2 夢見の力
心配そうな目をしておずおずと尋ねるサラに、わたしは大きく頷いた。
「当たり前でしょう? こんなチャンス、二度とないわよ」
「いや、でも、ちょっと無謀すぎじゃないですか? だいたい、ここから逃げて、どこでどうやって生きていくというのです?」
「それはこれから考えるわよ。でも大丈夫。平民として生きていく準備は、十分してきたでしょう?」
「……それは、まあ……」
サラは渋々といった様子で首肯する。
残念ながら離宮での生活は、王宮の煌びやかな生活とはだいぶかけ離れていた。
そもそも、離宮全体が王家から長いこと冷遇されていて、食料も衣料品もその他もろもろの必需品も、必要最低限しか運び込まれない。
そんな状況だったから、わたしは十人に満たない使用人たちと一緒に、裏庭で畑を耕したり破れたドレスを自分で繕ったり、自給自足に近い生活をしていたのだ。壊れた家財道具を直したこともあるし、もちろん掃除だって料理だってひと通りできる。
ちなみに、離宮にいた使用人たちは全員、わたしの輿入れについていきたいと言い張った。王宮に戻れると喜ぶ者は誰一人いなかった。連れていけるのは一人だけだと言われてしまったから、わたしが輿入れしたら全員潔く辞めてやる! とか言っていたけど、どうなったんだろう?
「逃げたら逃げたで、国際問題になりませんかね?」
ただ一人輿入れについてきたサラは、わたしの逃亡計画にどうにも気乗りがしないらしい。慎重派である。
「なってもいいじゃないの。むしろ、なればいいのよ」
「うわ、王女とは思えない発言ですね」
「好きで王女に生まれたんじゃないもの。だいたい、王女らしい生活なんてしてこなかったじゃないの。どこの世界に畑を耕す王女がいるのよ?」
「そうでした」
「生まれた瞬間から親きょうだいに冷遇され、嫁ぎ先でも冷遇され、このまま我慢し続けるなんてまっぴらご免だわ。嫁いできたばかりの混乱に乗じてさくっといなくなれば、結婚したくなかった旦那様だってきっと喜んでくれると思うわよ」
「そううまくいきますかねえ? 一国の元王女が嫁ぎ先から失踪したとなれば、大問題ですよ?」
「まあ、多少は責任を追及されるかもしれないけど、わたし一人がいなくなったところで国同士の関係にヒビが入るわけないでしょう? どっちにしろ、知ったこっちゃないわよ」
わたしの暴言に、サラは諦めたような顔をしながら「姫様は一度言い出したら聞かないからなあ」なんてぶつくさ言っている。
ところが、サラの予測通り、世の中そう思い通りにはいかないわけで――――。
◇・◇・◇
ルキウスは本当に忙しいらしく、朝早く屋敷を出ていって夜遅くに帰ってくるという生活が標準仕様らしい。恐らく、帰ってこられない日もあるのだろう。いくら宰相とはいえ、働きすぎじゃなかろうか?
思った以上に、この家の主人とは顔を合わせる機会がない。
それはそれでラッキー、とほくそ笑んでいたのに、屋敷の使用人たちのほうは予想外に親切で、細かい気配りを怠らなかった。
ルキウスに何をどう言われているのかはわからないけど、みんなにこにこと愛想よく、やたらとあれこれ世話を焼こうとする。心細い思いを抱えて異国に嫁いできたであろう年若い王女を、忙しすぎて放置しがちな主人に代わって心からもてなそうという、謎の気迫が感じられる。
……いや、放っておいてくれていいんだけどね!?
王女なんて名ばかりだし、そのうちさくっと逃げ出してやろうなんて、とんでもないことを画策してるんだからね!?
