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千夜の魔宮の物語  作者: 黒崎江治
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第六十五夜 エル -2-

 エルは愁いの響きを帯びた声で、哀しみの色に塗られた瞳で語ります。


 彼女は宿命に心を砕かれた者だけが抱きうる嘆きとともに、自らの半生を語ります。


 それは遥かな星霜を経て明かされる、〈魔宮〉の真実でありました。


「いまでこそ私はこのような姿をしていますが、もともとあなたたちとは違う種族として生まれました。遠い昔にこの世界で暮らし、いまは去ったいにしえの種族。彼らには優れたところも多くありましたが、怒りっぽく寛容に欠けるところがあり、同族同士でのいがみあいや争いが絶えませんでした。


 あるとき、種族全体を巻き込んだひときわ大きな争いが起きました。はじめは取るに足らぬほどだった不和の種が、ひそかに芽を出し茎を伸ばし、いつのまにか紅蓮の徒花となりました。いったん盛んになった炎は長く苛烈に燃え、争いの理由が失われてもなお、憎悪そのものを焦熱の源としてすべてを焼き続けました。


 ひとつの慟哭が余韻を残している間に、また新たな怨嗟があがり、あらゆる美徳はそれらに掻き消されました。それはこの世界の形を変え、私たち種族のありようまで変えてしまう悲惨な大戦でした。同族の多くが破滅の盃を飲み、あるいは言葉にすることさえおぞましい末路を辿りました。


 それでもやがて、争いは終わりました。生き残った少数は、荒廃した大陸を、砕けた山脈を、汚された海や大河を前にして消沈し、それらを癒す努力もしないまま、争いの副産物として見いだされた別天地に移り、新しい暮らしを送りはじめました。


 別天地。本当の名には深い意味と秘密が隠されているのですが、いまは単に別天地と呼びましょう。この世界とは随分と趣が異なり、一概に表現することはできませんが、ある者にとってはきっと、寂しくつまらない場所だったのでしょう。新しい暮らしがはじまったあとも、この世界を気にかけ、懐かしむ者は少なくありませんでした。


 そういった郷愁を抱く者たちは、ときおり自らの力や特別な道具を使って、別天地にいながらこの世界を覗いたり、別の生き物の姿を借りて逍遥したりすることがありました。


 あまり行儀のよいおこないとは言えませんが、それだけならさして気にするほどのことでもありませんでした。竜や妖精や小人が傷ついた世界を再建し、人間が文明を築いていくさまを眺めるだけならば、誰も怒ったり困ったり悲しんだりはしないのですから。


 しかし長い時間が経ち、竜や妖精や小人がそれぞれの理由でこの世界を去ったあと、覗き見だけでは満足できない者たちが現れました。彼らはそれまでになく積極的に、当時数を殖やしつつあった人間たちへ干渉をはじめました。


 巧みな言葉を用いて篭絡し、小手先の奇跡を顕現させ、自らを信仰する者には直接の恩恵を与えました。そして畏怖され崇拝されることでさらなる影響力を得て、人々への支配をさらに強めていきました。


 人々は彼らのことを至天より来たるもの(アル・カラム)、あるいは単に、神と呼びました。


 私はアル・カラムたちの所業に、早くから異を唱えていました。それは人々の心を縛り、停滞と腐敗をもたらし、不平等と対立を誘う罪である。私たちが傷つけた世界で生きる人々を、なぜ見守るだけに留めないのか、と。


 はじめ、私の抗議にアル・カラムたちが耳を貸すことはありませんでした。彼らが人間の有力者を虜にして、実際の政治まで差配するようになると、私はいよいよ危機感を強めました。


 幸い、私に味方してくれる者も現れました。とはいえそのほとんどは、力を増すアル・カラムたちを警戒し、彼らの伸長を押さえることこそが優先で、この世界や人々のことに、あまり関心はないようでしたが。


 ともあれ問題がはっきりとしたころには、アル・カラムと私たち対立者との溝は深く、融和は困難となっていました。多くの者がかつての悲惨な大戦を思い出し、背筋を震わせていました。情勢の破局を避けるための方策がいくつも考案され、実行されました。私以外にも力のある者が続々と台頭し、入り乱れた思惑はまるで蜘蛛の巣のようでした。


 それから長らくの緊迫と混乱を経て、ある協定が成りました。アル・カラムたちがこの世界への干渉をやめ、対立者たちがアル・カラムたちを赦す、という協定です。内容は大変結構でしたが、ひとつ条件がつきました。


