第五十二夜 石彫都市 -5-
「よくぞ来られた。エルトラの子らよ」
「……なぜ、僕らの言葉を?」
束の間唖然としたあとで、タルナールは尋ねました。
「あなたたちの言葉と、エルトラの言葉が同じであるから。私はエルトラと話し、その言葉を覚えたのだ」
「エルトラがここに来るのですか」
「いいや」
「あなたが行くのですか」
「いいや。私がどのように呼ばれていたか、あなたたちはお聞きになったと思う。レヴィット・ヴァエルド、と。それは〈夢にもぐる者〉という意味だ。トゥーキーは多かれ少なかれ夢を見て、自然や自然を超えた存在と、交わりを持つことができる。交わる力が最も強い者は、私のように〈夢にもぐる者〉と呼ばれ、部族に道を示す存在となる。
そして私は〈夢にもぐる者〉として、最初にエルトラの存在を感じ、その姿を目にし、その声を聞いた。あなたたちに似た姿と、あなたたちに似た声を。エルトラは私に繰り返し語り、私もまたエルトラに語った」
「エルトラは現に存在しているの? それとも、霊魂みたいなもの?」
ネイネイが尋ねます。
「霊魂というものがなにを指しているのか、私にはよく分からない。しかしエルトラは死者ではない。風や炎のように形の不確かな存在でもない。あなたたちに似た肉体を備えている。私はエルトラがどこにいるのかは分からない。しかしエルトラはかつて、自らが閉ざされた門にいると話した」
「……やがてあわさり 門に至りて、土に堕とされし旅人の手に渡り……」と、ネイネイは神妙な表情で呟きます。
彼女が口にしたのは、これまでの過程で通り過ぎてきた穹窿の広間に刻まれていた言葉でした。タルナールもまた、しっかりとその内容を覚えておりました。
其は星河を流る水の路なり
其は天球を巡る風の路なり
やがてあわさり 門に至りて
土に堕とされし旅人の手に渡り
贖罪の道を灯す火とならん
「エルトラはそこで贖罪をしている、ということなの?」
「エルトラがその場所でなにをしているのか、私にはよく分からない。しかしあなたたちなら理解できるかもしれない。エルトラはあなたたちを待っている。エルトラはあなたたちに会うだろう」
「エルトラは私たちのことを知っているの?」
「分からない。古い友人を待っているようだった」
老レヴィッドは人間の言葉を流暢に扱っておりましたが、人間の歴史や文化については、エルトラから聞き及んだ範囲でしから知らず、またエルトラがいかなる存在であるかについても、断片的な認識があるだけでした。
「あなたは私たちを待っていたの?」
「訪れることは分かっていた」
おそらく、彼らの夢がそう告げたのでしょう。であれば、はじめてタルナールたちを見たときのトゥーキーたちが――好奇や敵意といった反応はともかく――驚愕や衝撃をさほど示さなかったのも、おかしいことではありません。誰か外からの者が訪れるということは、彼らにとって意外な出来事ではなかったのです。
「あんたたちは、〈魔宮〉についてなにを知ってる? 随分昔からいるのか?」と、今度はラーシュが尋ねました。
「〈魔宮〉とは?」
「ああ……そうか。いまの人間が勝手につけた名前だもんな」
「二番目の質問については答えられる。それはトゥーキーの歴史であるから」
そう言うと、老レヴィッドは大儀そうに羽毛を膨らませて息をつき、ゆっくりと語りはじめました。
「トゥーキーはもともと門の向こう側にいた。いまの街よりもずっと広い場所で暮らしていた。そこには空があり、太陽があった。トゥーキー以外のさまざまな生き物がいて、世界は鮮やかだった」
「地上のことか?」
「門の向こうだ」
「異界……別の世界ってことか」
「そう呼んでもいい」
「とにかく、そんな快適そうな場所から、どうしてこんな狭いところにやってきたんだ?」
「色のないものたちに追いやられたのだ。赤い眼と六本の肢を持つ狂暴な生き物に。色のないものとトゥーキーの戦いは長らく続いていたが、トゥーキーは次第に劣勢となり、数を減らしていった」
「夜の獣だ」と、ネイネイが言いました。「やっぱり夜の獣は異界からやってきたんだ」
「あるとき、私を含めた一派が、色のないものたちに追われ、地下深くへと逃げ込んだ」と、老レヴィッドは続けます。「大勢の敵が迫り、私たちは全滅を覚悟した。しかしそのとき、門が開いたのだ。あなたたちの言う異界と、この世界とを繋ぐ門が。そして私たちは門を通り、この世界へとやってきた。
