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千夜の魔宮の物語  作者: 黒崎江治
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第四十四夜 蛇と大君 -11-

「それはなかなか、愉快な因縁でございますね」


 日暮れを迎えたケッセルの野営地、その中ほどにある円形の天幕の内側で、タルナールたち三人は囚われの身となっておりました。


 うしろ手の拘束は解かれないまま、さらには両足首にまで縄を巻かれ、なんとも情けない有様です。もちろん、持ち物はすべて没収。シャイタンが持っていたアモル鋼の曲刀も奪われてしまいました。


「どこも愉快じゃない」


 ジェディア姫にまつわる話を聞いて、マヌーカが漏らした言葉に、タルナールは眉をひそめました。


「戦姫どのの行動が特に興味深く感じられます」


 二重に敷かれた織物のほか、天幕の中に調度らしきものはなく、外には〈麗しき剣士〉の兵がふたりで見張りをおこなっておりました。野営地全体では数百の目がありますから、まずいまのところ脱出は難しく、気を紛らわせるためのお喋りに興じるのがせいぜい、という状況です。


「婿入りされた殿方の振舞いは、おそらくそれほど常識に外れたものではなかったでしょう。戦姫どのにしても、幼少のころより無分別な殺人をおこなうほど、逸脱してはいなかったように思えます。ふたりが初夜に交わしたやりとりが、戦姫どのの隠された怒りを目覚めさせてしまったのでしょうか……」


「おおかた、男の方が役に立たなかったのであろうよ」


 ごろりと横になったシャイタンが、大きくあくびをしてから言いました。


陽物(いちもつ)というやつはなかなかに繊細だからのう。病気や老いでなくとも、酒に酔うていたり、気持ちが逸りすぎたりすれば、ふにゃりとしたままどうにもならぬ、ということもよくある話。愛や意志の力を振り絞ったとて、勃たぬものを勃たせることはできん。


 それを侮辱と捉えられたなら、その婿殿とやらは可哀かもしれんが、まあ、もとよりその程度の陽物(いちもつ)しか持たぬ男であれば、器量の方もたかが知れたもの。夫婦関係も長続きしなかったじゃろうな」


「詩人どのは、まだ顔を覚えられているとお思いですか?」


「半年以上も前のことだ。直接話したわけでもない。状況も随分違うし、僕が同じ立場の人間なら覚えていないだろう。けど、集落にやってきたあの魔術師みたいな男は、僕のことを知ってるみたいだった。もし彼が注進していたら、ジェディア姫もきっとあの夜のことを思い出す」


「そして思い出せば、あの夜の続きをするだろう、と。まあ、ありそうな話でございますね」


「ラーシュたちが近くまで来てるかもしれない。うまくいまの位置を伝えられれば――」


 そのとき天幕のすぐ外で、兵士が居住まいを正す気配がしました。直後、入口に垂らされた布が分かれ、タルナールにとっては忘れようもない、野性的な美貌の持ち主が姿を現しました。


 武具の類は身につけず、白い木綿の胴衣姿で、ジェディア姫は薄暗い天幕の中を見渡しました。


「なるほど、ルールーの報告通りだな」


 彼女はタルナールに目をとめると、酷薄そうな笑みを浮かべて言いました。


「吟遊詩人よ。私の顔を覚えているか?」


「もちろんです、ジェディア姫。こちらこそ、覚えていて頂いて光栄です」


 相手の出方を慎重に見極めようとしながら、タルナールは答えました。


「連行の際にも説明しましたが、僕たちはケッセルの利益を損なういかなる役割も負っていません。どうか、穏当な処置を望みます」


 人質として考えれば、シャイタンとマヌーカは大いなる価値を持つのですが、それはこちらから言い出すべき事柄ではありません。


 わずかな沈黙の間に、タルナールはジェディア姫の瞳から、彼女の考えを読み取ろうとしましたが、それは結局のところ、石壁を見透かすのと同じくらい困難なことだと分かりました。


「お前の説明はきっと真実だろう。このあたりでは旅の魔術師も別段珍しくはないし、昨今の情勢を考えれば、武器を帯びているのもむしろ当然だと言える。手荒な扱いをしたことは詫びよう。縄を解かせるから、朝になったら街に帰るといい」と、ジェディア姫は言いました。


