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プロローグ
その存在には、昔から名前がなかった。
名前を与えれば、形を持つ。
形を持てば、ここに在り続ける。
だから誰も、呼ばなかった。
それでも“それ”は、在り続けた。
恐れられ、噂され、語られ――
語られるたび、少しずつ輪郭を得ていった。
言葉は形になる。
誰かがそう言った。
そして人は、恐怖に名前を与えた。
祟りだ、と。
都では雷が落ちた。
疫病が流行った。
火が空を焼いた。
人は空を見上げ、震えた。
「あれは怒っている」
誰かが言った。
「怨んでいる」
誰かが続けた。
「祟りだ」
恐れは祈りに変わり、
祈りは信仰に変わり、
信仰は形を与えた。
それは神になりかけていた。
だが、神になりきれなかった。
人は祈りながら、同時に恐れたからだ。
敬いと恐怖。
救いと怨み。
祈りと呪い。
矛盾した言葉が積み重なり、
やがて“それ”は歪んだ。
生まれたのは神ではない。
終われなかった物語。
帰れなかった言葉。
忘れられなかった名前。
それは長い年月の果てに、
ひとつの場所へ沈められた。
小さな社の下。
人々がもう振り返らなくなった土地。
やがて社は朽ち、
建物が建ち、
笑い声が響く場所になった。
誰も知らない。
その地下で、今も眠っていることを。
終わらない言葉が。
――そして。
それを終わらせるために生まれた、
ふたつの血があることを。
物語は、まだ始まっていない。




