閑話 武十一歳 (美知子のイラスト)
おれには五さい年上のねえちゃんがいる。名前は藤野みち子だ。
小さいころ、よくねえちゃんに手を引いてもらっていた。うっすらと覚えている。
弟にやさしいねえちゃんだった。そして、そのころから、しょうらいはおよめさんになるとよく言っていた。
母ちゃんに、「およめさんになりたいなら、料理やさいほうを勉強しなくちゃね」と言われて、最初のころはがんばっていたようだ。
ところが、おれが小学生になったころには、ねえちゃんはさいほうがきらい、ミシンにはさわりたがらない、そしてごはんの準備もいやいや手つだっていた。
もちろん勉強もきらいだ。成せきが悪いのを母ちゃんにおこられると、しょうらいはおよめさんになるから勉強は必要ないと、おこって言いかえしていた。
母ちゃんは、こんなんでこの子はおよめにいけるのかしら、とよくこぼしていた。
おれもこんな女とはけっこんしない。
ところが、まつば女子高に入ってしばらくしてから、ねえちゃんのようすが変わってきた。
さいほうはへたなりに一生けんめいやっているし、ごはんの準備もすすんでするようになってきた。
母ちゃんは、まつば女子高が家てい科に力を入れている学校だから、それで考えが変わったんだわ、と涙ぐみながらよろこんでいた。
夏休みには、おれがとった虫を、虫かごごしにねえちゃんはじっと見ていた。前は虫かごを近づけただけでぎゃーぎゃーさわいでいたのに。まつば女子高で虫の勉強もしたんだろうか?
そのころ、ねえちゃんはなにかわからないことがあると、よく「ぐぐりたい」と言っていた。どういう意味だろう?おれの頭をぐりぐりしたいということじゃないだろうな?
それとねえちゃんはよくへをこくようになった。
へと言っても、ぶーっとかぶりっとか、大きな音のへじゃなく、おなかに力を入れたときなどにぷすっと空気がもれるようなへだった。
「ねえちゃん、へぇこくなよ」とおれが言うと、
「なに言ってるのよ。してないわよ」とまじでおこってきた。
最初ははずかしくてごまかしてるんだと思ったが、どうやら自分でへをこいてるのに気づいてないらしい。おしりの穴がゆるいのかな?
また、寝ているときにいびきをかくことがあった。いびきと言っても父ちゃんのような、ご−とかがーとかいう大きな音じゃない。ぴーぴーと、笛を吹いているような音だ。
朝早くその音で目がさめたときは、はなの中に笛が入っているんじゃないかと思った。はなの穴を両側からつまんでみると、少しずつ顔が赤くなってきた。さいごにぶはっと口から息をはき、同時にふとんの中からぶべっという音がした。へだ。
おれは笑いをこらえすぎて苦しくなった。いつか作文に書こうと思った。
ねえちゃんにはケーちゃんというおさななじみの友だちがいる。おれも小さいころから知っている、近所のおねえさんだ。
ところが、夏休みにれいこさんというねえちゃんの友だちがうちにとまりにきた。
「おほほ」と笑うおじょうさまだった。ねえちゃんは「だはは」と笑うのに。
その何日か前に、ねえちゃんはれいこさんの家にとまったらしい。そういえば、ねえちゃんがいない日があった。あまり気にしなかったけど。
れいこさんは、ごはんの食べ方も違った。はしをきれいに持ち、ごはんを少量だけつまんで静かに口に入れ、口をとじて音をたてずにかむ。こういうのを上品な食べ方と言うんだろう。
ねえちゃんの食べ方は、おれと同じで、がばがばと口につめこめるだけつめこむ。
おれはねえちゃんがちょっとだけかわいそうに思えてきた。
そんなねえちゃんは、二学期から勉強も熱心にするようになった。
むかしは「しょうらいはおよめさんになる」と言っていたのに、「けっこんしない」と言い始めた。「けっこんしないならどうすんのさ」とおれが聞いたら、「勉強してたんだいに行く」と答えた。たんだいというのは、高校を卒業してからいく学校らしい。
そしておれにも「勉強して、いい大学を出て、いい会社に入りなさい」と言ってきた。
ねえちゃんはしけんの成せきがかなり上がったらしく、とうちゃんとかあちゃんからすごくほめられていた。それを見ていたら、おれも高校生になってから、いや、中学生になってから、まじめに勉強しようかなと思ってしまった。
そのころだったかな、急にクラスの女子が数人でおれのところにやってきた。
「藤野くん、あなたにみち子さんっておねえさんがいるでしょ?」
いきなりねえちゃんのことを聞いてきた。今まで話したことはないのに。
「いるけど?」
「そのおねえさんが作っているミチンガを、私たちもほしいの」
「ミチンガ?」ねえちゃんがそんなものを作っているなんて知らなかった。
