第八話『手掛かり』
「私からお姉ちゃんを奪わないでっ!」
そう言った少女の言葉が、俺にはよく分からなかった。
いや、あらかたの意味は理解できる。俺に対して『奴らの仲間』だと言ったり、姉を返してと言ったり。恐らく、この子の姉は何かしらの事件に巻き込まれたのだろう。
……そういうことか。この子は姉を捜していて、そんな時に俺が後を尾けたものだから、犯人の仲間だと思ったのか。
「待て、待て待て。落ち着け、誤解だ誤解」
誤解しているというのに、首筋に剣を当ててしまったんだから、もう目も当てられない。これでは誤解を解くどころか、余計に疑心を抱かせてしまうだけだろう。
少女の首に当てていた剣を、鞘に納める。罠だったら、その時はその時に考えよう。死んでもデスペナを食らうだけだ。
「悪い……俺はただ、君が怪しかったから後を尾けてただけなんだ。君のお姉さんとは関係ない」
「怪しかった……本当に、それだけ?」
「本当に、それだけ」
本当は怪しかったからではなく、興味深かったから追いかけただけだが、それを言えばややこしくなるような気がしたのでやめた。
剣を納めても、少女が襲いかかってくる様子はない。俺が犯人の仲間なら、躊躇せずに少女を殺すだろう。それをしないということは、つまり俺は無関係の人間だということを、少女は察したのだ。
ただまあ、少女と同じように、俺も怪しい男であることに変わりはない。特に、彼女からすれば。まだ信用できないこともあってか、キッと睨み付ける瞳は柔らかくならなかった。
「その……紛らわしくてごめん。騎士たちもそこらを走り回ってたから……さ」
状況だけ考えれば、刺客と考えられてもおかしくらない。確かに紛らわしかっただろう。素直に頭を下げて謝ると、少女は埃をはたきながら立ち上がった。
そして、さっきまで振るっていた短剣の切っ先をこちらに向け、威嚇するように言った。
「……本当に、奴らの仲間じゃないの?」
「奴らってのが誰かも分からないし、仮に仲間なら、こんなことをせずに君を殺したほうが楽だ」
「罠の可能性は?」
「無いと証明する手段はない。怪しいと思うなら、背後から首に短剣を当てて話してくれればいい」
両手を上げ、交戦の意思がないことを証明した。その様子を見て、少女は頭に手をやり、何やら大きなため息をこぼした。
「……ひとまず、敵じゃないとだけ思っておくわ」
「ありがとう、助かるよ」
どうやら、敵でないことだけは理解してくれたようだ。まだ、信用はされていないようだが。
「取り敢えず場所を移そう。ここは目立ちすぎる」
「……分かった。こっちへ来て」
少女の後を追うように、2人で物陰へと移動した。ここならば、多少話していても誰かに見つかることはないだろう。
ようやく話ができると踏み、早速本題へ入ることにした。
「俺の名はカイン。君は? 何があった?」
「……私は、ミオ。攫われたお姉ちゃんを捜してる」
ミオ、と名乗る少女はそう言った。
……そういえば、妙だな。
『オブオブ』では、対象がNPCであれば、頭上に名前が浮かぶはず。フードを被っていた状態ならまだしも、俺はもうミオの顔を見ている。
なのに、頭上に名前が表示されていなかった……仕様か、それともバグか?
だが、ミオの名乗りを聞くと同時に、それも解消された。彼女の頭上に、『ミオ・???』と表示されたのだ。職業が設定されていないNPCは、名前だけが表示される。『???』という表記があるということは、職業自体は設定されているということ。
(……ゲームの仕様か? 何らかの重要NPC?)
