第40話 騒がしい村
「長らくご無沙汰しております、クレメンスです……! ご、ご期待に沿えるよう、私がボンタの背中を一生守る、強くて貞淑な妻として……その、愛の巣を使わせていただきます!」
まんざらでもないどころか、完全に外堀を埋めにかかる気満々の前のめりな挨拶。彼女は未だに勇者の能力を保持しているため、この「デレ」は本来なら致命的なプライドの損傷になるはずだが、愛するボンタとの結婚という妄想の至福がダメージを完全に上回っていた。
「おお、クレメンスちゃんじゃないか! 見違えるほど綺麗になって!」
「幼馴染と結ばれるなんて素敵ねぇ! 大歓迎よ!」
両親が手放しで喜ぶ中、一人だけ蚊帳の外に置かれていたパンピーナが、慌てて手を振った。
「ちょ、ちょっと待ってください!私は違いますよ! 私はただの旅の同行者で、そういう関係じゃ……!」
「そんなこと言わないで! あなたもとっても美人さんじゃない!」
メイが優しくパンピーナの両手を取った。
「あなた達が一緒にいてくれたから、何の力もないボンタが無事に旅を続けられたのね。本当に、ありがとう。……ボンタは少し鈍感なところがあるけれど、誰よりも優しくて、人を幸せにする才能だけは世界一なの。どうか、これからもあの子のそばにいて、支えてやってちょうだいね」
「え……」
メイから真っ直ぐに向けられた、打算のない純粋な母親としての感謝と、優しさに満ちた瞳。
そして、「誰よりも優しくて、人を幸せにする」という言葉。
パンピーナの脳裏に、これまでの旅の記憶が鮮烈に蘇った。
飢えて倒れていた自分に、無警戒に温かいスープを分けてくれた夜。
ゴーレムを壊そうとする暴徒の前に、一切の能力を持たない体で立ちはだかった背中。
大聖堂で、自分たちを騙し続けてきた教会の人間たちにすら、涙を流して「今までありがとう」と心からの感謝を伝えた、あの底抜けの純粋さ。
(……ああ、そうか)
パンピーナの心臓が、トクン、と大きく跳ねた。
ただのお人好しな「凡人」の仲間だと思っていた。危なっかしくて、放っておけないだけの、ただの男の子だと。
しかし、この狂った世界で一番強かったのは、剣でも魔法でもなく、彼のその「優しさ」だったのだ。自分を呪縛から救い出し、本当の笑顔を取り戻させてくれた、世界でたった一人の太陽。
(私……ボンタのことが……)
自覚した瞬間、パンピーナの顔から耳の先まで、カァァァッと一気に朱に染まった。
「あ、あのっ……私、その……っ」
パンピーナはもじもじと身をよじり、上目遣いでチラリとボンタを見た。
「ぼ、ボンタがどうしてもって言うなら……その、支えて、あげなくもない、かな……って……」
消え入りそうな声で呟き、完全に「恋する乙女」の顔になってしまったパンピーナ。
その劇的な態度の変化に、誰よりも早く反応した者がいた。
クレメンスの、ボンタに対する強烈な「独占欲レーダー」が、けたたましい警報を鳴らしたのだ。
「……ちょっと、たんま!」
クレメンスの声が、地を這うような低いトーンに変わった。
「な、なによ……」
「さっきまで『ただの旅の同行者』って涼しい顔してたじゃない!なんで急に顔真っ赤にして好き好き光線かましてんのよ! ボンタの隣は、幼馴染のこの私が百年前から予約済みなんだからね!」
「ひゃ、百年なんて生きてないでしょ! それに、ボンタは誰のモノでもないわよ! 私だって、ボンタのことが……そ、その、少しは気になってるんだから、権利くらいあるでしょ!」
「絶対ダメよ! 凡人のボンタは剣聖勇者の私が守るの」
「いやいや。凡人には凡人が見合っていると思うんですけど? つまり、わ・た・し」
ギャーギャーと言い合いながら、二人の少女がボンタを挟んでバチバチと火花を散らし始める。
「わわっ、二人とも喧嘩しないで! せっかく平和になったんだから!」
ボンタがオロオロと間に入って止めようとするが、二人の乙女の戦いは一向に収まる気配がない。
その賑やかなドタバタ劇を、ヤマンとメイは「青春だねぇ」とニコニコしながら見守っていた。
「ふん。世界が平和になろうが、人間のメス同士の縄張り争いは見苦しいものだな」
巨大な聖獣ファルサーは、呆れたように鼻を鳴らしながら、村長ガンツが慌てて用意してきた極上の厚揚げをサクサクと咀嚼していた。
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世界から勇者氾濫の呪いが消え去り、人々が「普通」を取り戻してから数ヶ月後。
