第七十九夜 異界よりのもの -1-
夜が去り、朝が訪れます。
思い返すだに恐ろしい惨禍の翌々日。ウシャルファの街では大規模な軍勢が起こされようとしておりました。それはダバラッド、シーカ、ケッセルの三国から成る、騎兵を中心とした一万三千の軍勢です。
数百年の間、これらの国は互いに領土を接し、大小の紛争を繰り返す関係にありました。しかし未曾有の災厄が彼らを糾合し、歴史的にも稀有な協力関係を成立させたのです。
軍勢を率いるのは、ダバラッドのダワール・クム・シャルカン、大臣アズバァイル。シーカの若き勇将キンク・ギルザルト。ケッセルの〈戦姫〉ジェディア・イリーン。そして高貴なる妖霊ドゥーザンニャード。
事態の鍵を握る古代の魔術師エルも、この軍勢に加わっています。詳しい素性は知られておらず、直属の兵がいるわけでもありませんが、彼女が守護者と肩を並べることに、異論を差し挟む者はおりませんでした。
キンクとジェディア姫については、ここ何日か行方知れずとされてきましたが、ウシャルファへの救援があった際に、その生存が明らかとなりました。実のところ、彼らはそれぞれ数日前に、敵の大規模な攻勢を受け、本国への撤退を読儀なくされていたのです。
とりわけジェディア姫については、かなり手痛い損害を被ったようでした。ケッセルの野営地が巨獣によって壊滅したとき、親衛隊である〈麗しき剣士〉はほとんどが討死し、ジェディア姫自身も負傷して片目を失いました。
しかしそこは闘争心溢れる彼女のこと。傷痕も生々しい姿でふたたび兵を集め、救援に馳せ参じたというわけです。
市井の人々によると、ジェディア姫とシャルカンの間には一風変わった情愛が育まれている、などという噂もあるようですが……。そのことについては、またいつか語ることにいたしましょう。
ときを少し遡ります。
軍勢を組織するにあたっては、エルが中心的な役割を果たしました。彼女は援軍が到着してからも、まったく休むことなく残敵の掃討に当たり、負傷者を救護し、打ちのめされた人々を鼓舞し続けました。状況が多少なりとも落ち着いた未明には、各国の主だった者たちを集めてくれるよう、シャルカンに訴え出ました。
そうして設けられた場で、エルは意見を述べました。いま集まっている兵力を再編成し、アモルダートへ向かうことが必要である、と。
軍勢が掲げる表向きの目的は、アル・アモルの討伐。しかし作戦の真意は、あくまでも陽動です。ザーランディルを持つラーシュが、アル・アモルの首元まで迫るのを助けることです。
その真意を知らされると、当然のことながら反発が起こりました。
なるほどラーシュ・ギルザルトなる者は、確かに卑しからぬ家柄を持っている。どうやら相当に腕も立つらしい。しかし我々の優秀な配下が、偶然にザーランディルを持つことになっただけの若輩の補助に回るというものは、果たしていかがなものか。
それに対してエルがおこなった説得でもっとも効果的だったのは、〈魔宮〉の最奥へと到達した者だから、というものでした。〈魔宮〉より現れた災厄を討つのに、これ以上の適役がいようかという、ある意味で非常に感情的な主張でした。誰もが幼いころ、炉端や寝床や軒下で聴いた、英雄譚の再来を期待させるような焚きつけでした。
絶望に対しては希望を。
最終的に、エルの意見は容れられました。論調に大きく影響したのは、やはりシャルカンとアズバァイルの態度でしょう。彼らは会議の間、アル・アモル――かつてアモルダートから退却する途上に垣間見えた、六つの翼を持つ盲目の大長虫――の姿を、ありありと思い浮かべていたに違いありません。
たとえ百万の軍勢を集めようとも、あんなものと正面から戦って勝つことなどできぬ。そう理解していたからこそ、エルが立てた作戦に同調するほかなかったのでしょう。
こうして、過去に例を見ない軍勢ができあがったのです。
さて、ときを現在に戻しましょう。
払暁のウシャルファ郊外。あたりに広がるのは痛々しい破壊の痕跡です。大挙した夜の獣によって踏み荒らされた畑、突き崩された家屋、根本から折られた木々。見た目だけでも元通りになるのは、いったいいつの日になることか。炸裂した〈星の火〉によって黒く焦げ、あるいは溶解した地面も、凄惨な雰囲気を強めておりました。
しかしそのような光景の中に在って、集結した軍勢の勇壮な佇まいは、人々に大きな希望を与えました。
長槍を携えた駱駝騎兵。人馬ともに鎧われた重装騎兵。刺繍つきの革鎧を纏う弓騎兵。刺々しい槌矛を担ぐ軽装歩兵。剣と楯を備えた重装歩兵。頭に羽飾りをつけた長弓兵。そして旗手や伝令、輜重隊までもが整然と並ぶ様子は、壮観という言葉では到底足りないほどでした。
しかしなんといっても目を引くのは、軍勢の最前で一列横隊を組む屈強な青銅の妖霊たちと、その中央上空に浮かぶ、白銀の妖霊ドゥーザンニャードでありました。
ドゥーザンニャードが勇ましくラッパを吹き鳴らすと、青銅の妖霊たちが、出征の歌を朗唱します。
火と風より生まれた我ら
死して横たわる奥津城もなし
なれば勇猛果敢の果てに
命の証を打ち立てよ
妖霊の国の一万の
鐘楼を支えるは我ら
邪なる黒鉄の槍を防ぐ
壁となり楯となるは我ら
おお、この肉体の
炎の色は青銅なれども
知恵は白銀、こころは黄金
煌めきは明星にも劣らぬ
広大無辺の漠土を進め
砂粒ひとつの名誉目指して
とまるは恥、さがるは滅び
声高く叫べ、火と風の子らよ!
