三十六話 初めてのキス!?
とうとう二学期の中間試験の結果が返ってきた。
どきどきしながら成績表を開くと、なんとクラスで十一位、学年で三十八位だった。クラスでは十一位も成績が上がり、学年では七十位近く上がっていた。驚異の躍進だ!
委員長のおかげだ!強く感謝するとともに、委員長との約束を思い出した。・・・どうしよう?
休み時間に委員長に手招きされた。俺はすごすごとついて行った。
「成績が上がったようね」
委員長にそう言われて、俺は自分の成績を知らせ、感謝の言葉を並べた。委員長は喜んでくれたが、
「それで例のお礼の件なんだけど・・・」と言われてしまった。
頬へのキスだったな。ここでちゃちゃっとすませてしまおうか?そう思ったら、
「ここじゃあ落ち着いてできないじゃない。私の家に来ない?」と言われてしまった!
もう逃げ場がない。俺はうなずくしかなかった。
「それとね、ほっぺにキスと言う約束だったけど、それだと、この前河野さんがしたような感謝のキスと同じで、小説の参考にならないと思うの」
「え?」俺は硬直した。
「だから・・・ここへお願い」委員長は赤面しながら人差し指を自分の唇に当てた。
「えええ~!?」
女の子どうしとはいえ、マウスツーマウスはさすがに抵抗があった。しかし頭の中で、「友情」と「感謝」と「期末試験」のイメージがめまぐるしく回転した。・・・そして徐々に諦観の念が広がっていった。
「わかった、喜子さんの小説のために・・・」けっして期末試験のためじゃない。
男とするわけではない。女の子どうしだし、減るもんじゃないから・・・。
「ほんと?」委員長が喜びの声を上げた。「じゃあ、今度の土曜日の午後に、うちに来てね。きっとよ!」
えらいことを約束してしまった・・・。俺も美知子も、恥ずかしながらまともなキスをした経験はない。
指で自分の唇を触ってみる。唇の表面は乾燥していて、かさかさしていた。
リップクリームでも塗ってみようか?でも、美知子の家でリップクリームを見たことがない。
はちみつでも塗ってみるか。・・・それならキスをしたときに甘く感じられていいかもしれない。・・・でも、キスをする前にハエやアリがたかったらいやだな。
それにキスってどうすればいいんだろう?唇のかさかさした部分が接触するだけでいいのか?
それとも、もっと強く押し当てて、唇の内側の湿った部分を接触させるのだろうか?・・・そうなると歯が当たってしまう。
ディープキスというのだと舌を入れると聞いたことがあるが、初めてのキスでそこまでしていいんだろうか?
考えれば考えるほど不安が大きくなっていった。
悩んでいるうちに土曜日になった。
午前の授業が終わると、いったん帰宅して、昼食をとって、それから委員長の家に行くことになった。
「じゃあ、待ってるからね。絶対に来てね。約束よ」
委員長に念を押された。
俺はいったん帰宅すると、家で昼食を食べた。しかし食欲がなく、お茶漬けを流し込むのが精いっぱいだった。
食後、念入りに歯を磨く。そして顔を洗う。化粧はしない。
そして意を決すると、家を出て委員長の自宅に向かった。ゆっくり歩いたつもりだったが、あっという間に着いた。
「よ、ようこそ・・・」委員長が顔を赤らめて出迎えた。委員長の母親とも挨拶する。
委員長の部屋に入ると、以前来たときのように、机の前に置かれた二脚の椅子の片方に座った。
「ねえ、美知子さん」委員長が俺に声をかけた。
「は、はいっ」俺の声が上ずっている。
「もうすぐ十二月よね。十二月のことを何で『師走』って呼ぶか知ってる?」
「ええっ?」いきなり何でこんな質問をするんだ?
