三十八話 十二月は忙しい(一)
十二月になった。まだ雪は降らないが、かなり寒くなってきた。
ちなみに美知子が住む町は、豪雪地帯ではないが、冬は多いときで二十〜三十センチも雪が積もる。
家ではお茶の間にこたつを出していた。もちろん電気ごたつだ。ちゃぶ台より若干小さい正方形のこたつ板が乗せてある。
俺と武の布団には、湯たんぽを入れてもらっていた。
教室では、前方窓側にだるまストーブが設置された。石炭をくべるやつで、煙突が窓の外まで伸びている。
生徒は順番でストーブ当番が当たり、朝早めに教室に来て、石炭置き場に石炭(泥炭)と火付け用の自転車のゴムタイヤに薪を二本もらって来なければならない。
自転車のゴムタイヤとは、文字通り自転車のタイヤのゴム部分を長さ十五センチくらいに切ったもので、油が浸み込ませてある。
だるまストーブの正面中央のふたを開けたら、これにマッチで火をつけて中に投入する。すぐに燃え上がるので薪をくべ、薪に火がついたら石炭を少しずつ投入するのである。
石炭は炭素でできているが、見た目はただの石のようだ。マッチで石炭に直接火をつけることはできないから、薪が燃えているところに石炭を投入して着火させる。
石炭は、一度火がつけばなかなか消えなくなるが、最初に石炭を入れ過ぎると、ゴムタイヤと薪の火が消えてしまうので、塩梅が難しい。
俺は今朝のストーブ当番だったので、早めに家を出て、もう一人の当番の子とストーブに石炭をくべていた。
「ひゃっとふぃがふいてひたね」やっと火がついてきたねと言ったつもりだが、寒くて口がうまく回らない。
だるまストーブに手をかざしてみるが、鉄製のストーブ自体がまだ温まっていないので、暖かく感じられなかった。
ほかの生徒たちが登校してくる頃に、ようやくストーブの周りが暖かくなってきた。
「みーちゃん、ストーブ当番、お疲れ〜」
恵子が教室に現れると、コートを脱ぎながら声をかけてきた。
「寒かったよ〜。朝の教室は、特にさぶい」俺は弱音を吐いた。
恵子はそばに寄ってくると、ストーブに手をかざした。
「ふー、暖かい。みーちゃんたちのおかげだよ」
「今朝は特に寒いね〜」淑子もやってきた。「もうじき雪が降るんじゃないかな」
「トシちゃんの実家の方はもう雪が降ってるの?」
「もう降り始めているよ。山の中だからね」
「二学期が終わったときに、家に帰れるの?」
「役場までは除雪車が入るはずだから、そこから雪中行軍だね」
八甲田山みたいなことを言う。
「遭難しないよう気をつけてね」
「慣れているから大丈夫だよ」
「それより、下宿の方はどうなの?暖房はあるの?」
「私のいる四畳半と、先生がいる六畳の境い目に電気ごたつを置いて、両方から足を入れてるよ。寝るときもこたつに布団を入れている」
「部屋、散らかってない?」
「台所と私の部屋はそんなに散らかってないよ」
私の部屋は?そんなに?・・・これは相当散らかってそうな気がする。特に先生の部屋が。
「大掃除を手伝わないといけないかしら?」何気なくつぶやいた。
「大歓迎だよ!」淑子が叫んだ。「先生にも言ってくるよ」
淑子は、俺が制止する間もなく教室を飛び出して行った。
「まだ、手伝うと言ってないのに・・・。社交辞令なのに・・・」
人の家まで大掃除する余裕はないよ。
そう思ってると、意気揚々と中村先生が淑子と教室にやって来た。
「藤野さん、こんないい生徒を持って私は嬉しいわ」
そんなに喜ばれても。少しは遠慮してほしい。
「期末試験が終わった日曜日に来てもらいましょう」
決まっちゃったよ。今回はそばにいた恵子も行くことになった。委員長はこの場にいなかったので免れた。
ちなみに期末試験の勉強は、中間試験のときと同じように図書室で頑張っている。委員長にも教えてもらっている。
そして、試験直前の日曜日には、試験の要点を教えてもらうために、また委員長の家を訪れた。
「おはようございま−す。美知子でーす」
委員長の家の玄関ドアを開けて声をかけた。すぐに委員長が現れて、前と同じように部屋に招き入れてくれた。
「美知子さん、今度も頑張りましょう!」
鼻息が荒いよ、委員長。もちろん今回も、成績がアップしたらキスでお礼という約束だ。キスよりも成績を取る女、美知子、か。自分で言ってて情けなくなる。
委員長の部屋には小さい灯油ストーブが置いてあって、暖房は完璧だ。ただし、ときどき窓を開けて換気するのを忘れない。
「例の小説は進んでる?」
委員長の母親にいれてもらった紅茶をすすりながら、聞いてみた。
「あれからかなり書いているわ。さすがに試験勉強中はやめているけれど、もう少ししたら見てもらおうと思ってるの」
「楽しみにしてるよ」
「それともう一つ、別の小説の登場人物を考えてみたの。見て」
委員長が引き出しから原稿用紙を取り出した。受け取って呼んでみる。
「登場人物
よし夫:主人公。帝國大学付属高校(男子校)の新入生。眼鏡を掛けた平凡な少年。中流家庭の長男」
読んだことがあるような。デジャヴュか?
