八十話 美知子の進路
「不細工な相方を不細工となじるとしゃれにならないんで、逆に相方を美人だとほめるんです。で、相方もその気になったふりをして、後は観客に勝手に笑ってもらうんです」
「なるほど。ほめ合えば僕たちは性格が悪いようには見えない。でも、観客が勝手に不細工な相方を笑うということか」
「相方には逆に水上先輩に向かって、『あなたももう少し、私のように美人だったらね』とか言わせるんです」相方の方はいい笑いものになるけどね。
「ただ、不細工ネタだけじゃ続かないので、女の子らしいネタに続けるのはいかがでしょうか?・・・例えば、自分の父親が何々だとか」
「なるほど。・・・家の中ではだらしない父親も少なくないだろうな」
水上先輩が考え込んだ。
「本当に美知子さんは付き合いがいいわね」と黒田先輩が感心した。
そのとき、さっきのお手伝いさんが再び現れて、手際よくひやむぎの容器類をかたづけると、代わりに白玉あんみつを置いた。ひやむぎだけではあっさりしすぎかな、と思っていた俺には嬉しいデザートだった。
「おいしい」あんみつを口に入れて思わず笑みがこぼれる。
「美知子くん」と、また水上先輩が口を開いた。「今度、都内の大学の落研の下見に行こうよ」
「落研じゃなく、大学の下見でしょ」
「さすがは美知子くんだ、すぐにツッコンでくるね。ボケをまかすのが惜しいほどだよ」
じゃあ、水上先輩抜きで、一人でボケとツッコミをしますか、と思ったが、もちろん口には出さない。
「都内の大学だと遠いじゃないですか。丸一日かかりますよ」
「ダブルボケに、ダブルツッコミというのも斬新かもしれない」水上先輩は俺の言葉を聞いていなかった。俺の時代にそういう漫才師がいたような気がする。
水上先輩はポケットからメモ帳を取り出すと、何やら書き込み始めた。ネタ帳なのかもしれない。
「明日香にはこれを貸してあげるわ」そう言って黒田先輩が傍らに置いてあった本を渡した。
「川端康成?こんな有名な作家の本なの?」
「少し古い本もあるけど、読んでみたら?」
明日香は二冊の古本を受け取った。タイトルは『乙女の港』と『親友』だった。エス小説らしく、明日香はすぐに本をめくり始めた。
「美知子さん、ちょっと私の部屋に来てもらえない?」突然黒田先輩から誘われた。
俺は明日香の方を見たが、本に夢中になっていた。
「大丈夫よ。取って食ったりしないから」そう言って俺の手を引き、ダイニング・ルームを出た。
黒田先輩の部屋は美知子の家のお茶の間よりも広く、本棚や衣装ダンスなど、意匠のこった家具が並んでいた。勉強机も、厚い木材でできた立派なもので、その上にアール・ヌーヴォー風の電気スタンドやインク壷などが置かれていた。
さらに冊子が何冊か置いてあった。見ると、何校かの大学の受験案内だった。
「進学する大学を決められたんですか?」
「まだどこを受験するか決めてないから、情報を集めているの」
そう言って黒田先輩は一冊の冊子を手に取った。
「例えばこの秋花女子大学は短大も併設してあってね、ここに私たちが進学すれば、いつでも会えるわ」
黒田先輩が冊子を手渡してくれた。
「前に秘書になったらって言ったでしょ。でも、秘書をめざす学科はどこの大学にも、短大にもまだないの。秘書に求められるのは教養と礼儀作法、特に適切な受け答えだからどの学科でもいいんだけど、企業や商社の秘書になりたいのなら、経済関係の学科がいいかもね」
俺は冊子をめくった。秋花女子短期大学には、英文学科と家政学科があった。
「短大は、栄養士や保母や教員の資格を取るために入学する人が多いかな。でも、短大を出ると、専攻科と関係なくどこの会社でも雇ってもらいやすいみたいね」
黒田先輩はいろいろ考えているんだなと感心した。俺はとりあえず短大に行きたいと思っているだけで、何をしに入学して、卒後どこへ就職するかまでは、あまり考えたことがなかった。
「参考になります・・・」俺は冊子を手に取ったまま茫然としていた。
そのとき、黒田先輩が両手を俺の両肩に置いた。
「え?」見上げると、俺よりやや背が高い黒田先輩が俺の顔を間近で見つめていた。
「な、なんでしょうか?」
「美知子さん、あなたの顔って、女好きのする顔とでも言うのかしら。男っぽいわけじゃないけれど、女である私が見て魅力を感じる顔ね」
「そ、そうですか?」
黒田先輩の顔が少しずつ迫って来た。
「冗談じゃなく、本気でキスしたくなってきたわ・・・」
「え?いえ、・・・その、・・・女の子が好きなら、室田先輩とか、喜子・・・山際さんとか、ほかにもいるでしょ?」
「私は女の子なら誰でもいいというわけじゃないのよ」
「え?あの・・・」
「それに将来、父に頼んでいい就職先を紹介してあげられるかも」
それはちょっと魅力的だなと思ってしまった。油断したとたん、黒田先輩の顔が近づく・・・。