 それは争いの発端となった私を追放する、というものでした。アル・カラムたちは野望を挫かれた憤懣を私に向けることで、溜飲をさげようとしたのかもしれません。いまとなっては、その真意を知ることもできませんが。


 事実はどうあれ、道義はどうあれ、自分ひとりが犠牲になって済むならば、と私は追放を受け入れました。そしていにしえの種族としての力を奪われ、記憶を奪われ、新たな姿を与えられて、この世界におろされたのです。


 とても寒かったのを覚えています。気づけば、私は高い山の頂に立っていました。そこはかつての争いで砕け、毀れた刃のようになった峰の上でした。私はどこに行けばいいのかも分からないまま、凍てつく氷の斜面を裸足でくだりました。


 ときには洞窟や岩陰で身体を休め、雪を口に含んで渇きを癒し、石や低木の根に蹴躓きながら、何昼夜かかけて麓におりました。そこには豊かな森があって、鳥や獣、花や果実など、美しいものがたくさんありました。


 それらを眺めながら彷徨っているうちに、私は大きな美しい雌狼と出会いました。彼女は私の境遇を憐れんでくれて、なにかと世話を焼いてくれたので、私はそれに甘えながら、しばらく森で暮らすことにしました。


 私は何年かそうして、平穏に過ごしました。


 ある日のこと、私は森で行き倒れの青年を見つけました。彼は食べ物も飲み物も持っておらず、おまけにあちこちから血を流していました。


 私は自分と同じ姿をした生き物がいるということを、養母の狼から聞いて知っていましたが、実際目にするとなると、驚きのあまりつい及び腰になってしまいました。


 ですがこのまま放っておけば死んでしまうのは明らかでしたし、彼の清廉な顔立ちや身なりを見るに、どうやら悪者ではないだろうと思われましたので、私は自然の掟に逆らって、青年に手当てを施してやりました。


 青年は二日ほど寝込んでいましたが、そのうち多少なりとも元気を回復し、話ができるようになりました。彼はザラッドと名乗り、ぽつぽつと身の上話をはじめました。


 それによると、ザラッドは故郷の国を政敵に奪われた流浪の王子だということで、これまで半年ほど当てのない旅を続けていたが、途中で馬賊の集団に襲われ、なんとか撃退したはいいものの、出血と疲労で行き倒れてしまった、とのことでした。


 私と彼はそのほかにもいろいろな話をしました。彼が語る国や人々、食べ物や歌といったものの話は、私にとって非常に興味深く聞こえました。なにせ記憶を失ってからずっと森の中で暮らし、外に出てみるということをしていませんでしたから。


 彼もまた私の話に興味を持ちました。私が自分の身の上――といっても記憶をなくして以降のこと――を話すと、彼は数奇な生まれを持つ英雄たちの物語をいくつも披露したあとで、一緒に旅をしないかと誘ってくれました。外の世界を歩いて見聞を広めれば、きっと自分が何者で、どのように生きればよいのか分かるかもしれないから、と。


 私は彼の物語と提案に魅力を感じました。養母もザラッドの人柄を信頼し、旅立ちを勧めてくれました。だから私は住処であった森に別れを告げ、ザラッドとともに旅の身となりました。


 彼は誠実な道連れであり、穏やかながら愉快な友であり、なによりも勇猛果敢な戦士でした。旅は二十年近くも続きました。私はザラッドとともに、本当にたくさんの場所を訪れ、たくさんの人と出会いました。


 その中には楽しいことも、悲しいこともありました。胸の震えるような美も、臓腑の凍るような怪奇もありました。輝くばかりの衷情も、悪臭を放つ不義もありました。


 私たちはいくつもいくつも、のちに偉業と称えられるようなことをしました。大勢の困っている人々を助けました。もちろん、褒められないようなことも多少はありました。


 しかし全体として、それは素晴らしい道行でした。世界に散らばった叡智と驚異を拾い集める旅でした。たとえめぼしいものだけ語るとしても、容易に語り尽くせるものではありません。


 十数年も経つと、満月のような青年だったザラッドの頬には(こわ)い髭が生え、身体は逞しく、顔つきや物腰には歴戦の威厳が備わりました。


 しかし私の姿はちっとも変わらず、出会ったときのままでした。ふつうの人が成熟し、あるいは老いていく中で、なぜ私だけが同じ姿なのか。旅の中で理由を探しましたが、なかなか見つけることはできませんでした。