その歌がもう一度繰り返されたあと、感じ入った聴衆の歓声を掻き消すように、別のラッパが吹き鳴らされました。軍勢がぞろりと動きはじめます。いよいよ、アモルダートへ向けて出発するときです。
ウシャルファからアモルダートまでは、徒歩で一日半の距離。敵とぶつかることがなければ、軍勢は目的地の手前でひと晩を明かし、翌日にはアモルダートの近くまで進むことになるでしょう。
このとき、タルナールたちは大門の上に立ち、出征の様子を見ておりました。防壁のすぐ外にいる野次馬たちも、守備を任された兵士たちも、いま目にしている軍勢が災厄を終わらせてくれると信じ、希望の表情を浮かべています。
出征していく兵士たちの佇まいも。自負と覚悟を宿した頼もしいものです。軍勢が陽動であると知っているタルナールでさえ、あまりに立派な光景を見て、彼らだけでアル・アモルを討てるのではないか、と楽観したくなりました。
しかし、それは危険な期待です。この戦いにおいて、楽観は致死的な陥穽になり得ます。
「出発は明朝だ」と、タルナールは気を引き締めつつ、仲間たちに言いました。「準備に漏れがないようにしよう」
*
タルナールたちがアモルダートへ向かうにあたって、絶対に必要なのがルアフときょうだいたちの協力でした。いくら大軍勢がアル・アモルの気を逸らしているとはいえ、地上からのこのこ近づくのでは、有効な奇襲になりません。
とはいえ、自分たちとアモルダートに向かってくれというのは、すなわち死地につきあえということです。エルから作戦を告げられた直後、これは中々困難な説得になるぞ、とタルナールは考えました。もし断られたらどうしよう、と不安にもなっておりました。
しかし結局、その心配はまったくの無用でした。トゥーキーたちはタルナールの頼みを聞き入れるどころか、大喜びで賛成したからです。
よくよく考えれば、ルアフはその豪胆さゆえ、命知らずゆえにタルナールたちと出会ったのです。周囲の嘲笑を意にも介さず翼を鍛え、〈禁じられた塔〉と呼ばれていた縦穴に挑み、そして実際に最上部まで辿り着いてみせたのです。
彼のきょうだいたちにしたところで、まったく未知の世界に出て臆することもなく、夜の獣たちを相手取って、実に果敢な戦いぶりでした。彼らにとってみれば、いまは待ちに待った冒険のとき。命のひとつやふたつ、言われなくても放り出してやる、といった心持なのでしょう。
そういうわけで、最大の懸案は既に解決しておりました。あとは装備や持ち物の用意ですが、あまり多くは持っていけませんし、その必要もありません。また使い慣れない物を持っていっても、いざというとき役に立たない可能性もあります。
それでも一行は、少しでも目論見がうまくいくよう、いくつかの装備を追加、あるいは交換することにしました。
ひとまず大きな追加としては、トゥーキー用の鞍が挙げられます。タルナールたちはエイブヤードからウシャルファまで、ルアフときょうだいたちの脚に捉まれるか、身体をぶらさげる形で移動――というよりも運ばれてきました。
これはどうあっても痛みや疲労を伴いますし、墜落や衝突の可能性も低くありません。そこで、タルナールたちはトゥーキーの背中に跨って移動できるよう、駱駝の鞍を改造して使うことにしました。試してみた結果、出来はなかなか悪くないもので、道中を多少なりとも快適に過ごせる見込みが立ちました。
タルナールとエトゥは新しい武器を購いました。それぞれ、先日の戦いで失ってしまったからです。どちらも、前のものとそう変わりありません。
ネイネイも杖を失っていましたが、彼女は新しいものを設える代わりに、〈星の火〉入りの壺をひとつ、持っていくことにしました。これは巨獣に命中させたものと同じ、極大の威力を発揮する特別製のものです。
ほかの変更としては、革鎧を換えた程度でしょう。これもまた繰り返しの戦闘で、ぼろぼろになってしまっておりました。
あとは最低限の水や携帯食、そして勇気だけが、現地に持ち込むすべてです。




