第37話 無差別広域感謝
特級勇者の一人が、クレメンスの剣を掻いくぐり、ボンタの頭上へと刃を振り下ろそうと跳躍する。
「ボンタ!」
パンピーナの悲鳴が響いた。
だが、ボンタは逃げなかった。
彼は、自分に刃を向ける特級勇者たちの目を見ていた。感情を殺し、ただ教会の命令に従うだけの彼らの瞳の奥に、誰からも感謝されず、ただシステムのために命をすり減らしている深い悲哀と孤独を感じ取っていたのだ。
(この人たちも、本当は誰かのために頑張りたいだけなんだ……!)
ボンタは、振り下ろされる刃の前に大きく両手を広げ、真っ直ぐに前を見据えた。
そして、胸の奥底から湧き上がる、一点の曇りもない最大火力の感情を言葉に乗せて叫んだ。
「みんな、やめて!!」
ボンタの澄んだ声が、激しい戦闘音を縫って礼拝堂全体に響き渡った。
特級勇者の刃がピタリと空中で止まる。
「こんな暗い場所で、教会の平和を守るために、自分の感情まで押し殺して……。見えないところで、ずっと世界のために頑張っていたんだね……!」
ボンタの目から、彼らの苦しみを思いやる大粒の涙がこぼれ落ちた。
「本当に、本当に……今までありがとう!!」
ゴゴゴゴゴゴパァァァァァァァンッ!!
ボンタの口から、プライド消費コストゼロの純度百パーセント、『無垢なる感謝』が、無差別広域に炸裂した。
それは、これまで彼が放ってきたどの感謝よりも巨大で、魂の最深部を直接揺さぶる超高濃度の感謝の波動であった。目に見えない光の津波となって、大礼拝堂を埋め尽くす特級勇者たち、神官たち、そして壇上の大司教をも同時に飲み込んだ。
「お、おほあああァァァーーーッ!?」
空中で刃を振り下ろそうとしていた特級勇者の身体が、ビクンと大きく弾け飛んだ。
絶対に感情を表に出さないよう訓練されていた彼らの脳髄に、一生かかっても得られないほどの莫大な快楽物質(脳汁)がダムの決壊のごとく押し寄せる。
「ほ、本物の感謝ぁぁっ! 俺たちの戦いが、認められたァァァッ!!」
「生きてて……よかったぁぁぁーーーッ!!」
カラン、カチンと、無数の武器が石の床に落ちる音が響いた。
強靭な精神力で教会のシステムに縛られていた特級勇者たちが、次々とだらしない至福の笑顔を浮かべ、歓喜の涙を流しながらドミノ倒しのように崩れ落ちていく。
彼らだけではない。壁際で呪文を詠唱していた神官たちも、「ひぎぃぃぃっ!」と奇声を上げながら次々と白目を剥き、その場に卒倒してピクピクと痙攣を始めた。
「ば、馬鹿な……! 我が教会の最強の刃が、たった一言の感謝で……ッ!」
壇上のソウルンダーチョは、眼下で広がる阿鼻叫喚の絶頂空間を信じられない面持ちで見下ろしていた。
だが、ボンタの無差別広域感謝の波動は、大司教である彼自身にも容赦なく直撃していたのだ。
「ぐっ……! わ、私は大司教だぞ! こんな安い言葉で、私の承認欲求が満たされるはずが……ッ!」
ソウルンダーチョは必死に顔の筋肉を引き締め、己のプライドで至福の波に抗おうとした。しかし、歴史と責任のある教会のトップを引き継いできてから、誰からも純粋な感謝をされず、偽りの権威と真顔で自分自身を縛り付け、最も極限の「感謝飢餓状態」に陥っていたのは、他ならぬ彼自身であった。
ボンタのピュアな感謝の光が、彼の心の奥底にあった、乾ききった承認欲求の砂漠を完全に満たしていく。
「あ、あああ……っ。私の、私達が百年間守ってきた、教会の理想郷が……っ!」
ソウルンダーチョの膝がガクンと折れた。
もはや我慢の限界だった。彼の顔から冷酷な支配者の仮面が完全に剥がれ落ち、シワくちゃの顔を真っ赤に染めて、だらしない笑みが溢れ出す。
「おほぁぁぁっ……最高ぉぉぉーーーッ!!」
大司教は、凄まじい奇声を上げて天を仰ぎ、そのまま後ろへとひっくり返った。歓喜の涙とよだれを撒き散らしながら、彼は大聖堂の祭壇の上でビクンビクンと激しく痙攣し、完全なる至福の絶頂失神へと叩き落とされたのである。
ほんの数分前まで圧倒的な殺気に満ちていた大礼拝堂は、今や至福の表情で白目を剥いてスヤスヤと眠る大人たちの山で埋め尽くされていた。
教会の総力を挙げた武力弾圧は、血の一滴も流れることなく、たった一人の凡人による「ありがとう」によって、あっけなく、そしてあまりにもシュールに幕を閉じたのだ。
「……あーあ。本当に全部倒しちゃったわね」
パンピーナが額を押さえて深い溜息をつく。
ファルサーは、祭壇の上で痙攣するソウルンダーチョを冷ややかな黄金色の瞳で見下ろし、忌々しげに鼻を鳴らした。
「フン。完璧な理想郷だなどと偉そうに語っておきながら、結局、貴様自身が一番感謝に飢えていた哀れな承認欲求の奴隷ではないか」
的確で容赦のない聖獣のツッコミが、静まり返った大聖堂に虚しく響き渡る。
ボンタはドミノ倒しになった勇者たちを見渡し、ウンウンと満足げに頷いていた。
「みんな、働きすぎだったんだね! これでやっと、ゆっくり休めるよ」
世界のシステムを裏で操っていた教会の陰謀は、世界で唯一の凡人が放つピュアな感謝の前に、完全に浄化(物理的制圧)された。
残るは、この世界を縛る『水晶の呪い』をどうやって解き放ち、元の姿へと戻すのか。
ボンタたちは新たな問題に立ち向かおうとしていた。