実家のすぐ近くに建てられたボンタの家。
世界は平和になり、大半の人間が普通の凡人に戻ったが、中には「自分にとって大切なものを守るため」という理由で純氷の再儀式を受けず、自らの意志で勇者のままでいることを選んだ者たちもいた。
その一人が、白銀の大剣を背負う少女、クレメンスである。
「ただいま。ボンタ」
ガチャリと木の扉が開き、クレメンスが家の中に入ってきた。彼女は今でも近隣の残存する魔物退治などを担っており、外の社会においては、かつてと変わらぬ冷徹で超絶クールな『剣聖勇者』としての「真顔」を完璧に維持している。
しかし、扉を閉めて、エプロン姿でシチューを煮込んでいるボンタの姿を視界に捉えた瞬間。
「おかえり、クレメンス! 今日も村のみんなのために、お疲れ様!」
ボンタが振り返り、あの純度百パーセントの屈託のない笑顔を向けた。
その途端、クレメンスの顔から冷徹な仮面が物理的にドロッと溶け落ちた。
「あああぁぁぁボンタァァァ! 今日も私のためにご飯を作って待っていてくれたのねぇぇぇ!」
彼女は大剣をその辺に放り投げ、勇者としての威厳もプライドも完全に投げ捨てた「極甘デレ状態」で、ボンタの背中に思い切りダイブした。
「わっ!? ちょっとクレメンス、火を使ってるから危ないよ!」
「いいの! 外で真顔を保つのがどれだけ疲れるか……ボンタの成分を補給しないと死んじゃうぅぅ」
ボンタに頬ずりをしてフニャフニャに溶けている最強の剣聖を見て、テーブルでお茶を飲んでいたパンピーナが深い溜息をついた。
「……相変わらず、外と家の中でのギャップが激しすぎるわね。世界が平和になっても、あんたのその豹変っぷりは一生治らないわけ?」
完全にこの家に嫁候補として定着している常識人の少女は、呆れ果てたように鋭いツッコミを入れる。
「うるさいわね、パンピーナ。私が勇者でいつづけているのは、愛するボンタを守るためと、ボンタが毎日感謝をくれるからいいの!」
「堂々と承認欲求の奴隷宣言しないでくれる!? 何度も言うけど、ボンタには私の方がお似合いよ」
「フン。平和になろうがなるまいが、人間の滑稽さは変わらんな」
部屋の隅では、元々の主であった村長が凡人になってしまったため、帰る場所を失った巨大な白狼である聖獣ファルサーが、信じられないほど器用な前足の動きで、特注の極上厚揚げをサクサクと咀嚼していた。
「おい、ボンタ。ウゴンザークの街の職人が作ったこの厚揚げ、前より少し大豆の風味が落ちているぞ。世界が平和になろうが、我が供物の質を落とすことは絶対に許さんからな」
「あはは、ごめんねファルサー。今度、街に行く時にもっと美味しいのを頼んでおくよ」
騒がしくも、どこまでも温かい日常。
ギスギスしたディストピアだった世界は終わりを告げ、誰もが無理をしないですむ優しい時間が、この小さな家の中には確かに流れていた。
ボンタは火を止め、出来立てのシチューをテーブルに運んだ。
自分に抱きついたまま離れないクレメンス、呆れ顔で食器を並べてくれるパンピーナ、そして厚揚げのおかわりを要求するファルサー。
ボンタは、そんな大好きな仲間たちの顔をぐるりと見渡した。
「ねえ、みんな」
ボンタの言葉に、三人が視線を向ける。
「あの時、勇者と凡人の違いに悩んで、この村を出て旅に出て……本当に良かったって思うんだ。みんなと出会えて、一緒に笑い合える今の毎日が、僕はとっても嬉しいよ」
ボンタは満面の笑顔を浮かべ、胸の奥底から湧き上がる純粋な思いを、言葉に乗せて放った。
「みんな、今日も一緒にいてくれて……本当に、ありがとう!」
ブォンッ……
世界を救った最強の凡人が放つ、一点の曇りもない『無垢なる感謝』。
「お、おほあぁぁぁーーーッ!!」
至近距離でその直撃を受けた「勇者」クレメンスの身体がビクンと跳ね、意識がブラックアウトしてしまった。
愛するボンタからの純度百パーセントの感謝(脳汁)を致死量浴びた彼女は、だらしない至福の笑みを浮かべ、そのまま白目を剥いて床に崩れ落ちる。
「あーもう! また絶頂失神してるじゃない! シチューが冷める前に起きなさいよ!!」
パンピーナが頭を抱えて絶叫し、ファルサーが我関せずと厚揚げを貪り食う。
「あはは、クレメンス、また寝ちゃったね」
世界で唯一の凡人と、少しおかしな仲間たちの騒がしい日常は、これからもずっと、本当の笑顔と共に続いていく。