可能性はある。町中にいるモブNPCと違って、ゲーム上重要となるNPC。『ネタバレ』になるために、敢えて名前が表示されないようになっていた、という可能性。
だとすれば、初めにこの子を見た時に感じた既視感は、気のせいではなかったのかもしれない。ゲームの事前情報で見かけたのかも。思い出せないが。
それはともかく……状況は概ね予想通りだ。あの様子からして姉が攫われたのではと思ったが、やはりそうだったか。
問題は、その理由だ。ミオの姉本人に攫われる理由があったのか、家族への恨みがあってのことなのか、或いはその両方か……個人的な話だから、話してくれるかは微妙なところだ。
「やっぱり、そういうことか……お姉さんは何で攫われたんだ?」
「……事情は言えない。けど、攫った連中の目星は付いてる」
ミオが苦い顔をして言う。
やはり個人的な話だから、詳しい事情までは話してくれなかった。だが、攫った犯人に目星が付いているということは、少なくともミオもその犯人とは関わりがあるということだ。もしくは、攫われる現場を目撃していたか……目星が付いている、と言う辺り、犯人から直接の接触があったわけではないだろう。
そして、『連中』ということは、犯人は複数人。そこまで確証が得られているのか。
それから感情が昂ったのか、ミオはやや怒鳴り気味に言った。
「私にとっては、たった1人のお姉ちゃんなの。でも、お父さんたちも誰も、慎重になって動いてくれない……!」
その気迫に、やや圧される。こんな少女が発して良い気迫ではない。
父親たちからすれば、下手に動けば娘に危害を加えられる、と考えて動けないのだろうが……まだ小さなこの子には、そういう事情は難しいのかもしれない。
「それは……慎重になるのも、分からなくはないよ」
「怖がってるだけじゃないっ! 早く助けないと、何されるか分からないでしょっ!?」
「それはまあ……そうだけど」
その言葉も、あながち否定はできない。
誘拐事件というのは難しい。下手に動けば危害を加えられるかもしれないし、救出が遅れれば間に合わないかもしれない。助けたいのに、動くに動けないもどかしい状況。
……何とかして手伝ってやりたいが、ミオがまだこちらを信用しきっていない辺り、今はまだ難しいか。
「私が……私が助けるんだ。お姉ちゃんは、私が必ず助けるんだ」
そう言って、ミオはフードの中から、緑色に輝く宝石を取り出した。
いや、宝石ではない。それは、『どこかで見覚えのあるペンダント』だった。
「そのペンダントは……!」
「昔、細工職人の知り合いに頼んで作ってもらったの。お姉ちゃんと2人、お揃いで」
特注品……つまり、この世に2つしかないペンダント。
インベントリから、路地で手に入れたあのペンダントを取り出す。その2つは、やはり同じものだった。
「……ミオ、これ」
そのペンダントを、ミオに見せた。その瞬間、ミオの表情に驚愕と警戒心が現れ、彼女は短剣を構えた。
「なんで……お姉ちゃんのペンダントをっ……!」
「ま、待てっ! 町中で見つけたんだ! 別に本人から奪ったわけじゃないっ!」
不用心だった。確かに、いきなりペンダントを見せれば、俺が奪ったと思われる可能性はあったのに。
短剣を構えるミオを必死になだめ、落ち着かせる。これは路地で見つけたもので、民家の排気パイプらしきものに引っかかっていた、そう説明すると、ミオは顔をしかめた。
決して嘘はついていない。それを信じるか信じないかはミオ次第だが……短剣を下げてくれたのを見る限り、どうやら信じてくれたようだ。
代わりにと言ってはなんだが、目の前までやってきて、胸ぐらを掴まれた。
「それ……どこ!」
「案内はしてもいいけど……そこに手掛かりがあるとは限らないぞ」
「いいから、案内してっ!」
鬼のような形相でせがまれ、断りきれなかった。手掛かりがあるかどうかは分からないが、案内するだけなら何も問題はない。今日のことだ、まだ場所も覚えている。
「わ、分かった分かった。案内するから離してくれ」
