八話 麗子との確執
俺が麗子をぶとうとして右手を上げたのを見て、俺たちの言い合いを見ていたクラス中の生徒が息を飲んだ。
クラスの雰囲気が変わったのに気づき、俺は振り上げていた右手を握り締め、そっとおろした。
手を挙げたら俺の負けだ。
ふと麗子の顔を見ると、これまでの俺をからかうようなほくそ笑みが消え、頬が青ざめ、おびえているような表情をしていた。
あれ?
涙ぐんでいるようにも見える。
これって、俺が悪者ってパターン?
俺は黙ったまま立ち尽くしていた。クラス中が緊張している。
そのとき、次の授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。俺はそれを機に、自分の席に戻った。
「みーちゃんは悪くないわ」と恵子の小声が聞こえた。
それって俺が悪者の立ち位置にいることを前提としている慰めの言葉なんだけど・・・。
まもなく、次の授業(現代国語)の先生が教室に入ってきた。
授業はいつも通りに行われ、誰も何も言わなかった。
俺がちらりと麗子の方を見ると、心なしかうなだれているように見える。
やばいな・・・高校生になったばかりなのに、けんかっ早いって印象を与えたかな。・・・美知子、ごめん!
美知子ならあんな態度は取らなかっただろうと俺は後悔した。
後悔しながら授業が終わった。俺は麗子に謝ろうか考えていたが、麗子は友だち二人とともにすぐに教室を出て行った。
教室内がざわざわとした。俺の耳には「藤野さんが・・・」とか「白沢さん、かわいそう」といった言葉が聞こえた。
三時間目の授業が始まる直前に、麗子に付き添っていった二人の女子生徒が戻ってきたが、麗子は一緒じゃなかった。
チャイムが鳴って世界史の先生が入ってくると、すぐに麗子の席が空いているのに気づき、委員長に休みか尋ねた。
委員長は事情を知らず答えられなかったが、麗子に付き添っていた女子生徒が手を挙げて言った。
「先生、白沢さんは気分が悪いので、保健室につれて行きました」
再びざわつく教室内。一部の生徒は俺の方をチラ見した。
先生は生徒たちに静かにするようにと言うと、普通に授業を開始した。
授業は長引き、チャイムが鳴っても五分ほど延長した。休み時間が短くなったため、誰も麗子の様子を見に行くことができなかった。
そして四時間目の生物の授業が終わり、お昼休みになったので、俺は立ち上がった。
「どこ行くの?」
恵子が聞いたので、「保健室に行ってみる」と答えた。
「じゃあ、私も」と恵子。
「いいわよ、先にお弁当を食べてて」
そう言うと、委員長が近づいてきた。
「私も行くわ」
委員長と二人で教室を出、保健室に向かう。
しかし保健室の中に入ったが、ベッドの上にもどこにも麗子の姿はなかった。
「中村先生に聞いてみるわ」
「わ、私も、職員室の前までつきあうわ」
職員室に着くと、戸を開けて委員長が入っていった。俺は廊下で立って待つ。
しばらくして委員長が出てきた。職員室の中に向かって会釈している委員長に、俺は待ちきれずに聞いた。
「どうだったの、白沢さんのこと?」
振り向いた委員長のメガネがきらりと光る。
「気分が悪いから早退したんだそうよ」
「そう・・・なの」
俺のせいかと思うと気まずくなり、口をつぐんだ。
「あなたのせいじゃないわよ」と言う委員長。
だから、それは俺が関係していることを前提としての慰めの言葉だから。
教室に戻ると、俺と委員長は一緒にお弁当を食べた。しかし、なかなかのどを通らなかった。
委員長は、麗子が早退したことを誰にも言わなかったが、俺たちと同じように麗子のことを職員室に聞きにいった女子生徒が言いふらしていた。
しかし、俺に直接何か言いに来る生徒はいなかった。それがかえって孤立感を深めた。
五時間目の授業が始まり、やがて六時間目の授業が終わると、担任の中村先生が教室に入ってきた。
「聞いているかも知れませんが、白沢さんが体調不良で早退されましたので、教室に残しているカバンとプリント類をどなたかに持って行ってもらいます」
「先生、じゃあ私が」すぐに手を挙げる委員長。
「いえ、今日は藤野さんに行ってもらいます」
「は、はい?」
とたんにざわつく生徒たち。俺の耳には「またケンカになるんじゃない」などという囁き声が聞こえた。
「よろしいですね?・・・そしてちゃんと話し合って来なさい」
俺は委員長を見た。先生に何か言ったんじゃないかと思って。しかし委員長はかぶりを振った。
掃除当番が掃除を始める前に、麗子の机の中から教科書やノートを出し、カバンの中に入れた。さらに先生から受けとったプリント類もカバンに入れた。
