三十一話 試験勉強のつづき
委員長の部屋に戻ると、午前中と同じように試験勉強を始めた。
要点を聞いて印を付けるだけなので、どんどんとはかどる。
「試験の前日にもう一度見返してね」
委員長に言われて俺はうなずいた。
三時頃になると、委員長の母親がココアとクッキーを持って入って来た。
「少し休憩しましょう」と委員長が言ったので、俺はほっとした。
ココアをすすりながら、委員長の本棚を眺める。
「自分の家にもたくさんの本を持ってるのね」
「まあ、昔から読書が好きだったから」
「・・・それで、男性どうしが愛し合うというお話もたくさん持ってるの?」
俺は小声で聞いたが、委員長はかぶりを振った。
「そういうお話を集めたいけど、私の読みたいものはなかなかないわね」
「どういうのが読みたいの?」
「そうね・・・。少女のように愛らしい美少年どうしが、お互いを慕い合う純愛物かしら」
「なければ、自分でお話を書いてみたら?」その道のパイオニアになれると思う。
委員長は俺の言葉にはっとした。
「え、私が?・・・自分の妄想をさらすみたいで、恥ずかしいわ」
「ペンネームを使えば、作者が誰かわからないわよ。同じ趣味を持つ人には喜ばれるわよ、絶対。・・・それどころか、そういう趣味に目覚める人も増えるかも」
「なるほど・・・」考え込む委員長。
ひょっとしたら俺は日本のサブカルチャーに多大な影響を与える手助けをしたのかも知れない・・・。
「それとね」と委員長が口を開いた。「美知子さん、あなたを見ていたら、エス小説にも興味を持つようになったの」
「エス小説?」聞きなれないな。SFのことか?
「エス小説というのは、・・・女学校の上級生と下級生が互いに慕い合うという内容のお話のことよ」
なんで、エス?百合とか、GLとかの呼び名は知っているけど。
「エスってどういう意味?」
「エスはシスターの頭文字のエスよ」
俺の時代ならサディストのエスだが。
「そ、そう。・・・それで何で私を見てエスに興味を持ったの?」
「入学した当初は、美知子さんのことを普通の女の子と思ってたわ。でもいつからか、態度が落ち着いていて、頼りがいがある人に見えてきたの」
確かに、普通の女子高生みたいにきゃっきゃうふふとはしゃげませんが。元男だから。・・・でも、頼りがいがあるって?
「そのせいか、周りの女の子の美知子さんを見る目が熱を帯びているようで・・・」
そうかな?みんなと仲良くしているけど、普通だと思う。麗子はちょっとべたべたしがちだけど。
「エ、エス小説にはいいのがあるの、前に聞いた三島由紀夫以外に?」
「戦前の作品では吉屋信子が有名だし、最近では推理小説の『濡れた心』も有名だわ。エスとは違うけど、宝塚少女歌劇も妄想をかき立てるわね」
「そ、そうなんだ。・・・エス小説も自分で書いてみたら」
「そうね、エスなら体験できるかもしれないし・・・」ちらっと俺の顔を見る委員長。
「体験?」
「ねえ、美知子さん」
「な、なに?」
「厚かましいと思われるかもしれないけど、もし、今度の試験で美知子さんの成績順位が上がったら、お礼をもらえるかしら」
「お礼?もちろんだよ!こんなにお世話になっているんだから、いくらでもお礼するよ。・・・ミチンガをあげようか?」
「ミチンガも興味あるけれど、私が欲しいのは・・・その・・・ス」
委員長が顔を真っ赤に染めて口ごもった。
「え、なあに?聞こえなかった」
委員長はしばらくもじもじしていたが、思い切ったらしく、ようやく口を開いた。
「私は・・・キスしてほしいの!」
「ええっ!?」
俺は飛び上がらんばかりに驚いた。思わずシェーのポーズをとっていたのかもしれない。
「あ、あの、そうじゃないの!」
人の顔がここまで赤くなるかと思うくらい、委員長は赤面していた。
「変な意味じゃなく、小説を書く参考にするだけよ!」
小説を書いてはと提案したのは俺なのに、書くのが前提になっているぞ!
