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千夜の魔宮の物語  作者: 黒崎江治
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第二十九夜 火焔 -5-

「まあ、身の上としてはざっとこんなところさ」


 麝香のにおい漂う薄暗い宿の中、いち早く物資調達の目途をつけたタルナールは、ラーシュの生い立ち、キンクとの関係、そしてザーランディル入手の経緯を聞いておりました。


 彼の剣が広い世に出たいと感じていたかを知るすべはありませんが、少なくともラーシュのような優れた使い手に出会えたということは、ザーランディルにとって幸運と言えるでしょう。


 タルナールたちが話をしていた一階の酒場は、いつにもまして混雑を呈しておりました。なにせ〈魔宮〉にシーカ兵が入り込み、どこで遭遇するか分からない情勢、おちおちアモルを採ることもできません。


 そうなれば収入も途絶えますから、街で遊びまわることもできません。あとに残る暇つぶしの方法は、宿の部屋でふて寝するか、酒場で飲んだくれながら賭け事でもするか、ということになります。


 しかしいまはもうひとつ、酒場に人の多い理由がありました。ラーシュはあらかじめマヌーカに頼んで、この時刻に集まってくれるよう、鉱夫たちに声をかけてもらっていたのです。


 ネイネイとエトゥが物資の調達を終えて帰ってきたあとで、ラーシュはおもむろに立ちあがり、酒場全体に向かって大きな声で呼びかけはじめました。


「みんな、もう大体の事情は知ってると思うが、俺から改めて伝えたいことがある」


 それまで雑談に興じていた鉱夫たちが、いっせいにラーシュの方を向きます。


「いま、シーカの兵が〈魔宮〉に入り込んで俺たちを追い出してしまった。やつらはそれだけじゃなく、この街を侵略して、昔のシーカ人がやったみたいに、俺たちが稼いだ金を奪いにくるつもりだ。アモルダートの兵士は地上で手一杯。だから俺たちが協力して〈魔宮〉を守らなきゃならない。そのために力を貸してほしいんだ」


 この提案、さほど唐突というわけではありませんでしたが、やはりいざ実行に移すとなると躊躇するのか、鉱夫たちは互いに顔を見あわせ、すぐに同調しようとはしませんでした。


「でもよお、お前だってシーカ人だ。しかもギルザルトの家の人間だって言うじゃねえか。本当に味方なのか? 俺たちを騙して、シーカの捕虜にしちまおうってんじゃないだろうな」と、ジャフディが余計な野次を飛ばします。


「確かに、いまシーカの軍隊を率いてるキンクは、俺の兄貴だ。けど、お前らはどうなんだ? 〈魔宮〉に来る前の生活を愛してたのか? 昔住んでたダバラッドの街から兵隊が攻めてきたときに、そいつらの味方をしようと思うのか?」と、ラーシュはやり返します。


 これは必ずしも苦しい言い逃れではありません。タルナールやネイネイのような変わった動機を持つ者もおりますが、大半の鉱夫たちの素性は卑しいもので、大抵は食い詰めものばかり。


 兵士崩れもいれば、野盗同然だった人間もおり、商売に失敗して浮浪者だった人間もいれば、冷酷な雇い主にこき使われていた人足もおりました。彼らは概して元の生活にうんざりして、危険こそ大きいがある種のきらめきに満ちたアモルダートに、希望を求めてやってきた人間たちなのです。


「俺だってそうだ。窮屈な城の生活から逃げ出してきた。いまはみんなと同じ〈魔宮〉の鉱夫だ。確かに〈魔宮〉を所有してるのは俺たちじゃなくてバーラムだ。でも働いてるのは俺たちだ。危険を冒してアモルを採ってるのは俺たちだ。この街の富を産み出してるのは俺たちだ。それを他人に易々とかっさらわれていいのか!」


「そうだ!」と、ひとりの鉱夫が声をあげました。その男の顔や身体には、夜の獣につけられたのではない、痛々しい傷がいくつも残っています。タルナールは彼が元々奴隷の身分であり、主人の虐待に耐えかねて逃げ出してきたのだということを知っておりました。


「オレはここに来るまで、カビだらけの堅いパンと、しなびたタマネギと、腐りかけの肉しか食ったことがなかった! でもここで働くようになってからは、焼き立てでのパンだって、新鮮な林檎だって、羊の肉がたっぷり入ったスープだって、好きなように食べられるようになったんだ! 酒で酔っ払うのも自由だ! 誰かにムチでひっ叩かれることもねえ! オレは元の生活に戻りたくねえ! シーカの兵隊だかなんだか知らねえが、オレたちを追い出そうってんなら、黙っちゃいねえぞ!」


