深層DASH村
畑が育つと、人間は欲を出す。
これは農学の第一法則であり、人類史の第一法則でもある。
麦が実れば粉にしたくなる。粉ができればパンが焼きたくなる。パンが焼ければバターが欲しくなる。バターが手に入ればワインが飲みたくなる。ワインが飲めれば革命が起きる。
欲望とインフラは、常に手を繋いで進む。
久遠洋、享年なし。戦死扱い。ただし生存中。
深層に来て何日が経ったか。正確には分からない。時計がない。暦もない。太陽は当然ない。あるのは濾過水が落ちる音と、蒸留装置から滴る音と、ムクの呼吸と、ドローンの羽音だ。
四種類の音で時間を測る生活にも、慣れた。
慣れるというのは、壊れることの別名だが、壊れた形のまま機能するなら、それは適応と呼んでもいい。
畑は、育った。
正確に言えば「畑だったもの」が「畑」になり、「畑」が「生活圏の中核」に化けようとしている。
畳一枚分だった区画は三枚分に広がり、根菜用と葉物用の区画が分かれた。深層の雑草を《土壌改良》で毒を抜いた土に植え直し、《魔力合成栽培》で育て直す。育て直した作物は、最初の不味い根とは別物になった。
最初の根は苦かった。
二代目は苦いだけだった。
三代目は苦くなかった。
そして四代目が、光った。
比喩ではない。文字通り、微かに光ったのだ。
根を引き抜いたとき、断面が淡い青緑色に発光した。藻の光に似ているが、もっと柔らかい。
そして匂いが違う。
甘い匂い――だが毒の甘さではない。
果物の甘さに似た、舌の奥を誘う匂いだ。
藻の光と同じ“深層の光”なのに、嫌な匂いがしない。そこが一番おかしい。
俺は断面を指で触り、匂いを嗅ぎ、舌で舐めた。
舐める、という行為は、農学者にとって最後の判定手段だ。機械がなければ舌で測る。原始的だが正確だ。舌は嘘をつかない。嘘をつくのは脳だ。
甘い。
甘くて、少しだけ冷たい感触が舌に残る。
そして――喉を通った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。
俺は一瞬、意味が分からなかった。
軽くなった。何が。胸が。なぜ。
視界の隅にステータスが浮かんだ。
――――――――――――――――
《適応収穫》効果判定
作物属性:回復(微)/解毒(微)
魔力含有率:深層基準D
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回復。
解毒。
俺が育てた根が、回復効果を持っている。
深層の魔力を吸い、《魔力合成栽培》で変換され、《土壌改良》で毒を抜かれた土から育った作物は、魔力をそのまま回復エネルギーに変えているのだ。
理屈は分かる。分かるが、信じがたい。
地上でこんな作物ができたら、市場が壊れる。
回復薬は高い。解毒薬はもっと高い。探索者がダンジョンに持ち込むポーションの一本が、下手をすると月給の何割かを食う。
それが、根から生える。
俺は根をもう一本引き抜き、断面を確かめた。
光っている。同じ属性だ。
三本目も。四本目も。
「……嘘だろ」
声に出した。
声に出すと現実が確定する。確定した現実は、引っ込められない。
ドローンが、俺の手元を映していた。
光る根の断面が、配信に乗っている。
コメントが流れた。
「光ってる?」
「何あれ」
「回復属性の作物?」
「深層で?」
「ありえないだろ」
「値段いくらだよ」
値段のことは知らない。
俺が知っているのは、この根を食えば少しだけ体力が戻るということだけだ。
少しだけ。微量だ。
だが微量でも、深層では巨大な意味を持つ。
ここには薬がない。ポーションもない。医者もいない。
あるのは土と水と、俺の手順だけだ。
その手順から、回復効果のある作物が生まれた。
外れ職が作った畑が、薬を生んだ。
薬を生んだ畑は、もう「畑」ではない。
「施設」だ。
俺は畑の隣に座り、根を一本かじった。
甘い。苦くない。光っている。胸が軽くなる。
不味い根を噛んで「死の味じゃない」と安堵していた頃が、遠い昔のようだ。
遠い昔ではない。ほんの数日前だ。数日で世界は変わる。変わるのは世界ではなく、土だ。
さて。
作物が変わったなら、生活も変わらなければならない。
欲望とインフラは、手を繋いで進む。作物が増えれば、保存が必要になる。保存ができれば加工が必要になる。加工ができれば管理が必要になる。
