三十話 試験勉強
十月の下旬には二学期の中間試験がある。一学期の成績がぱっとしなかったので、今度は少し頑張りたい。
ここで頼りになるのが、学年一位の成績を余裕で取る委員長だ。
「ねえ、喜子さん、勉強を教えてほしいんだけど」
俺は委員長に頼んだ。自分だけ勉強を見てもらうのも何なので、恵子と淑子には声をかけ、一緒に勉強することにしている。
河野さんは、部活が試験前に休みになるので、バレー部の一年生と一緒に勉強する約束をしているらしい。
「いいわよ。じゃあ、放課後に図書室で勉強しましょう」
委員長は俺たち三人の面倒を見ることを快諾してくれた。
放課後、図書室にみんなで行って、閲覧室のテーブルを占拠した。この時期、図書室には人がほとんどいない。進学校でないせいか、普段から図書室で勉強する人はあまりいないし、試験前なのでのんびり読書をする人もいない。大騒ぎしなければ、多少会話しても怒られることはなかった。
まずは現国だ。
「美知子さんは普段どのように勉強しているの?」委員長が尋ねる。
「授業のノートを読み返して、大事そうなところに赤線を引くくらいかな」
「それじゃあ勉強している気になるだけで、ほとんど頭に残らないわね」
委員長に厳しく指摘され、俺はしゅんとなった。
「じゃあ、どうしたらいいの?」
「まず、教科書の試験範囲に掲載されている文章を、ノートに全部書き写しましょう」
「ぜ、全部?」
「ただ書き写すだけでなく、何が書かれているのか理解しながら、作者の気持ちになりながら書いていってね」
「ひぇ~~!」悲鳴を上げる俺たち。
でも、今まで通りの勉強では成績が上がらないから、とりあえず言われたとおりにするしかない。
一つの問題文で、ぎっしり文字が詰まったページが何ページも続いている。書き写すだけでけっこう時間がかかる。
ようやく書き終わると、教科書に掲載されている例題を解いてみる。「主人公の意識が変わったのはどこか」とか「作者の言いたいことがまとめられた一文はどれか」とかの設問で、問題文を読みながら一字一句書き写していったので、おおまかな文章の流れが理解できており、なんとなく答えを出すことができた。
「漫然と教科書を読むよりは、確かに文意が把握できるわ。さすがね、喜子さん」
「勉強ができる人は、ここまでやる必要はないけどね」
委員長の言葉が俺の心に刺さる。
「この文章と例題がそのまま試験に出るわけじゃないけど、こういうことを繰り返していけば、問題文のポイントを把握できるようになるのよ」
「はは~、ご指導ありがとうございます」俺は委員長に手を合わせた。
「じゃあ、次は古文にしましょう。まず、教科書の文章をここからここまで書き写して」
「また、書き写しですか・・・」
「現代語訳を併記するから、一行あけて書いていってね」
委員長に命じられるまま、一心不乱に問題文を書き写す。古文なので文章の意味はよくわかっていない。
俺たちがノートに書いている間、委員長は自分の勉強をしていた。だいぶ先まで復習しているようだ。さすがだ。
「古文、書き写しました」委員長に報告する俺たち。
「じゃあ、あいている行に現代語訳を書いていって。わからないところは古語辞典を引いてね。それでもどうしてもわからないところは赤線を引いておいて。後で解説するわ」
図書室の辞典コーナーから古語辞典を三冊、俺たちの前に置く委員長。訳はまず自分でするのか。
「動詞の活用はリズムで覚えるといいわ」・・・さいですか。
しばらく現代語訳と格闘したのちに、委員長に訳を見てもらい、間違っているところやわからないところを解説してもらった。もちろんノートに書き留める。
「じゃあ、今日はこれまでにして、続きは家でしてね。明日は数学をしましょう」
委員長のお言葉で勉強会は解散となった。
普段の授業よりも勉強した気分だ。頭が疲れてくらくらする。
「今日は勉強したねー」恵子がしみじみと言った。
「試験勉強って、こんなにも頭と手を使うものだったんだね」
俺はしびれた右手をぶらぶらと振った。
翌日の放課後は数学からだ。まず、教科書に載っている例題をどんどん解いていく。
解き終わって委員長に見せると、委員長がすばやく○×で採点していった。
「すごいね、答を全部覚えているの?」採点があまりにも早いので聞いてみた。
「このくらいの問題なら、すぐに計算できるわ」と委員長。さすがだ。
採点が終わると、間違ったところを委員長が解説してくれた。その後で、答を見ずにもう一度全問題を解き直した。
さっき解けた答や、委員長に説明を受けた答を覚えているわけがないので、もう一度まじめに解いていく。そして採点。当たり前だが○が増えた。
「家に帰ったらもう一度初めから解きなおして」委員長の出す宿題が重くのしかかる。
次は英語だ。これも教科書に載っている文章を書き写すところから始める。一行あけ、訳を書くのは古文と一緒だ。英和辞典が俺たちの前に置かれる・・・。
「英文和訳は、英単語が書かれている順に訳していくと、構文もよくわかるわよ」
「訳をつなげても、日本語になりません、喜子先生!」
