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三本脚の鴉  作者: ナルハシ
2章
22/22

10 安楽椅子には程遠い

「ええと、これは嬢ちゃんの正当防衛……ってことでいいのかね?」


 騒ぎを聞きつけた他の警官達が続々と現場に駆け付ける中、カトは室内の惨状を見て困ったように(うなじ)を撫でた。

 現状を把握しようにも当事者であるルクスはこの状況を説明する言語を持たず、マツバの方は急所の痛みで喋るどころではない。一番まともに会話出来るジロは自分も詳しい事情は判らないと言うし、おおよその事情を把握しているだろうヤタは部屋に転がり込んだ後そのまま座り込み呆然としている。

 話を聞くには少しばかり時間を置くことが必要と考え、カトはひとまず部下に命じて加害者の可能性が高いマツバを連行させた。マツバは抵抗せず、と言うよりは出来ず、半ば担がれるようにして退出させられた。

「後で話聞かせてもらうが、今はとりあえず二人の面倒を見てやんな」

「う、うす」


 ジロに世話を任せてカトはその場を離れた。

 ジロは二人を見比べて、より大丈夫ではなさそうな方に声を掛けた。


「あにさん、もう大丈夫っすよ」

 軽く肩を叩かれて、ようやくヤタは我に返った。

「あ……マツバさんは?!」

「連れてかれましたよ。いやあれは同じ男として可哀想でしたけど、マツバさんが逃げてたってことは何かあったんですよね?」

「殺して……ないんだな……?」

「? お嬢なら無事ですよ、ほら」

 微妙に会話が噛み合わないのを感じながらジロはルクスを目で示した。呼ばれたものと思ってか、ルクスはヤタの目の前まで来るとぺたりと床に座り込んだ。無事を確認して、ヤタは軽く息を吐くと自身の目を醒まさせるように頭を振った。

「何があったんすか?」

「ランちゃんの自殺の原因、マツバさんだったんだよ」

「えっ?! じゃあ、お嬢は犯人を捕まえるために追い駆けて……って、もしかして昨日急に走り出したのも強姦魔を捕まえるため? オレ達の手伝いをしたかったんでしょうか……?」


 ジロの推測はおおよそ当たっているように思えるが、ヤタがルクスを追い駆けた先でマツバに遭遇したことを考えると、彼女は初めから『ランを襲った犯人』を捕まえようとしていた。その途中で道を間違えたか強姦魔に捕まったかして、その日は別の犯人を捕まえる結果になった線が濃い。


「だとしたらお手柄っすけど、一人で危ないことするのはいただけねぇですよ? あにさんからも言ってやってください」

 ルクスに甘いジロにしては珍しく叱るような口調。水を向けられたヤタは少し考えるような素振りを見せてから、目の前の少女に向けて口を開いた。

「俺は、キミがマツバさんを殺すつもりなんだと思ってた」

 同調してくれるだろうという期待は裏切られ、ジロはヤタの姿を凝視した。


 かつてヤタの殺害を拒んだことで、ルクスは殺人という行為そのものを否定したのだとヤタは思い込んでいた。しかし昨夜、ダーツの矢という形で殺意の存在を突き付けられた。


「けど、違った」


 確かに昨夜の時点では殺意はあったかもしれない。しかし先程密室で身の危険に晒されたルクスは、手段はいくらでもあったにも係らずマツバを行動不能にするに留めた。

 言わずとも伝わっていると思っていたことが伝わっておらず、言いはしたが伝わっていないと思っていたことが伝わっているのだから、意思の疎通というものはままならない。そしてそれらが全て自分に都合よく回ると思うのは高慢だとアコヤに指摘されたばかりである。伝わるか伝わらないかは後回しにして、まずは伝える努力をしないことには後になって言い訳も通らなくなる。

 相変わらずルクスの考えまでは読めないが、意識はヤタに向いていると感じた。ヤタも極力ルクスに意識を向けるようにして語り掛ける。


「こういう行き違いがあるからさ、今更だけどちゃんと伝えるだけは伝えとくよ。俺は、キミに人を殺して欲しくない。そんな心配もしたくないから、昨日や今日みたいに一人で危ないことをして欲しくない」

 俺がキミを守ってやるから――とでも言うことが出来れば格好も付くのだが、生憎とそんなことが出来るような身体ではない。身を守るという点ではルクスの方がよほど優秀だろう。