流通は――いや、深層に流通はない。流通相手はムクだけだ。ムクに経済観念はない。たぶん。
だが保存と加工は必要だ。
回復効果のある作物を、生のまま放置すれば腐る。腐ったら効果が消える。消えたら損失だ。
損失を防ぐには、干すか、発酵させるか、密閉するかだ。
俺は立ち上がり、作業に入った。
まず水路を掘った。
沼から直接ではない。あれは毒が混じる。畑に入れたら台無しだ。
俺が掘ったのは、蒸留水と濾過水を一度ためる「貯水椀」へ落とす導線と、そこから畑へ配る導線だ。
甲殻の大椀を二つ並べ、片方は濾過水、片方は蒸留水。用途で分ける。
骨の鍬で浅い溝を引き、傾斜をつけ、《土壌改良》で泥を締めて漏水を減らす。
水路は文明の背骨だ。メソポタミアもエジプトもローマも、水路から始まった。
俺のは骨の鍬で掘った溝だが、原理は同じだ。水は高いところから低いところへ流れる。流れに人間が手を添えるだけで、世界は変わる。
水路ができると、畑への給水が安定した。
安定は、余裕を生む。余裕は、次の仕事を許す。
次に、乾燥棚を作った。
骨を組んで枠を作り、蔓で編んだ網を張る。
その上に、薄く切った根を並べる。
深層の空気は乾いている。湿っているのは沼の周辺だけで、少し離れると空気は冷たく、乾いている。
乾燥は保存の王だ。乾燥した食料は腐らない。腐らないものは未来に届く。
骨の棒に根を薄く巻き付けて、堆肥の発酵熱の近くに吊るした。
温かい空気が上がり、根から水分が飛ぶ。
これで干し根ができる。干し根は軽い。軽いものは運べる。運べるものは資源だ。
資源は、余裕になる。
次に、発酵壺を作った。
甲殻の大きな破片を椀状に削り、蓋を苔と蔓で編む。
中に刻んだ根と水と菌糸を入れ、密閉する。
深層の菌糸は発酵が速い。速いというのは、管理が難しいということでもある。
発酵は「ちょうどよく腐らせる」技術だ。腐りすぎれば毒になり、腐り足りなければ生のままだ。
農学者は、この境界を手のひらの温度で測る。
手を当てる。温かい。だがまだ熱くない。
熱くなる前に蓋を開け、空気を入れ、また閉じる。
これを繰り返す。繰り返しが、発酵を制御する。
地味だ。
地味だが、地味は裏切らない。
派手が裏切る。高木玄真の配信は派手だった。派手で、美しくて、泣けた。そして裏切った。
俺の発酵壺は地味だ。地味だが、蓋を開けるたびに「まだ生きてる」と教えてくれる。
蓋を開けて匂いを嗅いで「うん」と頷く。その繰り返しが、暮らしだ。
最後に、貯蔵穴を掘った。
土塁の内側に穴を掘り、底を《土壌改良》で締め、石を敷いて水が染みないようにする。
壁も同じように締める。蓋は甲殻の板。
これで冷暗所ができた。冷暗所は食料を守る。
食料を守れるということは、「明日食べる分を今日作れる」ということだ。
今日食べる分しか作れないのが「生存」で、明日の分を貯められるのが「暮らし」で、来週の分を管理できるのが「生活」だ。
俺は今日、「生存」から「生活」に足を踏み入れた。
作業が一段落して、俺は畑の真ん中に立った。
見渡す。
水路が走っている。浅いが、水が光りながら流れている。
畑が三区画ある。根菜用。葉物用。実験用。
乾燥棚がある。干し根が並んでいる。
発酵壺がある。蓋の隙間から微かに酸い匂いがする。
貯蔵穴がある。蓋が閉まっている。中に未来が入っている。
蒸留装置がある。ぽた、と水が落ちている。
濾過層がある。ぽた、ぽた、と水が落ちている。
土塁がある。外周を囲っている。
そしてムクが、土塁の外に座っている。
ここは、深層の最深部だ。
人間が来る場所ではない。
人間が住む場所ではない。
人間が暮らす場所ではない。
なのに、暮らしている。
俺は自分の手を見た。
傷だらけだ。爪の間に土が詰まっている。指の腹は硬くなった。皮膚が削れて、また固まって、また削れた。
だがこの手が、これを作った。
外れ職の手が、深層に生活圏を作った。
感慨はない。
感慨があっても、土に混ぜる。
感慨は堆肥になる。堆肥は畑を肥やす。畑は作物を育てる。作物は俺を生かす。
感情の循環系だ。農学者の感情は、常に土へ還る。
――だが一瞬だけ、手が止まった。
ここまで作って、見せたい相手がいない。
見せたい相手がいないことに、今さら気づいた。
いや、知っていた。知っていたが、忙しかったから気づかないふりをしていた。
