五十三話 映画館に行く
三学期に入って早々、感傷的になっていた恵子だったが、その後、気分が落ち着いたようだった。
二、三日経ってからの学校からの帰り道で、
「今度の日曜日に映画に行かない?」と恵子に誘われた。
「いいけど。何を観るの?」
「『レッツゴー!若大将』よ」
加山雄三主演の若大将シリーズの最新作らしい。俺はこのシリーズを観たことがなかったので、一度観てみたいと思っていた。
家に帰ると母親に、
「今度の日曜日にケイちゃんに映画に誘われたんだけど、いいかしら」と聞いた。
「何を見るの?」
「加山雄三の若大将の映画よ」
「いいけど。・・・何?」
俺が母親の前でにこにこしながら立っているので、母親が聞いてきた。
「映画館の入場料が・・・」
「お年玉をもらったばかりでしょ?」
「お年玉を映画に使うと、ほとんどなくなっちゃうから、もっと有効に使いたいの。手芸用品とかに・・・」
「しょうがないわね」
そう言って財布を取り出すと、百円札を三枚くれた。これで何とか間に合いそうだ。
「ありがとう、お母さん。大好き!」
母親は嬉しそうに微笑んだ。こういうリップサービスは、男だった頃にはできなかった。美知子だと自然にできる。
映画鑑賞を楽しみに指折り数えて待ち、ようやく一月十五日の日曜日になった。
今日は成人の日だ。この時代の成人の日は、曜日に関係なく、一月十五日に固定されている。しかし、高校生には関係ない。俺の時代で問題になっていた、ばか騒ぎをする新成人も、この時代には多分いない。
家の前で恵子と待ち合わせると、一緒に近くのバス停に向かった。
映画館は市内にあるので、バスに乗って行く。
そう言えば、俺が美知子になってから映画を観に行くのは初めてだ。何となくうきうきしてくる。
「ケイちゃんは、去年何回くらい映画を観に行ったの?」
「えーと、去年は一回かな。加山雄三の『何処へ』って映画を連休に。みーちゃんは?」
「私は一回もなかったわ」
そんなことを話しているうちに目的地のバス停に着いた。バス停から少し歩いて、繁華街の端の映画館に着いた。
映画館の前にはこれから見る映画のポスターが貼り出されていた。
今回観る映画は、加山雄三主演の『レッツゴー!若大将』だが、森繁久彌主演の『社長千一夜』と併映だった。
ポスターに書いてあった『レッツゴー!若大将』のうたい文句は『青春に帆をかけて歌に恋にサッカーに大活躍!』だった。さすがは若大将、さわやかだね。
もう一方の『社長千一夜』の宣伝文句は、『お馴染み爆笑チームの浮気よろめき九州観光旅行!』だった。どういう組合せだよ!?
窓口で入場券を買い、映画館の入り口に入ると、おじさんに入場券を渡して半券をちぎってもらった。
入ったところは細長いロビーで、ポスターがべたべたと貼られた壁の下に、合成革張りの長椅子が置いてあった。ジュースや牛乳などの飲料を売るコーナーもあるが、そんなのを買う余裕はない。
ロビーにあるドアを開け、暗幕をくぐって観客席の方に入ると、既に『レッツゴー!若大将』の映画が始まっていた。この時代は、上映中にいつ入場してもいいし、観客の入れ替えもない。つまり、その気さえあれば、一回の入場で映画を二回でも三回でも観れた。
観客席はそこそこ埋まっていたが、俺と恵子は前の方の空いた席を見つけて並んで座った。
映画は、ところどころに時代を感じさせるが、興味深い内容で楽しめた。若大将は、田中邦衛の青大将とともにサッカーをしたり、香港に行ったり、京都に行ったりとめまぐるしかった。澄子というのがマドンナ・・・ヒロイン・・・らしい。
併映の『社長千一夜』はコメディー映画だったが、三年後の万国博覧会の準備という設定があったところに興味を引かれた。
加山雄三はもちろん、田中邦衛も森繁久彌も、俺の記憶と違ってかなり若かった。当たり前だけど。
映画二本が三時間くらいで終わったので、恵子と相談して『若大将』の見損なった部分を観てから映画館を出た。
恵子のマフラーを二人で巻く。
「若大将シリーズって、話の内容につながりがあるの?」俺は映画について恵子に尋ねた。
「出演者や大まかな設定は同じだけど、映画によって若大将がするスポーツが変わったり、微妙に違いがあるの。はっきりしたストーリーの繋がりはないみたい」と恵子が教えてくれた。
恵子は、社長シリーズについてはよく知らないらしい。そりゃそうだろう。女子高生向けの映画じゃない。
まだ帰るには少し早かったので、商店街に寄って、よく行く手芸店をのぞいたりした。
店を出て、歩道を歩くと、まもなく数人の女子中学生の集団に出くわした。
何となく警戒心が働いて、女子中学生の集団をまじまじと見ていると、その中心に水上明日香がいるのに気づいた。明日香もすぐに俺に気がついた。
「美知子お姉様!」そう叫んで明日香が駆け寄ってきた。
「お姉様?」「明日香さんに似てないじゃない」という女子中学生の声が聞こえる。
明日香は、俺が恵子と巻いているマフラーに目をとめた。