「頼りないだろうけどさ、せめて手の届く距離にいてよ」


 いざという時に手を引いて引き止められるように。結局はジロの言葉をなぞるばかりだが、それが今のヤタに出来る精一杯の手段だった。

 ルクスからは返事らしい返事がないので、言ったところで伝わっているのかはやはり判断出来ない。代わりに横合いから返事が来た。


「言質取りましたよ」

「ジロには言ってないんだけど……いや待って、誤解してる気がする。ずっとじゃなくて、一緒にいる時はって意味だよ」

「伝えられてないんで聞いてませーん」

「今言ったから。汲み取って」

「大丈夫っすよ、お嬢。お嬢が意味解ってなくても、オレがちゃんと記憶しましたんで」


 言葉が通じるはずの相手でもこの有様なので完璧な相互理解は夢物語である。

 凛、と白杖に括り付けた鈴の音がした思えばルクスが杖で床を叩いていた。

「待って、なんでこのタイミングで『YES』なの? それどっちの発言に対しての返事?」

「まあまあ、いいじゃないですか。ところでそろそろ立てそうっすか?」

 ジロはもちろんのことルクスまでもが自分の都合の良いように話を運ぼうとしているように思えてならない。露骨に話を逸らされたが、確かにいつまでも座り込んでいる訳にもいかない。杖を手に取ろうとして、入り口の方に放ったままであったことを思い出し後ろに首を捻った。


「落ち着いたかー?」

「い、いたんですかっ」


 立ち去ったものとばかり思っていたカトが壊れたドアの淵に背中を預けて佇んでいたことに驚いて、ヤタは声を(ども)らせた。捜していた杖がその手に握られていることは大した問題ではないのだが、少々物騒な内容の会話を聞かれていたとしたら不都合な状況だ。

「一応、そこの嬢ちゃんは重要参考人だからな。野放しにしとく訳にもいかんだろ」

 まさかこんな幼気な少女が、と考えるのが人情というものだが、年齢や性別を差し引いて考えればルクスが一方的に危害を加えた可能性も捨て切れないのが客観的事実だ。実際、探られて痛い腹があるのだからもしもの時は言い逃れが出来ない。もし殺し屋として育てられた過去が知られるようなことになれば、まだ犯してもいない罪で裁かれることはなくとも今ある自由を奪われる可能性はある。

 カトは床に座り込んだヤタに歩み寄ると杖を差し出した。ヤタは動揺を悟られないよう軽く礼を言って杖を掴んだが、カトはその手を離さなかった。駆け引き的な行動に、思わずヤタの体が強張る。


「……ま、あんたらなら大丈夫だと思うけどな」


 そう呟いてようやく杖を受け渡すと、そのままヤタの傍で腰を下ろして胡坐を掻いた。

「じゃ、適当に事情聴取しちまうか」

 ヤタとジロは顔を見合わせる。

 元々ルクスにさほど疑いを掛けていなかったのか、事情聴取は言葉通り『適当に』終わった。その適当さたるや、聴取を受けている側がそれでいいのかと逆に不安になる程だったという。



 そしてその日の帰り道、言いつけ通り手の届く距離を保ってこれまで以上に離れようとしないルクスにヤタが辟易する羽目になったことは言うまでもあるまい。





 *





 後日、例によって忙しく飛び回っているジロに代わりカトに呼び出されヤタは一人警察署を訪れた。

 受付の人間にカトの所在を尋ねると「多分あそこだろう」と返されたので案内通り署を出て建物の裏手に回った。


「よう。悪かったな、歩かせちまって」

 ヤタの姿を見付けたカトは、労うような言葉と共に悠々と煙を吐き出した。

「煙草吸うんですね」

「事件が一個片付いたら一箱開けていいことにしてる。ご褒美というかゲン担ぎというか、まぁそんなやつだ。今回ご相伴にあずかれてるニイちゃんのお陰だな」

「ということは……」

被害者(ガイシャ)は自殺だったってのは変わらないが、マツバのニイちゃんが自白したよ。あんたんとこの嬢ちゃんに手ぇ出そうとしたことも、二年前のこともな」

 ヤタからすると取り乱して話も出来ない状態がマツバの最後の印象だったが、ルクスの一撃がよほど効いたのか、その後冷静さを取り戻して自身の行いを悔いたという話だ。


「浮かない顔だな」


 とても事件の解決を喜んでいる顔には見えなかったらしい。実際、ヤタは釈然としない気持ちを抱えていた。

「結局、誰が何の罪に問われるんでしょうね?」

「輸血をしたっていう病院関係者が罪に問われることはないだろうな。マツバのニイちゃんは――……嬢ちゃんのことで障害未遂ってとこか。妹の件は被疑者死亡だしなぁ、訴える人間がいなければ有耶無耶になるかもだ。捕まえるまでが俺の仕事で裁くのは別の奴の仕事だからな、詳しいことは判らんよ」


 カトは煙草を咥えると、片手をズボンのポケットに突っ込んだ。


「他人に――まして死んだ人間に、いつまでも肩入れするもんじゃねぇぞ。お人よしも大概にしねぇと、てめぇの方が潰れちまう。ほれ、気分転換にやるかい?」

 そう言って潰れかけた煙草の箱を差し出したが、ヤタはそれを断った。先程から不自然にカトと距離を空けてそれ以上近付こうとしていなかったが、ぎりぎり煙が届かない距離を保ってのことだった。

