第35話 水晶の呪い
大礼拝堂を支配していた異常なまでの静寂は、ボンタが放った「水晶が勇者氾濫の元凶である」という爆弾発言によって、決定的にひび割れた。
数千人のエリート勇者たちは、極限の「真顔」を張り付けたまま、しかしその瞳の奥には明らかな動揺と混乱を走らせていた。彼らは互いに視線を交わすが、勇者としての強烈なプライドが邪魔をして、誰も声を出して問い詰めることができない。
壇上の大司教勇者ソウルンダーチョは、教会のトップシークレットを暴かれた焦燥感から、額に滝のような冷や汗を浮かべていた。完璧にコントロールしていたはずの表情筋がピクピクと痙攣し、絶対的な権威を示すはずの法衣の裾が、彼自身の体の震えによって小刻みに揺れている。
「き、きさ、ま……!なぜ、そのことを……ッ!」
ソウルンダーチョの口から漏れたのは、見苦しいほどの狼狽だった。
しかし、その極度の緊張状態は、長くは続かなかった。張り詰めた糸がプツンと切れたかのように、彼の中で何かが弾けたのだ。
「くく……くはははははっ!」
突如として、大司教の喉の奥から不気味な笑い声が漏れ出した。最初はくぐもっていたその声は、次第に大礼拝堂全体に響き渡るほどの狂気を帯びた大笑いへと変わっていく。
「あはははははっ! よかろう、よかろう! まさか、我々が百年もの間、誰にも悟られぬようひた隠しにしてきた真実に、何の能力も持たぬただの凡人が辿り着くとはな!」
ソウルンダーチョは両手を広げ、完全に開き直った態度で壇上からボンタたちを見下ろした。もはや、彼を取り繕っていた「理想郷の導き手」という仮面は完全に剥がれ落ちていた。
「そこまで知られたのなら、もはや隠す必要もあるまい。それに、ここから誰一人として生きて帰ることは無いから冥途の土産に教えてやろう、この完璧な世界を作り上げた、百年前の真実をな!」
大司教の言葉に、巻き添えで命の危機にさらされた数千人の信者たちの間に緊張が走る。
ボンタの隣で、パンピーナが警戒するように身を固くし、クレメンスは背中の大剣の柄に手をかけた。巨大な白狼ファルサーだけは、「ふん、どうせ人間の浅知恵が引き起こした喜劇だろう」と鼻を鳴らしながら、事の成り行きを見守っている。
「かつて、この世界における十歳の職業啓示の儀式は、全て純氷を削って行われていた。それは冷たく、扱いづらく、儀式の度に溶けて消えてしまう、極めて非効率で地味な代物だった」
ソウルンダーチョの朗々とした声が、過去の歴史を紐解いていく。
「昔は、人類のほぼ全員が凡人であり、勇者などというものは存在しなかった。世界が破滅の危機に陥った際や、強大な魔物が出現した時のみ、神官が自らの命を削るような強い祈りを込めて純氷を彫り上げた。その極限の祈りが天に届いた時だけ、ごくまれに人類を救うための『勇者』が啓示されていたのだ」
それは、勇者が真の意味で「特別な存在」であり、人類の希望であった時代の話だ。
「しかし、百年前に転機が訪れた。はるか東の山脈で、美しく、巨大で、永遠に輝きを失わない『水晶』の鉱山が発見されたのだ。教会はすぐさま、儀式の触媒を溶けてなくなる氷から、この永遠の輝きを放つ水晶へと変更することを決定した。効率的で、何より教会の権威を示すのにふさわしい、見栄えの良い最高の代物だったからだ」
ソウルンダーチョは恍惚とした表情で、虚空に手を伸ばした。
「だが、そこで一つの『誤算』が生じた。各国の教会に配備するため、水晶を磨き上げていた、一人の名もなき宝石職人がいた。その男は、ただ純粋に、これから儀式を受ける子供たちの未来を思って、水晶を磨きながら祈ってしまったのだ」
大司教は皮肉に満ちた笑みを浮かべ、言葉を区切った。
「――『みんなが、誰かの役に立つ世界になりますように』と」
その言葉が響いた瞬間、大礼拝堂は息を呑むような静寂に包まれた。
「宝石職人の、あまりにも純粋すぎる願い。それは、強烈な魔力と祈りとなって、水晶という永遠の鉱物の奥底に深く、深く定着してしまったのだ。使い捨ての氷とは違い、水晶は消えない。儀式で子供が水晶に触れるたび、その職人の『誰かの役に立つ人間になれ』という願いがシステムとして強制的に作動したのだ」
それが、全ての元凶であった。
「結果として、儀式を受けた者は例外なく、何らかの超人的な職能を授かるようになった。そして同時に、『誰かの役に立たなければならない』『他者から感謝されなければならない』という、強迫観念めいた承認欲求を、四大欲求として魂に刻み込まれることとなった。これが、現在の人類が抱える『水晶の祝福』の正体だ!」
ソウルンダーチョは両手を高く掲げ、狂気に満ちた目で笑い声を上げた。
「教会はすぐにその事象に気付いた。だが、結果はどうだ? 勇者があふれ返ったことで、人間同士の争いは消滅し、インフラは無償の善意によって完璧に整えられた! これほど都合の良いシステムはない! だから我々は真実を隠蔽し、この水晶の呪いを『神の恩寵』と言い換え、現在の教会の絶対的な権威を確立したのだ!」
真実を聞かされた数千人の勇者たちの間に、かつてないほどの激しい動揺が広がった。
自分たちが日々苦しんできた承認欲求の渇きが、神の試練でも何でもなく、教会の隠蔽工作と、たった一人の職人の願いから生じた欠陥ともとれる事実だったという事。
それでも、彼らの顔の筋肉は限界まで引き攣りながらも、強烈なプライドによって「真顔」を保ち続けていた。彼らは怒りを爆発させることすら、システムの呪いによって封じられているのだ。
「なんて身勝手な……!」
パンピーナが拳を強く握りしめ、ギリッと歯を食いしばった。
「自分たちの権力のために、みんなの心を縛り付けて搾取し続けてきたってわけ!?あんたたち、本当に最低のクズね!」
「クズだと?愚かな小娘め、我々がこの完璧な秩序を維持してきたからこそ、平和が保たれてきたのだ!」
その時、パンピーナの隣にいたクレメンスが、静かに一歩前に出た。
彼女は背負っていた白銀の大剣をゆっくりと引き抜く。冷徹な『剣聖勇者』としての仮面は、もはや彼女の顔にはなかった。あるのは、一人の少女としての激しい怒りと、愛する者を守るという強烈な感情の爆発だった。
「私の……私の愛するボンタを、何の能力も持たないと笑い者にし、過酷な旅をさせた元凶……!」
クレメンスの声は怒りに震え、その瞳にはバチバチと火花が散っていた。
「そして、私を最前線の地獄で狂わせた教会の陰謀……! 絶対に許さない! 私のボンタにこれ以上指一本触れさせてたまるかァァァッ!」
彼女は外の社会で維持すべき勇者としてのプライドなど完全に投げ捨てていた。大聖堂のど真ん中で、「私のボンタ」と公私混同も甚だしい感情むき出しの極甘デレ状態を全開にして、圧倒的な殺気と剣圧を放ち始めたのである。




