七話 芸能雑誌
俺は今朝も美知子だった。その事実を良いとも悪いとも思わず、素直に受入れて起き上がった。
すばやくセーラー服に着替えると、布団を畳みつつ、まだ寝ている武の体を揺さぶった。
「武、起きなさい。・・・今日は早く学校に行って、宿題をやるんでしょ」
「あ〜そうだった」寝たまま大きく腕を伸ばして、あくびをする武。
「姉ちゃん、おはよう」
「おはよう」
洗顔と歯磨きのために洗面所に向かい、既に起きていた両親にあいさつした。
部屋に戻ると入れ違いに着替え終わった武が出て行ったので、布団を押し入れに押し込み、お茶の間に向かった。
今朝の朝食のメニューはご飯と納豆だけだった。
「手抜き?」と一瞬思ったが、この時代の主婦は俺の時代より忙しそうなので何も言わなかった。弁当も作ってもらってるし。
手早く納豆ご飯を口の中にかき込むと、あわだたしくお茶の間を出て行く武。
すぐに、昨日開いたかわからないランドセルを背負って出てきた。
「いってきまーす」
「相変わらず落ち着きのないやつだ」と父親。確か昨日もそう言っていた。
「武、ハンカチとちり紙持った?」
あわてて母親が立ち上がるが、すでに武は玄関から飛び出していた。
しばらくして、食事を終えた俺も弁当を受けとって家を出た。
ちなみに武は給食なので、弁当は持っていかない。
美知子の記憶にある給食は、まずいコッペパンとまずいおかずとまずい脱脂粉乳だった。煮物しか入っていないような弁当でもはるかにましと思っている。
俺の時代に読んだグルメマンガで、昔の製法の食材はおいしいと描かれていたが、美知子の食生活を思い起こすとそれほどとは思えなかった。
玄関を出て、昨日と同じように恵子と待ち合わせた。二人とも通学路が同じで、毎朝同じ時間に家を出ているので、わざわざ約束しなくても一緒の通学になる。
「おはよう、ケイちゃん」
「おはよう、みーちゃん」
「ケイちゃんて古文得意だったかしら?私、一応宿題はしてきたけど、ちょっと答合わせさせてよ」
「それほど得意ってわけじゃないけど・・・いいわよ」
恵子は今日も優しいやつだった。
教室に入ると、一か所に女子生徒たちが集まってきゃーきゃー騒いでいた。
「どうしたの?」カバンを机に置いてから、集まって騒いでいた女子生徒に恵子が聞いた。
「麗子さんが『明星』を持ってきたの」
『明星』・・・それはこの時代の芸能雑誌(月刊誌)だ。
「えー、見たい!」思わず声に出す恵子。
「白沢さん、そんな物を持って来ちゃいけないわよ」
同じ頃に登校してきた委員長が苦言を呈した。
「まあいいじゃない、先生が来る前にしまうから」
肩をすくめる委員長。俺も何となく気になって、集まっている女子生徒たちの肩越しに、麗子の机の上に開かれている雑誌を見た。
そんな俺の様子を見て、麗子は勝ち誇ったかのようににやりとしたが、俺が見るのを止めようとはしなかった。
遠目であるが、舟木一夫、三田明、橋幸夫、石原裕次郎、西郷輝彦などの写真が掲載されているようだった。
聞いたことがあるような、ないような人が多いな。・・・確か石原裕次郎って、大きなブランデーグラスを持っていた人だな?
「やっぱり、西郷輝彦はいかすわね」とひとりの女子生徒。
イカ酢?・・・食い物?
聞きなれない言葉だったが、美知子の記憶をたどると、「いかす」という言葉が「かっこいい」とか「いけてる」とかいう意味であることを知った。
俺の時代じゃ完全な死語になっている。
「女性芸能人は誰が載ってるの?」と俺も口をはさんだ。
「ザ・ピーナッツや浅丘ルリ子よ」
聞いたことはあるが、やはり良く知らない。
人気のある歌手や俳優(女優)らしいが、アイドルって感じではない。俺はあまり興味を持てず、女子生徒の集団から離れて自分の席に戻ろうとした。そのとき、
「藤野さん、あなたの好きな藤田まことも載ってるわよ」
麗子が声をかけてきた。俺は振り返った。
藤田まこと?・・・確か必殺○○とかの時代劇に昔出演していた、渋い俳優さんだな?
