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千夜の魔宮の物語  作者: 黒崎江治
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第七十二夜 人界の守り手たち -3-

 夜が去り、朝が訪れます。獣の侵攻はまだありません。


 昨日、シャルカンのもとを辞したタルナールたちは、しばらく市街を歩き回ったあとで、城館近くに一軒の酒場を見つけました。亭主に尋ねてみると、ほとんどの部屋はダバラッドの士官たちで埋まっているが、ちょうどひとつだけ空きが出たとのこと。


 五人で使うにはかなり手狭ですが、ほかを探して見つかる保証もありません。タルナールはひとまずその部屋を借り、しばらくの寝床とすることに決めたのでした。


 そこは敷物が数枚あるだけの埃っぽい空間でしたが、石造りの壁はしっかりしていて、夜気を充分に防いでくれました。


 そしていま、タルナールは部屋の窓際で寝転がりながら、物思いに耽っておりました。ほかの仲間たちはそれぞれ外での用事を見つけたらしく、早くから出かけていってしまいました。


 しかしタルナールとて、なにもしていないわけではありません。むしろ久方ぶりに、吟遊詩人らしいことをしていると言ってもいいでしょう。


 つまるところそれは、物語の創作です。


 タルナールは〈魔宮〉を巡る冒険が終わりに近いことを予感し、これまでにあった出来事を頭の中でまとめ、素晴らしい叙事詩とするための構想を練りはじめたのです。


 即興も不得手ではありませんが、やはり長大な歌や物語を創るときには、じっくりと時間をかけて、というのがタルナールのやり方です。そしてタルナールは実のところ、歌や物語を披露することよりも、それらを創ることの方が好きでした。


 歌や物語を創らない吟遊詩人もいます。むしろ、そういう者の方が多いかもしれません。なぜなら、古典の傑作や最近の流行りより優れたものを創るのは容易でなく、またどれだけ苦心したとしても、創る時間自体は銀貨を生み出さないからです。


 しかし稼ぎにならない時間こそが、タルナールにとっては楽しみでした。渦を巻き躍動する旋律をひとつの流れにすることも、架空の断片を積みあげて物語にすることも、事実に情感を練り込みながら再構成することも、タルナールにとってはこのうえなく充実した作業なのです。


 ああ、僕はやはり吟遊詩人だ、とタルナールは思います。狩人でもなく、魔術師でもなく、剣士でもなく、ましてや王でもない。歌い、物語る者なのだ、と。


 ここしばらく、慌ただしく危険に満ちた日々の中で、その気持ちを忘れていたようです。


 ひとたび本分に立ち返ってみると、ここ二、三日のうちに固く凝った気分が、少しだけ緩んだような気がしました。


 うまくやろうとするな、タルナール。お前はお前らしく在ればいい。物事を最後まで見届けるのに、やり方を変える必要はない。


「よし」


 一刻ばかり没頭したところで、タルナールは現実に戻ってきます。


 頬をぴしゃりと叩いてから立ちあがり、ぐいぐいと脚や腰を伸ばしたりひねったりすると、まあまあ爽快な気分になりました。


 それからふと、エトゥの様子を見にいこうと思い立ちます。タルナールはさっそく、最低限の身づくろいをしたあとで、数枚の銀貨と自らのリュートだけを携え、酒場の部屋をあとにしました。


 昨日、ウシャルファの入口で一行と別れたあと、エトゥがどのように過ごしたのか、タルナールは大体のところを聞き及んでおりました。


 孤児院の子どもたちを捜すため、エトゥは早速街の人間に彼らの消息を聞き回りました。そしてどうやら北の防壁の外側に、アモルダートからの避難民が多くいるということを突きとめたのです。


 エトゥはすぐにその場所へ走っていき、まもなくオアシスの近くにそれらしき集団を見つけました。ほとんど野晒しの状態で、不安げに丸まったいくつもの背中を。


 二十人近くいる子どもたちは、みな無事でした。逃げる際に転んで軽い怪我をした者はいますが、足腰が弱っているレンヤを含め、なんとか全員がアモルダートからの脱出を果たしていたのです。


 孤児院がアモルダート市街の中心部から離れていたこと、運ぶのに手間のかかる財産を持っていなかったことが、間一髪で獣の爪や牙を躱す助けとなったようでした。


 確保した宿のことを伝えても、エトゥは子どもたちの傍を離れたがりませんでした。それも人情として当然だろうと考えたタルナールは、ひとまず酒場の場所をエトゥに伝えるに留め、自分たちだけで市街へと戻っていったのです。


 その際タルナールは、ルアフとそのきょうだいたちにも、オアシスのあたりにいてくれるよう頼みました。ウシャルファの人々は思いのほか彼らの姿を恐れませんでしたが、市街ではいつどんな厄介ごとが起こるか分かりません。