「その子は誰?」恵子を見て聞いてくる明日香。ちょっと目が怖い。
「・・・お、幼馴染の友達よ」
そう答えておき、目を丸くしている恵子には「水上先輩の妹さんよ」と耳打ちした。
「何なの、その恋人どうしみたいなマフラーの巻き方は?」
そう言って明日香は、恵子の反対側の俺の隣に来ると、俺の腕に自分の腕を絡ませた。
「その人に、少女小説の参考と言ってキスをしたの?」
明日香は、俺の耳に囁くようにして恵子のことを聞いた。
「違う、違う・・・」
「じゃあ、頬にキスし合った人?」
「それも違う」
「じゃあ、その人とはキスしてないのね?」
俺は恵子が俺の唇にキスしたことを思い出した。それが顔に出たらしく、明日香が目尻を吊り上げた。
「もう!美知子お姉様は浮気者なんだから・・・」
そう言って明日香は、絡ませていた腕をほどいた。
「今日は友だちがいるから、また今度話を聞かせてもらうわ・・・」
そう言うと明日香はつんとして、友人たちのところへ戻って行った。
明日香は友人たちに「あの人は誰?」と聞かれていたが、「姉さんの友だち」とだけ答えていた。
明日香を怒らせたのかな、と思って見送っていたが、明日香は途中で振り向いて俺に手を振った。
「何、あの子?」と恵子が聞いてきた。「みーちゃんにくっつこうとして・・・」
「ま、まあ、年下だから、気にしないで・・・」俺はそれだけ答えるので精一杯だった。
しかし、明日香の攻勢がこれで終わるはずはなかったのだ。
家に帰り、玄関で靴を脱いでいると、武がばたばたと走って来た。
「姉ちゃん、映画観に行ったんだって?」
「そうよ」
「くそー、俺も行きたかった!」悔しがる武。
「何よ、あなた若大将の映画に興味があったの?」
「そっちじゃない。お正月までゴジラの映画をしてたから、それが観たかった」
ゴジラか。・・・平成時代に作られたのは子どもの頃に観た記憶がある。確か、ハリウッドでもゴジラ映画が一本作られていたな。ジャン・レノが出てたやつ。
「何てタイトルのゴジラ映画だったの」俺は武の頭を撫でてなだめながら聞いた。
「確か・・・『ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘』だったかな」武は俺の手を払いのけながら言った。
「エビラって?」
「エビの怪獣だよ」
そんなのがいたのか。モスラやキングギドラは知ってるけど。
「武はもうすぐ六年生になるから、怪獣映画なんか卒業しなさいよ」と、顔を出した母親に言われた。
「ちぇっ」
この時代のゴジラ映画が、小学五、六年生の観るものじゃないかは知らないが、武にはまだ青春映画は早いだろうし、あまり適当な映画がないのかもしれない。
「今度、何かいい映画をしてたら連れて行ってあげるから」そう言って俺は武を慰めた。
「ほんとか?お金も出してくれる?」
「映画代をお父さんがくれたらの話よ」
こっちも大してお金を持っていないから、牽制しておいた。
そのとき、家の黒電話が鳴った。俺がそばにいたので、受話器を取った。
「もしもし、藤野ですが」
「私、水上明日香といいます。美知子さんはいらっしゃいますか?」
「明日香さん?」
「あら、お姉様だったの?ちょうど良かった」
ちょうど良くなかったよ。
「今日はお邪魔をしました」
「いえ、気にしないで」気にしてもいいけど。
「今度の土曜日の午後はあいてる?」
俺は嫌な予感がした。しかし嘘はつけない。
「今のところはあいてるけど」
「来年の進学先を考えるために、松葉女子高校を見学したいので、案内してくれない?」
「い、いいけど、杏子先輩は?」
「お友だちと用事があるみたい」と明日香はつんとして答えた。
水上先輩は、妹をほっておいて、取り巻き連中といつも何をしてるんだろう?そう疑問に思ったが、関わりたくはなかったので、何も言わなかった。
「わかったわ。午後二時頃に松葉女子高の校門まで来てもらえる?」
「はい。ありがとう、お姉様」
そう言って明日香は電話を切った。意外なことに、と言ったら失礼かもしれないが、まともな話だった。学校の案内くらいなら、何も問題は起きないだろう。
俺が受話器を下ろすと、間髪入れずにまた電話がかかってきた。明日香が何か言い忘れたのかと思って、俺はすぐに受話器を取った。
「もしもし、藤野ですが」
「あ、みっちゃん?私、真紀子です」田舎の神社の子の真紀子だった。
「あ、マキちゃん?久しぶりだね。元気?」
「元気ですけど、それより、今度の土曜日の午後はあいてますか?」
俺は妙な偶然に胸騒ぎを覚えた。
映画情報
加山雄三主演/何処へ(1966年3月16日公開)
加山雄三主演/レッツゴー!若大将(1967年1月1日公開)
森繁久彌主演/社長千一夜(1967年1月1日公開)
宝田明主演/ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘(1966年12月17日公開)




