表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/18

深層DASH村


畑が育つと、人間は欲を出す。

これは農学の第一法則であり、人類史の第一法則でもある。

麦が実れば粉にしたくなる。粉ができればパンが焼きたくなる。パンが焼ければバターが欲しくなる。バターが手に入ればワインが飲みたくなる。ワインが飲めれば革命が起きる。

欲望とインフラは、常に手を繋いで進む。


久遠洋、享年なし。戦死扱い。ただし生存中。

深層に来て何日が経ったか。正確には分からない。時計がない。暦もない。太陽は当然ない。あるのは濾過水が落ちる音と、蒸留装置から滴る音と、ムクの呼吸と、ドローンの羽音だ。

四種類の音で時間を測る生活にも、慣れた。

慣れるというのは、壊れることの別名だが、壊れた形のまま機能するなら、それは適応と呼んでもいい。


畑は、育った。


正確に言えば「畑だったもの」が「畑」になり、「畑」が「生活圏の中核」に化けようとしている。

畳一枚分だった区画は三枚分に広がり、根菜用と葉物用の区画が分かれた。深層の雑草を《土壌改良》で毒を抜いた土に植え直し、《魔力合成栽培》で育て直す。育て直した作物は、最初の不味い根とは別物になった。


最初の根は苦かった。

二代目は苦いだけだった。

三代目は苦くなかった。


そして四代目が、光った。


比喩ではない。文字通り、微かに光ったのだ。

根を引き抜いたとき、断面が淡い青緑色に発光した。藻の光に似ているが、もっと柔らかい。

そして匂いが違う。

甘い匂い――だが毒の甘さではない。

果物の甘さに似た、舌の奥を誘う匂いだ。

藻の光と同じ“深層の光”なのに、嫌な匂いがしない。そこが一番おかしい。


俺は断面を指で触り、匂いを嗅ぎ、舌で舐めた。

舐める、という行為は、農学者にとって最後の判定手段だ。機械がなければ舌で測る。原始的だが正確だ。舌は嘘をつかない。嘘をつくのは脳だ。


甘い。

甘くて、少しだけ冷たい感触が舌に残る。

そして――喉を通った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。


俺は一瞬、意味が分からなかった。

軽くなった。何が。胸が。なぜ。


視界の隅にステータスが浮かんだ。


――――――――――――――――

《適応収穫》効果判定

作物属性:回復(微)/解毒(微)