「日本語として通じないのは英単語の訳が悪いからね。ひとつの単語に複数の意味があるから、適切と思われるのを選んで」
・・・勉強が終わると、今日も恵子とふらふらしながら家に帰った。
その翌日、恵子と淑子は用事があり、勉強会に不参加だった。逃げたんじゃないだろうな。
俺は図書室で一人委員長と向き合う。
「喜子先生、今日もよろしくお願いします」
俺は毎日教えてくれる委員長に、敬意を払ってあいさつした。
「今日は生物からね。マンツーマンで教えるから」にこりと微笑む委員長。
そのまま俺のすぐ左側に座る。そして俺に問題を解かせながら、俺のノートをのぞき込む。お互いの髪が触れる。
「ちょ、ちょっと、喜子さん。近すぎない?」
「解くところを見たいから。・・・集中して」
俺は言われるままにノートに意識を集中した。とたんに甘い香りが鼻をくすぐった。
「あ・・・喜子さん、いい匂い」思わずつぶやいてしまう。
「美知子さんもいい匂いよ」委員長もうっとりとした目をした。
いかん、いかん。勉強に集中しなくては。どうも勉強中は、ほかのことに気を奪われがちになる。
体の左側に体温を感じながら解いていると、ときどき、「あ、そこは違うわよ。もう一度考えてみて」とか、「ここがわからないの?これに着目して考えてごらんなさい」とか、適切なアドバイスをくれた。
その日の勉強が終わると、途中まで一緒に下校した。委員長が俺と手をつなぐ。仲のいい女子高生って感じで、悪くない。
分かれ道に来ると、委員長は名残惜しそうに手を離した。
「じゃあ、またね」
「ばいばい、明日もよろしく」俺はそう言って手を振った。
委員長も片手をあげ、にぎにぎしていた。
その後、何日か放課後の勉強が続いたが、ある日の休み時間に、
「ねえ、美知子さん。試験直前の日曜日に、私の家に勉強に来ない?」と誘われた。
「いいけど、私だけ?」
「え、ええ。・・・美知子さんがこれまで一番成績が悪かったと思うから、特訓よ」
そう言われて俺は何も反論できなかった。
「じゃあ、十時頃に校門前で待ち合わせしましょう」
「よろしくお願いします」と俺は頭を下げた。
日曜日の朝になった。俺はカバンに勉強道具を詰め込んで、校門前に立った。まもなく、白いブラウスと緑色のスカートを着た委員長が姿を現した。
「おはよう、美知子さん」
「今日はよろしくね、喜子さん」
俺があいさつすると、委員長は手を差し出してきた。俺がつられて手を出すと、その手を委員長が握った。
手を引かれなくてもついて行けるけどね。
連れて行かれた委員長の家は、一軒家でなくアパートだった。三階だそうだが、エレベーターはないので、階段を昇って行く。
「どうぞ」委員長は玄関ドアを開けて俺を中に招いた。
「お邪魔しまーす」おそるおそる中に入る俺。
「いらっしゃい」委員長の母親らしい女性が出てきた。
「おはようございます、藤野美知子です。お邪魔します」
「こっちよ、美知子さん」
委員長が奥の自室に招いたので、後について入った。中には勉強机、二つの本棚、衣装ダンスなどがあって、本棚の中には本がたくさん並べてあった。
勉強机には、付属の椅子のほかに、他の部屋から持ってきたと思われる四脚の椅子が置いてあった。机の上には既に教科書や参考書が置いてある。
「こっちに座って」
委員長の指示に従って片方の椅子に座る。持ってきたカバンからノートや筆記用具を机の上に出した。
「喜子、入るわよ」
委員長の母親が紅茶を持って部屋に入って来た。小鉢に盛ってあるキャンディも出してくれた。頭を使うから糖分が必要だ。委員長のお母さんはわかっているな。
「お茶をどうぞ」
委員長が勧めてくれるので、角砂糖を入れてお茶を飲む。ほっとする。
「今日は、各科目の要点の復習をしましょう。試験に出そうなところは大体わかるからね」
「え、何でわかるの?」俺は驚いて聞き返した。どこが試験の山なのか、自分ではさっぱりわからない。
「科目によって、重要で試験に出やすいところは何となくわかるわ。先生が強調して教えてくれるところでもあるから」
「そうなんだ。・・・すごいね、喜子さん」
俺は素直に感動した。俺にほめられて頬を染める委員長。
「じゃあ、始めましょうか」
委員長が俺のノートを見ながら、要点を教えてくれる。俺は顔を寄せて、ノートに書き込んでいった。
二時間ほど一心不乱に勉強していると、委員長の母親が昼食をどうぞと言ってきた。
ダイニング・キッチンに移ると、テーブルの上に月見うどんが乗っていた。うどんは消化が良くて勉強中にはぴったりだ。卵の黄身に絡めておいしくいただく。
「お勉強ははかどってる?」委員長の母親が聞いた。
「ええ、喜子さんは教えるのが上手で、本当に助かります。・・・ただ、喜子さんのお勉強の邪魔になっているかもしれませんが」
「人に教えると、自分にとってもいい復習になるのよ」と委員長は微笑んだ。
さすがです、委員長。爪の垢を煎じて飲ませていただきたい。
昼食を食べ終わると、委員長が立ち上がった。
「さあ、午後も頑張りましょう」




