二十七話 写生の時間
九月のある日の午後、美術の時間に校内での写生があった。
学校の敷地内のどこか(ただし校舎内は不可)の風景の水彩画を描くというもので、優秀作は後日、高校生絵画コンクールに学校から応募するという話だった。ただしこのコンクールは、全国的なものではなく、都道府県単位のものである。
クラスメイト達は、学校から配布された画板に画用紙を乗せ、美術室から校内に散会した。
俺にはいつものように恵子、淑子、河野さん、委員長が連れ添い、麗子、頼子、良子のトリオもついて来た。
「どこに行く、みーちゃん?」
「そうね、中庭なんて、どうかしら?」
口の字形の校舎に囲まれた中庭には、木々や小さい池、通路にベンチなどがあり、後方の校舎と組み合わせると、いろいろな学校の風景が描けそうだ。
「いいわね、中庭に行きましょう」
ぞろぞろとみんなで中庭に向かう。なぜか俺が先頭になっている。
「でも、校舎とか描くのつまんないよね」恵子がぼやく。
「そうですわね、どうせならきれいな服を着た女性の絵を描きたいですわ」と麗子。
「女性?モデルでも呼ぶの?」と俺。
「描くなら美知子さんがいいわね」
「え、私?」俺は驚いた。「でも、私がモデルになったら、私は絵を描けないじゃないの」
「そうだね、そこまで考えてなかったね」と淑子。
「モデルは描かなくていいんじゃない?」委員長も口をはさむ。
「まあ、何もしなくていいのならモデルにもなるけれど、それを決めるのは先生だから」
そんなことを言いながら俺たちは中庭に着いた。
中庭には真ん中に、北校舎と南校舎を結ぶ渡り廊下がある。床がコンクリートで、壁はないが屋根がついている。
その渡り廊下の西側にトイレがあり、緑で囲まれている。ちなみにトイレは校舎内にもあるが、俺たちの教室からはここが一番近い。
渡り廊下の東側には真ん中に人口の池があり、その周囲を石畳の通路が囲み、ベンチがいくつか置いてある。その周りは灌木が植わっている。トイレの匂いが漂ってくることはない。
なお、北校舎の北側に体育館があり、校舎の西側にグラウンドが広がっている。校舎の東側は花壇が並んでいる。
南校舎の中央に昇降口があり、その南側に校門がある。
俺たちは中庭の池の周囲の、通路の縁石に腰かけて、池の方を描こうと考えた。
ずらりと八人で並んで座る。そして校舎を見上げて構図を考えるが、俺はふと思いついて立ち上がると、みんなの正面の池の縁石に、みんなと向かい合うように腰を下ろした。
「どうしたの、みーちゃん?」つられて立ち上がろうとする恵子。
「あ、いいから、いいから。みんなはそっちに座って」
怪訝そうな顔をする友人たち。
「みんなが写生している様子も絵に描き込みたいから」と俺。
「じゃあ、あたしもみーちゃんを絵の中に描くわ」
恵子の言葉にほかの友人たちもうなずいた。さっき、俺をモデルにしたいと言っていたから、ちょうど良かったのだろう。
俺は鉛筆で画用紙に薄く全体のおおまかな構図を描く。そして細かいところを描き込んでいった。
人物画ではないので、恵子たちはそれほど大きく描かない。・・・顔も細かく描写しないが、単に女子高生が並んでいるのではなく、隣の絵を見る人、話し合う二人など、七人のポーズを少しずつ変える。
最後の晩餐の絵みたいだな、と自分で思う。
俺はマンガやアニメを見て育ったので、小さいころはそれらのキャラクターを良くまねして描いて遊んでいた。
人に見せられるほど絵がうまかったわけではないが、まったく絵心がないわけではないのだ。
かつて頑張っていた動画作りでも、構図などにはこだわるようにしていた。
女子生徒の群像の後ろには灌木、その後ろに校舎を描く。木造だから板の境目を線で細かく描く。屋根は瓦葺きなので、見える部分の瓦を丁寧に描いた。
早々に輪郭を描き終えると、水彩絵の具で色付けをしていく。
女子生徒のセーラー服は夏服で白い色なので、淡い青で影を塗る。背景の灌木の緑、校舎の茶色、空の青は濃淡をつける。
絵の端の方は、しっかり塗らずに白いまま残すが、何も塗らないと手抜きのように見えるかもしれないので、水だけを塗って少し絵具をぼかした。
俺が一所懸命絵を描いている間、恵子は袖から俺からのプレゼントのミサンガを出して、ちらちらと眺めていた。
「恵子、それ、どうしたの?」淑子が恵子に尋ねた。
ほかの女子生徒も絵を描く手を止めて恵子を見た。
「えへへ~、これね、みーちゃんからもらった願いが叶う腕輪で、ミチンガって言うの」
「ええっ、美知ん願?」「なんですの、それ?」みんながざわざわしだした。
「ミチンガじゃなくて、ミサンガ。願いを込めて手首に巻いて、自然に切れるときに願いが叶うって、どこかの風習なの。・・・でも、私が作ったやつだから、大して願いは叶わないと思うけど」
「美知子さんのお手製ですの?うらやましい!」
「恵子、きれいだね、それ。私もうらやましい・・・」
みんなのきらきらした目が俺に向けられた。
「わかった、わかった。みんなにもあげるから。自分の誕生日まで待ってね。あと、色はこっちで適当に決めるから」
恵子のことだから言いふらすとは思ってたけど、これほどみんながほしがるとは。想像以上だった。