「……ごめんなさい」
冷静になったのか、少ししょぼくれながら手を離すミオ。実の姉が攫われたのだから、冷静でいられないのも無理はない。なんだか、放っておくのも危ないような気がしてきた。
……どうせなら、最後まで付き合ってあげたい。彼女はNPCだ。プレイヤーではない。作られた存在であって、生きた人間ではないんだ。
だけど、こう言ってはおかしいかもしれないが、人間よりも人間らしい。手伝える範囲では手伝ってやりたい。
「じゃあ……付いてきてくれ。案内する」
ミオは小さく頷き、フードを被って、子猫のように後ろをついてきた。昼過ぎに訪れたあの路地に向かって、俺たちは2人で歩き出した。
* * *
「手掛かり……無かったな」
「……うん」
結論から言うと、ペンダントを見つけたあの場所に、手掛かりらしきものはなかった。ペンダントは、犯人がミオの姉を連れ去る時に落ちたものが、偶然あそこに引っ掛かったのだろう、という話に落ち着いたのだ。
見るからにしおらしくなっているミオ。結果的に手掛かりが無かったとは言え、こうなるならば、最初からペンダントを見せなければ良かったのではないか。
……犯人の目星は付いている、と言っていた。その犯人が誰なのかを教えてくれれば、捜索に役立てるかもしれないのに。
(いや……俺もこの町には詳しくないし、難しいか)
まだゲームが始まってから2日目。俺だってアギニスの全貌を把握しているわけではない。情報があったところで、捜すのは難しいだろう。
「……まあ、そう気を落とすな。どこかに必ず、手掛かりがあるはずだ」
ミオの肩に手を置き、そう投げかけるが……ミオは、軽蔑するような瞳で、その手を弾いた。
「……呑気なこと言わないでよ。他人事だからって」
……その言葉に、何も言い返せない。
迂闊だった。ミオからすればたった1人の姉。こうしている間にも、姉の身に何かが起きるかもしれないと、不安で仕方ないはずだ。
「お姉ちゃん……」
姉のペンダントを握り絞め、その場にうずくまるミオ。
……その時だった。ミオの持つそのペンダントから、思わず目を覆ってしまいたくなるほどの光が溢れ出したのは。
「うっ……!?」
「な、なにっ!?」
半目になりながら、何が起きているのかを理解しようとした。やはり、光はペンダントから発せられている……というよりは、ペンダントそのものが発光しているようだった。
溢れんばかりの光は、やがて1本の光の筋へと収縮される。そして、俺たちの目の前……虚空に、光の文字を描き出した。
「こ、これは……」
何が起きているのか分からない。それはミオも同じだろう。だが、何が描かれたのかは分かる。
『ヴィゾ通り 14の8』
これは……『住所』だ。ヴィゾ通りといえば、町の南にある貧困街……14の8は正確な住所だろう。
この住所……希望的観測で言えば、ここが犯人のアジトなのだろう。だが、だとしたら何故、その住所を刻んだペンダントが、全く別の場所に落ちていたんだ……? ミオの姉は、誘拐された後、一度逃げ出したのか?
或いは、今回の事件とは全く関係のない、ミオの姉が個人的に関係のある住所。恋人、とか、友人、とか。
「ミオ、この住所に見覚えは?」
「ううん、ない……ヴィゾ通りには行ったことないもの」
ならば、少なくとも家族ぐるみで繋がりのある住所ではあるまい。行ってみる価値はあるな。
光の文字は少しすると消え、ペンダントの発光も収まってしまった。住所は覚えたから問題はない。
「……カイン!」
ペンダントを握り締めたままのミオが、振り返りながら俺の名を呼んだ。名前……初めて呼ばれた気がする。
その目には光がこもっていた。やっと手に入れた手掛かりだ。ミオのためにも、これを無駄にするわけにはいかない。
「ああ、俺も一緒に行くよ。2人でお姉さんを助けよう」
「……ありがとう。お姉ちゃんを助けたら、お礼は必ずする」
「楽しみにしておくよ」
目指すはヴィゾ通り14の8。時間も時間だが、乗りかかった船だ。最後まで付き合おう。