四十話 図書室のミステリー(一色千代子の事件簿)
図書委員の叫び声に反応して、俺と図書室にいた小柄な女子生徒が図書委員の方に駆け寄った。
「どうしたの、直子?」小柄な生徒が尋ねた。
「あ、一色さん。これを見て」
一色と呼ばれた子と俺は、図書委員が指さした書架を見つめた。
最初は何がおかしいのかわからなかったが、よく見ると、何冊かの本が上下さかさまに書架に入れられていた。
「本がさかさまだね」と一色が指摘した。
「誰かが適当に本を戻したんじゃないの?」と俺。
「私も最初はそうだと思ったわ。だけど、本を直しても、次の日には同じ本が同じようにさかさまになっているの。一度や二度じゃないのよ。だから気味が悪くて」
「それは確かにミステリーだね。誰かが意図的にやってるんだ」
一色は俺の方を向いた。
「君は誰かが本をさかさまに入れているところを見たことはないかい?」
妙な話し方をするやつだな、と思いつつ、俺はかぶりを振った。
「知らないわ」
「おっと、失礼。自己紹介がまだだったね。私は一年四組の一色千代子、探偵さ」
俺は開いた口がふさがらなかった。何を言ってるんだ、このお子ちゃまは?
「一色さんは探偵小説が大好きなの。実際に頭はいい人よ。学年で一位か二位の成績を取るほどだから」
こいつか、委員長といつも成績を競っているという生徒は。・・・見た目は子供、頭脳は大人ってやつだな。
「私は一年二組の藤野です。この前まで試験勉強をしに図書室に通っていたけど、もともとあまり本を読まないから、書架の様子は気にしたことがないの」
「ああ、山際さんといつも一緒にいた子だね」
「私の知る限りじゃ、図書室に毎日来るような子はあまりいないみたいだから、誰がやったのかすぐわかるんじゃないの?」と、俺は図書委員に向かって聞いた。
「図書室にいつも来る生徒は、図書委員を除くと一色さん、山際さんに、あと数人くらいだけど、誰がやったかまではわからないわ」と図書委員は答えた。
「この書架は図書委員の席からは死角になっているし、いつも注意しているわけじゃないから」
「まあ、それより」と一色が口をはさんだ。
「犯人がなぜこんなことを繰り返すのか、推理してみようよ」
「いたずらじゃないの?」と俺は言った。
「いたずらだったら、いつも同じ本をさかさまにする必要はないじゃないか。適当な本を選べばいいんだから」
「じゃあ、何か特定の目的があるってこと?」
「そうだと思う。一種の暗号じゃないかな」
その言葉に俺は息を飲んだ。そうだとすると、確かにこれはミステリーだ。
「暗号って、誰かが誰かに連絡しているってこと?」
「・・・連絡だとしたら、こんな面倒なことをする必要はないよ。決めておいた本にメモをはさむだけで可能だからね」
「確かに・・・」
「それに毎回同じ本ってことが気になる。連絡なら、そのつどメッセージが変わる方が自然だからね。ある法則で本を選んでいるとしたら、メッセージが変われば選ぶ本が変わってもおかしくない」
変なやつと最初は思ったが、確かにこの一色って子は、けっこう頭の回転が速いようだ。
「じゃあ、何のために?」
「それは暗号を解けば、自ずから明らかになると思うよ」一色はそう言って、図書委員の方を向いた。
「いつもさかさまにされている本を、テーブルの上に並べてくれるかい?」
「わかったわ」
そう言って図書委員の子は、書架から本を抜き出していくと、テーブルの上に並べた。
その本と著者は以下の通りだった。
小島政二郎『鴎外・荷風・万太郎』、チェーホフ『恐怖・くちづけ』、志賀直哉『城の崎にて・小僧の神様』、横山青娥『古典に現われた動植物』、田村魚菜『材料別料理事典』、石田一良『町人文化』、須藤克三『村の母親学級』、御手洗辰雄『山県有朋(三代宰相列伝)』、そして木島始『四つの蝕の物語』。
「全部で九冊か。本の内容に共通点はなさそうだね」
メモを取る一色。そして本を順番に手に取ると、ぱらぱらとページをめくってみた。
「中に手紙のようなものは入っていないようだ。図書カードに書かれている貸りた人の名前にも共通点はない。だとすると、書名のアナグラムかな?」
「アナグラム?」
それは知っている。文字を並び替えて意味のある文を作るものだ。しかし答が一つにしぼれない場合もありそうで、パズルとしては好きじゃない。
「まず、『鴎外・荷風・万太郎』の『お』、『恐怖・くちづけ』の『き』と、読みの最初の一文字を拾っていくと・・・」
一色はノートに「おききこざちむやよ」と書いた。
「これを並べ替えてみると・・・ああっ!」一色が叫んだ。
「これは殺人予告だ!!」
「何ですって!?」ドラマ以外ではまず聞くことのない言葉に俺は驚愕した。
「『おききこざちむやよ』を並べ替えると、『ちよこおやききざむ』となる。『お』を『何々を』の『を』とみなすと、『千代子を焼き刻む』だ。私に対する殺人予告だ!」
一色千代子が興奮して叫んだ。どことなく喜んでいるようにも見える。
「いや、そんな!」俺は反論した。
「あなたを焼いて刻むなんて、あまりにも猟奇的すぎて、信じられないわ!」
「第一、誰があなたを殺すというのよ!?」図書委員も疑問を口にした。
「私がいなくなって喜ぶのは、いつも試験の成績で学年一位を競っている、二組の山際さんくらいかな」
「それこそありえないわ!」と俺は叫んだ。
「喜子さんは、確かに学年一位を取ろうと試験勉強を頑張っているけれど、人を呪ったり、まして殺したりなんて、絶対にできない人よ!」
