第二十八夜 火焔 -4-
ラーシュとしても、キンクが言うことを理解できないわけではないのです。金銭、政治、人間関係。世の中がすべて剣で両断できることばかりでないのは当たり前です。やがて領主となるキンクが土をつけられてばかりでは、部下となる兵士に示しがつかない、ということも分かります。
しかしそういった道理を持って自分が押し込められるのをよしとするかは、ラーシュにとってまた別の問題でした。
キンクはラーシュと対戦しなくなりました。負けるのを恐れてというよりも、いざこざを避けるためにそうしているようでした。ラーシュははじめ不満でしたが、そのうちに武芸指南役を手ごわい敵と定めて、打倒に注力しはじめました。
十五歳、十六歳、十七歳。肉体が成長していくにつれ、ラーシュの実力は増していきます。もはや熟練の兵士でも太刀打ちできる者は少なくなっていきました。指南役の技量にはまだわずかに及びませんでしたが、それも時間の問題だろうと思われました。
しかしこのあたりで、ラーシュは考えるようになります。
俺が剣を極めた先には、いったい何があるのだろう?
これは武人としての心構えという話ではなくて、もっと現実的な見通しに対するぼんやりとした不安でした。ラーシュは最近、訓練以外に兵士としての任務もこなすようになっておりましたが、そのほとんどが末端の仕事、あるいはよくてもキンクの補佐役、といったものでした。
私生児だからというばかりではなく、権威や慣習に反抗的な態度をとり続けたことがよくなかったのでしょう。
いまはそれでも仕方がない。まだ十七歳の若造なのだから。けれど五年後、十年後、事態が変わる見込みはあるのだろうか? 剣に優れているだけの一兵士、反抗的な小隊長として燻り続けるのだろうか? 大きな戦争でもあれば武勲の立てようもあるが、昨今の情勢では……。
そして徐々に、徐々に、出奔の意欲が芽生えはじめます。長い一生、城で腐っているよりは、広い世界で腕を試してみよう。私生児であることの劣等感と、堅苦しい抑圧が、ラーシュの野望を育てていきました。
ときが経ち、ラーシュは二十一歳となりました。
肉体はすっかり完成し、漲る気力ははちきれんばかりです。もはや指南役さえ、居丈高にラーシュを威圧することができなくなっておりました。
しかし任務は相変わらず、取るに足りないものしか与えられませんでした。もはや城での将来を期待するのは無駄だ、とラーシュは判断せざるを得ませんでした。いよいよ出奔のときです。
そしてこっそりと荷物をまとめた夜。どうにも寝つくことのできなかったラーシュは、ランタンを片手に、軽い調子で鼻歌を口ずさみながら、城の周りをぶらぶらと歩き回っておりました。
見よ我らが切先の 蒼天のもとに輝くを
波濤を砕く崖のごとく 並び立つ大楯の列を
進め 沃野に名を轟かせ
武勲を己がものにせよ
進め 都市を 街路を虐げて
血潮が乾き果てるまで
留まるは冥府にくだるも同じ
生きたくば剣を手に取り発てよ
進め 沃野に名を轟かせ
武勲を己がものにせよ
気づけば、ラーシュは城の裏手までやってきておりました。その一角は普段から陽が差さずじめじめしている上に、やけに臭いツタが生い茂っているものですから、特に利用されることもなく打ち捨てられている場所でした。
ふと、ラーシュは誰かの声を聞いた気がして立ちどまります。
家人や使用人はとうに寝ている時間。見回りの兵士であるならば、ランタンか松明を携えているはずです。
城に忍び込もうとしている盗人が、侵入の算段でもしているのでしょうか。剣を持ってくればよかったと悔やみつつ、ラーシュは耳を澄ませます。
また、声がしました。しかし出所がよく分かりません。強いて言うなら、地の底から聞こえてくるような気もします。ぼそぼそと陰鬱な響きで、内容も聞き取ることができません。
不埒者であれば即刻叩きのめしてやろう、とラーシュが探し回っていると、やがて一本の樹のもとに辿り着きました。
樹といっても、いまはほとんど全体が焼け焦げ、根こそぎ倒れてしまっておりました。先般、激しい嵐が通り抜けたことがありましたので、そのとき雷にでも撃たれたのでしょう。
声はその根元あたりから聞こえてきています。
出所から考えて、ちょっと人間とは思えません。屍食鬼や鬼神の類でしょうか。普段ならば関わらぬが吉と捨て置くところですが、このときのラーシュはやけに興味を惹かれ、なんとか声の正体を突き止めてやろうと、わざわざ這いつくばって地面をまさぐりました。
やがて指先が、土ではない硬いものを探り当てます。
ランタンを近づけて詳しく調べてみると、これはどうやら扉のようです。長らく埋まっていた地下墓所かなにかの出入口が、樹の倒壊とともに顔を出したのでしょう。
声は確かにその奥から聞こえてきています。いよいよ怪談じみてまいりました。
