第三十五夜 蛇と大君 -2-
タルナールたちが思いがけず中断された探索の準備に戻り、大方それを終えようかというころ、またぞろ訪問者がありました。さきほどの驚きがまだ去っていない酒場では、鉱夫たちも思わず身構えつつ、その見知らぬ男に注意を向けます。
「ほう、どんな場所かと思ってみれば、随分と陰気だのう! においも籠っておるし、〈病人街〉と呼ばれるのもむべなるかな!」
妙に間延びした、遠慮を知らない大声で、戸口に立った男は言いました。
彼の顔立ちは典型的なダバラッド人であり、また誰が見てもはっとするほどの美男でもありました。頭巾と胴着はまっさらな白で、その下には鋼鉄の薄片を繋ぎあわせた見事な鎧を身につけ、腰には立派な曲刀を帯びておりました。
どこぞの豪商の放蕩息子か、部族長の縁者が腕試しにでも来たのでしょうか? 口調や装いからは高い身分の者であることが容易に知れますし、第一声から考えても、物見遊山か冷やかしの類だろうと思われましたので、大抵が低い身分の出であり、日々命がけの仕事に取り組んでいる鉱夫たちの反応が、良いものであろうはずはありません。
目線にたっぷりの敵意を込めて、男を睨みつける者さえおりました。
「あまり歓迎されておらんのう」と、男はたじろぐ様子もなく、酒場をぐるりと見回しながら、顎に手を当てて言いました。「ともに〈魔宮〉へともぐってくれる者を探しにきたんじゃが」
「おい、お坊ちゃま」と、立ちあがったのはジャフディ。新人にはとりあえず食ってかかるのが、彼の流儀であるようです。「どこの誰だか知らねえが、礼儀ってもんをわきまえな」
ジャフディがずかずかと酒場を横切り、男に向かっていったとき、タルナールの傍らでも、さっと立ちあがる者がありました。
マヌーカです。
タルナールは彼女が座っている姿しか目にしたことがありませんでしたから、その長身に改めて驚かされました。その背丈は平均的なダバラッドの男を超えるのはもちろん、いま酒場にいる鉱夫たちのうち、もっとも大柄な者に匹敵するほどでした。
ゆったりとした長衣を纏っているため全身の輪郭は知れませんが、その腕や脚は細長く、密林にくねる巨蛇を思い起こさせました。
立ちあがったマヌーカは大股でジャフディに追いつき、いままさに男の胸倉を掴もうとした彼の肩に、背後から手を置きます。そして驚いて振り返ったジャフディの耳元に顔を寄せ、落ち着いた口調でなにかを告げました。
酒場の反対側にいたタルナールに具体的な内容を聞き取ることはできませんでしたが、ジャフディが苦々しい顔で引きさがったところを見ると、なにか効果的な脅しをちらつかせつつ、諍いをやめるように言ったのでしょう。
「おお! お主――」
なぜか大きな反応を示した男の口を、マヌーカがさっと塞ぎます。酒場の鉱夫たちが一体どういうことなのかと呆気に取られているうちに、彼女は男の腕を取り、宿の外へ連れ出してしまいました。いつのまにか酒場に姿を現していたあの白子の若者も、そのあとについていきました。
「あの男、マヌーカの知り合いか?」と、ラーシュが言いました。「なんにせよ、只者じゃなさそうだな」
「金儲けのために来たとは思えない」と、エトゥが言いました。「かといって、ほかに深刻な目的があるようには見えないが……」
今日は色々と妙なことが起こります。もっとも今日に限らず、シーカの廃砦占拠以降、アモルダート全体が落ち着かなくなっておりました。タルナールにはそれが、なにか大きなことの――国々の争い以上に大きな変動の――不吉な前触れであるように感じられました。
マヌーカたちが去って少しすると、白子の若者だけが酒場に戻ってきて、まっすぐタルナールたちのところに近づいてくると、目線と手振りで自分についてくるよう促しました。
おそらくはさきほどの男の処遇について、マヌーカから話があるでしょう。タルナールたちはそれに従い、宿の外へと出ていきました。
扉を出てすぐのところにふたりはおらず、彼女らはなぜか宿の壁沿い、建物の陰になるような場所に立っておりました。酒場でのやりとりを避けたことといい、なにか他人の耳目を憚るような事情があるに違いありません。
宿の外で改めて観察してみても、男は満月のように美しい容貌をしておりました。口と顎に生えた薄い髭は丁寧に整えられ、顔立ちをきりりと引き締めております。
身体つきや姿勢を見ても、健康で自信たっぷり、漲る精力が芬々と放たれ、ふつうの女性であればそれだけでくらりと来るほどです。年齢は三十歳の手前といったところで、まさに男盛りといった風情。