セイバーズにいた頃、俺の仕事を見る人間はいなかった。
荷物を持てと言われ、持った。足場を作れと言われ、作った。
「ありがとう」と言われた記憶は――ない。ないことを、確認しなくてもいい。ないものはない。
だが今、ドローンがある。
ドローンは俺の仕事を映している。
映した先に、人がいる。
人は見ている。見て、コメントを書く。
コメントは「ありがとう」ではない。「すげえ」でもない。
「値段いくらだよ」だ。
だが「値段いくらだよ」は、俺の仕事に値段があると思っているということだ。
値段があるということは、価値があるということだ。
価値があるということは――
やめよう。
感傷は堆肥にする。堆肥は畑を肥やす。
ドローンが畑の全景を映した。
水路。乾燥棚。発酵壺。貯蔵穴。三区画の畑。蒸留装置。濾過層。土塁。ムク。
全部が画面に入った。
コメントが流れた。
「えっ何これ」
「文明じゃん」
「深層DASH村で草」
「いやDASHどころじゃないだろ」
「回復効果の作物が自生してるわけじゃなくて栽培してるの?」
「栽培だったら市場価格やばいぞ」
「これ国家案件では」
国家案件かどうかは知らない。
俺が知っているのは、明日も土を起こすということだけだ。
ムクが鼻先を上げた。
畑の匂いが変わったのだ。回復効果のある作物の匂いは、深層の瘴気の中で異質だ。甘い。だが毒ではない甘さ。
ムクの鼻先が、畑のほうを向いている。
食べたいのか。
食べたいなら、分ける。利害の関係だ。ムクが守り、俺が食わせる。
俺は干し根を一本、土塁の外に置いた。
ムクは鼻先を寄せ、匂いを嗅ぎ、一口で食べた。
尻尾が――動いた。
動いた、というのは大げさかもしれない。
毛の端が、僅かに揺れただけだ。
だが深層の上位個体が尻尾を動かすのは、たぶん感情の表出だ。感情があるかどうかは知らない。だが尻尾は動いた。
コメントが爆発した。
「尻尾振った!!!」
「ムクかわいいいいい」
「もふもふ」
「神獣がしっぽ振るな」
「でかい犬じゃん」
「この配信もう農業チャンネルじゃなくてペットチャンネルだろ」
ペットチャンネルではない。
農業チャンネルでもない。
生存チャンネルだ。
だが名前は視聴者が決める。名前をつけるのは、いつも見ている側だ。
俺は畑の端に座り、回復効果のある根を一本かじった。
甘い。光っている。胸が少しだけ軽くなる。
明日もこれが食べられるなら、明日も生きられる。
明後日も。その次も。
ドローンが静かに旋回している。
視聴者の数字が、また少し増えた。
三桁の後半。もうすぐ四桁に届く。
増えるのは怖い。
増えるほど、俺の暮らしが"誰かの物語"になる。
物語になると、演出が入る。演出が入ると、嘘が混ざる。
嘘が混ざるのは――高木玄真が得意なことだ。俺は得意じゃない。
だが俺の畑は嘘をつかない。
土は嘘をつかない。水は嘘をつかない。芽は嘘をつかない。
嘘をつかないものだけで作った生活は、世界で一番地味で、世界で一番頑丈だ。
「……まあ、やる」
久遠洋、享年なし。
戦死扱い。ただし生活圏が完成した。
水路が走り、乾燥棚が並び、発酵壺が膨らみ、貯蔵穴に未来が入った。
回復効果のある作物が採れた。
ムクの尻尾が動いた。
視聴者が増えた。コメントが増えた。面倒も増えた。
だが手順は回っている。
手順が回っている限り、俺はまだ負けない。
深層の闇の中で、畑が光っている。
藻の光ではない。作物の光だ。
俺が育てた光だ。
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【探索者掲示板】深層で畑やってる配信 Part.5
89:名無しの探索者
水路できてて草
94:名無しの探索者
干し根作ってるの見てると実家思い出すわ
102:名無しの探索者
回復属性の作物てマジ? ポーション何本分よ
108:名無しの探索者
ポーション換算したら一本あたり数万の価値あるぞ
115:名無しの探索者
これ市場に出たら薬価崩壊するだろ
121:望月◆LOG/0v
ログ取った。次スレで出す。
122:名無しの探索者
まじか
123:名無しの探索者
検証班仕事はえーよ
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