年上の女性は初めてだな、と思ったときに、突然ドアが開いて、明日香が飛び込んで来た。
「いつのまにかいなくなったと思ったら、油断も隙もないわ!」
「明日香。・・・いいじゃない。私にも美知子さんをおすそ分けしてよ」
俺は分けられません、と心の中でツッコむ。
「私がお姉様の本妻だから、これ以上愛人が増えるのはお断りよ!」
「じゃあ、私は美知子さんの正室ということで」
「何よ、それ!」
「美知子くん、さっきの意見を参考にちょっとネタを書いてみたけど、どうかな!?」
水上先輩までが押しかけてきた。そして、三人が口々に自分の言いたいことを言い始めて騒然となっってきた。
「だめだ、こりゃ」
結局その日はそれでお開きとなった。
迫られたことは別として、進学についていろいろ教えてくれた黒田先輩に頭を下げて黒田家を後にする。
「いいこと。学校で、祥子姉さんと二人っきりになっちゃだめよ」と明日香に注意される。
「はいはい」
「『はい』は一回でいいの!」また怒られる俺。明日香に怒られても嫌な気がしないのは不思議だ。
その明日香は、黒田先輩に借りた二冊の本を大事そうに抱えていた。
「本を借りられて良かったわね」
「まあね。・・・最近はジュニア小説というのがはやってるんだけど、男の子との恋愛を描いたものが多くて、いま一つ物足りないのよ」
普通の女子中学生はそれで満足してるんじゃないだろうか?
「もう少し美知子くんと漫才の話を続けたかったな」と一緒に歩いていた水上先輩がぐちを言った。
「受験、頑張ってくださいね」くどくど言っても無駄だろうから、今はこれだけ言っておく。
「そうだ、さっき言ったけど、今度大学の下見に一緒に行こうよ」
「大学って、ここから遠いんじゃないですか?電車代かかるから一人で行ってくださいよ」
「電車代くらい出すからさ」
「でも、いつ行くんですか?松葉女子高が休みのときは、大学もたいがいお休みでしょう?」
「土曜日の午後なら、まだサークル活動をしてるんじゃないか?」
「そうでしょうか?・・・それでどこの大学を回りたいんですか?」
「え〜とね」そう言って水上先輩は四つの大学名をあげた。
その中に、さっき黒田先輩から聞いた秋花女子大学も含まれていた。
「女子大にも落語研究会はあるんですか?」
「女子大の落研ってのは珍しいね。・・・たいした活動はしてないかもね」
大学それぞれの住所を水上先輩に聞くと、都内と言ってもそこそこ離れているようだった。
「土曜日の午後だけじゃ、回りきれませんよ」
「そうだね。どこか近いところを二つくらい回ろうか」
「私もついて行こうかしら?」と明日香が言った。
「でも、大学の部室なんて、むさい男がたむろして、掃除もろくにしてなくて、汚らしいかもしれないわよ」
特に根拠はないが、明日香が行くにはふさわしくない気がした。
「それは嫌ね」
「僕は平気さ」と水上先輩が宣言した。そりゃあんたは平気だろう。
「とりあえず計画を立てておくから、また相談するよ」
「はあ・・・」
俺自身は興味はないので、明日香に肩をすくめてみせた。
「姉さんが迷惑かけるわね」明日香がすまなそうに言った。
翌日は月曜日だ。朝から雨がしとしと降っていた。もうそろそろ梅雨入りしそうだ。
俺は一緒に登校している恵子に聞いた。
「ケイちゃん、学校を卒業したらどうする?」
「え?・・・今まではどこかの会社の事務員にでもなろうかと思ってたけど、最近勉強を頑張っているでしょ?あたしも短大に行こうかなって思うようになったの」
「そうね。短大を出ると、最近は就職に有利みたいよ」昨日、黒田先輩に聞いた情報を話した。
「まだ、結婚する気はないし・・・」とつぶやく恵子。
そう言えば、恵子が去年お見合いしたのは六月だった。
恵子は恥ずかしがって何もしゃべれず、成り行きで付き添いをした俺が、ホームベースみたいな顔の相手と会話するはめになった。
「みーちゃんも短大に行くって言ってたわよね?」
「まあね。そのつもりだけど、まだまじめに両親に話してないから、どうなるかな」
「きっと大丈夫だよ。みーちゃんのお母さんがあたしの母さんに、みーちゃんが勉強頑張ってるって、嬉しそうに話してたらしいから」
「お父さんがどう思うかだよね」
「ところで昨日ね、新しいレコードを買ったの」
「また買ったの?」
「麗子さんや佐藤さんたちの影響でね。母さんも一緒に喜んで聞いてるし。・・・また、うちに聴きに来ない?」
「行く行く」食い気味に答える俺。「中間試験も終わったばかりだしね」
「・・・それに、もう少ししたら試験の結果が出るし。・・・楽しみだわ」
恵子が頬を染めながら言った。
書誌情報
川端康成/乙女の港(1938年4月初版)
川端康成/親友(1958年3月初版)