辿り着いた場所は岩に囲まれた狭苦しい場所だったが、もともといた場所よりも多少は安全だった。色のないものたちに出くわすことはあったが、なんとか対処することができる程度の数だった。
少し掘ると地下水脈に行き当たったので、私たちは渇きを癒すことができた。そこには目のない魚がいて、私たちは飢えを癒すことができた。トゥーキーが持っていた茸はこの場所でも育ったので、私たちはなんとか暮らしていくことができるようになった。
くちばしを使って居住地を広げ、この街を造った。色のないものたちと戦ってそれを狩り、皮や骨で道具を作った。そのうち、鉱石も利用するようになった。卵を産み、世代を重ねた。トゥーキーは増え、街も大きくなった」
語り終えると、老レヴィッドはまた大きく息をつき、顔をうつむけました。彼の話から推測すると、トゥーキーたちがこの場所に定住しはじめたのは、どうやら数百年ほど前のことのようでした。
さらにその口振りからすると、老レヴィッドは当時を実際に経験しているようでしたから、石彫都市と同じだけの齢を重ねているということになります。おそらくはトゥーキーの平均と比べても、非常な長命であるのは間違いないでしょう。
そのような老体を疲れさせるのは申し訳ないと感じつつ、タルナールは尋ねます。
「ルアフは滅びということをたびたび口にしていましたが、なにか滅びの予兆があるのですか? 僕たちが滅びをもたらすと考えられているのですか?」
「滅びについて確かなことは言えない。どのような形であるのか、また必ずやってくるものかどうかも分からない。しかしこの場所に来訪するものがおり、それをきっかけとして、なにかの災厄が起こるということは、私だけに留まらず、多くのトゥーキーが感じ取っている。
ルアフもまた、それを感じ取った者のひとりだ。しかし彼はほかのトゥーキーのような怯えを示すことはなかった。それどころか、動揺するトゥーキーを臆病者だと罵り、滅びが外から来るならば、自分からその正体を確かめに行ってやろうではないか、とまで言った。
そして彼は〈禁じられた塔〉に挑むことを決意した。あなたたちがおりてきたあの場所だ。ほとんどのトゥーキーは、あの場所を怖れている。あの場所が外の世界に繋がっていたとして、途中でもし敵の大群に見つかり、この街の存在が知られれば、今度こそトゥーキーが絶滅してしまうと考えているからだ。
もちろん長い歴史の中には、強い翼を持った勇敢なトゥーキーが、何人も〈禁じられた塔〉に挑んだ。しかし大抵はそのまま行方知れずとなり、二度と戻ってくることはなかった。戻った数少ない者は、恐ろしい色なきものを目にしたと言い、再び塔に挑むことはなかった」
「ルアフは立派に塔を攻略しましたよ」と、タルナールは言いました。ルアフが夜の獣に捕まっていたという事実は、ひとまず黙っておくことにしました。
「彼はこの狭苦しい世界で生まれたが、私が部族の歴史を話して聞かせ、かつてトゥーキーたちが限りない空を飛んでいたことを知ると、自らも大空に舞うことを望んだ。
そして、彼は一日も休まず翼を鍛えるようになった。大人たちが無駄なことだと嗤うのも気にせず、翼を鍛え続けたのだ。しかし大人たちはもう、彼を嗤わないだろう。彼はその強い翼と強い心で偉業を成し遂げ、エルトラの子らを連れて帰ったのだから」
老レヴィッドは言いました。いよいよ体力の限界が近づいているようでした。
「私は充分に話した。次はエルトラと話すがいい」
「とはいえ、どこにいるか分からない」と、エトゥが言いました。
「少なくとも、穴の底にはいなかったよね。あそこが最奥じゃないのかな」と、ネイネイが言いました。
「…………」
ふと、タルナールはラーシュが神妙な顔でいるのに気がつきました。
「どうした?」
「いや、なんというか、大したことじゃないんだが」と、彼はザーランディルの柄に手をかけながら言いました。「あのアモル石の小山に立ったとき、これが震えた……いや、響いた……ちょっとうまく表現できないな。とにかく反応したように思ったんだ。気のせいかもしれない」
「よくよく考えれば、おれたちは本当に穴の底を見たわけじゃない」と、エトゥが言いました。「ほとんどアモル石に覆われていたからな。除けてみれば、なにか見つかるかもしれない」
「除けるといっても、かなりの量になる」と、タルナールは言いました。
「やる価値はあるだろう。ラーシュの予感も、無意味とは思えない」と、エトゥは答えます。それから、自嘲するようにふっと息をつきました。「まさか、あんなに人間の心を狂わせたアモル石を、塵芥みたいに扱う日が来るとはな」