 それに開けた場所であれば、ルアフたちが飛び回りたい気分になったときにも、あまり遠慮をせずに済むだろう、と考えてのことでした。


 子どもたちは夜、凍えなかっただろうか? ルアフたちとうまくやっているだろうか? 酒場を出発したタルナールは曲がりくねった街路を進み、北に面した大門から防壁の外へ出ていきました。


 あたりでは、用水路の左右に植えられたナツメヤシの旺盛な葉が、風に揺れてざわざわと音を立てておりました。いまは兵士が幾人か巡回して、腹を空かせた避難民がナツメヤシの実を盗んだり、寒さをしのぐために葉を毟ったりしないよう、目を光らせているようでした。


「このあたりで大きな鳥を見ませんでしたか」


 タルナールは兵士のひとり近寄って尋ねました。


「それなら、あっちにいたぞ」と、若い兵士は答えました。「いったいどういう種類の鳥なんだろうな?」


 タルナールが兵士の示した方に歩いていくと、先の方でトゥーキーと子どもたちの戯れる姿が目に入りました。近くでは防壁に立てかけるような形で、簡素な天幕がふたつばかり張られておりました。


 そしていましがた、タルナールに気づいたらしいエトゥが、天幕の中から出てくるところでした。彼の表情は昨日よりも和らいでいましたが、それでもやはり穏やかとは程遠いものでした。


「兵士から配給を受けたんだ。天幕に使う布に、食料も少し」と、エトゥは言いました。


「なにか足りないものがあれば届けるよ」


 タルナールは言いました。とはいえ、あまり大盤振る舞いはできません。


 これまでの探索で、タルナールが手に入れたアモル石は相当な量となっていて、それらを換金することによって得た貯えは、金貨にして数百枚にも及びました。


 しかしそのほとんどは〈病人街〉の宿に置いてきてしまいました。アモルダートが陥落したいまとなっては、完全に失ったものと考えなければならないでしょう。


 現状で財産と言えるものは、万が一のため荷物の中に入れていたダワーリー金貨とシックル銀貨が数枚ずつ。それからいざというときのため、衣服に縫い込んでいた小さなルビーがひとつ。


 あとは縦穴の底で回収したアモル石も若干ありますが、これをウシャルファで換金するのは難しいかもしれません。


「いや、モノにはそれほど困ってない。困ってるのは……」


 エトゥは言葉を途切れさせ、遊んでいる子どもたちの方に目を遣りました。


「昨日は、誰かに抱き着いていないと眠れない子が三人いた。夜中に悪い夢を見て叫んだ子がふたりいた。ふだんはしない寝小便をした子がふたりいた。微熱の続いている子も、遊べないほどに塞ぎこんでいる子もいる。もう六歳なのに、二歳や三歳に戻ってしまったような子もいる」


「レンヤさんとサーニャはどう言ってる?」


 タルナールは尋ねました。


「これ以上は逃げられない、と言っている。その通りだ。貧しい中で必死に暮らしてきたのに、突然夜の獣に追い立てられて、ようやくのことでここまでやってきた。生活のあてがあるならまだしも、大勢の子供が――半分以上はまだ十歳にもなっていないのに、どうやってこれ以上、流浪を続けられる?」


 エトゥは胸に溜まった思いを吐露するかのように、強い口調で語りました。


「あとどれだけ、子どもたちは奪われればいい? あとどれだけ、サーニャは苦労すればいい? こんなのは理不尽だ、タル。理不尽だ」


 タルナールは彼の問いに対する答えを持たず、ただ沈黙を共有することしかできませんでした。風に吹かれて飛んできた砂が、ぱちぱちとふくらはぎに当たります。


「獣はまた襲ってくるだろう」と、エトゥは子どもたちに聞かれないよう、声を落として言いました。「おれはそれまでに矢を集めて、ヤツらがやってきたとき、残らず鼻面に叩きこんでやるつもりだ。ヤツらがおれの腕もはらわたも喰い尽くすまで、子どもたちに近づけさせないつもりだ」


「あんまり自棄になっちゃだめだ」と、タルナールはやっとのことで言いました。「街には守護者(ダワール)の軍隊がいる。エルとネイネイもなにか考えてるみたいだ。絶望するのはまだ早いよ」


「……そうだな」と、エトゥは言って、雰囲気を変えるように話題を転じました。「ルアフたちは案外子どもの扱いがうまいんだ。我慢強いし、怪我をしないよう気遣ってくれてる。羽毛がふかふかして柔らかいのも、子どもたちと相性がいい」


「彼らの食べ物ぐらいは、あとで僕が見繕ってこよう。それとも、蛇や虫なんかの方が好きかな?」


「あとで本人たちに聞いてみればいい。それよりも、タル。また子どもたちに歌を聞かせてやってくれ。少しでも気分が明るくなるようなものを。みんなで歌えるものもいい」


「うん。もちろんだ」


 タルナールはそう言って、子どもたちを呼び集めるため、彼らの輪の中に入っていきました。

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