 しかしタルナールは、その口振りに真実の謝意がないのはもちろん、猫が鼠をいたぶるかのような、意地の悪い嗜虐の響きが含まれているのを感じました。


 果たして、ジェディア姫はゆっくりと天幕の中を横切り、座ったまま身動きもままならないタルナールの顎を掴むと、無理やり自分と見つめあうような格好にさせたまま、囁くようにこう言いました。


「だが、お前はダメだ。タルナール。私はお前に興味があるからな。今度は、逃げようするなよ」


「僕が留まれば、仲間たちは解放すると約束してくれますか? ジェディア姫」


 タルナールは内心で大いに気圧されつつ、それでも毅然とした態度を崩さずに言いました。


「ああ、約束しよ――」


「ならん」


 そのとき、シャイタンが声をあげました。


「タルナールは我の命を救ってくれたのだ。ひとり置いていくことはできん。どうしてもというならば、代わりに我を連れていけ」


 その言葉を聞いたジェディア姫はタルナールの顎から手を放し、冷めた声音と表情でシャイタンに問いました。


「お前は誰だ? 無粋なダバラッド人よ」


守護者(ダワール)


「面白くもない冗談だ」


「ほう、冗談だと思うか。ならば、お主の部下が押収した我の得物を見るがよい。あれを購うのに、何枚の金貨が必要か数えてみるがよい。それでも信じられなくば、近くで野営しているダバラッドの連中に文でもなんでも送るがよい。貴殿らの放蕩な大将が我が陣に囚われておる、とな。アズバァイルのやつ、あの青白い顔をなお青くして、すぐに返事を寄越すであろう」


「…………」


「我こそは守護者(ダワール)。ダワール・クム・シャルカン。ダバラッド全土を安んずる者であり、友のために喜んで身を投げ出す者である。さあ、我を連れていけ」


 両手両足を縛られ、命さえままならぬ立場にあってこの傲岸。この不遜。あまりにためらいなく、堂々とおこなわれた名乗りは、それ自体が本物であることの有力な証左となりました。


「だが、我の命を奪う前に、多少の愉しい思いぐらいはさせてくれるのであろうな?」


「……面白い。興味が出た」と、ジェディア姫は言いました。「どうやら私の秘密も知っているらしい。そのうえでお前のモノを役立たせられるというならば、もはやほかの者には構わないと約束しよう」


「シャイタン」


 本当にそれでよいのか、と問おうとしたタルナールにも、シャイタンはあくまで自信ありげな態度を崩しませんでした。


「まあ、心配するでない。お主の話したことからすれば、どうとでもなるであろうよ」


 ジェディア姫は帯びていた短剣でシャイタンの足を解放すると、彼の腕を取って立たせ、天幕から連れ出しました。タルナールたちには、おとなしくしていれば身の安全は保障する、と言い置いて。


「大変なことになってしまった」


 小さなランタンだけが光る天幕内の暗闇で、タルナールは頭を抱えました。とはいえ両手が自由にならないので、実際に抱えることはできないのですが。


「早くどうにかしないと」


「気をお静めくださいませ、詩人どの。ここでわたくしたちが騒ぎを起こせば、せっかくの約束が無駄になってしまいます」


「だからといって、なにもしないわけにはいかないだろう。マヌーカ。君の蛇でなんとかできないか?」


「見張りを絞め殺すというのであればお手伝いできますが、あいにくわたくしの身に宿る蛇は牙を持たず、縄を解けるほど器用でもないのです」


「なら、なんとか縄を噛みちぎってみよう。腕をこっちに向けてくれ」


 苦し紛れの行動ですが、なにもしないよりましと考え、タルナールはまず拘束を脱しようと試みます。とはいえ所詮人間の歯。短剣や鋸のようにはいきません。それに姿勢も不自由ですから、作業は困難を極めました。


 暗い天幕の中でそんな風に苦闘していると、またぞろ訪問者の気配がありました。タルナールははっと身を硬くして縄に齧りつくのをやめ、相手を待ち構えます。


 今度はいったい、誰が?


 ひと呼吸あと、幕をすり抜けるようにして中へ入ってきたのは、この野営地にはやや似つかわしくない、背の曲がった小柄な老婆でした。

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