「あ、私は美知子の誕生日に何もあげていない!どうしよう?」と河野さん。
「美知子の誕生日は五月だったから。・・・気がついたらもう過ぎてたよ」と淑子もあわてた。
まあ、中学以前から一緒だったのは恵子だけだからね。入学早々、俺の誕生日を知らなくて当然。・・・それなのに、麗子はよく調べていたな。
「じゃあ、そのミチンガをもらったときにお返ししましょう!」
写生を忘れて盛り上がる女子生徒たちにあきれつつ、俺は自分の絵の仕上げを進めた。
そのせいか、けっこう早めに絵を描きあげたので、画板を傍らに置くと、みんながどんな絵を描いているか見に行った。
恵子は池を中心に置き、手前に俺が座っている絵だった。構図は標準的だが、全体に絵が下手で、低学年女児が描くような絵だった。
淑子の描いた絵には、なぜか俺が三人座っていた。
「なんで私が三人いるの?」と聞いた。
「うまく描けなかったから書き直した。二回目もいまいちだったから、もう一回描いた」と淑子。
失敗した俺の絵を消さずに書き足すのは独創的だな、と思った。
河野さんは池の大きさとくらべて俺を大きく描いていた。
「絵のバランスが難しいね。・・・美知子の存在感が大きいからかな?」と言った。
委員長は構図や全体のバランスは良いが、曲線がうまく描けず、直線でかくかくした輪郭になっていた。
「曲線をうまく描くのが難しい」と言っていた。
みんな個性があるな、と俺は思った。
麗子の絵を見ると、俺の姿が大きく描かれていて、風景画ではなく人物画になっていた。目が大きく描かれ、黒目に星が光っていた。
「少女マンガのヒロインみたいだね」と俺が指摘すると、
「美知子さんの可憐さを表現しようと思うと、どうしてもこうなっちゃって」と恥ずかしそうに言った。
「私はそんなに可憐じゃないから」と謙遜すると、
「そんなことありませんわ!実物はもっと、もっと可憐ですわ」と強く否定した。
俺は苦笑して、隣の頼子と良子の絵を見せてもらった。
二人とも池を中心とした中庭の絵を描いていたが、そこに俺の姿はなかった。
「人を描くのは難しくて・・・」
「先に中庭の景色から描こうと思って・・・」
と二人は弁明したが、俺の存在を消したいと思ってるんじゃないだろうな?
俺がみんなの絵を見回っているうちに、恵子が俺の絵をのぞき込んでいた。
「みーちゃんの絵、すっごく上手~」
恵子が大声を出したので、みんなが俺の絵を見ようと立ち上がった。
俺は自分の絵にそんなに自信があったわけじゃなかったので、あわてて絵を隠そうとしたが、その前に恵子が持ち上げていた。
「どれどれ~?」のぞき込む淑子たち。
「ほんとだ~!」
「ふ~ん、全体のバランスもいいし、私たちをよく描き分けてる」
「ほんとだ。顔ははっきり描いてないのに、背格好や髪形で、誰が誰だかはっきりわかる。・・・さすがね、美知子さん」委員長もほめる。
「素敵ですわ!」と麗子。
「ほんとだ。私たちも描いてある・・・」これは頼子の言葉。
「しかも色を塗るのも終わっていて、うまいだけじゃなく早いのね」
「そこまでほめられるとは・・・」俺はちょっと照れた。
冷静に自己評価すれば、俺の絵はそこまでうまいとは思わないが、絵心がない女子生徒たちにとっては、上手に見えるだろう。
少しいい気分になって、写生の時間が終わると自分の作品を先生に提出した。
俺の絵は、後日学校からコンクールに応募することになり、美術の先生からタイトルをつけるよう求められた。
俺が決めたタイトルは、そのものずばり「写生」である。写生をする女子生徒たちを写生した作品という二重の意味が込められている。
そして一か月後には、なんとコンクールで特賞を取り、町の博物館の美術コーナーで展示されたということである。
担任の中村先生より朝の学活でその報告を受け、小さな賞状を受け取ると、クラス中の生徒が歓声を上げた。
俺は、男だった頃に絵をほめられたり、賞を取ったりした経験がなかったので、照れる前に茫然としていた。
「やったね、みーちゃん」恵子が興奮して俺の肩を揺さぶった。
「さっそく帰りに見に行こうよ!」
恵子に誘われるまま、放課後、近くの停留所から市営バスに乗った。
バス代は二十円だった。俺の感覚だと安い。
二十分ほどバスに乗って、博物館前の停留所で降りると、博物館の入り口に向かった。写生コンクールの展示場は入場無料だった。
特設コーナーに行くと、幼稚園の部、小学校の部、中学校の部、高校の部と分かれていた。高校だけじゃなかったのか。
「こっち、こっち」
高校の部の方へ走らんばかりのスピードで急ぐ恵子。恥ずかしいからはしゃがないでくれ。
高校の部の展示を見る。特賞は俺一人だけでなく、二十人くらい受賞しているようだ。ざっと眺めると結構うまい人が多い。美術部員か何かで、描きなれているのかもしれない。
「あったよー、みーちゃん!」俺の願いもむなしく大声を出す恵子。
俺は顔を赤らめつつ、自分の描いた絵を見上げた。
ほかの受賞者の絵とくらべると、俺の絵はあっさりしていて素描みたいだと思った。でも、改めて見ると、あのときの恵子、淑子、河野さん、委員長、麗子、頼子、良子のはしゃいでる姿が脳裏によみがえった。
大した作品じゃないかもしれないが、手元に戻ったら家に飾ろう、と俺は思った。