 そうだ! といくつもの声があがりはじめました。


「もちろん危ない仕事だ。命の保証なんてない。怖いと思う人間はつきあわなくたっていい。でも、俺や仲間がちゃんと作戦を考える。正面からぶつかるときは俺が先頭に立つ。まずくなったら全員が逃げるまでしんがりを務める。俺はそれを唯一の者の名と、この剣にかけて誓う!」


 ラーシュはすらりとザーランディルを抜き放ち、それを片手で高々と掲げてみせました。細く、薄く、しかし折れることも曲がることも、曇ることも錆びることもない刃が、ほとんど陽の差し込まない屋内にあってなお、力強いきらめきを放ちます。


 酒場に集まった鉱夫たちのうち、ある者は剣の美しさに魅了され、その持ち主の権威に従いたいと感じました。ある者は剣を掲げる若者と、いにしえの歌に登場する勇士を重ねあわせ、自らもまたその仲間になりたいと思いました。ある者はただ単純に、ラーシュという人間とその言葉を信じました。


 それは実に率直で、力強い、見事な演説の結びでありました。鉱夫たちは歓声をあげたり、手や食器を叩いたりして、大いに賛同を示しました。


 こうしてラーシュのもとで鉱夫たちは一丸となり、〈魔宮〉を我が手に取り戻すべく、シーカ兵と戦う覚悟を決めたのです。


       *


 決起の熱が冷めないうちに、鉱夫たちはさっそく〈魔宮〉へと乗り込みました。しかし敵は訓練を受けた正規の軍隊であり、まともにぶつかればまず勝ち目はありません。


 とはいえ〈魔宮〉の構造は相当に入り組んでいますし、夜の獣の脅威も無視できませんから、シーカ兵たちがアモルダートの方角に向かってくるとしても、鉱夫たちとぶつかるにはまだ少しの猶予があるはずです。そこでラーシュがまず指示したのは、防御のための陣地を設置することでした。


 鉱夫たちは大勢の人数を割いて、〈魔宮〉の入口から歩いて一刻ほどの場所に物資を運び込みました。見張りが長い時間留まるために必要な水、食料、照明。それから予備の武器や二台の弩砲まで。


 物資が入っていた箱や袋は、土塊や石を詰めたうえで積みあげ、敵の進行を防ぐための障害に使います。また照明や煮炊きに使う燃料とは別に、樽に入った大量の鉱物油も用意しました。これはのちほど、敵をあっと言わせる作戦のためのものです。


 陣地の構築がひと段落したところで、今度はエトゥをはじめとした方向感覚の確かな鉱夫たちが、付近のおおまかな地図を作りはじめました。敵を待ち伏せやすく、かつ素早く逃げられる場所をいくつか探しておき、そこに斥候と遊撃隊を兼ねた勇敢な鉱夫たちを配しておくことにしました。


 事態が切迫していく中で、着々と準備が進められていきました。


 そして夜が去り、朝が訪れます。


 地上で太陽が顔を出すころには、〈魔宮〉での大まかな準備が完了しておりました。鉱夫たちのうち、戦う意思のある者はおよそ五十人。そのうち待ち伏せにはエトゥを含んだ二十人が参加し、陣地ではタルナール、ラーシュ、ネイネイを含めた三十人が交代で守りを固めます。


 戦闘に参加せず、しかし協力したいと申し出た者は、連絡係や物資の運搬を担うことになりました。


「君は本当に大した隊長だ、ラーシュ」


 役割分担を終え、鉱夫たちが休息をとりはじめたころを見計らって、タルナールは彼に話しかけました。事実、ラーシュの指揮は的確で迷いがなく、たとえ酒場で演説を聴かなかった者がいたとしても、その統率に不信を持つことはなかったでしょう。


「これぐらいは、料理長や職人の親方だってやってることだ」と、ラーシュは言いました。「戦いが起きたら、もっと慌ただしい状況で部下を動かさなきゃらない。みんなを鼓舞して、進むか退くかを決めて、いざとなれば犠牲を覚悟しながら、なるべく多くの敵を倒し、なるべく多くの味方を無事に帰らせる。軍隊の長っていうのはそこまでやらなきゃならない」


 それから彼は立ったまま積んだ木箱にもたれ、ふふっと笑い声を漏らしました。


「しかし人をまとめるっていうのは、実際にやってみると中々気を遣うな。城にいたころは、もっと自由にやれる立場だと思ってたんだが」と、ラーシュは言います。タルナールが見るその横顔は、一日前より随分と大人びておりました。


「そういうものか」


「そういうものさ」


 そう言って、ラーシュは完成した陣地を眺め遣ります。


 避けようもない戦いが、いよいよ近づいてきておりました。

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