*
たっぷり昼寝をしてからのこのこやってきたルアフとともに、一行は再び〈禁じられた塔〉、すなわち例の縦穴の底へと赴きました。
床面を覆う膨大な量のアモル石は、どうやら穴の壁面に巣を張る夜の獣に由来するもの以外に、トゥーキーたちが狩った夜の獣から出たものも含まれているようでした。
その証拠に、利用する部分を切り取って捨て置かれた獣の死骸がいくつか、穴の近くに転がっているのを見ることができました。
はじめに降りてきたときは気づきませんでしたが、あたりにはうっすらと腐臭が漂っています。
もしかすると昔のトゥーキーたちは、ここを不浄の場所としておくことで、〈禁じられた塔〉に憧れたり、挑戦しようという気を起こす同族が出ないことを願ったのかもしれません。
さて、それはそれとしてアモル石を除く作業です。全体を綺麗にするのは、千人の鉱夫を使っても一日がかりでしょうから、ひとまず真ん中あたりに目星をつけて、床が見えるようにしていきます。
しかしたとえ一部だけであっても相当な広さです。ろくな道具がないせいで、腰を曲げての手作業となりますし、除いたアモル石は離れた場所に運ばなければなりませんでしたから、タルナールはすぐに汗みずくとなり、この途方もない作業に嫌気がさしはじめました。ああ、農場で働く奴隷の辛さとはこのようなものか、などと考えながら。
それでもこの先でエルトラが、〈魔宮〉の最奥が見つかるかもしれない信じ、互いに叱咤しつつアモル石を運んでおりますと、いつのまにかどこかに行っていたルアフが、数人のトゥーキーを連れて戻ってくるのが見えました。どうやら彼は仲間に声をかけ、手伝いを集めてくれていたようです。
彼らはくちばしで礫を拾いあげ、あるいは大きな翼を箒のように使いながら、アモル石を除けていきました。
「これ終わる。エルトラに会う。そうしたらタルナールの街、行く」
「ああ、約束するよ」
力強い助けを得て、作業はさらに進みます。やがて判明したのは、どうやらこの床全体が、優美なアモル銀で覆われているようだということでした。
それは悠久のときを経て一片の傷も曇りもなく、雪花石膏の壁や、茸や、ネイネイの杖から放たれる光を、まるで地底に沈んだ月のような風情で、幽玄に反射するのでした。
しかし残念なことに、タルナールたちが片付けた場所は範囲では、門のようなものも、把手や押し込むような場所も、わずかな継ぎ目さえ見つかりませんでした。なにかの手掛かりとなるような文章さえありません。
いよいよこれは中央部分だけでなく、この広大な範囲すべてを片付けなければならないのか、とタルナールが途方に暮れかけたときです。どこからともなく、甲高い、直接に耳の奥を震わせるような音が響いてきました。
「なんだ?」
耳を抑えながら、タルナールが音の出所を探りますと、すぐ近くで作業をしていたラーシュがザーランディルを掲げ、それを不思議そうに見ておりました。
「共鳴してる」と、彼は言いました。
「共鳴? なにに?」と、音に引き寄せられて歩いてきたネイネイが言います。
「……エルトラに」
「大丈夫? ラーシュ」
「大丈夫、俺は正気だ」
そのようなやりとりをしているうち、共鳴は次第に床全体へと波及し、タルナールの皮膚をぶるぶると震わせるまでになりました。一行が為す術もなく立ち尽くしていると、やがて少し離れた場所、まだアモルで覆われた部分の床が、不思議に光りはじめました。
駆け寄っていってアモルを除くと、そこには――
「秘文字だ」と、ネイネイが顔を近づけます。
しかし彼女が読む前に文字は消え、代わりに床の一部が沈みはじめました。タルナールたちが慌ててネイネイの腕を取ってさがらせ、様子を見ておりますと、はじめ文字が浮かんでいた部分の床は、下層へ続く階段に姿を変えました。
共鳴はとまり、沈黙があたりを支配します。
「ラク・フ・エルトラ」と、ルアフが呟きました。「エルトラの呼ぶ声」
彼がザーランディルの共鳴を指して言ったのか、タルナールたちに聞こえないものを感じ取ったのかは分かりません。しかしどうやら、エルトラがタルナールたちを読んでいるのは確かなようです。
「おれたちは〈魔宮〉の奥へ行く」
タルナール、ラーシュ、ネイネイがたじろぐ中で、ただひとりエトゥが、静かな声で決意を述べました。その落ち着いた声で全員が正気を取り戻し、互いに頷きあってから、先の見えない階段の前に立ちます。
「行こう」
そしてラーシュはザーランディルを鞘に納めると、ゆっくりと一歩を踏み出しました。