「いいです、俺は長生きしたいんで。あと、別に死んだ人間の苦しみまで背負おうとか全ッ然考えてないんで」

 自ら寿命を削りながらも自死出来ず、この世に存在しない人間に囚われて生きる。そんな生き方はごめんだと吐き捨てるように言った。


 カトは気を悪くした様子もなく煙草をポケットに仕舞い直した。


「その感じじゃ酒もやらなさそうだな。ちったぁジロを見習った方がいいぞ?」

 見習えというのは仕事ぶりではなく息抜きの仕方のことだ。言われてみると、ジロが仕事で思い悩んでいる姿をヤタは見たことがない。ジロの顧客は大半が無法者で今回以上に胸糞の悪くなる場面に幾度となく遭遇していそうなものだが、常に飄々としているように見える。

「……まぁ、俺はこの仕事始めたばかりなんで。そのうち慣れます」

「そういやジロがそう言ってたな。前は何の仕事してたんだ?」

 違法な死体処理業者です、とは口が裂けても言えず、一瞬口籠った隙にカトが言葉を続けた。

「死体を見ても動じてない様子だったし、病院とか葬儀屋とかか? あー、でもその脚じゃそういう仕事は無理か。事務仕事か、精々座ってできる店番か。例えば――――」

 葬儀屋という予想はある意味で惜しい答えだが、そもそも脚の怪我をきっかけに仕事を辞めたのだからカトの考え方では正解に辿り着くことはない。


「――――肉屋、とかな」


 辿り着くことはないはずだったが、その答えは背骨を刃物の背でなぞられるような薄ら寒さを錯覚させた。

 カトの予想は多少突飛であったとしてもそこまで驚くような答えではない。しかしそれは話している相手がヤタでなければの話だ。ヤタにとって『肉屋』という名前は夕食のメインディッシュを買いに行くような店の名前ではなく、まさしく前職である死体処理業者を指す隠語だったからだ。偶然辿り着いた答えと言うには不自然な程に的の中心を捉えていた。

 この時点で、あるいは先程口籠ることなく適当な返事をしていれば良かったものだが、どこから自分の経歴が知られたのかという思考に絡め取られてまたも返事をし損ねた。瞬時に相棒の顔を頭に思い浮かべたが、ジロには再びの裏切りは後がないことを伝えてある。つまり後を考えなければあと一度の裏切りが可能ということだが、警察にこの程度の情報を売ることがジロの得になるとは考えられない。何かしら好条件の取引を持ち掛けられた可能性は捨てきれないが、売るつもりならばもっと早くにそうすることも出来ただろうし、ジロならば最後のカードはもっと上手く使う。信用を秤に掛ける最後の相手としてカトは相応しいとは言えない。


「……だったら、何か?」

「いや別に。何やってたのかなーと思っただけだ」


 ようやく絞り出した返事を、カトは本当にそう思っていたかのように軽く受け流した。

 情報の出処がジロではないとすると、カトが独自に調べ上げたのだろう。ジロの連れ合いということで『善良』な人間ではないことは見抜いていたようだが、まさかこの短期間で肉屋という単語にまで辿り着くとは夢にも思っていなかった。警察の捜査の一環を外部の人間に丸投げする横着者かと思いきやなかなかに侮れない。


「まぁ今回は手伝ってくれて本当に助かったよ」


 ヤタが能力という裏技を使って依頼に取り組んでいる間に、カトは正攻法でヤタの経歴を暴いたのだ。その気になれば自力で事件を解決出来ていただろうに、その白々しさにヤタは半眼になった。


「もういいですか? 帰りますよ」

「ん? いらねぇのかい?」

「だから、いら――――」


 また煙草を勧められたものと思い断ろうとしたが、カトの指に摘ままれた物を見て考えを改めた。


「――――いり、ます」


 差し出されたのは茶色い封筒に入れられた今回の依頼の情報料だった。それは後から依頼を重ねて来たマツバが支払うはずのものだったが、罪の在処と共にその辺りも有耶無耶になり、結局当初の約束通りカトが支払うことになった。そもそも今日はこれが目的で呼び出されたのであった。

 流れてくる煙を突っ切って手を伸ばしてきたヤタに、カトは咥え煙草でにやりと笑って見せた。


「あんたに任せれば大丈夫だと思ってたよ。これからも、美味い煙草を期待してるぜ?」


 肉屋以前の経歴やルクスの身元について、まだそこまでは知られていないのか、あるいは知っていてこの態度なのか。結局のところ今回ヤタが事件に関わることになったのは、これからの継続した関係性を作る下準備の為だったのだろう。それ自体は望むところであるが、自分らの働きがこの昼行燈の煙草代に化けるのかと思うと素直に頷けなかった。



 やはり警察になど関わるものではないと、ヤタは受け取った封筒の薄さを確かめながら己の人生の先を思いやるのであった。

2章 了

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