八十七話 中間試験のごほうび(その三)
翌朝、俺は家の前で恵子といつものように待ち合わせをした。
「おはよう、ケイちゃん」
「おはよう、みーちゃん」
恵子はいつものように俺に手をさし出してきたが、俺はその手を取らなかった。
「どうしたの、みーちゃん?」
「ケイちゃん、今学校で、女子どうしで仲良くしすぎちゃいけないっていう話があるのを知ってる?」
「昨日、そんな噂を聞いた気がするわ」
「それでね、私たちが手を繋ぐのをしばらくやめた方がいいって言う人がいるの」
「ええっ?手を繋ぐぐらいで?」
「手を繋ぐことにまで目くじらを立てるのはどうかと思うけど、私たち」ここで声を落とす。「キスしたでしょ?・・・変に目立ちたくないの」
「そこまで深刻なの?・・・わかった、つらいけどがまんする」
「ごめんね、ケイちゃん。ケイちゃんに対する気持ちは変わらないから」
二人で歩き始める。
「手を繋がないのも久しぶりで、変な感じ」と恵子が言った。
登校途中で喜子が待ち構えていた。
「美知子さん、おはよう!」飛んでくる喜子。「困ったことになったようね」
「そうなの。・・・しばらくはお互いの教室に行かない方がいいみたい」
「教室に行ってもだめなの?」と恵子が驚きの声を上げた。
「なるべくね。目立つみたいだから・・・」
「じゃあ、相談があるときとかどうしよう?」と喜子が悩んだ。
「喜子さんは毎日のように図書室に行ってるでしょ?私も図書室に顔を出すようにするわ。ケイちゃんも用があれば図書室に来てね」
「毎日、図書室に寄ってくれるの?」
「毎日行けるかどうかはわからないわ。しばらくしても来ない場合は、来ないと思ってね。私も、二人がいないときは帰るから」
携帯電話がない時代だ。すれ違いはやむをえない。
こうして、クラスメイトの目を気にする学校生活をしばらく続けることになるのだった。
昼休みになると、斉藤さん率いる藤娘が俺の机に来た。
「委員長、一緒にお弁当を食べましょうよ」
それまでは一色や淑子と一緒に食べることが多かった。
「副委員長の一色さんや、宮藤さんもご一緒していいかしら?」
「宮藤さんは一応名前に『藤』がつくから一緒でもいいけど、一色さんは名前が・・・」と、難色を示す斉藤さん。
「でも、副委員長とは一緒に仕事をされるから、そばにいた方が委員長にとっては都合がいいんじゃない?」と、須藤さんが助け舟を出してくれた。
「私たちもときどきは委員長とご一緒したいわ」と、藤娘以外のクラスメイトが言った。
「・・・わかったわ、お弁当は自由参加ということにしましょう、クラスメイトだしね」
斉藤さんがそう言ったので、何人かの生徒が集まってきた。結局十人くらいが集まり、机をテーブルのように並べて食事をすることになった。
自分の弁当を広げる。今日も煮物と漬け物がおかずだ。斉藤さんは俺と似たような茶系統のおかずだったが、もう一人の齋藤さんのおかずはオムレツに赤いウインナーにマッシュポテトにレタスと、彩りが鮮やかだった。
「齋藤さんのお弁当は彩りがきれいね」
「え?私?」と齋藤さんが斉藤さんの顔を見て聞いた。
「ややこしいから、下の名前で呼んで、委員長」と斉藤さんが言った。
「ええと、美樹さんのお弁当はきれいね」
「お母さんが洋風のお弁当に凝ってるの」と齋藤さんが言った。
「委員長のお弁当は私のと似ているわね」と斉藤さん。
「斉藤さん、じゃない、雛子さんのお家の間取りが私の家と似ていたから、普段の食事も似ているのかもしれないわね」
「委員長には兄弟はいるの?」
「小学生の弟が一人。生意気盛りよ」
「まだ一人だからいいわね。うちの妹三人が大きくなったらどうなることやら」
「その頃には結婚してるんじゃない?」と佐藤さんが言った。
「結婚なんてまだ考えられないわよ」
そのとき校長先生が廊下を歩いてきたのに気づいて、みんな押し黙った。
ガラス窓越しに教室内をチラ見しながら歩いている。しかし、立ち止まることはなく、そのまま通り過ぎて行った。
「見回っているのかしら?」
「仲良くしすぎていると、怒られるのかしら?」
「大勢で集まっていれば、変な関係とは思われないわよ」
「それもそうね」と俺たちは胸を撫で下ろした。
放課後になって帰り支度をしていると、教室の前の廊下を頼子が一人で昇降口の方に歩いているのが見えた。寂しそうだった。
しばらくその後姿を見ていたら、斉藤さんが聞いてきた。
「委員長、今日は用事があるの?」
「今日は図書室に寄って行くわ、一色さんと」と答えると、
「ふ~ん、さすがは委員長ね。私たちは帰るから、さようなら」
「さようなら、みんな」
藤娘はあっさり帰って行った。ずっといっしょでなくてもいいようで、ほっとした。
一色が図書室に寄るのは日課だ。俺と一色が廊下に出ると、廊下の先に良子が歩いており、北校舎の方へ曲がるのが見えた。頼子とは行き先が反対方向だ。
部活をするのかな、と俺は思ったが、良子が何部に所属しているかは知らない