「ほう、鉱夫と言うからにはむさい男ばかりを想像しておったが、こんなに麗しい乙女もいるのだのう」と、男がネイネイを見てにっこりと笑いました。その屈託のない賛辞にネイネイは頬を赤くして、さっとタルナールのうしろに隠れました。
「ははは、照れるさまもまた可愛い」
「それで、どういう事情が?」
はにかみ三割、警戒七割のネイネイを庇うように、タルナールは尋ねました。
「単刀直入に申しあげますと。みなさまにはこの方とともに、〈魔宮〉へもぐっていただきたいのです」と、マヌーカは答えました。
「なぜ僕らが?」と、タルナールは思わず呆れたような声をあげてしまいました。 「まだ名前も聞いていないのに」
「そういえばまだ名乗っておらんかったな」
男はタルナールたちの反応も気に留めず、なぜか嬉しそうな顔で言いました。
「我はシャイタン。そう、シャイタンじゃ」
本人が纏う高貴な雰囲気にそぐわない、どうにも胡散臭い名前です。
タルナールが意見を求めるように仲間たちを振り返ると、ラーシュはどこか面白そうな、エトゥはいかにも無関心といった表情で、それぞれ成り行きを見守っておりました。タルナールは肩をすくめて、シャイタンに向き直りました。
「以前の稼業は?」
「流浪の騎士をしておる。アモルダートへは、腕試しにな」
これも明らかに嘘っぽい話です。旅の者にしては衣服が小奇麗すぎますし、腕試しに来たというのなら、包囲された市街の方に関心を向けるのが普通でしょう。装備は整っていますが、実戦の経験があるのかどうかも怪しいところです。
「マヌーカ。君の頼みでもこれはさすがに……」
「そこをどうか。切にお願い申しあげます。探索にはわたくしも同行しますゆえ」と、マヌーカは腰を折り、深々と頭をさげました。よほどの事情があるのでしょう。
「いまは理由も話せない、ということか」
「みなさまを謀る意図はございません。そしてこの邂逅は、必ずや将来の利益にもつながるかと」
「どうする? 僕は断ってもいいと思うけど」と、タルナールはラーシュに意見を求めました。
「ここ最近で〈魔宮〉の様子が変わってるかもしれない。肩慣らしがてら、新人を連れていくのも悪くないさ」と、ラーシュは意外にも前向きでした。
ネイネイとエトゥはやや困惑の体で顔を見あわせていましたが、ラーシュの意見にあえて反対を口にするつもりはないようで、やがて渋々ながら同意を示しました。
「分かった。彼を連れていく」と、タルナールは答えました。「よろしく、シャイタン」
「うむ。迷惑をかけるが、しばらくの間よろしく頼む」と、シャイタンは少々殊勝な口振りで言いました。さすがに傍らのマヌーカが頭をさげたのを見て、尊大な態度を改める気になったのでしょう。
「ではさっそく――」と、〈魔宮〉の入口を探しはじめたシャイタンを、エトゥが呼びとめました。
「待て。その格好で〈魔宮〉にもぐるのはまずい。連れていくのは構わないが、慣れないうちはおれたちの指示に従ってもらうぞ」
他人にこのような態度をとられるのに慣れていないのか、シャイタンはなにか言い返そうとしましたが、辛うじてぐっと呑みこみ、両腕を軽く広げて、よかろう、と口にしました。
それから、一行はぶらぶらとアモルダート市街に繰り出します。街を巡る情勢こそ不穏ではありますが、商品の流れがとまったわけではありませんので、買い物に不便することはありません。
旅の騎士を自称しているにも関わらず、シャイタンは水袋ひとつ携えておらず、寝具となる外套すら持っておりませんでした。とはいえ腰に吊るした小袋は金貨ではちきれんばかりになっておりましたので、タルナールたちはそれを使い、まずは彼の装備一式を整えてやることにしました。
シャイタンがもともと持っている余計なものは、かなりの量、宿に置いていかせることとなりました。〈魔宮〉には陽が差しませんので、頭巾は不要。まして大きなエメラルドの留め具などはまったくの無駄です。
また長距離の移動を想定して、重すぎる薄片鎧は皮鎧に、露出部の多いなめし革のサンダルは、足全体を覆う長靴に代えました。武器は非常に立派なものでしたので、そのまま持っていかせることにしました。さらに食料、寝具、必要な品や戦利品を運ぶための背嚢、等々。
買い出しを終えると、既に日暮れ。シャイタンは酒場での宴会に強い興味を示しましたが、鉱夫たちと諍いになるであろうことは明白でしたので、タルナールたちは明日に向けて英気を養っておくべきだ、と渋る彼を説き伏せ、上等なぶどう酒の入った水差しとともに部屋へと押し込めて、さっさと寝かせてしまったのでした。