なぜかふふっと笑う麗子の周りの生徒たち。
「え、と・・・時代劇のドラマの情報が載ってるの?」
「そうよ、ほら、遠慮しないで、見てご覧なさい」
そう言って麗子が雑誌をわざわざ手渡してきた。
俺がそのページを見ると、股旅姿をしておどけた格好をしている男性の写真が載っていた。
「て、てなもんや三度笠?」
ぷっと吹き出す麗子と周りの生徒たち。
「あなたがお好きな番組でしょ?」
俺は美知子の記憶を参照するまでもなく、馬鹿にされていることを察した。
「あ、あなた・・・」
そのとき突然教室の引き戸が開いて、担任の中村先生が入って来た。
蜘蛛の子を散らすように散開して自分の席に着く生徒たち。次の瞬間、俺は芸能雑誌を持ったまま立ち尽くしていた。
中村先生の視線が俺と、俺が持っている雑誌に注がれる。
「藤野さん、何を持っているのですか?」
そう言って中村先生はつかつかと歩み寄ってきた。
俺の手から雑誌を取る先生。表紙を見てから、今度は俺の顔をにらんできた。
「こんなものを学校に持ってきてはいけません!」
「い、いや、私のじゃ・・・」
俺はあせってしまい、「それは麗子のです」と言い返すことができなかった。
「先生、その雑誌は藤野さんのではありません。先ほどまで、白沢さんが持っていました」
助け舟を出す委員長。
「白沢さん?」
先生に呼ばれて麗子が立ち上がった。
「先生、申し訳ありません。その雑誌は誰かが教室に置いていたようで、たまたま見つけて手に取っていたら、興味のある方が見に来られて・・・」
俺はその言葉に憤った。・・・確かにその雑誌が麗子の物かはわからない。しかしあの言い様だと、俺が麗子から雑誌を取って、一人で読んでいたかのように聞こえる。
「とにかく、こんなものはまだあなたたちには早すぎます。没収しますので、持ってきた人は放課後に職員室に来るように」
雑誌を先生に取られた俺は、すごすごと自分の席に戻った。心配そうに見る恵子。
「あ〜あ、誰のか知らないけど、藤野さんのせいで没収されちゃった」
小声の麗子の言葉が聞こえ、俺は拳を握りしめた。
席に着くと美知子の記憶を探った。昨日一日でわかったことだが、美知子の記憶は自動的に俺の記憶となるわけではなく、探らないと該当する情報を得られない。
まるでサーチエンジンのようだな。・・・もっとも検索できる情報は限られているようだが。
美知子の記憶によると、「てなもんや三度笠」というのは藤田まことが若い頃に主役をしていたテレビの時代劇コメディだった。
その番組が好きなのは別に恥ずかしいことではないが、イケメン俳優に騒いでいる女子生徒たちと比較されると、「お笑い好き」と少し下に見られるようだった。
くそっ麗子め。怒りが再燃する。
一時間目の古文の授業が始まる。結局、恵子の宿題を見せてもらう暇がなかった。
出来のいいとはとても思えない宿題のノートを提出し、呪文のようにしか聞こえない古文の授業を受けた。俺自身もさっぱりだが、美知子も得意ではない。もっとも古文だけでなく、他の教科も似たようなものだった。
美知子の成績は、中の・・・下くらいか。進学するなら、俺自身が勉強をがんばるしかないのか。
とはいえ、俺自身も高校生の時に勉強ができたわけじゃなかった。前途多難である。
陰鬱な思いをめぐらせているうちに、先ほどの麗子の言動を思い出し、どんどんむかついてきた。
古文の授業が終わると、俺は立ち上がり、麗子のところに近づいていった。
「ちょ、ちょっと、みーちゃん?」
恵子の声が背後から聞こえたが、かまわず椅子に座っている麗子の前に立った。
「あら、何か用かしら、藤野さん?」
悠然と微笑んでいるように麗子の口元が見えた。
「何かじゃないわよ。あなたが持っていた雑誌を私に押し付けたから、先生に注意されちゃったじゃない」
「あなたが興味を持ちそうな記事があったから、見せてあげただけよ。先生がちょうど来たのはたまたまよ」
「周りの子たちと一緒に見てたのに、そばにいなかった私に雑誌を押し付けるなんて不自然よ」
「ちょっと気を利かせただけよ。好きでしょ、ああいう番組」
「誰がいつそんなことを言ったのよ!」
つい声が大きくなった。クラス中の女子生徒が俺の方を見た。しかし麗子はじっと俺を見つめたままだった。
「大体あれ、あなたが持ってきたんじゃないの?」
「先生に言ったように、私の机の上に置いてあったのよ。私のじゃないわ」
「昨日の放課後か、今日の早朝に、誰かがあなたの机の上にあの雑誌をわざわざ置いたって言うの?そんなのおかしいわよ!」
「でも、私のって証拠はないじゃない。あなた証拠持ってるの?」
「しょ、証拠はないけど・・・」
「ほら、ご覧なさい」勝ち誇ったようにほくそ笑む麗子。
「さっきの雑誌の表紙を見たら、最新号だったわ。教室で雑誌を見てたら、あなたのように先生に取り上げられる危険があるから、古い雑誌ならともかく、新しい雑誌を持って来るわけないじゃない」
「じゃあ誰のだって言うの?」
「私が知るわけないじゃない」と嘯く麗子。
「でも、さっき雑誌を見てたとき、後からあなたが物欲しそうに見つめていたから、藤野さん、あなたのかもしれないわね」
「はあ?」何を言い出すんだ、こいつ?
「あなたのだとして、私へのプレゼント・・・ってことはないわよね。先生に見つけさせるために私の机にわざと置いたのかしら。・・・それがどういう運命のいたずらか、自分の手元に戻ってしまって、因果応報ってやつ?」
「あなたって人は!」
人のせいにしようとする麗子の言い分に、俺は切れて思わず右手を振り上げた。
雑誌情報
集英社/明星(1952年〜)
TV番組情報
TBS系列/てなもんや三度笠(1962年5月〜1968年3月)