委員長が顔を真っ赤にしたままうつむいた。そこで、俺は落ち着かせるために、
「わかったわ。・・・してあげる」と囁いた。
けっして試験の山を教えてもらいたいためじゃない。
「ほんと?」上目遣いに俺を見る委員長。
「お世話になっているしね。・・・小説のためなら」・・・試験のためなら。
「ただしほっぺただよ」唇どうしはさすがに抵抗がある。
「うん」微笑んで真っ赤な顔を上げる委員長。
「じゃあ、勉強を始めようか」と俺は言った。
とりあえず、この話題は終えよう。そして、委員長の熱が冷めるのを期待しよう。
「次は英語ね」
その後、夕方まで、いっそう熱のこもった指導が続いた。
そして二学期の中間試験が始まった。
試験問題を開くと、確かに委員長が指摘した箇所の問題がよく出題されていた。
元が元だけに全問正解とはいかないが、それでも一学期よりは解答できた気がした。
「今の試験はどうだった?」一科目終わるごとに委員長が試験の出来を聞いてきた。
「できたと思う」ピースサイン、じゃないVサインを出す俺。
「あたしもできたと思う」「私もっ!」恵子と淑子も報告する。
すると委員長は「良かった、良かった」とかみしめるように喜んでいた。
「委員長っていい人だね」恵子が言う。「あたしたちのことをこんなにも気にかけてくれてるなんて」
「自分の得にはならないのにね」
いや、委員長はごほうびを期待しているんだ。・・・恵子たちにもキスさせようかな、と俺は思った。
中間試験がやっと終わった。結果が出るのにしばらくかかる。そして十一月になると、また行事がある。
一つは、松葉祭と呼ばれる文化祭だ。
教室での展示と、体育館でのクラス単位の演し物を企画し、準備を進める必要がある。
教室での展示は、何か学術的な調査発表か、さもなければクラスメイト全員の習字などを貼り出すことが多かった。
喫茶店やお化け屋敷などは学校から許可されないのでおもしろくない。
委員長がクラスのみんなに何を展示するか意見を求めているが、そうそう画期的なアイデアが出るはずもなく、習字か手芸の展示で決まりそうだった。ちなみに俺はどっちも得意ではない。
「クラス全員の似顔絵を展示したらどうかしら?」誰かが突然妙な意見を出した。
「自分の似顔絵なんて描けない」っといった声が教室中からわき上がる。
「それじゃあ、写生で特賞を取ったみーちゃ・・・藤野さんに、全員の似顔絵を描いてもらうのはどう?」
突然恵子がとっぴょうしもない発言をした。とたんに教室中がざわめく。
「ま、待って!」俺はあわてて立ち上がった。「私に全員の似顔絵はとても描けないわ!」
似顔絵というのは似せて描けばいいというもんじゃない。本人の思っている顔より、二割増しくらいに良く描かなければ、絶対に不満が出るだろう。そして俺にはその自信がない。
「さすがに美知・・・藤野さんに四十人の似顔絵を描いてもらうのは大変過ぎるわ」
委員長が助け舟を出してくれた。
結局、展示は、各自がハンカチに好きな絵柄の刺繍をして、それを貼り出すことにおさまった。刺繍は苦手だが、似顔絵よりはましだ。
次はクラスの演し物を決める番だ。
「ひとクラスあたりの持ち時間は十分から二十分くらいです。何か意見はありませんか?」
委員長が聞くと、麗子が手を挙げて立ち上がった。
「演劇などいかがでしょう?たとえば、ロミオとジュリエットのような、ロマンチックなお芝居をしたら素敵ですわ」
麗子の意見にまたクラス中がざわざわした。
「麗子さんがジュリエットにふさわしいんじゃないかしら!」と頼子が言う。
「ではどなたがロミオをされるのかしら?」
麗子が俺をちらっと見る。いや、無理だから。
「演劇をするとなると、脚本を書く人、演出する人、それに衣装や背景の準備が必要ね。ちょっと大変だわ」委員長が正論を言う。
「でも、女子高を舞台にしたお芝居なら、できなくもないけど・・・」
エス小説ならぬエス演劇を考えているんじゃなかろうな?
そこで俺はおずおずと手を挙げた。
「美知・・・藤野さん、どうぞ」委員長が俺を指名する。
「演劇もよろしいんですが、クラスの四十人全員が舞台に上がらないと不公平になると思うんです」
俺の発言にクラスのあちこちから「そうね」とか「私は出たくない」とかいった私語が聞こえて来た。
「アリババと四十人の盗賊」なら全員出られるかな?いや、一人足りないか。いずれにしろほぼ全員がエキストラ扱いだし、女子高生が演るお芝居ではない気がする。
「それじゃあ、藤野さんは何をしたらいいと思いますか?」と委員長が聞く。
「合唱でいいんじゃないでしょうか?」
再びクラスがざわつく。物足りないという意見もあるようだが、「準備も簡単だからいいわね」という声も聞こえる。
「合唱をするとしたら、何の曲を歌うんですか?」委員長が追撃する。
「ええっと・・・」そこまでは考えていなかった。もちろん歌謡曲じゃだめだ。
必死で男だったときの記憶を呼び覚ます。・・・美少女ゲームでも使われていた、メジャーな曲はなかっただろうか?
「そうだ、賛美歌とかいかがでしょう?」ようやく思いついた。
「賛美歌?でも松葉はミッションスクールではないし、賛美歌に詳しい人がいるのかしら?」
「アメイジング・グレイスとか、一般の人もよく知っている曲がありますので、そういうのを二、三曲歌ってはいかがでしょう?」
クラス中から賛同する声が聞こえた。一部、演劇をあきらめきれない生徒がいるようだが、麗子とか、委員長とか、多数決には逆らえない。
結局その場の話し合いで、「もろびとこぞりて」、「いつくしみ深き」、「アメイジング・グレイス」の三曲を歌うことに決まった。
十一月のもう一つの行事は、地区のバレーボール部の新人戦だ。こっちの方が日程は早い。
俺が参加するわけじゃないが、河野さんが出場するので注目だ。
書誌情報
吉屋信子/花物語(1920年初版)など
多岐川恭/濡れた心(1958年初版)
宝塚少女歌劇(1913年設立)




