1 「君を愛することはない」とは言われなかった
輿入れは、信じられないほど簡素なものだった。
仮にも一国の王女が婚姻するというのに、荷物は必要最低限、連れてきた侍女はたった一人だけ。
母国での冷遇ぶりが薄っすら(というより、がっつり)垣間見えるこの状況に、目の前のルキウス・ザヴィアンはわかりやすく眉根を寄せた。
「ようこそおいでくださいました。アリシア王女殿下」
それでもすぐに平然とした表情を取り戻し、恭しく頭を下げる。
夢で見た通り、ルキウスは透き通るような銀髪にガーネット色の瞳をした、長身痩躯の美丈夫だった。眼光は鋭く、低い声には凛とした威圧感があり、なんというかまあ、全体的に凄みがある。
「輿入れするのですから、わたくしのことはどうぞアリシアとお呼びください」
「では、あなたも私のことはルキウスと」
とりあえず、初対面はそんな感じで、表面的には和やかだった。
「物騒な噂があるわりには、ずいぶんと美しい方なのですねえ」
唯一連れてきた侍女のサラが、小声でつぶやきながらもわかりやすくルキウスに見惚れている。無理もない。この世のものとは思えない美貌に恵まれた体躯を兼ね備え、『稀代の天才』と呼ばれるほどの知性のみならず王家の血を継ぐ高貴な身分をも併せ持つのだから。
もはや神が造り給うた芸術品ともいえる存在なのに、『悪魔宰相』の異名を持つなんて。ちょっとウケる。
その後、わたしは自分のために用意されたと思われる趣味のいい私室に案内され、荷解きも終わらないうちにルキウスから呼び出された。
「あなたには、いくつか説明しておきたいことがあるのです」
意外にも少し緊張しているのか、執務室で待っていたルキウスは心なしか強張った表情を見せた。
「あなたが母国でどのような説明を受けたかわかりませんが、この結婚は私の伯父でもある国王陛下が望まれたことで、私の本意ではありません」
失礼なことを言っている、という自覚はあるのだろう。
でもわたしとしては、「でしょうね」という感想しかない。
なぜなら、わたしはすでに、夢の中でこの説明を聞いているのだ。
「私は宰相として、この国の舵取りを任されています。知っての通り、我がフィニス王国は歴史も浅く、早急に解決しなければならない課題が国内外に山積している。正直言って、結婚どころではないのです。だというのに、いまだに婚約者すら決めようとしない私を心配した陛下が、オディウムとの国交樹立を口実にあなたとの縁談を決めてしまった」
ルキウスはそこまで一気に説明して、はあ、とため息をつく。
まあ、正確にいうと、縁談は「オディウムの王女のうちの誰か」という話だったのだけど。
オディウム王には、五人の子どもがいる。
第一王女のセシリアはすでに他国に嫁いでおり、第一王子ガスパルは王太子。ちなみにこの二人は、正妃の子である。
第二王女のドロテアと第三王女のコルネリアは別々の側妃から生まれていて、年齢が一緒のせいかしょっちゅうつるんで悪さをしていた(主にわたしに対して)。仲がよかったようにも見えるけど、実際はそうでもなかったのでは、とわたしは踏んでいる。
ドロテアもコルネリアももちろんわたしも、まだ婚約者が決まっていない状態だった。だから縁談はそのうちの誰かと、という話だったのだけど、姉二人はルキウスの噂を聞いて輿入れを断固拒否したのだ。
そんなわけで、わたしにお鉢が回ってきたのである。
「もちろん、この結婚が不本意だからといって、一国の王女だったあなたを冷遇するつもりはありません。あなたは今日からこの家の女主人、それ相応の生活は保障いたします。ですが――」
「愛を求めるようなことはしないでほしい、と?」
わたしの言葉に、ルキウスははっきりと眉をひそめた。
最も言いにくい、でも絶対に言わなくてはいけない言葉を先に言われてしまった気まずさと、わたしに対するほんの少しの罪悪感とが、胸の中で渦巻いているらしい。
でもね。
何度も言うけど、わたしがこの話を聞くのは、二回目なのよ。
話の展開を知っているから、つい先に言っちゃっただけなの。
それに、そういう結婚のほうが、わたしには好都合なのよ。
「わかりました」
わたしは鷹揚に、ゆったりと微笑んでみせた。
「あなたがこの国の宰相として息つく暇もないほど仕事に追われ、多忙な生活を強いられていることは聞き及んでおります。わたくしは妻としてこの家の女主人として家政に努めることはいたしますが、あなたの邪魔をするつもりはありませんのでご安心を」
あまりにも物わかりのいい返事に、ルキウスは戸惑いを通り越して怪訝な表情になった。
でもわたしは、あくまでもおっとりとした笑みを返すことで、なんとかその場をやり過ごしたのだ。
◇・◇・◇
「冷遇するつもりはないと言いつつ、それって実質冷遇ですよね?」
執務室での話をサラに伝えると、六つ年上の侍女は不服そうに口を尖らせた。
「陛下が勝手に決めた婚姻だとか、自分は結婚する気がなかったとか、偉そうに何を言ってるんだって感じですけど。しかも『愛を求めるな』なんて、横暴すぎやしませんか?」
「まあ、国同士の結びつきを考えたら、拒みたくても拒めなかったんでしょ。政略結婚なんて、そんなものよ」
「それにしたって、忙しさを理由に妻を放置するのは違うと思います。まったく、うちの姫様をなんだと思っているのでしょうか」
ぷりぷりと目を吊り上げながら不満を露わにするサラがちょっと可笑しくて、わたしは「まあまあ」と笑いながら宥める。
サラは私が十歳のとき、侍女見習いとして王宮にやってきた。勤め始めてすぐにひどい新人いびりを受けるようになり、それを知ったわたしが侍女長をうまく言いくるめて離宮勤めに配置換えさせたのだ。
サラの窮状を、どうやって知ったのか。
もちろん、夢である。
夢の中で、サラはひどい新人いびりを受けるだけでなく、最終的には何かの濡れ衣を着せられて王宮を辞めさせられていた。サラには少し年の離れた病弱な弟がいて、その薬代を稼ぐために給金の高い王宮勤めを目指したのに、である。
実は、わたしが夢見の力で見る夢には、共通点があった。
夢の内容は、決まって自分自身やわたしの大事な人、もしくはこれから大事な存在になり得る人物に関するものなのだ。
そのことに気づいていたわたしは、何食わぬ顔をして、サラの窮状を救った。それがゆくゆくはわたし自身を助けることになる、と知っていたからだ。
もちろん、サラには夢のことを話していない。離宮勤めに変わったのは単なる幸運な偶然だったと、彼女は思っている。だからそのままにしている。
でもサラは離宮に来てから、母を亡くした私にいつも寄り添い、どこまでも親身になってくれた。聞けば、わたしとサラの弟は同い年なのだという。他人事には思えなかったのだろう。
わたしが他国に輿入れするとなって、侍女として誰を連れていくかという話になったとき、真っ先に手を挙げたのもサラである。
「私が姫様の一番の味方ですから!」と公言して憚らないサラは、わたしにとって誰よりも心強い存在なのだ。
そんなサラを前にして、わたしは徐に声を潜めた。
「でも忙しさを理由に放置してくれたほうが、こちらとしては好都合でしょう?」
「……姫様、本当にここから逃げ出すおつもりなのですか……?」