ごくりと喉を鳴らし、ラーシュは扉の把手を掴みます。扉は金属でできており、全体がひどく錆びついておりましたが、ラーシュが全身の力を込めて引っ張ると、やがて錠や蝶番が壊れる音とともに、その暗黒に満ちた内部を露わにしました。
そこにある石造りの階段が、ランタンの光にぼんやりと浮かびあがります。
ラーシュは足元に注意しながら、ゆっくりとその階段をおりていきました。冷たく乾いた、しかしどろりとねばつく闇が、腿に、腰に、胸にまとわりつきます。まるで悠久を経て意思を持った死と静寂と忘却が、迂闊にも入り込んだ生者を物色しているかのようでした。
声はまだ聞こえてきています。
ラーシュは階段をくだりきり、ランタンを掲げて周囲を照らします。
飾り気のない黒い壁。ひと抱えほどもある太い角柱。二歩三歩と奥に進むと、等間隔に並ぶ灰色の石棺が目に入りました。
やはりここは墓所に違いありません。いままで存在を忘れられていたことから考えるに、かなり昔に造られたもののようです。もしかすると、シーカ人がルーオン一帯を征服する前からあったのかもしれません。
ラーシュは柱や棺の間を静かに進みます。とはいえ広さは兵士たちが使う食堂ぐらいでしたので、すぐに最奥へと行き当たりました。そこにはひときわ大きな石棺と、傍らに座り込む人影がありました。
『この剣は……』
人影が声を発します。しかしラーシュがランタンで照らしたそれは、肉が完全に削げ落ちて、衣服もほとんど風化して塵となりかけた、白骨の骸だったのです。
骸が喋っている……。
ラーシュは目を凝らしながら、しばし立ち尽くしました。しかし不思議と恐怖は感じませんでした。白骨には立ちあがって襲ってくるような気配も、恐ろしげな呪詛を吐き散らしてくる気配もなかったからです。
白骨がぼそぼそと呟く様子は、まるで自分がどこにいるのかを理解しかねて途方に暮れる、呆けた老人のようでもありました。
白骨はいくつか金属の装身具を身に着けておりましたが、中でも目立ったのは、両腕でしっかりとかき抱かれた剣でした。さきほどから繰り返されている呟きの中にも、たびたび剣という言葉が出てきておりました。
おそらくは数百年も前、シーカの軍勢に城を攻められたダバラッドの領主が、深手を負いつつも自らの剣を携えて地下墓所に身を隠し、しかし反撃の機会を得られぬまま、そこで衰弱して命を落とした、というようなことがあったのでしょう。
だとすればまあ確かに無念はあったはずで、死してなお恨み言を口にするぐらい、さして驚くほどのことではないだろう、とラーシュは己を納得させました。
そのとき、開け放しだった墓所の入口から風が吹き込み、白骨がカタカタと音を立てました。長い年月に晒された骨は、もうわずかな刺激にすら耐えられなくなっていたようで、細い骨がいくつか折れたかと思うと、装身具や、剣や、自らの重さで押し潰されるように、みるみる崩壊しはじめました。
『剣を……ザーランディルを……』
白骨は最後にそう呟くと、もはや人の形を持たず、ものを言うこともない骨片の集まりになり果てました。剣が持ち主から離れ、地面に倒れていくのを見たラーシュは、咄嗟に手を伸ばしてその鞘を掴みました。
ザーランディル。それがこの剣につけられた銘でしょうか。どことなくダバラッド風の響きを持つ名前です。ラーシュはザーランディルの柄を握り、その刃をゆっくりと抜いてみました。
星霜を経ているはずの刃には錆ひとつなく、それどころか、たったいま鍛えられたばかりのような輝きを放っておりました。薄く細い刀身は通常の鋼と違う月光のような色を湛え、ラーシュの瞳を射貫きました。
ザーランディル。いにしえの剣が目を覚ましたのです。
もしラーシュがこのまま墓所を去ったらどうなるでしょうか。墓所の入口が露わになったいま、剣も遠からず使用人か兵士によって発見され、しかるべき人間の腰に収まるでしょう。あるいは宝物庫に入れられて、また幾年も太陽を見ることなく、静かに眠るのかもしれません。
はるか昔に鍛えられ、戦乱の時代を生きた剣の在り方として、それは果たしてふさわしいものなのか、とラーシュは考えます。安全な城で腐っているよりは、広い世界に出て自らの切れ味を世に示す方が、ザーランディルにとってもよいのではないか?
このときのラーシュは、自分とザーランディルの境遇を重ねておりました。そしてこの剣を持ち出して旅の供とすることが、うしろめたい盗掘どころか、非常に道徳的なことであるようにすら思えたのでした。
かくしてひとりの若者と一本の剣は、長らくを過ごした城から出奔しました。その半月後、近隣の村を襲う馬賊十人をザーランディルで斬り伏せたラーシュは、あなたさまのような勇士が腕を試すのによい場所がある、という話を聞いて、魔宮の街アモルダートへ向かうことになるのです。