 その代わり、私はかつてこの世界に生き、いまは去ってしまった種族たちの智慧を身につけ、大きな力を手に入れました。いにしえの種族のものばかりでなく、炎を吐く竜の、幻を操る妖精の、石くれを金に変える小人の力をも手に入れました。


 いつのまにか、私は比類のない魔術師となっていました。妖霊たちの王とも交友を結び、黄金酒によってもたらされる夢想を経て、妖霊たちの国を訪れたことさえありました。  


 しかしそのような叡智と驚異の旅にも、やがて終わりがやってきました。そのとき、私たちは久しぶりにザラッドの故国を訪れていました。国といってもせいぜい都市がひとつと、それに従属する村落が十数ばかりという、後世のものにくらべてかなり小規模なものでしたが。


 ですがそこには確かな権力があり、王がいました。いまの王はかつてザラッドの父を弑し、その座を奪った男でした。


 政争はすでに過去となっていましたが、先王の息子であるザラッドが生きていることを知られれば、面倒が起こるのは確実でした。ですが旅慣れて妙な度胸のついていた私たちは、お忍びで見て回るぐらいなら平気だろうという了見で、実はこれまでにも何度か帰国を果たしていたのです。


 かつて自分を追放した仇敵に、思うところがなかったはずはありません。しかし父王も決して潔白な人物でなかったとのことで、ザラッドはそれまで、復讐にさほどこだわりを見せず、過去に訪れたときも、亡国の王子らしく振舞おうとはしませんでした。


 政治もそうひどいものではありませんでしたので、ザラッドもあえてふたたび国を荒らしてまで、仕返しをする気にはならなかったのでしょう。だから私も、わざわざ彼を焚きつけるようなことはしませんでした。


 しかし何度目かで訪れた故国のありさまは、数年前とすっかり変わってしまっていました。しばらくまともな政治をおこなっていたとはいえ、所詮は簒奪者。おそらくは衰えとともに、己の疑心に囚われたのでしょう。仇敵はいまや兵を用いて民を弾圧する無慈悲な暴君と化していたのです。


 私たちが見たのは、吊るされた死体を鳥がついばみ、親を亡くした子どもたちが街路にうずくまる光景。人々は耳目を憚りながらも、現王の変貌を嘆き、薄めたぶどう酒で絶望を呑みくだすことしかできないでいました。


 ザラッドの数少ない知己も、そのほとんどがいわれのない罪を着せられ、処刑されていました。槌で頭を砕かれ、鉄串で貫かれ、あるいはより残酷な刑罰で命を落としていたのです。それを聞くに及び、彼は強く自分を責めました。自分が日和見をしたせいで、故郷の人々を不幸に追いやってしまった、と。


 そこからおよそ半年の間、ザラッドと私は仇敵を打倒するため、荒廃した国をかけずり回りました。いったん確立された支配は根深く、地盤は周到に固められていましたので、はじめのうちは身の安全を図るだけでも相当に気を遣わなければなりませんでした。


 それでも少しずつ同志を募り、知恵を巡らせ、ときには卑劣な手段を用いて、相手を徐々に追い詰めていきました。


 昼も夜もない戦いのあとで、ついに私たちは宮殿へと乗り込み、最後に残った近衛兵を薙ぎ払い、破れかぶれで斬りかかってきた仇敵の首を刎ねました。


 床に転がった生首からエメラルドのついた冠が外れ、ザラッドがそれを拾いあげました。しかしそのときの彼は、苦労して故国を取り戻したというのに、ちっとも嬉しそうではありませんでした。


 いえ、苦労したからこそ、憂いを深めたのかもしれません。私はずっとザラッドを傍らで手伝っていましたが、彼は反逆者として、復讐者として、あまりに義に篤すぎ、優しすぎました。そしておそらくは、王としても。


 振りむいたザラッドは私に頼みました。自分の代わりに王となり、民を導いてくれ、と。


 私は驚き、戸惑いました。この国のことに関して、私は一貫してザラッドを手伝っているだけのつもりでしたから。


 しかし結局、私は彼の頼みに応えました。自分の方が王にふさわしいと思ったからではありません。無二の友がこれから長い間、政のために苦渋の判断をくだしつづけるのを見るのが、あまりに忍びなかったからです。


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