と内心思いつつも、甲斐甲斐しい使用人たちに申し訳ないから、ひとまず王族仕様スマイル(愛想笑いともいう)を振りまいて誤魔化している。
とにかく、逃げる隙がまっっっったくない。
これにはサラも驚いて、「いやー、さすがは公爵家、死角なしですね」なんて呑気なことを言っている。
そのうち家令からも声をかけられ、「屋敷の管理や財政処理などの家政にまつわる仕事についてお話ししたいと思いますので、お時間を取っていただけますか?」などと言われてしまった。
いや、確かに、あの初対面の日にルキウスには「妻としてこの家の女主人として、家政に努めることはいたします」なんてしれっと言っちゃったけれども。
どうせお飾りの妻扱いだろうから、女主人としての仕事なんて任されるわけがない、と高を括っていたのよ。
そんなのに手を出したら、ますます逃げ出す暇がなくなっちゃうじゃないの……! 本当にもう、どうなってるのよ……!!
なんだか妙に外堀を埋められているような気がする日々の中で、わたしはとうとう、思いもよらない夢を見ることになる――――。
***
そこは、豪華な装飾の施された一室。
インテリアも置いてある調度品も、明らかに高価で上質なものとわかる。
中央付近のソファに向かい合って座っているのは、二人の男性。
一人はだいぶ恰幅のいい壮年の男性で、もう一人は人懐っこい笑みを浮かべる、年若い茶髪の男性。
そこはかとなく緊張感が漂う空気の中、二人はグラスにワインを注いで乾杯した。
でもお互いに、それを口元に運ぼうとはしない。
壮年の男性は言った。
『そんなに警戒することはありませんよ。私は覚悟を決めましたのでね』
『え……?』
『先日、君に面と向かって私の罪を指摘され、遅まきながらようやく目が覚めたのです。明日にでも、潔く名乗り出ようと思っているのですよ』
『デキムス侯爵……!』
『どんな理由があるにせよ、国庫を私的に流用した罪は許されるものではない。いかなる罰が下されるのか想像もつかないが、粛々と受け入れるしかないだろうと覚悟しています』
男性は薄く笑いながらそう言って、ワインを口に含んだ。
年若い男性は、ホッとしたように何度も頷いている。
『侯爵なら、そう言ってくださると思っていました。自ら罪を認めていただけるのなら、侯爵に下される処罰が少しでも軽くなるよう、私も尽力いたします』
『君にそう言ってもらえるとは、ありがたい。このことは、すでに宰相閣下にも……?』
『いえ、ルキウスにはまだ話しておりません。私は侯爵を信じていましたから』
言いながら、年若い男性はグラスを口元に運んでぐいっと一口飲んだ。
次の瞬間、「ガハッ」と咳き込んだかと思うと、勢いよく何かを吐き出す。
それは明らかにワインではなく、赤黒い血のようだった。
『こ、これは――』
『思い知ったか!』
壮年の男性は不気味な高笑いをしながら立ち上がり、床に手をついて倒れ込む年若い男性を見下ろしている。
『若造ごときが、この私に刃向かうからこんなことになるのだ!』
『こ、こうしゃ、く……』
『罪を認めて名乗り出ろだと? 寝ぼけるのも大概にしろ! 財務担当になって以降、何年国庫を横領し続けたと思っているのだ!? 今更反省したところで、恐らく死罪は免れない! そんなこともわからず自首を勧めるとは、とんだ宰相補佐殿だな!』
苦しげにうめく男性を目の前にしながら一切助けようともせず、それどころか彼を放置したまま少しずつ距離をとる侯爵。
『ルキウスに知られる前になんとか手を打たねばと思っていたが、どうやら間に合ったようで安心したよ。君は心おきなく、このまま天国へ旅立ってくれたまえ……!』
嘲笑う侯爵の声は次第に遠のき、倒れ込む男性のうめき声もいつの間にか聞こえなくなって――――。
***
翌朝。
目を覚ました私が、真っ先に思ったことは。
……あの人たち、いったい誰……!?




