第七十三夜 人界の守り手たち -4-
夜が去り、朝が訪れます。獣の侵攻はまだありません。
昨日、タルナールは孤児院の子どもたちと過ごし、夕刻ごろ宿に戻って休みました。ラーシュもそのうち部屋に帰ってきましたが、エルとネイネイは一晩経っても帰ってきた様子がありませんでした。
はて、いったいどこでなにをしているのか? 困ったことでもあったのか? タルナールは朝方起き、またひとしきり創作のための思索に耽ったあとで、今日は彼女らを捜しに出かけよう、と思い立ちました。
もともと住んでいた五千の人々に加え、その三倍近くの兵士たちを抱え込んだ街で、たったふたりの人間を捜すのは、ふつうに考えてとても骨の折れる仕事です。
しかし、彼女らは別に逃げ隠れしているわけはありません。きっとなにか、魔術師としての用事なり役目なりをこなしているのでしょう。そう考えれば、必ずしも方々を探し回らなくても済むはずです。
ひとまず城館に向かったタルナールは、そこで運よく見知った顔を見かけました。先日、ウシャルファの外れに着陸した一行の様子を見にきた、守備兵の隊長です。タルナールは彼を捉まえて、エルとネイネイの容姿を説明しつつ、このあたりに魔術師がいそうな場所はあるか、と尋ねました。
「あのふたりは魔術師だったのだな」と、隊長は手で顎髭をしごきながら言いました。「彼女らがいるかどうかは分からんが、城館の裏手で、魔術師や錬金術師たちがなにかやっているようだ」
「なにか?」
「詳しいことは分からん。そういえば、昨日は油の樽を運び込んでいたかな」
「……とにかく、行ってみることにします。ありがとう」
タルナールは隊長と別れて、ぽくぽくと歩きながらそれらしい場所を探します。そして間もなく、陽の当たらない敷地の一角に、いかにも怪しげな建物を発見しました。
どうやら鍛冶場のようですが、いまは外壁の上部に開いた排気用の窓から、絶えず青みがかった不思議な煙を吐き出しておりました。煙は屋根のあたりまでのぼると、火花を散らしてより薄い色の気体に変じ、やがて風と混じって消えていきます。
鉄を溶かしたり鋼を鍛えたりして出る煙ではありません。アモルの精錬とも違います。ともあれなにがおこなわれているかは、直接見れば分かることです。
タルナールが鍛冶場の戸口に近づいていくと、ちょうど中から出てくる者がおりました。黒い長衣に身を包み、頭も口元も布で覆ったその女性は、タルナールがいることに驚いて、抱えている壺を落としそうになりました。
タルナールが女性の手の中で踊る、丸い素焼きの小さな壺を押さえてやると、彼女はほっと息をついて、壺を胸にかき抱きました。どうやらとても大事なものか、慎重な扱いを要するもののようです。
いえ、それはともかくとして。
「ネイネイ、ここにいたのか」
髪と口元を布で隠し、普段と違う服を着ていても、そのエメラルド色の瞳だけは間違えようがありません。
「タル? どうしたの、こんなところで?」と、彼女は口元の布をおろして言いました。
「宿に戻ってこないから、様子を見にきたんだよ。鍛冶場なんかでなにをしてるんだ? その壺にはなにが入ってるんだ?」
「ちょっと仕事を……」
そう言うと、ネイネイは近くの石垣にタルナールを招きました。
「少し話そう。どうせ、休憩するつもりだったから」
彼女は慎重に壺を置き、石垣の根元に腰をおろしました。頭に巻いていた布を剥ぎ取り、それでぱたぱたと頬を扇ぎます。鍛冶場の中は相当暑くなっているようで、彼女の額は汗で濡れておりました。
タルナールもネイネイに倣って腰をおろしましたが、まだ得体の知れない壺からは、少しだけ離れて座りました。
「この壺の中には〈星の火〉と呼ばれる物質が入ってる。〈星の火〉は古代の戦争で使われた兵器で、現代には製法が伝わってなかったんだけど、エルが秘密の精製法を教えてくれた」
「どういうものなんだ?」と、タルナールは尋ねます。
「すごく簡単に言うと、とんでもない高温で燃える油かな。エルはこれを壺に詰めて、投石機で飛ばそうとしてる。うまく敵の群に投げ込めれば、大きな被害を与えられるはずだって」
「それでいま、急いで量産してるってわけか」
「うん。ただ繊細な作業だし、錬金術の知識を持たない人がやると危険だから、あんまりたくさんは作れてないんだけど」