「とも郎:二年生の絶世の美少年。帝國大学付属高校の王子と呼ばれ、常に友人たちに囲まれている。元華族の嗣子で、常に凛とした態度を取っている。親が決めた許嫁がいるが、諸々の事情から女嫌いになっている。よし夫の憧れの先輩。
景男、利矢、和志:とも郎の友人たちで、いずれも資産家の息子。時によし夫に身分の差を思い知らせようとする」
「あの、これは・・・」俺は原稿用紙を置くと委員長の顔を見た。
「この前見せてもらった、少女小説の登場人物の男性版じゃないの?」
「そうなの」委員長のメガネが光った。
「このように性転換していけば、私の体験がそのまま男性どうしの恋愛物語に生かせることに気づいたの。もちろん、キスシーンもあるわよ」
う〜ん、一理あるような、ないような。いずれにしてもキスはするつもりなんだ。
「この王子様の名前の『とも郎』って、英語のTOMORROWにかけているの」
そうですか。・・・俺の時代にそんな名前のタレントとかいなかったかな?いずれにしろこの『とも郎』の語源は『美知子』だから。
「さあ、キスのために、じゃない成績のために、勉強を頑張りましょう!」
「おー!」とりあえず唱和しておこう。やる気をなくされたら大変だ。
そして期末試験が始まった。手応えはあったと思う。十二月二十四日の終業式の日にもらう成績表と通信簿が楽しみだ。
そして試験が終わった最初の日曜日に、俺は恵子と一緒に中村先生のアパートに赴いた。
昼食、夕食は奢ってくれるらしい。銭湯にも連れて行ってくれるそうなので、その準備も忘れない。
「おはようございまーす」俺は勝手知ったる中村先生のアパートのドアを開けた。
「いらっしゃーい、待ってたよ」淑子が出迎えてきた。
「お邪魔しまーす」そう言って、俺と恵子は玄関に入っていった。
台所と四畳半の部屋を眺め回す。若干散らかっているが、許容範囲内だ。淑子は片付けもきちんとしているようだ。
四畳半と六畳間の間のふすまが半分開いて、そこにこたつがはめ込まれていた。そしてふすまの隙間から奥の部屋を覗き込むと、こたつから敷き布団が伸び、枕と掛け布団が乱雑に重ねられていた。敷き布団の周囲には、再び雑誌や紙くずが散らばっていた。
敷き布団の上に、中村先生が頭をかきながら座っていた。
「いらっしゃい、藤野さん、小柴さん」
「まあ、予想通りか」
俺はそう言って、まずこたつを片付ける。そして淑子と先生の敷布団を、玄関前の通路の手すりにかけて日に当てた。
室内に戻ると、中村先生の部屋に散らばっている古雑誌を重ね始めた。
「あ、その雑誌は置いといて!それも、それも!」
潔く捨てないと片付かないと思いながらも、捨てるのを拒まれた雑誌を傍らに重ねておく。
「あ、先生の下着が落ちてる」と恵子。
「きゃー、見ないでっ!」と先生が女子生徒のような声を上げた。
「ケイちゃん、そういうのは見て見ぬ振りして隅っこに置いておくものよ」
「そうか。・・・でも、掃除を手伝っていると、英語の点数が少し上がるのかな?」
さりげなく声に出して言う恵子。
「そんなことはしません、できません」と中村先生。
「そうは言ってるけど、人情ってものがあるからね」と、俺は恵子に耳打ちした。
掃除の途中でお昼になったので、中村先生が電話で出前を頼んだ。なお、中村先生の部屋には電話がないので、隣にある大家さんの家で電話を借りたようだった。
しばらくしてラーメンが四つ届いた。四畳半の間に以前も使っていた折りたたみのテーブルを出し、その上に置いた。
「あ、中華そばだ。お店の食べるの久しぶりだ」喜ぶ恵子。
「私も久しぶり。・・・トシちゃんは最近も先生とよく食べに出るの?」
「最近は自分で作ることが多いよ。ご飯やおかずを弁当に使えるから」
「宮藤さんはよく頑張っています。私の弁当も、いつも作ってくれてるわ」
「そう、トシちゃんは頑張っているのね」先生は相変わらず何もしないのか。
おいしくラーメンを食べると、どんぶりを流しに持っていった。余ったスープを流し、洗剤を使ってどんぶりをざっと洗う。ちなみにこの洗剤は粉状だった。
どんぶりは濡れたまま重ねておく。後で入り口の横にいらない古雑誌を敷いて、その上に置いておこう。
食事が終わると、恵子と淑子には束ねた雑誌など、捨てるものをゴミ捨て場に持っていってもらった。俺はその間に桟や畳の雑巾がけをする。はたきやほうきでゴミを掃き出すより、手っ取り早い。
幸い四畳半の方はそんなに汚れていなかった。四畳半の方は。
何とか六畳間をこぎれいな状態にすると、干していた敷き布団を入れ、代わりにこたつ布団を出した。
布団たたきでこたつ布団をはたくとほこりが舞った。そしてそのまま干しておくが、その間に夕飯の材料を買いにいこうと提案した。
「今夜は何を作ってくれるのかしら?」目を輝かせる先生。
「楽しみだねっ」毎日の台所仕事に飽きているのか、淑子も喜びの声を上げた。
「今日はお好み焼きでも作ろうかと思うの」
「お好み焼き?」淑子は食べたことがないとのことだった。確かに、このあたりには関西風も広島風も、お好み焼きを売っているところがなかった。
みんなで主婦の店に行く。薄力粉、卵、山芋、キャベツを買う。お好み焼き粉のような便利なものはなかった。帰りに乾物屋に寄って、削り節を少々買った。
アパートに帰ると既に日が傾き始めていた。あわててこたつ布団を取り込んだ。
こたつを敷くのは後にする。すると中村先生が小さな電気ストーブを出してくれた。なお、この電気ストーブとこたつを同時に使うと、ヒューズが切れるらしい。
「じゃあ、お好み焼きを作りましょうか」
書誌情報
新田次郎/八甲田山死の彷徨(1971年9月20日初版)