魔力含有率:深層基準D

――――――――――――――――


回復。

解毒。


俺が育てた根が、回復効果を持っている。

深層の魔力を吸い、《魔力合成栽培》で変換され、《土壌改良》で毒を抜かれた土から育った作物は、魔力をそのまま回復エネルギーに変えているのだ。


理屈は分かる。分かるが、信じがたい。

地上でこんな作物ができたら、市場が壊れる。

回復薬は高い。解毒薬はもっと高い。探索者がダンジョンに持ち込むポーションの一本が、下手をすると月給の何割かを食う。

それが、根から生える。


俺は根をもう一本引き抜き、断面を確かめた。

光っている。同じ属性だ。

三本目も。四本目も。


「……嘘だろ」


声に出した。

声に出すと現実が確定する。確定した現実は、引っ込められない。


ドローンが、俺の手元を映していた。

光る根の断面が、配信に乗っている。


コメントが流れた。


「光ってる?」

「何あれ」

「回復属性の作物?」

「深層で?」

「ありえないだろ」

「値段いくらだよ」


値段のことは知らない。

俺が知っているのは、この根を食えば少しだけ体力が戻るということだけだ。

少しだけ。微量だ。

だが微量でも、深層では巨大な意味を持つ。

ここには薬がない。ポーションもない。医者もいない。

あるのは土と水と、俺の手順だけだ。

その手順から、回復効果のある作物が生まれた。


外れ職が作った畑が、薬を生んだ。

薬を生んだ畑は、もう「畑」ではない。

「施設」だ。


俺は畑の隣に座り、根を一本かじった。

甘い。苦くない。光っている。胸が軽くなる。

不味い根を噛んで「死の味じゃない」と安堵していた頃が、遠い昔のようだ。

遠い昔ではない。ほんの数日前だ。数日で世界は変わる。変わるのは世界ではなく、土だ。


さて。

作物が変わったなら、生活も変わらなければならない。

欲望とインフラは、手を繋いで進む。作物が増えれば、保存が必要になる。保存ができれば加工が必要になる。加工ができれば管理が必要になる。

流通は――いや、深層に流通はない。流通相手はムクだけだ。ムクに経済観念はない。たぶん。


だが保存と加工は必要だ。

回復効果のある作物を、生のまま放置すれば腐る。腐ったら効果が消える。消えたら損失だ。

損失を防ぐには、干すか、発酵させるか、密閉するかだ。


俺は立ち上がり、作業に入った。


まず水路を掘った。

沼から直接ではない。あれは毒が混じる。畑に入れたら台無しだ。

俺が掘ったのは、蒸留水と濾過水を一度ためる「貯水椀」へ落とす導線と、そこから畑へ配る導線だ。

甲殻の大椀を二つ並べ、片方は濾過水、片方は蒸留水。用途で分ける。

骨の鍬で浅い溝を引き、傾斜をつけ、《土壌改良》で泥を締めて漏水を減らす。

水路は文明の背骨だ。メソポタミアもエジプトもローマも、水路から始まった。

俺のは骨の鍬で掘った溝だが、原理は同じだ。水は高いところから低いところへ流れる。流れに人間が手を添えるだけで、世界は変わる。


水路ができると、畑への給水が安定した。

安定は、余裕を生む。余裕は、次の仕事を許す。


次に、乾燥棚を作った。

骨を組んで枠を作り、蔓で編んだ網を張る。

その上に、薄く切った根を並べる。

深層の空気は乾いている。湿っているのは沼の周辺だけで、少し離れると空気は冷たく、乾いている。

乾燥は保存の王だ。乾燥した食料は腐らない。腐らないものは未来に届く。


骨の棒に根を薄く巻き付けて、堆肥の発酵熱の近くに吊るした。

温かい空気が上がり、根から水分が飛ぶ。

これで干し根ができる。干し根は軽い。軽いものは運べる。運べるものは資源だ。

資源は、余裕になる。


次に、発酵壺を作った。

甲殻の大きな破片を椀状に削り、蓋を苔と蔓で編む。

中に刻んだ根と水と菌糸を入れ、密閉する。

深層の菌糸は発酵が速い。速いというのは、管理が難しいということでもある。

発酵は「ちょうどよく腐らせる」技術だ。腐りすぎれば毒になり、腐り足りなければ生のままだ。

農学者は、この境界を手のひらの温度で測る。


手を当てる。温かい。だがまだ熱くない。

熱くなる前に蓋を開け、空気を入れ、また閉じる。

これを繰り返す。繰り返しが、発酵を制御する。


地味だ。

地味だが、地味は裏切らない。

派手が裏切る。高木玄真の配信は派手だった。派手で、美しくて、泣けた。そして裏切った。

俺の発酵壺は地味だ。地味だが、蓋を開けるたびに「まだ生きてる」と教えてくれる。

蓋を開けて匂いを嗅いで「うん」と頷く。その繰り返しが、暮らしだ。


最後に、貯蔵穴を掘った。

土塁の内側に穴を掘り、底を《土壌改良》で締め、石を敷いて水が染みないようにする。

壁も同じように締める。蓋は甲殻の板。

これで冷暗所ができた。冷暗所は食料を守る。

食料を守れるということは、「明日食べる分を今日作れる」ということだ。

今日食べる分しか作れないのが「生存」で、明日の分を貯められるのが「暮らし」で、来週の分を管理できるのが「生活」だ。

俺は今日、「生存」から「生活」に足を踏み入れた。


作業が一段落して、俺は畑の真ん中に立った。


見渡す。


水路が走っている。浅いが、水が光りながら流れている。

畑が三区画ある。根菜用。葉物用。実験用。

乾燥棚がある。干し根が並んでいる。

発酵壺がある。蓋の隙間から微かに酸い匂いがする。

貯蔵穴がある。蓋が閉まっている。中に未来が入っている。

