳が僕をちらと見て、耐えられないというように逸らされる。
僕に嘘は吐かないなんて誓ってしまったせいで世にも恥ずかしい告白をする羽目になったセデュは、いま、消えてしまいたいように俯いて、絶望って感じの目は涙を堪えている。いつもきりっと弧を描いてる形のいい眉毛が、へにゃんと困ったみたいに下がって、情けない顔を晒してる。世界中の乙女たちから恋されてる、あのセデュが。
…そんなにすきなのか。こいつは。ぼくのことが、そんなにも!
「…誤解してごめんね。きみに不本意な自白を強要したことも、謝るよ」
「……いや、」
「でも、寝ているうちってのは、いただけないな。せっかくぼくがいるんだからさ」
「……え?」
「今度からは、起きてるうちにしてよ。きみがするとこ、ぼくに見せてよ」
「……それは、」
「手伝ってあげてもいーよ? そのほうが興奮しない? それともぼくは何もしないほうがいーい? 寝たふりしてたほうが興奮する?」
「…あまりいじめないでくれ」
戸惑ったような揺れる瞳のセデュを掬い上げるように僕は笑う。心が軽くなって、ぽかぽかあったかい。これってたぶん、シアワセってやつかもだ。
「えっへっへ、きみがカワイイのがわるいんだぞう! 30になるまで、ずーっとぼくひとりだけがすきだなんて、健気だなあ! ちょっとヘンタイでも許しちゃうぞう!」
「…許して、くれるのか…」
「もちろん! だって僕たち恋人同士でしょ? ちょっとヘンタイなくらいがぼくにはちょうどいいって! ぼくもきらいじゃないしねーそーゆーの♡」
「…ルー、」
感極まったみたいなセデュが僕を抱き寄せて、僕は彼の腕の中で目を閉じる。どくどく、互いの心音が重なり合ってハーモニーを奏でてる。耳の裏にはファンファーレが聞こえる。僕は有頂天だった。セックスはまた最後までできないけど、セデュを完全に満足させるところまでは、いけてないけど。それでも僕らはだいじょうぶだ。いつかはふたりで繋がれる。一緒に、強く、繋がり合うことができる。手を離さないでいられる。いてもいいんだ。だってきみはぼくのことを、こんなにも好きなんだもの!
「きみの、恥ずかしいとこ、もっとおしえてよ。ぜんぶ知りたいな、きみのこと…」
「まだまだあるよ、おまえに言えなかったこと…」
「一個ずつおしえて。ぼくの知らないきみの顔、離れていた間のこと…」
「夜が明けてしまうな」
「話すのはいや? やめる?」
「いやなことなどないよ。おまえといられるのに、何ひとつ…」
少し身体を離したセデュが、こつんと額を合わせてくる。至近距離で見つめ合って、僕らはくすくす密かに笑う。そうして僕らは、セックスよりも親密で濃密な、言葉を交わし合った。
夜明けがくるまで。