「そ、それは・・・漢字で師が走るって書くから、年末が近く、学校の先生が走り回らなくてはならないほど忙しいからじゃないの?」
「でも、七百年くらい前の書物にも師走って言葉が出ているらしいの。当時、学校の先生なんていたのかしら?」
「言われてみればそうね」
そのとき、委員長の母親がお茶を持って部屋に入ってきた。
「この師は、お坊さんのことで、お経をあげるために呼ばれて、町内を走り回っていたからという説が有力なの。あ、ありがとう、お母さん」お茶を受け取る委員長。
「でも、もともと『しわす』という呼び方があって、後から今の漢字があてはめられて、意味が後付けされたって説もあるそうよ」
委員長の母親が部屋を出て行った。
俺は勧められるままに紅茶に角砂糖を入れ、口に含んだ。何となく口の中でむにゅむにゅする。
カップを机の上に置くと、委員長はメガネをはずして机の上に置いた。そして、俺の両手を握った。
「師走なんてどうでもいいわ、美知子さん。・・・しましょう!」
「ええっ?いきなり?」委員長の突然の態度の変化に驚いた。
俺はごくりとつばを飲み込んだ。ここまで来た以上、もう逃げられない。男は度胸、女も度胸、だ。・・・そういえば、お坊さんがお経を読むことも読経というな。
俺は頭を振って余計な考えをはらうと、観念して、両手を握られたまま、委員長の顔に近づいた。
顔を赤らめ、目を閉じる委員長。唇を少しだけすぼめて突き出している。ちょっとかわいい。
心臓がばくばくして、本当に音が聞こえそうだ。俺も唇をひょっとこのように突き出すと、少しずつ委員長の唇に近づいていった。
そして、唇が触れるくらいまで近づいたが、俺は息苦しくなって、ふ~と息を吐いて後ろにのけぞった。
「どうしたの、美知子さん?」目を開けて俺をとがめる委員長。
「ご、ごめんなさい。息が苦しくなって・・・」
「もう!美知子さんはいくじなしね」
はい、俺はいくじなしです。チキンです。・・・だって、女の子だもん。
「なら、私の方からするわ」
「お、お願いします・・・」消え入りそうな声で答える。確かに、受け身の方が気は楽だ。
「その代わり、小説の一場面の参考にするから、私に『好き』って言って」
俺はうなずいた。確かにシチュエーションが大事だ。
「じゃあ、いくわよ。・・・喜子さん、『あなたのことがとても好きよ』」
「うれしいっ!わたしもよ、美知子さん」
委員長は演技と思えないほど喜ぶと、顔を真っ赤にしながら、その顔をそっと近づけてきた。
俺は目をつむり、心なしか顎を上げた。再び鼓動が高鳴ってきた。
委員長の匂いが鼻をくすぐる。もうすぐ、唇が触れる・・・。
そのとき、突然俺の体の上に委員長が覆いかぶさった。そしてそのまま、体重をかけてくる。
「ど、どうしたの、喜子さん?」
俺の上に倒れ込んだ委員長の体がずり落ちそうになったので、俺はすぐに手を離して、委員長の体を抱きとめた。
委員長は意識を失っていた。
「おばさん、たいへん!おばさーん!!」俺は委員長の母親を大声で呼んだ。
あわてて部屋に入ってくる委員長の母親。
「どうしたの!?」
「喜子さんが、急に失神されたみたいで・・・」
委員長の母親とともに委員長をそっと畳の上に横たわらせた。あんなに赤かった委員長の顔が青ざめているのに気づく。
俺と委員長の母親は委員長の横に座り込んで、委員長の具合を見た。
「熱はなさそうね、貧血かしら?」
そのとき、委員長がうっすらと目を開けた。
「あ、お母さん・・・」
「どうしたの、喜子?」
「美知子さんとお話ししていただけなのに、急に目の前が暗くなって・・・」
「痛いところとかない?」
「大丈夫よ」
母親は枕と毛布を押し入れから取り出すと、委員長の頭の下に枕を当てがい、体の上に毛布をそっと掛けた。
「お布団を敷いた方がいい?」
「大丈夫よ。もう少ししたら起きれるわ」
「じゃあ、白湯でも持ってくるから、そのまま寝てて。・・・藤野さん、悪いけど喜子を見ていてくださいね」
ばたばたと部屋を出ていく委員長の母親。俺は委員長の顔を覗き込んだ。
「大丈夫、喜子さん?」
「ごめんね、美知子さん」
少し涙ぐむ委員長。
「・・・私もいくじなしね。キスしようとして気を失うなんて」
「初めてだもん。しょうがないよ」俺は委員長の右手を取ってそっと握った。
「まだ胸がどきどきしてる?」
「だいぶ落ち着いてきた。・・・でも、小説のキスシーンで、ヒロインがキスの直前に失神したら、読者は興ざめよね」
こんな状況でも小説のことを考えているなんて、さすがだね、委員長。
「どうかな?・・・でも、初めてキスをするヒロインの気持ちが少しわかった気がする」
やはり息を止めていたのが良くないな。もっと自然にアプローチしなきゃ。
委員長の母親が白湯を持ってきたので、委員長の上半身を起こして白湯を飲むのを手伝った。
「念のため、もう少し横になってなさい」母親の言葉で素直に横になる委員長。
俺は毛布を掛けてあげた。
「あの」と、委員長の母親に声をかける。「私は喜子さんが落ち着くまで、もう少しお話してから帰りますから」
「そう、悪いわね、藤野さん」そう言って母親は空の茶碗を持って出て行った。
「でも・・・キスできなくて残念だった」
そう嘆く委員長の顔を覗き込んだ。その唇が少し開いている。それを見つめているうちに、自然に俺の顔が委員長に近づいていく。
「え?美知子さ・・・」
俺は委員長の唇に自分の唇をしっかりと押し付けた。二秒くらいそのままでいて、そっと唇を離した。すっとして、さっと離れる。こうすれば自然だな、と思った。
委員長の頬が染まる。俺の顔も今になってかーっと熱くなった。
「好きよ、美知子さん」委員長が言った。
こういう状況でも小説の一場面を演じている委員長に感心する。
「私も好きだよ、喜子さん」俺も頑張って言った。でも、とても恥ずかしい。
委員長も恥ずかしそうに微笑んだ。