蒸留装置がある。ぽた、と水が落ちている。

濾過層がある。ぽた、ぽた、と水が落ちている。

土塁がある。外周を囲っている。

そしてムクが、土塁の外に座っている。


ここは、深層の最深部だ。

人間が来る場所ではない。

人間が住む場所ではない。

人間が暮らす場所ではない。


なのに、暮らしている。


俺は自分の手を見た。

傷だらけだ。爪の間に土が詰まっている。指の腹は硬くなった。皮膚が削れて、また固まって、また削れた。

だがこの手が、これを作った。

外れ職の手が、深層に生活圏を作った。


感慨はない。

感慨があっても、土に混ぜる。

感慨は堆肥になる。堆肥は畑を肥やす。畑は作物を育てる。作物は俺を生かす。

感情の循環系だ。農学者の感情は、常に土へ還る。


――だが一瞬だけ、手が止まった。


ここまで作って、見せたい相手がいない。

見せたい相手がいないことに、今さら気づいた。

いや、知っていた。知っていたが、忙しかったから気づかないふりをしていた。


セイバーズにいた頃、俺の仕事を見る人間はいなかった。

荷物を持てと言われ、持った。足場を作れと言われ、作った。

「ありがとう」と言われた記憶は――ない。ないことを、確認しなくてもいい。ないものはない。


だが今、ドローンがある。

ドローンは俺の仕事を映している。

映した先に、人がいる。

人は見ている。見て、コメントを書く。


コメントは「ありがとう」ではない。「すげえ」でもない。

「値段いくらだよ」だ。

だが「値段いくらだよ」は、俺の仕事に値段があると思っているということだ。

値段があるということは、価値があるということだ。

価値があるということは――


やめよう。

感傷は堆肥にする。堆肥は畑を肥やす。


ドローンが畑の全景を映した。

水路。乾燥棚。発酵壺。貯蔵穴。三区画の畑。蒸留装置。濾過層。土塁。ムク。

全部が画面に入った。


コメントが流れた。


「えっ何これ」

「文明じゃん」

「深層DASH村で草」

「いやDASHどころじゃないだろ」

「回復効果の作物が自生してるわけじゃなくて栽培してるの?」

「栽培だったら市場価格やばいぞ」

「これ国家案件では」


国家案件かどうかは知らない。

俺が知っているのは、明日も土を起こすということだけだ。


ムクが鼻先を上げた。

畑の匂いが変わったのだ。回復効果のある作物の匂いは、深層の瘴気の中で異質だ。甘い。だが毒ではない甘さ。

ムクの鼻先が、畑のほうを向いている。

食べたいのか。

食べたいなら、分ける。利害の関係だ。ムクが守り、俺が食わせる。


俺は干し根を一本、土塁の外に置いた。

ムクは鼻先を寄せ、匂いを嗅ぎ、一口で食べた。

尻尾が――動いた。


動いた、というのは大げさかもしれない。

毛の端が、僅かに揺れただけだ。

だが深層の上位個体が尻尾を動かすのは、たぶん感情の表出だ。感情があるかどうかは知らない。だが尻尾は動いた。


コメントが爆発した。


「尻尾振った!!!」

「ムクかわいいいいい」

「もふもふ」

「神獣がしっぽ振るな」

「でかい犬じゃん」

「この配信もう農業チャンネルじゃなくてペットチャンネルだろ」


ペットチャンネルではない。

農業チャンネルでもない。

生存チャンネルだ。

だが名前は視聴者が決める。名前をつけるのは、いつも見ている側だ。


俺は畑の端に座り、回復効果のある根を一本かじった。

甘い。光っている。胸が少しだけ軽くなる。

明日もこれが食べられるなら、明日も生きられる。

明後日も。その次も。


ドローンが静かに旋回している。

視聴者の数字が、また少し増えた。

三桁の後半。もうすぐ四桁に届く。


増えるのは怖い。

増えるほど、俺の暮らしが"誰かの物語"になる。

物語になると、演出が入る。演出が入ると、嘘が混ざる。

嘘が混ざるのは――高木玄真が得意なことだ。俺は得意じゃない。


だが俺の畑は嘘をつかない。

土は嘘をつかない。水は嘘をつかない。芽は嘘をつかない。

嘘をつかないものだけで作った生活は、世界で一番地味で、世界で一番頑丈だ。


「……まあ、やる」


久遠洋、享年なし。

戦死扱い。ただし生活圏が完成した。

水路が走り、乾燥棚が並び、発酵壺が膨らみ、貯蔵穴に未来が入った。

回復効果のある作物が採れた。

ムクの尻尾が動いた。

視聴者が増えた。コメントが増えた。面倒も増えた。


だが手順は回っている。

手順が回っている限り、俺はまだ負けない。


深層の闇の中で、畑が光っている。

藻の光ではない。作物の光だ。

俺が育てた光だ。


――――――――――――――――


【探索者掲示板】深層で畑やってる配信 Part.5


89:名無しの探索者

水路できてて草


94:名無しの探索者

干し根作ってるの見てると実家思い出すわ


102:名無しの探索者

回復属性の作物てマジ? ポーション何本分よ


108:名無しの探索者

ポーション換算したら一本あたり数万の価値あるぞ


115:名無しの探索者

これ市場に出たら薬価崩壊するだろ


121:望月◆LOG/0v

ログ取った。次スレで出す。


122:名無しの探索者

まじか


123:名無しの探索者

検証班仕事はえーよ


――――――――――――――――


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