「そんなの、作ってたかな?」
「作ってるのよ!」女子たちにせまられ、おれはたじたじとなった。
「なんだ?そのミチンガってのは?」
「あみひもの腕輪らしいけど、それをつけていると願いがかなうんですって。明子がまつば女子高にかよっているおねえさんから聞いたのよ」
「それで?」
「それを私たちもほしいの。おねえさんに頼んで!」
おれがめんどくさいと言うと、女子たちがぎゃあぎゃあさわぎだしたので、しかたなくねえちゃんに言っておくと約束した。
家に帰って女子たちのことをねえちゃんに話すと、「そんなのリリアンでかんたんにあめるわよ」と言った。そんなものかと思って、次の日、女子たちにそう言うと、またぎゃあぎゃあ言ってきた。
もういちどねえちゃんに言ったら、土よう日におれの家に女子をつれてくることになった。いやだな。友だちに見られたらはずかしい。
土よう日に、まわりをけいかいしながら、五人の女子を家につれて帰った。ねえちゃんにあわせると、おれはすぐに家の外ににげた。
そのあとのことはしらないが、それからは女子たちがこなくなったのでよかった。ヒトデのもようがついているハンカチを見せあうことがはやっていたようだけど。
冬休みになって、おれが野球の約束をしている日に、ねえちゃんが部屋の片づけをしろと言ってきた。男には外でのつきあいがあるのに、ねえちゃんはわかってない。
しかしにげようとしたらおこるので、さいしょはしかたなく部屋の片づけをしていた。そのうちねえちゃんが、おし入れのせい理をするためにおし入れをのぞきこんだ。
そのとき、またぷすっとへの音がきこえたので、おれは笑いそうになったが、今がにげるチャンスなので、笑いをこらえながらそっと玄かんに行った。
すぐにねえちゃんがおれがいないことに気づいたので、おれはくつをはいて家の外へ走ってにげた。するとねえちゃんが家の外まで追ってきた。なんてしゅうねんぶかいんだ。
でもおれの足の方が早かった。ねえちゃんはすぐにあきらめた。
帰ったらおこられると思ったけど、ねえちゃんは「しょうがないわね」と言って頭をこつんとするだけですませてくれた。昔にくらべると、かなりやさしくなった。
ねえちゃんは次の日は台所の大そうじ、その次の日はおせちを作っていた。さすがねえちゃんとかん心したが、おせちを作りながらしょっちゅうつまみ食いをしてた。おれが近づくと、「つまみ食いしちゃだめ」とおこったくせに。
今年のおおみそかは夜中の十二時までおきて、年が変わるのを見るつもりだったけど、と中で寝むくなった。ねえちゃんが「おふとんしいてあげるから、そっちで寝ていなさい」と言って、ふとんまでつれて行ってくれた。
おれは「夜中になる前におこして」とたのんだが、ねえちゃんも夜中になる前に寝てしまったそうだ。あてにならないねえちゃんだ。
正月になると、ねえちゃんがケーちゃんと初もうでに行くと言った。おれは友だちと約束してなかったけど、初もうでに行ってみようかなと言ったら、母ちゃんがねえちゃんについて行けと言った。不満だったが、母ちゃんに言われたらしかたがない。
天気のいい日だったのに、母ちゃんにマフラーをぐるぐる巻きにされた。家を出たときにはもう暑くてたまらなかった。
がまんしてねえちゃんとケーちゃんについて行くと、神社でねーちゃんの友だちがいっぱい集まってきた。クラスの女子にもあった。
おれは暑くてがまんできなくなったので、マフラーを取ると、ねえちゃんのコートのポケットにむりやりつっこんだ。そのとき、ねえちゃんの先ぱいで、男っぽいしゃべり方をするおねえさんがおれをにらんでいた。おこっているのかと思って少しこわかった。
でも、そのおねえさんはおれにあめをくれた。おこってないみたいで、ほっとした。
そのとき、あめが一こ足りないとだれかがさわぎ出した。もちろんおれは一こしかもらっていない。
そのうち、おれをにらんでいたおねえさんが、ねえちゃんのちっこい友だち・・・ケーちゃんよりもさらにちっこいおねえさんをだき上げて、女どうしでキスをした。・・・いや、あれはキスじゃなく、生命力を吸い取っているように見えた。
生命力を吸い取られたちっこいおねえさんは、ふらふらになっていた。
そのこわいおねえさんがいなくなって、おれはねえちゃんと家に帰った。と中でねえちゃんが、今日のことは母ちゃんに言うなと言ってきたけど、こわかったからぜったいに言わない。
お年玉でプラモデルを買ったとき、せつめい書を見てもよくわからないところを、ねえちゃんがこうだと教えてくれた。すごいとかん心した。まつば女子高では、プラモデルの作り方も教わっているんだろうか?