俺の言葉を聞いて一色は考え込んだ。
「確かに、女子生徒が殺人しようなんて、普通は考えないな。・・・山際さんが普通でないってことは?」
「ないわよ!」俺はすぐに否定した。腐女子的な意味では普通ではないけれど・・・。
「書名の最後の文字だと・・・。『うけまつんかうんり』か?『山県有朋(三代宰相列伝)』の最後の文字が、『山県有朋』の『も』だとすれば、『うけまつんかうもり』となる」
一色はしばらくメモを見つめていたが、やがて匙を投げた。
「意味をなさないな。じゃあ、著者名かな?」
そう言って一色は置いてある本にもう一度目をやった。
「『小島政二郎』の『こ』、『チェーホフ』の『ち』、・・・。拾った文字は『こちしよたいすおき』か。・・・ああっ!」
一色がまた叫んだ。
「この文字を並べ替えると、『いしきちよこたおす』、『一色千代子倒す』となる!これこそ犯行予告だ!」
「首席になりたいという、願かけかもしれないわ」と図書委員。
「どちらにしても犯人は、・・・やっぱり山際さん?」
「今度会ったら、問いただしてみようか」
一色と図書委員が相談している間、俺は何か違和感を覚えて、一色のメモをじっとにらんだ。そしてすぐにあることに気がついた。
「待って、一色さん!」
「なんだい、藤野さん?」
「『山県有朋(三代宰相列伝)』の著者は、『おてあらい』じゃなくて『みたらい』よ!だから拾った文字は、『こちしよたいすみき』になるわよ!」
「ええっ?」と言って一色は自分のメモをにらんだ。
「だとしたら、『一色千代子たみす』?、『すみた』?、『みすた』?・・・ああっ、言葉にならない!」
愕然とする一色。まさか「御手洗」を「おてあらい」と読むとは・・・。読めるけど。
それにしても自分の名前が入ってない可能性はまったく考えないんだな。どれだけ自分が犯人のターゲットになりたいんだか。
謎を解き損ねてがっかりしている一色を見て、俺はある可能性を思いついた。
「一色さん、まさか自作自演じゃないでしょうね?」
「ええっ?どういう意味?」
「探偵にあこがれているあなたが、自分の仕込んだ謎を自分で解いて、悦に入ろうとしたってことよ」
探偵が真犯人だったという推理小説がないわけじゃない。
「ま、まさか。・・・さすがにそんな面倒なことはしないよ」否定する一色。
自分で指摘したものの、俺も本気でそう思っているわけじゃない。自分で仕込んだ謎を自慢げに解いたとしたら、あまりにも痛すぎる。
それに、図書委員が異変に気づいたときに、俺のような観客がいるとは限らないし。
その後、一色はほかの可能性についても考えたが、はっきりした答は出せなかった。
著者名の最後の文字を拾っても意味ある文にはならなかったし、本の大きさ順とか、発行年順とか、考えれば考えるほど複雑になって、明快な答はとても出せそうになかった。
「悪かったよ、君のクラスの山際さんを疑って・・・」
一色はとうとう自分の負けを認めて謝罪した。
「これからどうする?」と、一色は図書委員に聞いた。
「とりあえずこの本は、図書室の受付に積んでおくわ。それを犯人が見たら、気づかれたと思ってやめるかもしれないから」
「ところで一色さんの一年四組は、確か松葉祭で浴衣の展示をしてたわね」
俺はふと思い出して、一色に尋ねた。
「ああ、あれは私のアイデアなんだ」
やはりそうか、と俺は思った。最小限の労力で最大限の効果を生み出した知恵者は一色さんだったのか。
「ハーモニカの演奏もしていましたね?」
「あれも特色を出そうとしたんだけど、特に注目されなかった・・・」
まあ、読み違いもあるさ。今回のミステリーのように。
俺は納得してテーブルの方に戻ると、読んでいた天体や星座の本を書架に戻した。さかさまにならないよう気をつけて。
・・・実は、俺は暗号のもう一つの解釈を思いついていた。
さかさまになっていた本の著者名の最初の文字、『こちしよたいすみき』は、『きすしたいよみちこ』、すなわち『キスしたいよ、美知子』にも並べ替えることができる。もし、そうであれば、委員長が願かけをして本をいじった可能性もなくはない。
一色には俺の名前が美知子であることは言わなかった。だからそこまで考えが回らなかったのだろう。
もっとも、『よしこみちたいすき』、つまり『喜子、美知大好き』にもなる。
こちらの解釈はちょっと苦しいか。願かけになってないし、委員長は私が好きでキスしたいと言っているわけじゃないんだから。
後日、別の真相がわかることもあるかもしれないと思って、これ以上考えることをやめた。
翌日、教室で委員長に会ったときに俺は事件について話した。
「昨日、調べ物をするために図書室に行ったら、一部の本が書架にさかさまに戻されているって、図書委員が騒いでいたわ」
「そうなの?借りた人が雑に返したんじゃないの?」と委員長。
俺は委員長の顔を見つめたが、特に動揺した様子を見せなかったので、委員長が犯人であるとは思えなかった。
書誌情報
小島政二郎/鴎外・荷風・万太郎(1965年初版)
チェーホフ/恐怖・くちづけ(1954年初版)
志賀直哉/城の崎にて・小僧の神様(1954年初版)
横山青娥/古典に現われた動植物(1964年初版)
田村魚菜/材料別料理事典(1961年初版)
石田一良/町人文化(1961年初版)
須藤克三/村の母親学級(1956年初版)
御手洗辰雄/山県有朋(三代宰相列伝)(1958年初版)
木島始/四つの蝕の物語(1955年初版)