麗子の家に行ったことはないが、先生から住所を書いた紙を受けとったので、多分たどりつけるだろう。
「あたしもついて行くよ」と恵子。
「ありがとう、ケイちゃん」
そう答えながら帰る準備をしていると、委員長、河野さん、そして淑子が寄って来た。
「私も行こうか?」と委員長。
「ついてくよ!」と淑子。
河野さんは部活があるからごめんと手を合わせた。
「みんな大丈夫だって」と俺。
「そんなに大勢で行ったら討ち入りかって思われちゃうよ」
俺の言葉にはっとして振り向く教室内の女子生徒たち。
やばい、やばい・・・あんまり物騒な物言いは誤解を生むな。
「帰り道が同じケイちゃんだけ連れてくよ。ケンカなんかしないから。ありがとう、みんな」
感謝の言葉を述べて、俺と恵子は教室を出た。
昇降口で靴を履き替えていると、恵子が花模様がついた小さな紙袋を俺に差し出した。
「なあに?」
紙袋を受けとって中をのぞくと、花柄のカバーがついた薄桃色の消しゴムが入っていた。かすかにいい香りが漂ってくる。
「これは?」
「誕生日プレゼント」恵子が頬をちょっと赤らめながら言った。
「え?」
俺は美知子の記憶を探った。美知子の誕生日は五月十日、ちょうど今日だった。
「あ、ありがとう。・・・自分でも忘れてたわ」
ついでに恵子の誕生日を探す。・・・九月十五日だった。忘れないように心に刻んでおく。
「もう十六歳だね。結婚できる年だね」
また結婚って、何のフラグだよ、まったく。・・・俺は男とは結婚しない。
そんなことを考えているうちに、麗子の家がある住所に来た。
「白沢」という表札がある家は、外壁が白く塗られたモダンな一軒家だった。美知子の家より大きく、新しく、ちょっとしゃれている家だった。
さすがにドアホンはついていない。俺は軽くノックしてから玄関ドアを開けると、
「こんにちは〜。すみませーん」
と声をかけた。俺の時代と違って昼間っから施錠してたりはしない。
「は〜い」と言って、中年女性が出てきた。麗子の母親だろう。
「あの、同じクラスの藤野と申します。・・・今日、麗子さんが具合が悪くて早退されたとのことで、カバンやプリント類をお持ちしました」
「同じく小柴と申します」と恵子。
「あら、まあ、すみません。どうぞ、お入りになって」
家に入っていいかわからず恵子と顔を見合わせたが、麗子の母親らしき女性がしきりに勧めるので、意を決っして玄関に上がった。
「麗子は貧血とか言ってましたけど、帰宅したらいたって元気ですの。おほほ」
美知子の母親より上品そうな女性で、俺たちを応接間に招いた。応接間は六畳程度の広さだが、真ん中にソファーセットがあり、窓際にサイドボードがあって、その上に陶器の置物などが飾られていた。
俺からカバンを受けとった母親(推定)は、「お待ちになって」と言って客間を出て行った。
「しゃれたお家だね。お金持ちかな?」と恵子。
「さあ・・・」この時代の「いい家」がどの程度のものかよくわからない。
緊張してソファーに座って待っていると、やがて応接間のドアが静かに開いて、私服姿の麗子が客間をのぞいて来た。
「こ、こんにちは」思わず口ごもる俺。
麗子はばつが悪そうに立ったままだったが、後からお盆を持った麗子の母親(推定)が麗子を応接間に押し込んだ。
「さ、どうぞ。たいしたものはありませんが」
母親(推定)が持って来たのはティーセットだった。
ティーソーサーの上に置いたティーカップを俺たちと、向かいに座った麗子の前に置くと、紅茶のティーバッグを入れ、さらに魔法瓶からお湯をそそいだ。
「ありがとうございます」
「あ、お菓子を持って来ましょうか?」
「お母さん、後はいいから。・・・話があるからもう行って」
母親(確定)を応接間から追い出す麗子。
「あら、あら、じゃあごゆっくり」
母親を追い出すと、麗子は向かいのソファーに座りなおし、俺たちの前に置かれたティーカップからティーバッグを取り出すと、角砂糖の入ったビンを無言で俺たちに勧めてきた。
「あ、ありがとう」
勧められるままに角砂糖を二個入れる。恵子は三個だ。
スプーンで紅茶をかき回していると、突然麗子が頭を下げた。
「今日はごめんなさい!」
「ええっ?」とまどう俺と恵子。
「あなたに手渡した雑誌が先生に見つかったのは、本当に偶然なの」
「そ、そう・・・」
「あなたが先生に目を付けられたみたいになっちゃって、本当にごめんなさい」
「い、いえ、私もあなたに文句を言ったりして悪かったわ。それにぶとうとしたり・・・」
俺も立ち上がっていさぎよく麗子に頭を下げた。
「ごめん!・・・なさい」