俺たちは図書室に行くので、良子がいたところに向かって廊下を進み、良子と同じように北校舎の方へ曲がった。北校舎の廊下にもう良子の姿は見えなかった。
北校舎の階段を降り、図書室に入ると、恵子と喜子が既に来ていて手を振った。
「二人ともお待たせ」
二人に誘われるままに閲覧席に座る。一色は書架の方へ歩いて行った。
「美知子さん、明日は大丈夫よね?」喜子が小声で聞いてきた。
「予定通り、家にいったん帰ってから行くから」
図書室ではおおっぴらにおしゃべりができないので、しばらく宿題をやることにした。
一色は書架から本を一冊取って読んでいた。
しばらくしてから、書架の方にいた生徒が一冊の本を持って図書委員のところに行き、貸し出しの手続きをした。
後ろ姿だったので最初は誰かわからなかったが、図書室を出ていくときに見た横顔は頼子のように見えた。
「頼子さん?・・・さっきは昇降口の方に行ったと思ったけど」
良子は北校舎の方に歩いていた。ひょっとしたら図書室の中で密会していたんじゃないかと思い、立ち上がって書架の間を捜してみたが、良子の姿はなかった。
「思い違いか」
そう思って、宿題をしていた席に再び座った。
「どうしたの?」と恵子が聞いた。
「何でもないわ」
そのとき一色が時間だから帰ると言ったので、俺たちも帰ることにした。校門を出てしばらくして一色と喜子と別れ、家まで恵子と手を繋がずに帰って行った。
翌日、土曜日の朝も同様に登校した。そして大きな問題もなく午前中の授業を終えると、帰宅してからお泊まりセットを持ち、喜子の家に向かった。
途中、松葉女子高の生徒か先生に見られないかとあたりの様子をうかがいながら歩いていたが、誰かと出会うことはなかった。
「こんにちは」と声をかけて喜子の自宅の玄関を開ける。
すぐに喜子が出迎えてくれたので、喜子の両親に「お世話になります」とあいさつしてから喜子の部屋に入った。
「ふー、誰かに見られやしないかと、気が気でなかったわ」
「でも、この家の中では誰にも見られる心配はないわよ」そう言って喜子は俺の両手を握った。
「美知子さんと一晩一緒だなんて、とうとう夢が叶うんだわ!」
喜子の夢がどんなものか知らなかったが、その前にはっきりと言うことがあった。
「喜子さん、私たちは二人ともクラス委員長よね。だから今回の騒動を受けて、身を慎まなきゃいけないと思うの」
「どういうこと?」
「つまり、・・・キスはしない方がいいと思うの」
「ええっ、そんな!?」喜子はあからさまにがっかりした顔を見せた。
「せっかく美知子さんが泊まってくれるんだから、歓迎のキスをして、夕食前のキスをして、夕食後のキスをして、お風呂上がりのキスをして、おやすみのキスをして、寝ている美知子さんにキスをして、おはようのキスをしようと、ずっと楽しみにしていたのに!」
何回キスをするんだよ、と思いつつ、喜子にはすまないと思った。ほんとうに楽しみにしていたのだろう。しかし、頼子と良子が親密になって仲を切り裂かれたのは、俺が軽い気持ちで「二人でキスしてみたら」と言ったせいだ。あれがなければ二人は普通の親友として、今も仲良くしていただろうに。
二人のことを考えると、俺自身が隠れてキスをするなんて、申しわけがなくてとてもできなかった。
「ごめんね、喜子さん。いつかこの埋め合わせはするから」
「わかった。・・・今は耐え忍ぶときなのね。・・・七夕を待ち望む織姫のように、美知子さんと抱き合える日を待つわ」
俺は彦星か。まあ、いいけどね。
キスはしないが、喜子とはいろいろなことを話した。その一つが、喜子が前から興味を持っていたBL小説の話題だ。
「この『少年』という小説は中学生の川端康成が寄宿舎の同室の下級生と熱烈に愛し合ったという自伝的なお話なの。これを読んでいて、私も美知子さんとこんな風に同じ部屋で寝起きできたらと夢想していたの」
また、川端康成か。エス小説以外にもいろいろ書いているんだな。
「相手の子が関西弁を話すんだけど、これがまたきゅんっと感じられたわ」
「そこまで喜子さんを悶えさせるなんて。・・・さすがはノーベル文学賞作家ね」
「何言ってるの?日本人が取ったノーベル賞は物理学賞だけじゃない」
まだ、受賞前でしたか。
「ところで喜子さんは卒業後はどうするの?進学?」
「ええ。大学に行って高校教諭の資格を取りたいの」
「将来は高校の先生になるのね」女子生徒に手を出さないようにと祈る。
「松葉女子高の先生になれたらいいけど、赴任先はなかなか選べないでしょうね」
「案外男子高だったりして。・・・喜子さんなら男子生徒どうしの恋愛を想像して楽しめるかもね」
「まあ、失礼ね」と喜子は怒ったふりをした。「でも、実際の男子高校生なんて、むさ苦しいだけかもしれないわ」
「それは間違いないと思う」そう言って笑い合った。
書誌情報
川端康成/少年(1951年4月初版)