ネイネイは傍らの壺を拾いあげて、表面を確かめるように手の中でゆっくりと回しました。それを見ていたタルナールは、壺になにやらびっしりと、魔術的な紋様が描かれていることに気づきます。
「これは私が描いたもの。シャルカン陛下の軍が見たっていう、巨獣のことは聞いた? そういう敵が攻めてきたときには、これを使う予定なの。〈星の火〉がより大きく、より激しく燃えるように。どれくらいの威力になるかは分からないけど」
「もしかしてさっき壺が割れてたら……」
「中身が少し漏れたぐらいじゃ燃えない。強く叩きつけたり、火の気があったりすると大変だけど」
ネイネイは壺をゆっくりと地面に置くと、やや声の調子を落とします。
「私の魔術は、私が考えてるより凄いものだって、色んな人に言われた。物の本質を引き出すだけじゃなく、その限界を超えられるようにする、凄いものだって」
言葉の中身とは裏腹に、ネイネイの顔はあまり嬉しそうな、晴ればれとしたものではありませんでした。彼女は自分の髪にひと房混じる銀毛の束を弄びながら、ためらいがちに続けました。
「人の役に立てるのは嬉しいし、夜の獣を殺すために魔術を使うのは全然嫌じゃない。孤児院の子どもたちとか、街の人とか、仲間を守るために使えるなら、いくらでも頑張るつもりでいる。でも、この騒ぎが終わったあと、私はどうすればいいのかな。自分の力をどう使えばいいのかな」
「不安があるんだな」と、タルナールは言いました。
「私はみんなと一緒にエルと会って、彼女から〈魔宮〉の秘密を聞いた。その秘密をムジルタの里の師に報告すれば、私はきっと使命の達成を認められる。そうしたら、あとは私の自由。良識に従って、好きなように生きればいいってことになる。でも? 自由に生きるってどういうこと?
私はね、タル。冒険の終わりが怖い。戦いの終わりが怖い。自分で自分の行く場所を決めなきゃいけなくなるのが怖い。ウシャルファに来てからずっと壺に向かって作業をして、将来を考えないようにしてる。おかしいよね。みんなが生きるか死ぬかっていうときに」
「そんなことはない」
ネイネイから投げかけられた弱気を受けとめながら、タルナールは以前に語られた彼女の生い立ちを、ぼんやりと思い返しておりました。
生まれてすぐに才を見いだされ、里に預けられたネイネイは、望むと望まざるとに関わらず、魔術師として育てられました。知識は多く与えられましたが、世俗に慣れる機会は与えられないまま、彼女はやがて里を出ることになりました。行先の案内となるものは、直前に告げられた意味深な使命の文言のみ。
長い旅や使命を巡る試行錯誤の中で、ゆっくりと自らの道を見つけていけばよい。あくまでもタルナールの想像に過ぎませんが、もしかするとネイネイの師は、彼女の前途についてそのように考えていたのではないでしょうか。少なくとも、里を出て一年と経たずエイブヤードの地下深くに至り、歴史に埋もれていた真実を明らかにするなどとは、思ってもみなかったに違いありません。
使命があまりにも早く達成されたために、ネイネイ自身の戸惑いは、ぽつんと置き去られてしまったのです。十年とは言わずとも、せめて三年の時間があれば、彼女の心持は随分と違ったことでしょう。
タルナールには、ネイネイの不安と弱気が理解できました。寄る辺のない不安というものは、なにも魔術師だけの専売ではありません。自ら吟遊詩人の道を志したタルナールも、似たような境地に立ったことがあるのです。
「僕が言えることはあんまり多くないけれど」
タルナールは少しの沈黙を挟んでから、ゆっくりと口を開きました。
「迷ったり、転んだり、行先が分からなくなったりしても、急に足元の地面が消えることはない。いまはなにかと慌ただしいけど、物事が落ち着いたらゆっくり考えればいい。僕でよければ、いくらでも相談に乗るよ」
「……うん」
「マヌーカにも意見を聞いてみたら? 同じ魔術師だし、参考になるんじゃないかな」
これは少し、冗談めかして言いました。
「あの人はまだ苦手だけど……」
ネイネイはまだ幾分か自信なさげに、それでも少しほっとしたように微笑むと、おもむろに立ちあがってから、〈星の火〉入りの壺を拾いあげました。
「考えてみる」
壺を保管場所に運んでいく彼女を見送ってから、タルナールは鍛冶場をあとにしまします。そのうち、いくばくかの銀貨を稼ごうという気になったので、適当な盛り場を探すため、曲がりくねった街路をぶらぶらと歩いていきました。