冬休みのしゅくだいにまた日記があった。冬休みといっても毎日日記に書けるようなおもしろいことがおこるわけじゃない。
初もうでのことやプラモデルを作ったことも書いた。だけどそれだけじゃ何日かあまる。
いろいろ考えたけっか、ねえちゃんのいびきとへのことを書くことにした。冬休み中におこったことじゃないけど、おもしろかったからいいだろう。
ところがねえちゃんが、おれのいないあいだに勝手に日記をぬすみ見していた。
「なに勝手に見てんだよ!」とおれがもんくを言うと、
「うそばっかり書いて!」とおこってきた、
少し前のことを書いているけど「うそじゃない!」と言うと、ねえちゃんがおれにつかみかかってきた。
おれももうすぐ小学六年生だ。五さい年上でも女のねえちゃんには負けない。そう思ったが、けっこう手ごわかった。母ちゃんが止めるまでつかみ合いが続いた。
新学期になると、ねえちゃんがクラスの委員長になった。あのねえちゃんがと、みんなおどろいた。しかしそのときの息がニンニクくさかった。ねえちゃんは友だちの家でギョーザを食べたらしい。うらやましい。
その夜の夕飯はなっとうとにものだった。おれが「ギョーザ食いたい」となんども言っていると、とうとう父ちゃんと母ちゃんにおこられてしまった。ねえちゃんばっかりずるい。
そんなとき、学校で国語のしゅくだいが出た。家族について書けというしゅくだいで、最初は母ちゃんのことでも書こうと思った。
家に帰ってから、おれが母ちゃんを観察していると、
「なんでずっと見てるの?なにか食べたいの?」
と聞いてきた。おれはタクアンののこりをもらって食べながら、
「そうじゃないよ。家族について作文を書くから、母ちゃんを見てたんだよ」
と言うと、母ちゃんはみょうにあせって
「ちょうどおねえちゃんが委員長になったから、そのことを書いてあげなさい」
と言った。
ねえちゃんにまつば女子高の委員長の仕事について聞き、それを作文に書いたけど、すぐに書くことがなくなってしまった。
しょうがないからまたいびきとへのことを書いた。それを学校の先生に出したら、次の日、「うそをかいてはいけません」とおこられた。
「うそじゃない」と先生に言ったら、作文のさいごにだれかが「ぜんぶうそです」と書いていた。ねえちゃんだ。ねえちゃんに決まっている。
その日の夕方、おれはねえちゃんにおこった。そしたらねえちゃんは「ぜんぶうそじゃないの」と言い返してきた。
おれはおこってねえちゃんにとびかかったが、力だけじゃ勝てない。そう思って、わきをくすぐることにした。
ねえちゃんは笑いころげて、さいごは「ゆるして」と言って泣きだした。くすぐるのをやめると、ねえちゃんはぐったりした。多分、ちびったにちがいない。
ねえちゃんを泣かせたことでおこられたので、おれは夕はんのとき、ねえちゃんにおかずをあげてあやまった。
ねえちゃんはいろいろがんばっていてりっぱだけど、いびきとへをなんとかしないとおよめにいけないな、とおれは同情した。




